素問 脈要精微論第十七の書き下し文と原文と

『素問』には脈診について専門的に論述している論篇がいくつかある。
本記事のテーマ「脈要精微論」はその最たるものである。
以下には「脈要精微論」の書き下し文と原文を紹介している。この書き下し文は講座【医書五経を読む】のテキストとしても採用させていただいた。
「素問における脈診」というテーマで講座【医書五経を読む】第1期で勉強したときだ。(懐かしいなぁ…)

脈の要は精微

論名の通り「脈の要は精微」である。これは後代の「脈に神有るを貴ぶ(脈貴有神)」(李東垣の言葉とされる)という意と同じくするものである。
脈と精微の関係については『素問』『霊枢』の各論篇にて述べられている。
本論(脈要精微論)では脈のみならず、色や光沢・色彩が鍵となっている。つまり精微と胃氣を同義とするなら、胃氣・生命力は光なのである。


『重廣補注黄帝内経素問』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

脈要精微論の書き下し文

黄帝問うて曰く、診法は何如に?
岐伯対て曰く、診法は常に平旦を以てす。陰氣未だ動ぜず、陽氣未だ散ぜず。
飲食未だ進まず。経脉未だ盛んならず、絡脉調匀(『脉経』では均)し、氣血未だ乱れず、故に乃ち有過の脉を診るべし。
脉の動静を切し、而して精明を視る。

五色を察し、五臓の有余不足、六腑の強弱、形の盛衰を観、此れを以て参伍し、死生の分を決す。
夫れ脉とは血の府なり。
長は則ち氣治まり、短は則ち氣を病む。数は則ち煩心し、大は則ち病進む。
上盛なれば則ち氣高く、下盛なれば則ち氣脹する。
代は則ち氣衰え、細は則ち氣少し、濇は則ち心痛す。
渾渾と革至して涌く泉の如くなるは、病進みて色弊する。
緜緜としてその去ること弦絶するが如くは死す。※緜:わた、メン、ベン

夫れ精明五色なるは氣の華なり。
赤は白に朱を裹むが如きを欲し、赭の如くを欲せず。(※赭:シャ、あかつち、あか)
白は鵞羽の如くを欲し、鹽の如くを欲せず。
青は蒼璧の澤なる如くを欲し、藍の如くを欲せず。(※璧:ヘキ、たま)
黄は羅で雄黄を裹むが如くを欲し、黄土の如くを欲せず。
黒は重漆色の如くなるを欲し、地蒼の如くなるを欲せず。
五色の精微、象の見わるや、其の壽 久からず也。夫れ精明なるは萬物を視、白黒を別ち、短長を審らかにする所以。
長を以て短と為し、白を以て黒と為す。是の如きは則ち精衰うなり。五臓なる者、中の守り也。中盛んなれば、藏満つる。
氣勝ちて恐に傷らるる者、聲は室中より言うが如し。これ氣の湿に中るなり。
言いて微、終日乃ち復た言う者は、これ奪氣なり。
衣被りて斂せず、言語の善悪、親疎を避けざる者、これ神明の乱れなり。
倉廩の蔵せざる者、これ門戸の不要なり。
水泉の止まざる者、これ膀胱の蔵さざる也。
守を得る者は生き、守を失する者は死す。

夫れ五臓とは身の強なり。
頭は精明の府。頭傾て視ること深きは、精神将に奪われんとす。
背は胸中の府。背曲がりて肩随うは、府将に壊れんとする。
腰は腎の府。転揺すること能はざるは、腎将に憊せんとす。
膝は筋の府。屈伸すること能はず、行きて則ち僂附するは、筋将に憊せんとす。※僂は背を屈める。附は俯む僂は背を屈める。附は俯む
骨は髄の府。久しく立つことは能はず、行きて則ち振掉するは、骨将に憊せんとす。※掉:トウ、チョウ、ふるう
強を得れば則ち生き、強を失すれば則ち死す。

岐伯曰く、四時に反する者は、有余を精と為し、不足を消と為す。大過に応じて不足するを精と為す。不足に応じて有余するを消と為す。陰陽相応ぜずは、病、名づけて関格と曰う。

帝の曰く、脈の其の四時の動するは奈何に?
病の所在を知ること奈何に?
病の變ずる所を知ること奈何に?
病の乍ち内に在るを知ること奈何に?
病の乍ち外に在ることを知ること奈何に?
請うて問う、此れら五つの者得て聞くべし。
岐伯曰く、請うて言わん、其れ天とともに運轉すること大なり。
萬物の外、六合の内、天地の變、陰陽の應、彼の春の暖、夏の暑さと為り、彼の秋の忿、冬の怒と為る。
四變の動、脈と上下す。
以て春の應は規に中り、夏の應は矩に中る。秋の應は衡に中り、冬の應は権に中る。
これ故、冬至の四十五日は陽氣 微かに上り、陰氣 微かに下る。夏至の四十五日は陽氣 微かに下り、陰氣 微かに上る。
陰陽に時あり、脈とともに期を為す。期而かも相い失う。脉の分かつ所を知り、これを分かつに期有りとす。故に死時を知る。

微妙は脉に在り、察せずんばあるべからず。
これを察して紀あり、陰陽に従いて始まる。これの始むるに経有り。
五行に従いて生ず。これを生ずるに度有り、四時を宜と為す。
補寫失する勿れ、天地と一の如く。
一の情を得れば、以て死生を知る。

これ故に聲は五音と合し、色は五行に合し、脈は陰陽に合す。

これに知る、陰盛んなるは則ち夢で大水を渉りて恐懼す。
陽盛んなれば則ち夢で大火燔灼す。
陰陽倶に盛んなれば則ち夢で相殺し毀傷す。
上盛んなれば則ち夢で飛び、下盛んなれば則ち夢で堕ちる。
甚しく飽するときは則ち夢で予う、甚しく飢するときは則ち夢で取る。
肝氣盛んなるは則ち夢で怒り、肺氣盛んなるは則ち夢で哭する。
短蟲多きときは則ち夢で衆が聚まる、長蟲多きときは則ち夢で相い撃ちて毀傷す。

これ故に脉を持するに道あり。虚静にして保と為す。
春日は浮すること、魚の波に在りて遊ぶが如し。
夏日は膚に在りて、泛泛乎として萬物の有余す。※泛:ハン、ホウ、太素では沉沉と作す。
秋日では膚の下に在りて、蟄蟲将に去らんとす。
冬日は骨に在りて、蟄蟲の周密して、君子の室に居る(が如し)。

故に曰く、内を知る者は按じて之を紀とする、外を知る者は終わりて之を始めとす。
この六の者、持脉の大法である。

心脉の搏つこと、堅而して長なるは、當に病、舌巻して言うこと能はざるべし。
其の耎而して散なる者は、當に消環なるべし。自ら已ゆ。(『脉経』では消渇となっている)
肺脉の搏つこと、堅而して長なるは、當に病、唾血すべし。
其の耎而して散なる者は、當に病、灌汗なるべし。今に至りて復せず散発するなり。
肝脉の搏つこと、堅而して長、色青からずは、當に病、墜もしくは搏なるべし。血脇下に在るに因りて、人をして喘逆させしむ。
其の耎而して散、色澤なる者は、當に病、溢飲なるべし。溢飲なる者、渇して暴かに多飲し、肌皮、腸胃の外に入り易き也。
胃脉の搏つこと、堅而して長、其の色赤きは、當に病、折髀なるべし。
其の耎而して散なる者は、當に病、食痹なるべし。
脾脉の搏つこと、堅而して長、其の色黄は、當に病、少氣なるべし。
其れ耎而して散、色澤ならざる者は、當に病、足䯒腫なるべし。水状のごとき也。
腎脉の搏つこと、堅而して長、その色黄而して赤なるは、當に病、折腰なるべし。
其れ耎而して散なる者は、當に病、少血なるべし。今に至りて復せざるなり。
至今不復也→『太素』では至令不復、「復せざらしむに至るなり」

帝曰く、診するに心脈を得て急なり、これ何病と為すや?病形は何如?
岐伯曰く、病名づけて心疝、少腹當に形有るべし也。
帝曰く、何を以てこれを言う。
岐伯曰く、心は牡藏を為す。小腸これが使と為す。故に曰く少腹に當に形有るべし。

帝曰く、診するに胃脈を得る、病形は何如?
岐伯曰く、胃脉実なれば脹、虚なれば泄。
帝曰く、病成りて變ず、何を謂う?
岐伯曰く、風成りて寒熱と為す。癉成りて消中と為す。厥成りて癲疾と為る。久風は飧泄と為りて、脈風成りて癘と為す。
病の変化は、勝て数うべからず。

帝曰く、諸の癰腫、筋攣骨痛す、これ皆安くに生ずるか。
岐伯曰く、これ寒氣の腫、八風の變なり。
帝曰く、之を治するに奈何?
岐伯曰く、これ四時の病、その勝を以て之を治せば愈ゆるなり。

帝曰く、故に病、五臓発動あり、因りて脉色を傷る。各々何を以てその久暴の至るの病を知るか?
岐伯曰く悉なるかな!問いや。
徴、その脉小にして、色は奪われざる者、新病なり。
徴、その脉奪われず、色奪われる者、これ久病なり。
徴、その脉と五色倶に奪われる者、これ久病なり。
徴、その脉と五色倶に奪われざる者、新病なり。

肝と腎の脉が並び至りて、その色蒼赤なるは、當に病みて、毀傷しても血見われざるべし。已て血見れる。湿すれば中水のごときなり。

尺内両傍、則ち季肋なり。
尺外を以て腎を候う。
尺裏を以て腹中を候う。
附上、左外を以て肝を候い、内を以て鬲を候う。
右外を以て胃を候い、内を以て脾を候う。
上附上、右外以て肺を候い、内を以て胸中を候う。
左外以て心を候い、内を以て膻中を候う。
前は以て前を候い、後ろは以て後ろを候う。
上竟上は、胸喉中のことなり。
下竟下は、少腹腰股膝脛足中のことなり。

麤大なる者は、陰の不足、陽有余、熱中と為す也。
来ること疾く、去ること徐なるは上実下虚、厥して癲疾を為す。
来ること徐、去ること疾なるは、上虚下実、悪風を為す也。
故に悪風に中る者は陽氣を受ける也。
脉倶に沈細数なる者あり、少陰の厥なり。
沈細数散なる者、寒熱なり。
浮にして散なる者、眴仆を為す。
諸浮、躁ならざる者、皆な陽に在りて則ち熱と為すなり。其の躁有る者は、手に在る也。
諸細而して沈なる者、皆な陰に在り(れば)、則ち骨痛を為す。その静ある者は足に在り。
数動一代する者、病は陽の脉に在る也。洩および膿血。
諸の過なる者、之を切するに、濇なる者は、陽氣の有余なり。滑なる者は、陰氣の有余なり。
陽氣有余は、身熱して無汗と為す。
陰氣の有余は多汗身寒と為す。
陰陽の有余は則ち無汗して寒する。

推して之を外にする、内にして外ならざるは、心腹に積あり。
推して之を内にする、外にして内ならざるは、身に熱あり。
推して之を上にする、上にして下ならざるは、腰足清する也。
推して之を下にする、下にして上ならざるは、頭項痛なり。
之を按じて骨に至る、脉氣少なる者、腰脊痛みて身に痹ある也。

脈を診るのは平旦(明け方)が良いのは本当か?

冒頭でも触れたように、本論は講座【医書五経を読む】第1期のテキストとして使わせていただいた。
ちなみに下線部は掘り下げて話題にした箇所である(備忘録として)。

私が脈要精微論で最も感銘を受けたのは「平旦」の定義について調べ、学んだ時であった。
平旦とは業界的には「明け方」として教わるが、各医家によって「平旦」の定義が異なる。

陰陽家にとっての平旦と、本草家(湯液家)にとっての平旦と、鍼灸家にとっての平旦はその定義が異なるのである。
これも至極当然のことだと納得させられた。

ちなみに「脈を見るのは平旦(明け方)が宜しい。」といった内容として、教わることも多いだろう。
大抵の人は『明け方に脈を診るなんて、現代ではとうてい不可能なこと。』と一笑に付してしまうだろう。
しかし、それは浅慮というもの。
平旦の際に人体はどのように変動しているのか?を考えると、この知識は現代日本の臨床でも十分に応用できる重要な生理学的なヒントとなるのだ。

古典だからといって現代に使えない知識だと浅はかに断じてしまうのは非常に勿体ない…謙虚に丁寧に真摯に学んでいくと古典は宝の宝庫である。そんな風に思わされる脈要精微論である。

鍼道五経会 足立繁久

原文 脈要精微論

黄帝問曰、診法何如?
岐伯対曰、診法常以平旦。
陰氣未動、陽氣未散。飲食未進、経脉未盛、絡脉調匀(『脉経』では均)、氣血未乱。
故乃可診有過之脉。
切脉動静、而視精明。
察五色、観五臓有余不足、六腑強弱、形之盛衰。以此参伍、決死生之分。

夫脉者血之府也。
長則氣治、短則氣病。数則煩心、大則病進。
上盛則氣高、下盛則氣脹。
代則氣衰、細則氣少、濇則心痛。
渾渾革至如涌泉、病進而色弊。
緜緜其去如弦絶、死。
夫精明五色者、氣之華也。
赤欲如白裹朱、不欲如赭。(※赭:シャ、あかつち、あか)
白欲如鵞羽、不欲如鹽。
青欲如蒼璧之澤、不欲如藍。(※璧:ヘキ、たま)
黄欲如羅裹雄黄、不欲如黄土。
黒欲如重漆色、不欲如地蒼。

五色精微象見矣、其壽不 久也。
夫精明者、所以視萬物、別白黒、審短長。以長為短、以白為黒。如是則精衰矣。

五藏者、中之守也。中盛藏満。
氣勝傷恐者、聲如従室中言。是中氣之湿。
言而微、終日乃復言者、此奪氣也。
衣被不斂、言語善悪、不避親疎者、此神明之乱也。
倉廩不蔵者、是門戸不要也。
水泉不止者、是膀胱不蔵也。

得守者生、失守者死。
夫五臓者、身之強也。
頭者、精明之府。頭傾視深、精神将奪矣。
背者、胸中之府。背曲肩随、府将壊矣。
腰者、腎之府。転揺不能、腎将憊矣。
膝者、筋之府。屈伸不能、行則僂附、筋将憊矣。※僂;背を屈める。附は俯む僂は背を屈める。附は俯む
骨者、髄之府。久立不能、行則振掉、骨将憊矣。※掉:トウ、チョウ、ふるう
得強則生、失強則死。

岐伯曰、反四時者、有余為精、不足為消。
應太過不足為精。應不足為有余為消。陰陽不相應、病名曰関格。

帝曰、脈其四時動、奈何?
知病之所在、奈何?
知病之所變、奈何?
知病乍在内、奈何?
知病乍在外、奈何?
請問、此五者可得聞乎?

岐伯曰、請言其與天運轉大也。
萬物之外、六合之内、天地之變、陰陽之應、彼春之暖、為夏之暑。彼秋之忿、為冬之怒。

四變之動、脈與之上下。
以春應中規、夏應中矩。秋應中衡、冬應中権。
是故、冬至四十五日、陽氣微上、陰氣微下。
夏至四十五日、陽氣微下、陰氣微上。

陰陽有時、與脈為期。期而相失。
知脉所分、分之有期。故知死時。

微妙在脉、不可不察。察之有紀、従陰陽始。
始之有経、従五行生。
生之有度、四時為宜。
補寫勿失、與天地如一。得一之情、以知死生。

是故聲合五音、色合五行、脈合陰陽。

是知、陰盛則夢渉大水恐懼。陽盛則夢大火燔灼。陰陽倶盛、則夢相殺毀傷。
上盛則夢飛、下盛則夢堕。
甚飽則夢予、甚飢則夢取。
肝氣盛則夢怒、肺氣盛則夢哭。
短蟲多則夢衆聚、長蟲多則夢相撃毀傷。

是故持脉有道。虚静為保。
春日浮、如魚之遊在波。
夏日在膚、泛泛乎萬物有余。※泛:ハン、ホウ、太素では沉沉と作す。
秋日下膚、蟄蟲将去。
冬日在骨、蟄蟲周密、君子居室。

故曰、知内者按而紀之、知外者終而始之。
此六者、持脉之大法。

心脉搏堅而長、當病舌巻不能言。其耎而散者、當消環、自已。(『脉経』では消渇となっている)
肺脉搏堅而長、當病唾血。其耎而散者、當病灌汗。至今不復散発也。
肝脉搏堅而長、色不青、當病墜若搏。因血在脇下、令人喘逆。其耎而散、色澤者、當病溢飲。溢飲者、渇暴多飲、易入肌皮腸胃之外也。
胃脉搏堅而長、其色赤、當病折髀。其耎而散者、當病食痹。
脾脉搏堅而長、其色黄、當病少氣。其耎而散、色不澤者、當病足䯒腫。若水状也。
腎脉搏堅而長、其色黄而赤者、當病折腰。其耎而散者、當病少血。至今不復也。
至今不復也→『太素』では「至令不復」

帝曰、診得心脈而急、此為何病?病形何如?
岐伯曰、病名心疝、少腹當有形也。
帝曰、何以之言。
岐伯曰、心為牡藏。小腸為之使。故曰少腹當有形也。

帝曰、診得胃脈、病形何如?
岐伯曰、胃脉実則脹、虚則泄。
帝曰、病成而變、何謂?
岐伯曰、風成為寒熱。癉成為消中。厥成為癲疾。久風為飧泄、脈風成為癘。
病之変化、不可勝数。

帝曰、諸癰腫、筋攣骨痛、此皆安生?
岐伯曰、此寒氣之腫、八風之變也。

帝曰、治之奈何?
岐伯曰、此四時之病、以其勝治之愈也。
帝曰、有故病五臓発動、因傷脉色。各何以知其久暴至之病乎?
岐伯曰、悉乎哉!問也。
徴其脉小、色不奪者、新病也。
徴其脉不奪、其色奪者、此久病也。
徴其脉與五色倶奪者、此久病也。
徴其脉與五色倶不奪者、新病也。

肝與腎脉並至、其色蒼赤、當病毀傷不見血。已見血。湿若中水也。

尺内両傍、則季脇也。
尺外以候腎。
尺裏以候腹中。

附上、左外以候肝、内以候鬲。
右外以候胃、内以候脾。
上附上、右外以候肺、内以候胸中。
左外以候心、内以候膻中。
前以候前、後以候後。
上竟上者、胸喉中事也。
下竟下者、少腹腰股膝脛足中事也。

麤大者、陰不足、陽有余、為熱中也。
来疾去徐、上實下虚、為厥癲疾。
来徐去疾、上虚下實、為悪風也。
故中悪風者、陽氣受也。
脉倶沈細数者、少陰厥也。
沈細数散者、寒熱也。
浮而散者、為眴仆。
諸浮不躁者、皆在陽則為熱。其有躁者在手。
諸細而沈者、皆在陰則為骨痛。其有静者在足。

数動一代者、病在陽之脉也。洩及便膿血。
諸過者、切之、濇者、陽氣有余也。滑者、陰氣有余也。
陽氣有余、為身熱無汗。陰氣有余、為多汗身寒。陰陽有余則無汗而寒。

推而外之、内而不外、有心腹積也。
推而内之、外而不内、身有熱也。
推而上之、上而不下、腰足清也。
推而下之、下而不上、頭項痛也。
按之至骨、脉氣少者、腰脊痛而身有痹也。

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