素問 調経論篇第六十二の書き下し文

調経論に記されている大事なこと

『黄帝内経』つまみ食いシリーズは当分続く。それどころかおそらく終わることは無いだろう。
そういった意味では、分不相応なことを始めてしまったかもしれない…。

さて、調経論にも鍼灸師必読の内容が相当量盛り込まれている。そのため全文を引用することになった。
衛氣営氣を解するというテーマに絞ってまた読み進めてみよう。
本論篇では鍼の補寫について詳述してある。

調経論篇第六十二・書き下し文

黄帝問うて曰く、余聞く、刺法に言う有餘はこれを寫し、不足はこれを補う。
何を有餘と謂い、何を不足と謂うのか?
岐伯対えて曰く、有餘には五有り、不足にも亦五有り。帝は何を問わんと欲するか。
黄帝曰く、願くば盡くこれを聞かん。
岐伯曰く、神に有餘、不足有り、氣に有餘、不足有り、血に有餘、不足有り、形に有餘、不足有り、志に有餘、不足有り。
凡そ此れら十の者は、その氣等しからざる也。①

帝曰く、人に精氣津液、四肢九竅、五藏十六部、三百六十五節有りて、乃ち百病生ず。
百病の生ずるや、皆な虚實有り。
今、夫子乃ち言う、有餘に五有り、不足にも亦五有り、何を以ってこれを生ずる乎?
岐伯曰く、皆五藏に於いて生ずる也。
夫れ心は神を藏し、肺は氣を藏し、肝は血を藏し、脾は肉を藏し、腎は志を藏して、これら形を成す。
志意、内に通じ、骨髄に連なりて、身形、五藏を成す。
五藏の道、皆経隧に出づる、以って血氣を行(めぐ)らす。
血氣和せざれば、百病乃ち変化して生ずる。これ故に経隧を守る。帝曰く、神の有餘不足は何如?
岐伯曰く、神、有餘すれば則ち笑いて不休、神不足すれば則ち悲する。
血氣未だ并せず、五藏安定であり、邪は形に客すれば、洒淅して毫毛起する、未だ経絡には入らざる也。故に命じて神の微と曰う。帝曰く、補寫すること奈何?
岐伯曰く、神有餘すれば則ちその小絡の血を寫して血を出す、これを深くして斥すること勿れ、その大経に中てること無し、神氣乃ち平なり。
神不足する者は、その虚絡を視、按じてこれを致し、刺してこれを利する。その血を出すこと無く、その氣を泄すこと無し。以ってその経を通ずれば、神氣乃ち平なり。
帝曰く、微を刺すること奈何?
岐伯曰く、按摩して釋すこと勿れ、鍼を著けて斥すること勿れ。氣を不足に移せば、神氣乃ち復するを得る。

帝曰く、善し。有餘不足は奈何?
岐伯曰く、氣の有餘なれば則ち喘欬上氣す、不足すれば則ち息利少氣す。
血氣未だ并せず、五藏安定であり、皮膚微して病む、命じて白氣微泄と曰う。
帝曰く、補寫すること奈何?
岐伯曰く、氣有餘すれば則ちその経隧を寫して、その経を傷つけること無く、その血を出すこと無く、その氣を泄すこと無し。②
不足すれば則ちその経隧を補して、その氣を出すこと無し。
帝曰く、微を刺すこと奈何?
岐伯曰く、按摩して釋すこと勿れ、鍼を出してこれを視て、曰く、我将にこれを深くせん、人に適て必ず革せん、精氣自伏し、邪氣散乱し、休息する所無し。
氣、腠理に泄して、眞氣乃ち相い得る。

帝曰く、善し。
血の有餘不足すること奈何?
岐伯曰く、血有餘すれば則ち怒り、不足すれば則ち恐るる。血氣未だ并せず、五藏安定であれば、孫絡に水溢れるときは則ち経に留血有り。
帝曰く、補寫すること奈何?
岐伯曰く、血有餘なるときは則ちその盛んなる経を寫して、その血を出す。
不足するときは則ちその虚経を視て、鍼をその脈中に内れて、久しく留めて脈大を視る。疾くその鍼を出して、血を泄らしむること無し。
帝曰く、留血を刺すこと奈何?
岐伯曰く、その血絡を視て、刺してその血を出す。悪血をして経に入ることを得、以ってその疾を成さしむること無し。

帝曰く、善し。
形の有餘不足には奈何?
岐伯曰く、形の有餘なれば則ち腹脹して涇溲利せず。不足すれば則ち四肢不用。
血氣未だ并せず、五藏安定なれば、肌肉蠕動する、命じて微風と曰う。
帝曰く、補寫すること奈何?
岐伯曰く、形の有餘なるときは則ちその陽経を寫す、不足なるときは則ちその陽絡を補す。
帝曰く、微を刺すること奈何?
岐伯曰く、分肉の間を取る、その経に中てること無く、その絡を傷つける無かれ。
衛氣の復することを得て、邪氣乃ち索(ち)る。

帝曰く、善し。
志の有餘不足なること奈何?
志の有餘なれば則ち腹脹し飧泄す、不足なれば則ち厥する。
血氣未だ并せず、五藏安定なれば、骨節動ずる有り。

帝曰く、補寫すること奈何?
岐伯曰く、志の有餘なるときは則ち然筋(然谷)を寫して血する者、不足するときは則ちその復溜を補す。
(※然筋を然谷とする説あり、ここではその説を採用する)

帝曰く、刺して未だ并せざるは奈何?
岐伯曰く、即ちこれを取り、その経に中たること無く、邪の所乃ち能く立に虚す。

帝曰く、善し。
余已に虚實の形を聞くが、それ何を以って生ずるかを知らず。
岐伯曰く、氣血以って并する、陰陽相い傾き、氣は衛に於いて乱れ、血は経に於いて逆する③
血氣は居を離れ、一は實して一は虚する。
血は陰に并して、氣は陽に并する、故に驚狂を為す。
血が陽に并して、氣が陰に并すれば、乃ち炅中と為す。
血が上に并して、氣が下に并すれば、心煩惋して善く怒る。
血が下に并して、氣は上に并すれば、乱れて喜く忘れる。

帝曰く、血が陰に并して、氣は陽に并する、これの如く血氣が居を離れるは、何を實と為して、何を虚と為すか?
岐伯曰く、血氣なるは温を喜みて寒を悪む、寒すれば則ち泣して流れること能わず、温なれば則ち消してこれを去る。
これの故に氣の并する所を血虚と為し、血の并する所を気虚と為す。

帝曰く、人の有する所は、血と氣のみ。
今、夫子の言は、血并して虚と為し、氣并して虚と為す、これ實無きか?
岐伯曰く、有とは實を為す、無とは虚と為す、故に氣并して則ち血無く、血并して則ち氣無し。
今、血と氣相い失いて、故に虚と為す焉。
絡と孫脈、俱に経に輸する。
血と氣并するとき則ち實と為す焉。
血と氣と、并して上に走るとき、則ち大厥と為す。
厥すれば則ち暴死し、氣復た反(かえ)れば則ち生く、反らざるときは則ち死す。

帝曰く、實なるは何れの道従(よ)り来たり、虚なるは何れの道従り去るのか、虚実の要、願くばその故を聞かん。
岐伯曰く、それ陰と陽は、みな兪會(会)有り、陽は陰に注ぎ、陰は外に満つる。
陰陽匀平なれば、以ってその形を充たす。
九候、一の若くなるを、命じて平人を曰う。
それ邪の生ずるや、或いは陰に生じ、或いは陽に生じる。
その陽に生じる者、これを風雨寒暑に得。その陰に生じる者、これを飲食居處、陰陽喜怒に得る。

帝曰く、風雨の人を傷ること奈何?
岐伯曰く、風雨の人を傷るや、先ず皮膚に客して、孫脈に傳入する。
孫脈満ちれば、則ち絡脈に傳入する。
絡脈満ちれば、則ち大経脈に輸する。
血氣と邪と并して、分腠の間に客すれば、その脈堅大なり、故に實と曰う。
實なる者、外堅く充満して、これを按ずぜからず、これを按じて則ち痛む。

帝曰く、寒湿の人を傷るや奈何?
岐伯曰く、寒湿の人に中るや、皮膚収せず、肌肉は堅緊して、榮血は泣し、衛氣は去る。故に虚と曰う。
虚なる者、聶辟して氣不足す。
これを按じて則ち氣足りて以ってこれを温むる、故に快然として痛まず。

帝曰く、善し。
陰の實を生じること奈何?
岐伯曰く、喜怒不節なれば、則ち陰氣は上逆す、上逆するときは則ち下虚す、下虚すれば則ち陽氣これ走る、故に實と曰う。

帝曰く、陰の虚を生じること奈何?
岐伯曰く、喜べば則ち氣下る。悲むときは則ち氣消える、消えれば則ち脈虚空。寒飲食に因りて、寒氣熏満して、則ち血泣して氣去る、故に虚と曰う。

帝曰く、経に言う、陽虚すれば則ち外寒す、陰虚すれば則ち内熱す。陽盛なれば則ち外熱す、陰盛なれば則ち内寒する。
余已にこれを聞く矣。その然る所由を知らざる也。
岐伯曰く、陽は氣を上焦に受け、以って皮膚分肉の間を温むる。
今寒氣、外に在れば則ち上焦不通。上焦不通なれば則ち寒氣獨り外に留まる、故に寒慄す。

帝曰く、陰虚の内熱を生ずること奈何?
岐伯曰く、勞倦する所有りて、形氣衰少し、穀氣は盛ならず、上焦行らずして、下脘通ぜず、胃氣熱して、熱氣は胸中を熏ずる、故に内熱す。

帝曰く、陽盛の外熱を生ずること奈何?
岐伯曰く、上焦通利せざれば、則ち皮膚緻密す、腠理閉塞して、玄府通ぜず、衛氣泄越すること得ざる、故に外熱す。

帝曰く、陰盛の内寒を生ずること奈何?
岐伯曰く、厥氣上逆して、寒氣 胸中に積して寫せず、寫せざれば則ち温氣去る、寒獨り留まれば、則ち血凝りて泣する。凝するときは則ち脈不通。その脈盛大にして以って濇する、故に中寒す。

帝曰く、陰と陽と并し、血氣以って并して、病形以って成るは、これを刺すこと奈何?
岐伯曰く、これを刺す者、これを経隧に取り、營に於いて血を取り、衛に於いて氣を取る、形を用いる哉、四時に因りて多少高下する④

帝曰く、血氣以って并して、病形以って成り、陰陽相い傾むくには、補寫すること奈何?
岐伯曰く、實を寫する者、氣盛んにして乃ち鍼を内れる。鍼と氣俱に内れて、以ってその門を開す。その戸を利するが如くす。鍼と氣と俱に出して、精氣を傷らず、邪氣乃ち下す、外門閉せず、以ってその疾を出す。その道を大に搖すること、その路を利するが如し、これを大寫と謂う。必ず切して出す、大氣乃ち屈する。

帝曰く、虚を補すること奈何?
岐伯曰く、鍼を持して置くこと勿れ、以ってその意を定む。呼を候いて鍼を内れ、氣を出して鍼を入れる、鍼にて空を四塞せば、精を従い去ること無し⑤。
方に實して疾く鍼を出し、氣を入れて鍼を出す。
熱還ることを得ず、その門を閉塞して、邪氣を布散す、精氣乃ち存することを得る、動氣 時を候い、近氣は失せず、遠氣乃ち来たる、これを“追之”と謂う。

帝曰く、夫子の言う、虚實なる者に十有り、五藏に生ずる、五藏五脈のみ。夫れ十二経脈、みなその病を生ずる。
今、夫子獨り五藏を言う、夫れ十二経脈なる者、みな三百六十五節に絡す。
節に病あれば、必ず経脈に被る。
経脈の病、みな虚實あり、何を以ってこれを合する?
岐伯曰く、五藏なるは故に六府を得て、表裏と為す、経絡支節、各々虚實を生じる。
その病の居る所に、隨いてこれを調う。
病、脈に在ればこれを血に調う、
病、血に在ればこれを絡に調う。
病、氣に在れば、これを衛に調う。
病、肉に在れば、これを分肉に調う。
病、筋に在れば、これを筋に調え、
病、骨に在れば、これを骨に調う。

燔鍼にて劫して、その下及び急なる者を刺す、
病、骨に在れば、焠鍼、薬熨す。
病、痛む所を知らずは、両蹻の上を為す。
身形痛み有りて、九候に病莫(な)ければ、則ちこれを繆刺す。
痛み左に在りて、右脈の病む者には、これを巨刺する。
必ずその九候を謹察し、鍼道備わる矣。

①有余不足にも各層がある

人体にもいくつかの層がある。
このような複数層からなる人体観は、鍼灸師にとっては必要である。
それが分かっていれば、有余不足、つまり虚実にもいくつかの層や分類があることは理解できよう。

ここでは有余不足に十の分類が可能であるとしている。
神・氣・血・形・志の五層・五位に、虚実の二要素を組んで十の有余不足である。
「凡そ此れら十の者は、その氣等しからず(凡此十者、其氣不等)」とあるように、
層・位の中にも氣はあるものの、共通単位としても氣があることは混乱してはならないことと思われる。

これら各層各位における虚実の病症・刺法が詳解されているが、
鍼法に関しては有余・不足に対する刺法のみならず
“微”なるものに対する鍼法が付記されている。この点が非常に興味深い。

微なるものとは一体何か?
楊上善は「微とは未病の段階である」と言及しており、これこそが和氣の要であるとも言っている。

実際に拝読すると、有余不足に対する鍼法も精密なものであるが、微に対する刺法はさらに繊細な技法であることが伝わってくる。
按摩、分肉というキーワードからも、押し手の繊細さ術者の意を要する技術であろうと推察することができる。

②邪気のみを排除する鍼法

氣層・氣位の有余(実)に対する刺法が挙げられている。

本文では「経隧を寫して、その経を傷つけること無く、その血を出すこと無く、その氣を泄すこと無く」とあり、
経脈に鍼刺するものの、経脈は傷つけず、血も傷つけず、氣(正氣・精氣)を泄らしてはいけない…それでいて邪のみを除くことを要する。
これが氣層に対する瀉法であるという。
対する氣への補法は驚くほどシンプルな描写である。(補に対する詳しい説明は下線部⑤を参照にされたし)
「不足すればその経脈を補して、その氣を出すこと無し。」
不足する経脈を補って、気を漏らすな、と至極当然なことを言っている。

本来、瀉法はそれほど繊細な意を必要とする技法なのであろう。
そして「鍼に寫ありて補なし」という言葉があるように、鍼治・鍼術の真骨頂は寫にある。
それだけに繊細な寫のイメージを構築しておきたいものである。

③氣は衛に、血は営に

どうやら調経論における衛氣営氣の概念は、衛=氣分、営=営血のようである。
当会では、氣に陰陽あり、陽を表氣・衛氣とし、陰を裏氣・営氣と称して用いることが多いが、
調経論のように、氣=衛、営=血という気血観も当然ながら在る。

下線部③以下の血と氣は「血と氣」として解釈すると同時に「衛気と営気」として読むことも必要であると考える。
この解釈は下線部④にそのまま該当する。

⑤補法もやはり複雑なのだ…

②では補の鍼法は驚くほどシンプルである、と述べたが、補鍼派の鍼灸師にとっては不満であろう。
下線部⑤には補鍼に関する記述がある。

「鍼を持して置くこと勿れ、以ってその意を定む。呼を候いて鍼を内れ、氣を出して鍼を入れる、鍼空四塞、精を従い去ること無し。」とあり、
補鍼を行うには、かなり複雑な条件をクリアしなければならない。

鍼を置くだけでは不十分であること、それは単純に置鍼を禁ずるのではなく、意志意念を要するようである。
そして呼を察すること。当然ながら呼吸とは、衛気・営気ともに関与する要素である。
呼吸の隙間をついて鍼をいれる必要がある。
さらには「気を出して鍼を入れる」という、この気は何であろうか理解しなければならない。
そして鍼にて空を四塞(しさい)にして、精を失うことなく確保すれば、まさに補法である。

しかし、この続きがまだある。

「持鍼勿置、以定其意。候呼内鍼、氣出鍼入、鍼空四塞、精無従去。方實而疾出鍼、氣入鍼出。熱不得還、閉塞其門、邪氣布散、精氣乃得存、動氣候時。近氣不失、遠氣乃来、是謂追之。」
長くなるので原文を引用するが、気を至しめて、門(経穴)を閉じ、正気精気を確保すること、邪は散じる。
結局、“経脈を補すること”とは駆邪なのである。補は寫なりである。

そして、続く言葉、「時を候い」、「近くの気を失うことなく、遠くの気を至らしめる」「之を追う」という言葉の理解とイメージが補鍼の大切な要素になると思われる。

この補寫論の理解には「離合眞邪論」「官鍼篇」また「八正神明論」の理解を要するという。
ということで、次の篇に続く…。

■原文
黄帝問曰、余聞刺法言有餘寫之、不足補之。何謂有餘、何謂不足?
岐伯対曰、有餘有五、不足亦有五、帝欲何問。
黄帝曰、願盡聞之。
岐伯曰、神有餘有不足、氣有餘有不足、血有餘有不足、形有餘有不足、志有餘有不足。
凡此十者、其氣不等也。
帝曰、人有精氣津液、四支九竅、五藏十六部、三百六十五節、乃生百病。
百病之生、皆有虚實。
今夫子乃言、有餘有五、不足亦有五、何以生之乎?
岐伯曰、皆生於五藏也。
夫心藏神、肺藏氣、肝藏血、脾藏肉、腎藏志、而此成形。
志意通内連骨髄、而成身形五藏。
五藏之道、皆出於経隧、以行血氣。
血氣不和、百病乃變化而生、是故守経隧焉。帝曰、神有餘不足何如?
岐伯曰、神有餘則笑不休、神不足則悲。
血氣未并、五藏安定、邪客於形、洒淅起於毫毛、未入於経絡也。故命曰神之微。帝曰、補寫奈何?
岐伯曰、神有餘、則寫其小絡之血出血、勿之深斥、無中其大経、神氣乃平。
神不足者、視其虚絡、按而致之、刺而利之、無出其血、無泄其氣、以通其経、神氣乃平。
帝曰、刺微奈何?
岐伯曰、按摩勿釋、著鍼勿斥。移氣於不足、神氣乃得復。帝曰、善。有餘不足、奈何?
岐伯曰、氣有餘則喘欬上氣、不足則息利少氣。
血氣未并、五藏安定。皮膚微病、命曰白氣微泄。帝曰、補寫奈何?
岐伯曰、氣有餘則寫其経隧。
無傷其経、無出其血、無泄其氣。
不足則補其経隧、無出其氣。帝曰、刺微奈何?
岐伯曰、按摩勿釋、出鍼視之、曰、我将深之、適人必革、精氣自伏、邪氣散乱、無所休息。
氣泄腠理、眞氣乃相得。帝曰、善。血有餘不足、奈何?
岐伯曰、血有餘則怒、不足則恐。
血氣未并、五藏安定、孫絡水溢、則経有留血。帝曰、補寫奈何?
岐伯曰、血有餘則寫其盛経、出其血。不足則視其虚経、内鍼其脈中、久留而視、脈大、疾出其鍼、無令血泄。帝曰、刺留血奈何?
岐伯曰、視其血絡、刺出其血、無令悪血得入於経、以成其疾。帝曰、善。
形有餘不足、奈何?
岐伯曰、形有餘則腹脹涇溲不利、不足則四支不用。
血氣未并、五藏安定、肌肉蠕動、命曰微風。

帝曰、補寫奈何?
岐伯曰、形有餘則寫其陽経、不足則補其陽絡。

帝曰、刺微奈何?
岐伯曰、取分肉間、無中其経、無傷其絡。
衛氣得復、邪氣乃索。

帝曰、善。志有餘不足奈何?
志有餘則腹脹飧泄、不足則厥。
血氣未并、五藏安定、骨節有動。

帝曰、補寫奈何?
岐伯曰、志有餘則寫然筋血者、不足則補其復溜。

帝曰、刺未并奈何?
岐伯曰、即取之、無中其経、邪所乃能立虚。
帝曰、善。
余已聞虚實之形、不知其何以生。
岐伯曰、氣血以并、陰陽相傾、氣乱於衛、血逆於経。
血氣離居、一實一虚。
血并於陰、氣并於陽、故為驚狂。
血并於陽、氣并於陰、乃為炅中。
血并於上、氣并於下、心煩惋善怒。
血并於下、氣并於上、乱而喜忘。

帝曰、血并於陰、氣并於陽、如是血氣離居、何者為實?何者為虚?
岐伯曰、血氣者喜温而悪寒、寒則泣不能流、温則消而去之。
是故氣之所并為血虚、血之所并為気虚。

帝曰、人之所有者、血與氣耳。今夫子乃言、血并為虚、氣并為虚、是無實乎?
岐伯曰、有者為實、無者為虚、故氣并則無血、血并則無氣。今血與氣相失、故為虚焉。
絡之與孫脈、俱輸於経。
血與氣并、則為實焉。血之與氣、并走於上、則為大厥。
厥則暴死、氣復反則生、不反則死。

帝曰、實者何道従来、虚者何道従去。虚実之要、願聞其故。
岐伯曰、夫陰與陽、皆有兪會、陽注於陰、陰満之外。
陰陽匀平、以充其形。
九候者若一、命曰平人。
夫邪之生也、或生於陰、或生於陽。其生於陽者、得之風雨寒暑。其生於陰者、得之飲食居處、陰陽喜怒。

帝曰、風雨之傷人奈何?
岐伯曰、風雨之傷人也、先客於皮膚、傳入於孫脈。
孫脈満、則傳入於絡脈。
絡脈満、則輸於大経脈。
血氣與邪并、客於分腠之間、其脈堅大、故曰實。
實者、外堅充満、不可按之、按之則痛。

帝曰、寒湿之傷人奈何?
岐伯曰、寒湿之中人也、皮膚不収、肌肉堅緊、榮血泣、衛氣去、故曰虚。
虚者、聶辟氣不足。
按之則氣足以温之、故快然而不痛。

帝曰、善。
陰之生實奈何?
岐伯曰、喜怒不節、則陰氣上逆、上逆則下虚、下虚則陽氣走之、故曰實矣。

帝曰、陰之生虚奈何?
岐伯曰、喜則氣下。悲則氣消、消則脈虚空。因寒飲食、寒氣熏満、則血泣氣去、故曰虚矣。

帝曰、経言陽虚則外寒、陰虚則内熱。陽盛則外熱、陰盛則内寒。余已聞之矣。不知其所由然也。
岐伯曰、陽受氣於上焦、以温皮膚分肉之間。今寒氣在外、則上焦不通。上焦不通、則寒氣獨留於外、故寒慄。

帝曰、陰虚生内熱奈何?
岐伯曰、有所勞倦、形氣衰少、穀氣不盛、上焦不行、下脘不通。胃氣熱、熱氣熏胸中、故内熱。

帝曰、陽盛生外熱奈何?
岐伯曰、上焦不通利、則皮膚緻密、腠理閉塞、玄府不通、衛氣不得泄越、故外熱。

帝曰、陰盛生内寒奈何?
岐伯曰、厥氣上逆、寒氣積於胸中而不寫、不寫則温氣去、寒獨留、則血凝泣。凝則脈不通、其脈盛大以濇、故中寒。

帝曰、陰與陽并、血氣以并、病形以成、刺之奈何?
岐伯曰、刺此者、取之経隧、取血於營、取氣於衛、用形哉、因四時多少高下。

帝曰、血氣以并、病形以成、陰陽相傾、補寫奈何?
岐伯曰、寫實者、氣盛乃内鍼。鍼與氣俱内、以開其門。如利其戸鍼與氣俱出。精氣不傷、邪氣乃下、外門不閉、以出其疾。搖大其道、如利其路、是謂大寫、必切而出、大氣乃屈。

帝曰、補虚奈何?
岐伯曰、持鍼勿置、以定其意。候呼内鍼、氣出鍼入、鍼空四塞、精無従去。
方實而疾出鍼、氣入鍼出。
熱不得還、閉塞其門、邪氣布散、精氣乃得存、動氣候時。近氣不失、遠氣乃来、是謂追之。

帝曰、夫子言虚實者有十、生於五藏、五藏五脈耳。夫十二経脈、皆生其病。
今夫子獨言五藏、夫十二経脈者、皆絡三百六十五節。節有病、必被経脈。経脈之病、皆有虚實、何以合之?
岐伯曰、五藏者、故得六府。與為表裏、経絡支節、各生虚實。
其病所居、隨而調之。病在脈調之血、病在血調之絡。
病在氣、調之衛。病在肉、調之分肉。病在筋、調之筋。病在骨、調之骨。
燔鍼劫刺其下、及與急者、病在骨、焠鍼薬熨。

病不知所痛、両蹻為上。身形有痛、九候莫病、則繆刺之。痛在於左、而右脈病者、巨刺之。
必謹察其九候、鍼道備矣。

鍼道五経会 足立繁久

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