素問 経脈別論第二十一の書き下し文と原文と

居処 動静 勇祛と氣の動き

経脈別論は、人の居処や動静、勇祛などで脈が変わるのか?との問いから始まる。

居処を住まい、動静を動き(例えば職業など)と解釈すると非常にイメージしやすい。
この動静はいかようにも解釈できる。その人の性質と解釈することも可能であろう。
性質・性格という点では、勇祛という言葉が端的にそれを示している。

住まい・環境・性格などによって脈の傾向は変わる。この言葉に違和感を覚える鍼灸師は少ないだろう。
しかし“脈が変わる”ということは、その人の体を流れ行く氣そのものも影響を受けているのだ。この点についてさらなる考察を要する。

初めて鍼治療を受ける人にはいわゆるドーゼを調節すべき、ということもこれと同じことである。患者の動静や勇祛を見極めることは臨床家として当然のことだと言える。

『重廣補注黄帝内経素問』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

経脈別論第二十一

黄帝問うて曰く、人の居処、動静、勇祛なれば、脈も亦これが為に変ずるや?
岐伯対えて曰く、凡そ人の驚恐、恚勞、動静は皆、変を為す也。
是を以って夜に行ば則ち喘は腎より出て、淫氣は肺を病ましむ。
堕恐する所有れば、喘は肝より出て、淫氣は脾を害す。
驚恐する所有れば、喘は肺より出て、淫氣は心を傷る。
水を渡(度)り跌仆すれば、喘は腎と骨より出づ。
是の時に當りて、勇なる者は氣を行せて則ち已む、祛なる者は則ち著して病と為る也。
故に曰く、診病の道は、人の勇祛、骨肉皮膚を観て、能く其の情を知り、以って診法と為す也。

故に飲食飽くこと甚しければ、汗は胃より出づ。
驚して奪精せば、汗は心より出づ。
重を持ちて遠く行けば、汗は腎より出づ。
疾走恐懼すれば、汗は肝より出づ。
揺体勞苦すれば、汗は脾より出づる。
故に春秋冬夏四時、陰陽、病を生ずること、過用に於いて起こる、此れ常たる也。

食氣、胃に入りて、精を肝に於いて散じ、氣を筋に於いて淫す。
食氣、胃に入りて、濁氣を心に帰し、精を脈に於いて淫す。
脈氣は経を流れ、経氣は肺に帰す。
肺は百脈を朝し、精を皮毛に輸す。
毛、脈は精を合し、氣を府に行る。
府精、神明は四藏に留りて、氣は権衡に帰する。
権衡、以って平なれば、氣口は寸を成し、以って死生を決す。
飲は胃に入りて、精氣を遊溢し、上りて脾に於いて輸し、脾氣は精を散じ、上は肺に帰し、水道を通調し、下は膀胱に輸す。
水精は四布して、五経は並び行く。
四時、五臓に合して、陰陽を揆度し以って常と為す也。

太陽の藏、独り至るは、厥し喘し、虚して氣逆す。是れ陰不足陽有余也。表裏當に俱に寫すべし。これを下兪に取る。
陽明の藏、独り至るは、これ陽氣重并する也。當に陽を寫し陰を補う、これを下兪に取る。
少陽の藏、独り至るは、これ厥氣也。蹻前、卒かに大なり、これを下兪に取る。
少陽独り至る者はに寫すべし。これを下兪に取る。
陽明の藏、独り至るは、これ陽氣重并する也。當に陽を寫し陰を補う、これを下兪に取る。
少陽の藏、独り至るは、これ厥氣也。蹻前、卒かに大なり、これを下兪に取る。
少陽独り至る者は、一陽の過也。
太陰の藏、搏つ者は、心を用いて眞を省りみよ、五脉の氣少く胃氣平ならざれば三陰也。宜しく其の下兪を治すべし、陽を補い陰を寫せ。
一陽独り嘯くは、少陽の厥す也。陽、上に於いて并し、四脉争い張りて、氣は腎に帰する。宜しくその経絡を治すべし、陽を寫し陰を補え。
一陰の至る、厥陰の治也。真虚し㾓心し、厥氣留薄し、発して自汗と為る。食を調え薬を和せ、治は下兪に在り。

帝曰く、太陽の藏は何の象りか?
岐伯曰く、三陽に象りて浮ぶ也。

帝曰く、少陽の藏は何の象りか?
岐伯曰く、一陽を象る也。一陽の藏なる者、滑して実ならざる也。

帝曰く、陽明の藏は何の象りか?
岐伯曰く、大浮を象る也。
太陰の藏、搏つは伏鼓を言う也。二陰搏ちて至るは、腎は沈にして浮ならざる也。

食氣が、水穀の海である胃腑に入り、各臓と協調して氣や精を体の各部位に行らせている様子が生き生きと描かれている。
濁気が心の力を得て脈に於いて精を淫すの件は、しばしば血の生成過程とされるが、これは経脈の気(経気・脈気)ではないだろうか?と最近疑問に感じている。

とはいえ、皮毛・皮膚・腠理にまでその精・氣を行き渡らせている描写は、脈診と望診のつながりを連想させられる。
また精・氣のみならず、津液(水)の流通についても言及されており、循環という人体の営みについて焦点を当てた記述は注目すべきである。

鍼道五経会 足立繁久

原文 経脈別論第二十一
黄帝問曰、人之居處動静勇祛、脉亦為之變乎?
岐伯対曰、凡人之驚恐恚勞動静、皆為變也。
是以夜行則喘出於腎、淫氣病肺。
有所堕恐、喘出於肝、淫氣害脾。
有所驚恐、喘出於肺、淫氣傷心。
度水跌仆、喘出於腎與骨。
當是之時、勇者氣行則已、祛者則著而為病也。
故曰、診病之道、観人勇祛、骨肉皮膚、能知其情、以為診法也。
故飲食飽甚、汗出於胃。
驚而奪精、汗出於心。
持重遠行、汗出於腎。
疾走恐懼、汗出於肝。
揺體勞苦、汗出於脾。
故春秋冬夏四時、陰陽生病、起於過用、此為常也。

食氣入胃、散精於肝、淫氣於筋。
食氣入胃、濁氣帰心、淫精於脉。
脉氣流経、経氣歸於肺、肺朝百脉。
輸精於皮毛。毛脉合精、行氣於府。
府精神明、留於四藏、氣歸於權衡。
權衡以平、氣口成寸、以決死生。
飲入於胃、遊溢精氣、上輸於脾、脾氣散精、上歸於肺、通調水道、下輸膀胱。
水精四布、五経並行。合於四時五臓、陰陽揆度以為常也。

太陽藏獨至、厥喘虚氣逆、是陰不足陽有餘也。表裏當俱寫、取之下兪。
陽明藏獨至、是陽氣重并也。當寫陽補陰、取之下兪。
少陽藏獨至、是厥氣也。蹻前卒大、取之下兪。少陽獨至者、一陽之過也。
太陰藏搏者、用心省眞、五脉氣少、胃氣不平、三陰也、宜治其下兪、補陽寫陰。
一陽獨嘯、少陽厥也。陽并於上、四脉争張、氣歸於腎、宜治其経絡、寫陽補陰。
一陰至、厥陰之治也。眞虚㾓心、厥氣留薄、発為自汗。調食和薬、治在下兪。

帝曰、太陽藏何象?
岐伯曰、象三陽而浮也。

帝曰、少陽藏何象?
岐伯曰、象一陽也。一陽藏者、滑而不實也。

帝曰、陽明藏何象?
岐伯曰、象大浮也。太陰藏搏、言伏鼓也。二陰搏至、腎沈不浮也。

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