傷寒例について
現代に伝わる『傷寒論』は、著者張仲景だけでなく、王叔和・林億・趙開美・沈琳らの手によって編纂され現代に伝えられています。しかしその過程で「弁脈法」「平脈法」「傷寒例」「痙湿暍病」が加わったと言われています。本記事では『宋版傷寒論』に収録される傷寒例第三を紹介します。
※『傷寒論』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。
■書き下し文 傷寒例第三
傷寒論巻第二
漢 張仲景 述
晋 王叔和 撰次
宋 林 億 校正
明 趙開美 校刻
沈 琳 仝校
傷寒例第三
79)四時、八節、二十四節気、七十二候、病を決するの法。
立春の正月節、斗は艮を指す。
雨水の正月中、寅を指す。
驚蟄の二月節、甲を指す。
春分の二月中、卯を指す。
清明の三月節、乙を指す。
穀雨の三月中、辰を指す。
立夏の四月節、巽を指す。
小満の四月中、巳を指す。
芒種の五月節、丙を指す。
夏至の五月中、午を指す。
小暑の六月節、丁を指す。
大暑の六月中、未を指す。
立秋の七月節、坤を指す。
処暑の七月中、申を指す。
白露の八月節、庚を指す。
秋分の八月中、酉を指す。
寒露の九月節、辛を指す。
霜降の九月中、戌を指す。
立冬の十月節、乾を指す。
小雪の十月中、亥を指す。
大雪の十一月節、壬を指す。
冬至の十一月中、子を指す。
小寒の十二月節、癸を指す。
大寒の十二月中、丑を指す。
二十四氣節に十二あり、中氣に十二あり。五日を一候と為す。氣も亦た同じ。合して七十二候あり。決病生死、此れ須らく洞解之也。
80)『陰陽大論』に云く、春氣温和、夏氣暑熱、秋氣清涼、冬氣冰列。此れ則ち四時正氣の序也。
冬時の厳寒、萬類は深く蔵し、君子は固密するときは、則ち寒に於いて傷られず。之に触冒する者、乃ち傷寒と名づく耳(のみ)。其の四時の氣に於いて傷られるは、皆な能く病と為す。傷寒を以て毒と為す者は、其の最も殺厲の氣と成すを以て也。
81)中りて即ち病む者、名を傷寒と曰う。即病せざる者は寒毒が肌膚に於いて蔵(かく)る。春に至り変じて温病と為り、夏に至り変じて暑病と為る。暑病は熱極まり温に於いて(温病よりも)重き也。是れ以て辛苦の人、春夏に温熱の病が多き者、皆な冬時に触寒の致す所に由る。時行の氣には非ざる也。
82)凡そ時行の者、春時は應(まさ)に暖なるべきに而して反て大寒し、夏時は應(まさ)に熱なるべきに而して反て大涼し、秋時は應に涼なるべきに而して大熱し、冬時は應に寒なるべきに而して反て大温す。此れ其の時に非ずして其の氣有り。是を以て一歳の中、長幼の病に多く相い似たる者、此れ則ち時行の氣也。
83)夫れ四時の正氣が病を為すこと、及び時行疫氣の法を候い知らんと欲せば、皆な當に斗暦を按じて之を占うべし。
九月霜降節の後、宜しく寒に漸み、冬大寒に向かうべし。正月雨水節の後に至り、宜しく解すべき也。之を雨水と謂う所以の者は、冰雪解けて雨水と為すを以ての故也。
驚蟄二月節の後に至り、氣漸く和緩なり。夏の大熱に向かい、秋に至りて便ち涼し。
84)霜降より以後、春分に至る以前、凡そ霜露に触冒すること有り。体、寒に中りてて即病する者、これ傷寒と謂う也。九月十月、寒氣は尚(なお)微なり、病と為せども則ち軽し。十一月十二月、寒冽已に厳しく、病を為せば則ち重し。正月二月、寒漸やく将に解せんとする、(故に)病を為せば亦た軽し。此れ冬時の調わざるを以て、適(たまたま)寒に傷らるるの人、即ち病を為すこと有る也。
其の冬、節ならずして暖ある者、名づけて冬温と為す。冬温の毒、傷寒と大いに異なる。冬温には復た先後あり、更に相い重沓し、亦た軽重あり。治は同じからずと為す。証は後章の如し。
85)立春節より後、其の中は暴かに大寒すること無く、又冰雪せず、而して人の壮熱して病を為す者あり。此れ春時の陽氣に属す。冬時伏寒に於いて発し、変じて温病と為す。
86)春分より以後、秋分節の前に至り、天に暴寒ある者は、皆な時行寒疫を為す也。三月四月、或いは暴寒あり、其の時の陽氣は尚(なお)弱く、寒の為に折らる所、病熱すれば猶(なお)軽し。五月六月、陽氣已に盛ん、寒の為に折らるる所、病熱すれば則ち重し。七月八月、陽氣已に衰ろう、寒の為に折らるる所、病熱すれば亦また微なり。其の病、温(温病)及び暑病と相い似る。但だ治に殊有る耳(のみ)。
87)十五日に一氣を得る、四時の中に於いて、一時に六氣あり。四六し名づけて二十四氣と為す。然るに氣候、亦た應(まさ)に至るべくして仍お至らざる有り。或いは未だ應(まさ)に至らず而して至る者有り。或いは至り而して太過する者有り。皆な病の氣を成す也。
但だ天地の動靜、陰陽の鼓撃する者は、各々正(まさ)に一氣耳(のみ)。是れ以て彼の春の暖は、夏の暑と為る。彼の秋の忿は、冬の怒と為る。
是れ故に冬至の後、一陽爻升り、一陰爻降る也。夏至の後、一陽氣下り、一陰氣上る也。斯くして則ち冬夏の二至に、陰陽合する也。春秋の二分に、陰陽離るる也。陰陽交易することで、人は変じて病む。
此れ君子は春夏に陽を養い、秋冬に陰を養う。天地の剛柔に順(したが)う也。小人は触冒し、必ず暴疹に嬰(かか)る。須らく毒烈の氣を知るべし。留りて何れの経に在り、而して何れの病を発するか、詳らかにして之を取る。是を以て春は風に傷られれば、夏に必ず飧泄す。夏は暑に傷られれば、秋に必ず瘧を病む。秋に湿に傷られれば、冬に必ず咳嗽す。冬に寒に傷られれば、春に必ず温を病む。此れ必然の道、之を審明せざるべけんや。
88)傷寒の病、日を逐いて浅深し、以て方治を施す。
今の世人、寒に傷れて、或いは始めに早治せず、或いは治して病に対せず、或いは日数久淹(きゅうえん)し、困じて乃ち医に告ぐ。医する人、又(また)次第に依らずして之を治すれば、則ち病に中らず。皆、宜しく時に臨み消息、制方すれば効かざること無かるべき也。今、仲景、旧論を捜採し、其の証候・診脉・声色・病に対する真方・神験の有る者を録し、擬(はかり)て世の急を防ぐ也。
89)又、土地の温涼・髙下は同じからず。物性の剛柔、飡居も亦た異なる。是れ故に黄帝、四方の問いを興す。岐伯、四方の能を挙げ、以て後賢に訓じ、其の未だ悟らざる者を開く。病に臨むの工、宜しく須く両つながらに審らかにすべき也。
90)凡そ寒に於いて傷られれば、則ち病熱を為す。熱の甚しと雖も、死せず。若し寒に於いて両感し而して病む者は必ず死する。
91)尺寸俱に浮なる者は、太陽が病を受くる也。當に一二日に発すべし。其の脉は上りて風府に連なるを以ての故に頭項痛み、腰脊強ばる。
尺寸俱に長なる者は、陽明が病を受くる也。當に二三日に発すべし。其の脉、鼻を夾み目に絡うを以ての故に身熱し目疼み、鼻乾して臥するを得ず。
尺寸俱に弦なる者、少陽が病を受く也。當に三四日に発すべし。其の脉、脇を循り耳に絡うを以ての故に胸脇痛み而して耳聾する。
此れ三経皆な病を受け、未だ腑に於いて入らざる者は、汗して已ゆべし。
尺寸俱に沈細なる者、太陰が病を受くる也。當に四五日に発すべし。其の脉、胃中に布き嗌に絡うを以ての故に腹満して嗌乾く。
尺寸俱に沈なる者は、少陰が病を受くる也。當に五六日に発すべし。其の脉、腎を貫き肺に絡し、舌本に繋がるを以ての故に口燥舌乾きて渇する。
尺寸俱に微緩なる者、厥陰が病を受くる也。當に六七日に発すべし。其の脉、陰器を循り肝に絡するを以ての故に煩満して嚢縮する。
此れ三経皆な病を受く。已に腑に入れば、下して已ゆべし。
92)若し寒に於いて両感する者は、一日に太陽が之を受け、即ち少陰と俱に病むときは、則ち頭痛み、口乾き、煩満して渇する。
二日に陽明が之を受け、即ち太陰と俱に病むときは、則ち腹満ち身熱し、食を欲せず、譫語する。
三日に少陽が之を受け、即ち厥陰と俱に病むときは、則ち耳聾し、嚢縮して厥す、水漿は入らず。人を知らざる者は、六日に死する。
若し三陰三陽、五臓六腑、皆な病を受けるときは、則ち栄衛行らず、臓腑通ぜず、則ち死する。
93)其の寒に於いて両感せず、更に伝経せず、異氣が加わらざる者は、七日に至り太陽病衰え、頭痛少しく愈ゆる也。
八日に陽明病は衰え、身熱は少しく歇(や)む也。
九日に少陽病が衰え、耳聾は微しく聞こえる也。
十日に太陰病が衰え、腹の減ずること故(もと)の如し、則ち飲食(せんこと)を思う。
十一日に少陰病衰え、渇は止み、舌乾は已み而して嚔する也。
十二日に厥陰病衰え、嚢が縦(ゆる)み、少腹微しく下り。大氣皆去り、病人の精神は爽慧也。
94)若し十三日以上過ぎて間なく、寸尺が陥する者は、大いに危うし。
95)若し更に異氣を感じ、変じて他病と為す者は、當に後の壊病の証に依りて之を治すべし。
若し脉の陰陽が俱に盛んにして、寒に於いて重感する者は、変じて温瘧を成す。
陽脉浮滑、陰脉濡弱の者は、更に風に遇いて、変じて風温と為す。
陽脉洪數、陰脉実大なる者、更に温熱に遇い、変じて温毒と為す。温毒の病為(た)るは最も重き也。
陽脉濡弱、陰脉弦緊なる者、更に温氣に遇い、変じて温疫と為す(一本には瘧と作す)。此れ冬に寒に於いて傷れるに以て、発して温病を為す。脉の変証、方治は説の如し。
96)凡そ人に疾有れば、時ならずして即ち治せ。隠忍して差(い)ゆるを冀(こいねが)えば、以て痼疾と成る。小児女子は、益々以て滋々(ますます)甚だし。
時氣を和せざれば、便ち當に早く言うべし。其の邪の由を尋ね、腠理に在るに及びて、時を以て之を治せ。
罕(まれ)に愈えざる者あり。患人これを忍ぶこと、数日になりて乃ち説くに、邪氣は臓に入れば、則ち制すべきこと難し。此れ家に患有れば、僃慮(ひりょ・びりょ)の要と為す。
凡そ湯薬を作するに、晨夜を避くべからず。病を覚えれば須臾にして、即ち宜しく便ち治すべし。早晩に不等にすれば、則ち愈え易し。如(も)し或いは差ゆること遅ければ、病は即ち伝変す。除治せんと欲すと雖も、必ず力を為すこと難し。
97)服薬、方法の如くならず、意を縦(ほしいまま)にして師に違(たが)えば、須らく之を治すべからず。
98)凡そ傷寒の病、多くは風寒より之を得る。始め表、風寒に中り、裏に入れば則ち消えず。未だ温覆して當に消散せざる者は有らず。証治に在らずして、擬(おしはか)りて之を攻めんと欲すれば、猶(なお)當に先ず表を解すべし、乃ち之を下すべし。
若し表已(すで)に解して、内は消えず、大満するに非ざれば、猶お寒熱を生ず。則ち病は除かれず。
若し表已(すで)に解して、内は消えず、大満し大実するは、堅くして燥屎あり。自ら之を除き下すべし。四五日なりと雖も、禍を為すこと能わざる也。
若し下すに宜からずして、便ち之を攻めれば、内虚し熱入り、協熱して遂に利し、煩躁して、諸変すること、勝(あげ)て数えるべからず。軽き者でも困篤し、重き者は必ず死する。
99)夫れ陽盛陰虚は、之を汗すれば則ち死し、之を下せば則ち愈ゆる。
陽虚陰盛は、之を汗すれば則ち愈え、之を下せば則ち死する。
夫れ是の如くなれば、則ち神丹安(いず)くんぞ以て誤発すべけんや。甘遂、何んぞ以て妄りに攻むべけんや。虚盛の治、相い背くこと千里、吉凶の機、応ずること影と響の如し。豈(あ)に容易ならんや。況んや桂枝、咽を下り、陽盛んなれば即ち斃(たお)れ、承氣、胃に入り、陰盛んなれば以て亡ぶ。
死生の要は、須臾に在る。身の盡くるを視る、日を計(かぞえ)うるに暇(いとま)せず。此れ陰陽虚実の交錯するや、其の候は至って微なり。発汗吐下の相反するや、其の禍は至って速やかなり。而るに医術浅狭なれば、懵然(ぼうぜん)として病源を知らず、為に治すれば乃ち誤まれり。病者をして殞歿(いんぼつ)せしめ、自ら其の分と謂う。寃魂をして冥路に於いて塞がらしむるに至り、死屍は曠野に盈つる。仁者は此れを鑒み、豈に痛まざらんや!?
100)凡そ両感の病、俱に作するに、治に先後あり。発表攻裏、本(もと)自ら同じからず。而るに意を用いるを執り迷うの者は、乃ち神丹甘遂を合して而して之を飲み、且つ其の表を解し、又其の裏を除くと云う。言の巧みにして是(ぜ)に似たるも、其のは実に違う。夫れ智者の錯を挙ぐるや、常に審らかにして以て慎み、愚者の動作たるや、必ず果にして速やかなり。安危の変、豈に詭(あざむく)べけんや。
世上の士、但だ彼の翕習(きゅうしゅう)の栄を務め、而して此の傾危(けいき)の敗を見ること莫し。惟だ明者は居然として能く其の本を護る。近く諸身に取れば、夫れ何ぞ遠きこと之有らん。
101)凡そ発汗するは湯液を温暖にす、其の方は日に三服すと言うと雖も、若し病劇しく解せざるは、當に其の間を促し、半日の中に三服を盡すべし。若し病と相い阻(はば)めば、即ち便(たちま)ち覚える所有り。病の重き者、一日一夜、當に晬時にして之を観るべし。一剤を服して、病証の猶(なお)在るが如きは、故に當に復た本湯を作して之を服すべし。肯えて汗出でざること有るに至れば、三剤を服して乃ち解する。若し汗の出でざる者は、死病也。
102)凡そ時氣の病を得、五六日に至り、而して渇して水を飲まんと欲するも、飲むこと多きこと能わざるは、當に与うべからざる也。何んとなれば、腹中熱の尚(なお)少なきことを以て、之を消すこと能わず。便(すなわ)ち更に人に与えれば病を作す也。
七八日に至り、大いに渇して水を飲まんと欲する者、猶(なお)當に証に依りて之を与うべし。之を与えて常に不足せしめ、意を極むること勿れ。能く一斗を飲むと言うには五升を与う。
若し飲みて腹満し、小便不利し、若しくは喘、若しくは噦すれば、之を与うべからざる也。
忽然として大いに汗出でるは、是れ自ら愈ゆると為す也。
103)凡そ病を得、反て能く水を飲むは、此れ愈えんと欲するの病と為す。
其の病の暁らざる者は、但だ病は水を飲めば自ら愈えると聞く。
小しく渇する者、乃ち強いて之を与え飲ませば、因りて其の禍いと成ること、復た数うべからざる也。
104)凡そ病厥を得て、脉動数、湯薬を服して、更に遅。脉浮大は減じて小なる。初め躁して後に静かなるは、此れ皆な愈ゆる証也。
106)又、身の穴の三百六十有五、其の三十穴は之に灸して害あり。七十九穴は之に刺して災を為す、并びに髄に中る也。
107)脉四損は、三日に死する。平人四息するに、病人の脉一至するは、名づけて四損と曰う。
脉五損は、一日に死する、平人五息するに、病人の脉一至するを、名づけて五損と曰う。
脉六損は、一時に死する、平人六息するに、病人の脉一至するを、名づけて六損と曰う。
108)脉盛んに身寒ゆるは、之を傷寒に得る。脉虚して身熱するは、之を傷暑に得る。
111)脉の至ること乍(たちま)ち数、乍ち疎なる者は死す。
脉の至りて転索の如くなるは、其の日に死する。
112)譫言妄語し、身は微しく熱し、脉は浮大、手足の温なる者は生く。
逆冷して脉沈細なる者は、一日を過ぎずして死するなり。
天地の中に生きる人
本章「傷寒例」では二十四節気を挙げている点が最大の特徴だと思います。さらに各節気を挙げ、それぞれの季節(時)に北斗七星の斗が「艮・寅・甲・卯・乙・辰・巽・巳・丙・午・丁・未・坤・申・庚・酉・辛・戌・乾・亥・壬・子・癸・丑」を指すとしています。
まず二十四節気についてですが、古代中国医学は、天地の運行(四季・四時と昼夜)と人体の関係に注目した医学です。現代医学でいうところの“バイオリズム”に当ります。このバイオリズムについて実は中国医学は非常に詳しい特徴を持っています。
とはいえ、二十四節気すべてに言及している医書は非常に稀有です。
『素問』『霊枢』『難経』にも、二分(春分と秋分)、二至(夏至・冬至)、四立(立冬・立春・立夏・立秋)の八節に関する記載が見受けられますが(それでも『素問』に立秋の記載は無く、『難経』にはわずか冬至のみの記載です)、二十四節気すべてに触れているわけではありません。
『素問』『霊枢』『難経』の三経に共通して登場する節気は「冬至」であり、この冬至が二十四節気の基点として機能させています。
しかし漢代の文献で二十四節気について触れられている書があります。『易緯通卦験』です。これは医書ではなく易書に属するものですが、十二経脈に関する情報や各節気(季節)における病症などが詳細に記されていて、実に興味深い文献です。(詳しくは『医書と緯書 ―易緯通卦験について―』濱口昭宏 足立繁久を参照のこと)
さて、冒頭の条文79)では、二十四節気における各節気にて、北斗七星の斗が示す方角に「天干」「地支」「八卦」を用いて表しています。各方位に配当される天干・地支・八卦は「甲乙丙丁庚辛壬癸」の八干、「寅卯辰巳午未申酉戌亥子丑」の十二支、そして「艮巽坤乾」の四卦です。
天干(十干)のうち「戊己」の土行に属す二干がなく(土は中央に配されるため)、八卦のうち「兌離震坎」の四卦が用いられていません(坎離震兌は子午卯酉と重なるため)。
これら「甲乙丙丁庚辛壬癸」と「寅卯辰巳午未申酉戌亥子丑」そして「艮巽坤乾」は今日では“方位神”として暦法の分野で伝えられているようですが、この方面に関して私は不勉強のため詳述は控えさせてもらいます。
いずれにせよ、傷寒例では二十四節気のみならず、二分二至四立の八節など、日月の運行を視野に入れ(天の運行)、それを方角(地に理)に配当しており、天地の間に生きるを人をみるという非常に広い世界観が感じられる章です。
弁脈法第一 ≪ 平脈法 第二 ≪ 傷寒例 第三 ≫ 痓湿暍病編 第四
鍼道五経会 足立繁久
原文 傷寒例第三
■原文 傷寒例第三
傷寒例第三
79)四時八節、二十四節気、七十二候、決病法。
立春正月節斗指艮 雨水正月中指寅
驚蟄二月節指甲 春分二月中指卯
清明三月節指乙 穀雨三月中指辰
立夏四月節指巽 小満四月中指巳
芒種五月節指丙 夏至五月中指午
小暑六月節指丁 大暑六月中指未
立秋七月節指坤 處暑七月中指申
白露八月節指庚 秋分八月中指酉
寒露九月節指辛 霜降九月中指戌
立冬十月節指乾 小雪十月中指亥
大雪十一月節指壬 冬至十一月中指子
小寒十二月節指癸 大寒十二月中指丑
二十四氣節有十二、中氣有十二。五日為一候。氣亦同。合有七十二候。決病生死、此須洞觧之也。
80)陰陽大論云、春氣温和、夏氣暑熱、秋氣清涼、冬氣冰列。此則四時正氣之序也。冬時嚴寒、萬類深藏、君子固密、則不傷於寒。觸冒之者、乃名傷寒耳。其傷於四時之氣、皆能為病、以傷寒為毒者、以其最成殺厲之氣也。
81)中而即病者、名曰傷寒。不即病者寒毒藏於肌膚。至春變為温病、至夏變為暑病、暑病者、熱極重於温也。是以辛苦之人、春夏多温熱病者、皆由冬時觸寒㪽致。非時行之氣也。
82)凡時行者、春時應暖、而反大寒。夏時應熱、而反大涼。秋時應涼、而反大熱。冬時應寒、而反大温、此非其時、而有其氣。是以一歳之中、長幼之病、多相似者、此則時行之氣也。
83)夫欲候知四時正氣為病。及時行疫氣之法、皆當按斗暦占之。九月霜降節後、宜漸寒、向冬大寒。至正月雨水節後、宜觧也。㪽以謂之雨水者、以冰雪觧而為雨水故也。至驚蟄二月節後氣漸和緩。向夏大熱、至秋便涼。
84)從霜降以後、至春分以前、凡有觸冒霜露、體中寒即病者、謂之傷寒也。九月十月、寒氣尚微、為病則軽。十一月十二月、寒冽已嚴、為病則重。正月二月、寒漸将觧、為病亦軽。此以冬時不調。適有傷寒之人、即為病也。其冬有非節之暖者、名為冬温。冬温之毒、與傷寒大異。冬温復有先後、更相重沓、亦有軽重、為治不同。證如後章。
85)從立春節後、其中無暴大寒。又不冰雪、而有人壮熱為病者、此屬春時陽氣。發於冬時伏寒、變為温病。
86)從春分以後、至秋分節前、天有暴寒者、皆為時行寒疫也。三月四月、或有暴寒、其時陽氣尚弱、為寒㪽折。病熱猶軽。五月六月、陽氣已盛、為寒㪽折。病熱則重。七月八月陽氣已衰、為寒㪽折。病熱亦微、其病與温及暑病相似。但治有殊耳。
87)十五日得一氣、於四時之中。一時有六氣、四六名為二十四氣。然氣候亦有應至仍不至、或有未應至而至者、或有至而太過者、皆成病氣也。但天地動靜、陰陽鼓撃者、各正一氣耳。是以彼春之暖、為夏之暑。彼秋之忿、為冬之怒。是故冬至之後、一陽爻升、一陰爻降也。夏至之後、一陽氣下、一陰氣上也。斯則冬夏二至、陰陽合也。春秋二分、陰陽離也。陰陽交易、人變病焉。此君子春夏養陽、秋冬養陰。順天地之剛柔也。小人觸冒、必嬰暴疹、須知毒烈之氣。留在何経、而發何病。詳而取之。是以春傷於風、夏必飧泄。夏傷於暑、秋必病瘧。秋傷於濕、冬必咳嗽。冬傷於寒、春必病温。此必然之道、可不審明之。
88)傷寒之病、逐日淺深、以施方治。今世人傷寒、或始不早治、或治不對病、或日數久淹、困乃告醫。醫人又不依次第而治之、則不中病。皆宜臨時消息制方無不効也。今捜採仲景舊論、録其證候診脉聲色、對病真方、有神驗者、擬防世急也。
89)又土地温涼、髙下不同、物性剛柔、飡居亦異。是故黄帝興四方之問。岐伯擧四方之能、以訓後賢、開其未悟者、臨病之工、宜須兩審也。
90)凡傷於寒、則為病熱。熱雖甚、不死。若兩感於寒而病者必死。
91)尺寸俱浮者、太陽受病也。當一二日發、以其脉上連風府。故頭項痛、腰脊强。
尺寸俱長者、陽明受病也。當二三日發、以其脉夾鼻絡於目。故身熱目疼、鼻乾不得臥。
尺寸俱弦者、少陽受病也。當三四日發、以其脉循脅絡於耳。故胷脅痛而耳聾。此三経皆受病。未入於府者、可汗而已。
尺寸俱沈細者、太陰受病也。當四五日發、以其脉布胃中絡於嗌。故腹満而嗌乾。
尺寸俱沈者、少陰受病也。當五六日發、以其脉貫腎絡於肺、繋舌本。故口燥舌乾而渇。
尺寸俱微緩者、厥陰受病也。當六七日發、以其脉循陰器絡於肝。故煩満而嚢縮。此三経皆受病。已入於府可下而已。
92)若兩感於寒者、一日太陽受之、即與少陰俱病、則頭痛口乾、煩満而渇。二日陽明受之、即與太陰俱病、則腹満身熱、不欲食讝(之廉切。又女監切、下同。)語。三日少陽受之。即與厥陰俱病、則耳聾嚢縮而厥。水漿不入。不知人者、六日死。若三陰三陽、五藏六府、皆受病、則榮衛不行、藏府不通、則死矣。
93)其不兩感於寒更不傳経。不加異氣者、至七日太陽病衰、頭痛少愈也。八日陽明病衰、身熱少歇也。九日少陽病衰、耳聾微聞也。十日太陰病衰、腹減如故、則思飲食。十一日少陰病衰、渇止舌乾已而嚔也。十二日厥陰病衰、嚢縦、少腹微下。大氣皆去。病人精神爽慧也。
94)若過十三日以上不間、寸尺䧟者、大危。
95)若更感異氣、變為他病者、當依後壊病證而治之。若脉陰陽俱盛、重感於寒者、變成温瘧。陽脉浮滑、陰脉濡弱者、更遇於風、變為風温。陽脉洪數、陰脉實大者、更遇温熱、變為温毒。温毒為病最重也。陽脉濡弱、陰脉弦緊者、更遇温氣、變為温疫(一本作瘧)。以此冬傷於寒、發為温病、脉之變證、方治如説。
96)凡人有疾、不時即治、隠忍冀差、以成痼疾。小兒女子、益以滋甚。時氣不和、便當早言、尋其邪由、及在腠理、以時治之。罕有不愈者、患人忍之。數日乃説、邪氣入藏、則難可制。此為家有患、僃慮之要。凡作湯藥。不可避晨夜、覺病須臾、即宜便治、不等早晩。則易愈矣。如或差遅、病即傳變、雖欲除治、必難為力。
97)服藥不如方法。縦意違師、不須治之。
98)凡傷寒之病、多從風寒得之。始表中風寒、入裏則不消矣。未有温覆而當不消散者、不在證治。擬欲攻之、猶當先觧表、乃可下之。若表已觧、而内不消非大満。猶生寒熱、則病不除。若表已觧、而内不消、大満大實。堅有燥屎、自可除下之。雖四五日、不能為禍也。若不宜下而便攻之。内虚熱入、協熱遂利。煩躁諸變、不可勝數、軽者困篤、重者必死矣。
99)夫陽盛陰虚。汗之則死、下之則愈。陽虚陰盛、汗之則愈、下之則死。夫如是、則神丹安可以誤發。甘遂何可以妄攻。虚盛之治、相背千里、吉凶之機、應若影響。豈容易哉。況桂枝下咽、陽盛即斃、承氣入胃、陰盛以亡。死生之要、在乎須臾。視身之盡、不暇計日。此陰陽虚實之交錯、其候至微、発汗吐下之相反、其禍至速、而醫術淺狭、懵然不知病源、為治乃誤。使病者殞歿。自謂其分、至令寃魂塞於冥路。死屍盈於曠野。仁者鑒此。豈不痛歟。
100)凡兩感病俱作、治有先後。發表攻裏、本自不同、而執迷用意者、乃云神丹甘遂、合而飲之、且觧其表、又除其裏。言巧似是、其理實違。夫智者之擧錯也、常審以慎、愚者之動作也、必果而速。安危之變、豈可詭哉。世上之士、但務彼翕習之榮、而莫見此傾危之敗。惟明者居然能護其本。近取諸身、夫何遠之有焉。
101)凡發汗温暖湯藥、其方雖言日三服、若病劇不觧、當促其間、可半日中盡三服。若與病相阻、即便有㪽覺。病重者、一日一夜當晬時觀之。如服一劑、病證猶在、故當復作本湯服之。至有不肯汗出、服三劑乃觧。若汗不出者、死病也。
102)凡得時氣病、至五六日、而渇欲飲水、飲不能多、不當與也。何者、以腹中熱尚少、不能消之。便更與人作病也。至七八日、大渇欲飲水者、猶當依證而與之。與之常令不足、勿極意也。言能飲一斗與五升。若飲而腹満、小便不利、若喘若噦、不可與之也。忽然大汗出、是為自愈也。
103)凡得病、反能飲水、此為欲愈之病。其不暁病者、但聞病飲水自愈。小渇者乃强與飲之。因成其禍、不可復數也。
104)凡得病厥、脉動數。服湯藥、更遅、脉浮大減小、初躁後靜、此皆愈證也。
105)凡治温病、可刺五十九穴。
106)又身之穴三百六十有五、其三十穴灸之有害。七十九穴刺之為災、并中髓也。
107)脉四損、三日死、平人四息、病人脉一至、名曰四損。
脉五損、一日死、平人五息、病人脉一至、名曰五損。
脉六損、一時死、平人六息、病人脉一至、名曰六損。
108)脉盛身寒、得之傷寒。脉虚身熱、得之傷暑。
109)脉陰陽俱熾、大汗出不觧者死。
110)脉陰陽俱虚、熱不止者死。
111)脉至乍數乍疎者死。脉至如轉索、其日死。
112)讝言妄語、身微熱、脉浮大、手足温者生。逆冷脉沈細者、不過一日死矣。
113)此以前是傷寒熱病證候也。