素問 宝命全形論第二十五の書き下し文と原文と

宝命全形論のみどころ

本論では衛氣・営氣の理解に関する記述はそう多くないが、大事なところでもあるため、全文を引用した。
本論での見どころ、それは「治神」に尽きる。

鍼の要諦を五つ挙げているが、その一番に「治神」すなわち神を治めることを指し示している。
では「治神」とはどのなプロセスまたは境地を言うのだろうか?決して「鍼治療の際の精神集中」といったチープな注意事項ではないはずである。
この「治神」についてよく考えてみるとしよう。

素問 寶命全形論第二十五の書き下し文

宝命全形論第二十五
(『甲乙経』…『太素』巻十九 知鍼石、『類經』巻十九 鍼刺類 9 宝命全形必先治神 五虚勿近 實實勿遠)

黄帝問うて曰く、天は覆い地は載せ、萬物は悉く備わる、人より貴きは莫し。
人は天地の氣を以って生じ、四時の法成る。
君王、衆庶、盡く形を全うせんと欲す。
形の疾病は、その情を知ること莫し。
留淫、日に深ければ、骨髄に著く。
心、私かにこれを慮る、余、鍼を以ってその疾病を除かんと欲す、これを為すに奈何?岐伯対えて曰く、夫れ鹽の味の鹹なる者は、その氣 器をして津泄せしむ。
絃絶する者、その音嘶敗す。
木数の者、その葉発す。
病深き者、その聲噦する。
人にこれら三の者有り、これを壊府と謂う。
毒薬は治すること無く、短鍼は取ること無し。
これ皆皮を絶ちて肉を傷る、血氣争いて黒し。帝曰く、余、その痛を念いて、心、これが為に乱惑するも、反ってその病を甚して更代すべからず。
百姓これを聞き、以って残賊と為さん、これを為すこと奈何?

岐伯曰く、夫れ人は地に生まれ、命を天に於いて懸る、天地氣を合して、これを命じて人と曰う。
人能く四時に応ずる者は、天地これが父母と為す。
萬物を知る者、これを天子と謂う。
天に陰陽有り、人に十二節有り。
天に寒暑有り、人に虚實有り。
能く天地陰陽の化を経とする者は、四時を失わず。
十二節の理を知る者は、聖智も欺くこと能わざる也。
能く八動の変に存すれば、五勝更る立つ。
能く虚實の数に達する者は、独り出て独り入り、呿吟、至微にして、秋毫の目に在り。

帝曰く、人生れて形有り、陰陽を離れず。
天地氣を合し、別れて九野と為し、分れて四時と為す、
月に大小有り、日に短長有り、萬物並びて至ること、勝て量るべからず。虚實、呿吟、敢えてその方を問う。

岐伯曰く、木は金を得て伐ち、火は水を得て滅し、土は木を得て達し、金は火を得て缺き、水は土を得て絶する。
萬物盡く然り、勝げて竭すべからず。
故に鍼の天下に懸布すること有る者五つなり、
黔首共に餘食して、これを知ること莫き也。
一に曰く、治神①
二に曰く、養身を知る
三に曰く、毒薬を眞と為すを知る
四に曰く、砭石の小大を制する
五に曰く、府藏血氣の診を知る

五法倶に立てて、各々先とする所有り。
今、末世の刺や、虚する者にはこれを實し、満する者にはこれを泄す、
これ皆衆工の共に知る所なり。
若し夫れ天に法り地に則して、應に隨いて動ず。
これを和する者は響するが若し、これに隨う者は、影の若し。
道に鬼神無し、独り来りて独り往く。

帝曰く、願くばその道を聞かん。

岐伯曰く、凡そ刺の眞は、必ず先に神を治む②。
五藏已に定まり、九候已に備わり、後に乃ち鍼に存する。
衆脈は見れず、衆凶を聞くこと弗(な)く、外内相い得る、形を以って先とすること無し。
往来を玩(あじわ)いて、乃ち人に施すべし。人に虚實有り、五虚は近きことなく、五實は遠きことなし。
その當に発すべきに至りて、間(まま)瞚を容れず。
手の動は務るが若し、鍼耀して匀する。
意を静にして義を視て、適の変を観る。
これを冥冥と謂う、その形を知ること莫し。
その烏烏を見、その稷稷たるを見る、従いてその飛を見るも、その誰なるかを知らず。
伏すること横弩の如く、起ること発機の如し。

帝曰く、何如にして虚し?何如にして實するのか?

岐伯曰く、虚を刺する者はその實を須(ま)ち、實を刺する者はその虚を須(ま)つ。
経氣已に至れば、慎み守りて失する勿れ。
深浅は志に在り、遠近は一なるが若し、深淵に臨むが如く、手に虎を握るが如く、神は衆物を営すること無し。

「治神」は単なる精神集中にあらず!

下線部①では鍼毉が修めておくべきことの第一に「治神」を挙げている。
次いで「②身を養うことを知ること」「③毒薬の真を為すことを知ること」「④砭石の小大を制すること」「⑤腑臓血氣の診法を知ること」と続いている。
これは現代風に言い換えると、②正しく生理学(身体生命の理)を把握し、③薬理を知り、④鍼の術理を知り、そして⑤診察診断を熟知することである。
②~⑤までを収め把握すれば医家として十分ではないか?とも思える内容である。

しかし②~⑤の医家の必須項目を抑えて、治神を第一に挙げている。
さらには「今 行われている鍼法は末世の刺だ。虚する者にはこれを実し、満する者にはこれを泄す…といった手法だが、このような鍼法は凡庸な鍼医でも知っていることである」と続いている。補瀉法すら末世のすたれた技法だという。であれば「治神とは鍼刺時の精神集中・精神安定」のようなレベルの低いテーマではないことは明白である。

虚実や五藏を超えた存在として、もしくはそれらを包括する存在として「神」が提示されている。

だからこそ気になるのだ。『治神とは何ぞや?』

神と心と鍼

下線部②「鍼の真とは必ず先に神を治めることである」
ここでも、先ず治神が要であり真であるとしている。

先ず神を治めた上で、五臓の安定、三部九候の調和を論ずるのである。そして論じたその「後に乃ち鍼に存する。」と言葉は続いている。
この「鍼に存する」という言葉は非常に興味深い。『霊枢』終始篇にも似たような言葉がある。「必一其神、令志在鍼。」である。

論じること(診断)で導き出された答えすなわち知と、さらに『霊枢』終始篇でいう「意を専らに」し、かつ「収めた精とを以て」志を以て心・神を鍼に存在せしむると理解できる。

ずいぶん私見に偏っているようでもあるが、臨床ではこのような作業はよく行われている。
「論」と「心・神」とを並列処理しながら行う治こそ、鍼治の真骨頂だと私は思えるのだ。
論と心・神とは、言い換えると客観と主観、有形と無形であり、どちらか一方だけでは不十分である。論と心・神を両立させる手立てをここでは述べているのではないだろうか。

故に②~⑤では生理・薬理・鍼の知識・診察技法といった非主観的な情報を列挙している。それらと対の存在として、かつ忘れてはならない要訣として「治神」を大前提に据えているのである、と考える。この解釈は八正神明論の神の概念にも通ずる。

「神」とは『素問』『霊枢』を読むうえで必須の理解である。そして鍼治療を続ける上で非常に重く要となるテーマだと言える。

『霊枢』九鍼十二原では「上守神…上守機」とあり、上工の治療には神が大切であるという。
『霊枢』終始篇においては「専意一神」「必一其神」との言葉があり、治神について私見ながら考察を述べている。

さらに次章の八正神明論においても「神」について詳述されている。

鍼道五経会 足立繁久

血氣形志篇第二十四 ≪ 寶命全形論第二十五 ≫ 八正神明論篇第二十六

素問 寶命全形論第二十五の原文

■原文 寶命全形論第二十五

黄帝問曰、天覆地載、萬物悉備、莫貴於人。人以天地之氣生、四時之法成。
君王衆庶、盡欲全形。形之疾病、莫知其情。留淫日深、著於骨髄。心私慮之、余欲鍼除其疾病、為之奈何?

岐伯対曰、夫鹽之味鹹者、其氣令器津泄。
絃絶者、其音嘶敗。木数者、其葉発。
病深者、其聲噦。
人有此三者、是謂壊府。
毒薬無治、短鍼無取、此皆絶皮傷肉、血氣争黒。帝曰、余念其痛、心為之乱惑、反甚其病不可更代。
百姓聞之、以為残賊、為之奈何?岐伯曰、夫人生於地、懸命於天、天地合氣、命之曰人。
人能應四時者、天地為之父母。
知萬物者、謂之天子。
天有陰陽、人有十二節。天有寒暑、人有虚實。
能経天地陰陽之化者、不失四時。知十二節之理者、聖智不能欺也。
能存八動之變、五勝更立。能達虚實之数者、獨出獨入、呿吟、至微、秋毫在目。

帝曰、人生有形、不離陰陽。
天地合氣、別為九野、分為四時、月有大小、日有短長、萬物並至、不可勝量。虚實呿吟、敢問其方。

岐伯曰、木得金而伐、火得水而滅、土得木而達、金得火而缺、水得土而絶、萬物盡然、不可勝竭。
故鍼有懸布天下者五、黔首共餘食、莫知之也。
一曰治神
二曰知養身
三曰知毒薬為眞
四曰制砭石小大
五曰知府藏血氣之診
五法倶立、各有所先。
今末世之刺也、虚者實之、満者泄之、此皆衆工所共知也。
若夫法天則地、隨應而動、和之者若響、隨之者若影、道無鬼神、獨来獨往。

帝曰、願聞其道。
岐伯曰、凡刺之眞、必先治神。五藏已定、九候已備、後乃存鍼。衆脈不見、衆凶弗聞、外内相得、無以形先。
可玩往来、乃施於人。
人有虚實、五虚勿近、五實勿遠。至其當発、間不容瞚。手動若務、鍼耀而匀。静意視義、観適之變。
是謂冥冥、莫知其形。
見其烏烏、見其稷稷、従見其飛、不知其誰。
伏如横弩、起如発機。

帝曰、何如而虚?何如而實?
岐伯曰、刺虚者須其實、刺實者須其虚。
経氣已至、慎守勿失。深浅在志、遠近若一、如臨深淵、手如握虎、神無營於衆物。

 

おすすめ記事

  • Pocket
  • LINEで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを残す




Menu

HOME

TOP