石坂流鍼治十二條提要・前半

鍼道五経会、石堂文庫から石坂流鍼書の紹介記事、シリーズ第3回、今回の紹介するのは『石坂流鍼治十二條提要』です。

石坂流鍼治十二條提要について

この書は巻末には、石坂宗珪による序が載せられています。石坂宗珪(宗圭)は、石坂宗哲の娘婿さんとのことです。

宗珪先生の言葉には、この書は「亡き岳父(妻の父の意)竿齋(宗哲)翁が弟子たちを教え導くために概略(概論)を作られたものである」と、
さらには宗哲先生の医学の姿勢は「古訓(素問霊枢)を基に、精神そして榮衛の理を明らかに、病気の生じる原因、すなわち病因病理を詳しく判断し治すること」を説いているとのこと。

また序の中に「明理実功に期す」という表現がありますが、理を明らかにし功を実とする。このような臨床的な姿勢を核にした宗哲石坂流の原点を垣間見る思いです。

以下に、第一の「精神」から第七の「筋膜」まで各章の書き下し文を紹介します。
黄枠は『石坂流鍼治十二條提要』の本文を、可能な限り原文に近い表現で載せています。

臨床実践鍼灸流儀書集成12(オリエント出版社)に収録の『石坂流鍼治十二條提要』より引用させていただいています。

枠外には不詳 足立がコメントさせていただいています。
また黄枠内の本文の重要部分には私の判断で下線を引いております。

第一 精神

第一 精神

人の始めて生ずる、先ず精を成すとて、精は身に先達って生する者なり。精は人々の元気にてこの上の寶はなけれども已に具って已に知らざるの用をなす物なり。

故に人 生みて皆 無知なるは精は(ば)かりにて神なきが故也。精漸く熟してその内より神生ずる也。

神已に具りて已に自由になる物也。神 既に身の内に生ずれば目に物を見覚え、耳に物を聞き覚え、口に物を言い、鼻に物を嗅ぎ、手足の思うままにはたらき、皆 神のなすわざ也。その神のふえるに随い生長して人と也。精神の自然とつり合いよく也。精神の合躰する中より自ら心と云う物を生じ、人道の正しき了簡 出来て、君臣父子夫婦の道をわきまえて人の道たる所以を知る也。

さてその精神の足り不足を察して病の存亡を知る医者の第一の心得とす。
精神は形なき物に非ず。白き汁にてつむり(頭)の脳と脊骨の髄との中より出て々一身に周くゆき渡る也。これを号けて宗気と云う。宗気の道を宗脉と云い、鍼の用はこの宗脉 宗気の虚したる所ゆきとどかぬ所へ針を下し、針下へ宗気を呼びよせ、ほどよく集まりたる時分に針をぬき去り、その集りたる宗気を以て邪気を驅ちらすの術也
虚したる所が行きとどかぬ處は必ず邪気の湊まる所と知るべし。しかし宗脉のふとき道の所は針刺が大事なり。先は避けて吉 故にこの宗脉の一身をめぐる道筋を能く知るが針刺の道 第一也。宗脉の圖は別にあり。

「人、始めて生ずる、精を成す(人始生成精、精成而脳髄生…)」と『霊枢』経脈篇第十の一節です。
発生学における人体の形成を思わせる一節でもあり、石坂流の宗氣栄衛の三氣概念では精神・脳髄は非常に重要な存在であります。この点において、まずは精神・脳髄からの解説となります。

石坂流における宗氣とは?また鍼術とは?を端的に表わす章でもあります。
「(宗氣が)虚したる所、行きとどかぬ處は必ず邪気の湊(あつ)まる…」これもまた分かっているようで実感できていない理でもあります。

 

第二 榮衛

第二 榮衛

榮衛は嘗て著す所の栄衛中経の圖にて可知(知るべし)。その大略は神具集の末にも有り。此に略する。

人の身に痛みと云う者、栄衛の道に邪気有りて血が止まる故、栄の脉の動く道も衛の血の帰る道もとどこおり、或いは留まりてふくれふとくなる故にて宗脉を押して痛を生ずる也。とどこおり軽き時は痛も軽く、とおどこおり重き時は痛も重しと知るべし。その痛む所へ針を下し、宗脉に力を入れさせ、栄衛の血にも勢いを入れ、皆 針の下に呼び集める。その病につり合い、能く集りたる時分に針をぬき去れば前に云う如く集りたる宗気、栄衛の勢いにて邪気の留まり居る物を驅り去りて痛み癒えるなり。針刺に定まりたる穴所はなし。亦 幾度療治すべしと云う定めもなし。

経筋篇に云る如く、痛む場所を兪穴とすべし。病の治療したるを数として療治を止むべき也。さて栄の経絡の中にも脉のふとく動きの強き所は避けて刺すが吉。必ず過を生ずる也。

ここでいう神具集とは『鍼灸広狭神倶集』のこと。雲棲子による著書ですが、石坂宗哲の序文によると文化壬申の年(1812年)に夏屋代翁から贈られた書とのことです。

さて、ここでは痛みのメカニズムについて衛氣栄氣的に解説されています。
痛みは「栄衛の道に邪気がるため血が止まる…」ために生じるのだと。

また、この先に興味深い表現がありますね。
「栄の脉の動く道も衛の血の帰る道も滞る…」
この表現はたびたび登場してきます。石坂流の衛気栄気観を理解するためのヒントになるでしょう。

鍼の本意としては下線部にある通りです。まずは氣を導き集めることです。水や血が動くのはそれから、と考えています。

鍼を刺す部位・経穴に決まりきった定義や縛りはありません。体が反応をあらわしているところに素直に治療するべきでしょう。
当然、経穴は何か所だとか、治療は何分まで何回までに…という決まりもありません。
言い換えると『一回の治療で結果を出さないと…!』と変に自身を縛ってもいけません。

正しい診断のもとに鍼治を行うべきでしょうね。

第三 補瀉

第三 補瀉 (補法の中に迎随と虚実の術有り。瀉法に泄除のわかちあり)

補法は微針を以て宗脉栄衛の凝滞を融通すること前に説きし如し。補法の手術に栄の脉の来るをむかえ、衛の血の往にしたがい刺針を指にて呼吸の如く、始終動揺して止まず。これを針の呼吸と云う。則ち迎随の義なり。補法を行う者、この迎随之手術を心得ねば針 死物となりて、病人には益なきのみならず、針の害を生ずる事あり。慎むべし。

さて迎随之外に虚法あり実法あり。

虚法は、諸々実に属する病に用ゆ。則ち十二原篇の実する者はこれを虚すと云うの法なり。
正邪ともに実したる病に用ゆ。微針をすらすらと下し、迎随の針の呼吸もすらすらと之を指す。
とどこおりなきように久しくは針を留めず、すらすらとぬき去るなり。

実法は正邪ともに虚したる病に用ゆ。則ち十二原篇に虚するものは是を実とは云うの法なり。
徐かに針を下し、病人 痛を知らぬようにすべし。若し痛ひびけあるの場に至らば針を留めて進ませず。

迎随の意、呼吸の術も至りて徐かに久しく留めて、痛ひびけ自然にうすくなりたらば、針を進めて一寸余りも至るべし。
是 針下に宗脉栄衛の集りて邪気の退散せし故、唯今迄ひびけ痛の強かりしもゆるみて宗(脉)榮を集めて邪気の退散せし故唯今迄(※この訂正文の箇所は原文のまま)榮衛のめぐりも通じ邪気も退散するの候いなり。

何れ実法を用いるには気永に油断なく手に虎を握るの心得にて刺さねば、その実うまく病人の心持よしと覚ゆるようには出来がたき者也。

一人の病にて上部に虚法を用い腹部下部に実法を用い、或いは下部に虚法を用い上中部に実法を用いるの類、医者の病者に対したる時の工夫にて互いに用いて可なり。

瀉法は榮の末梢の細絡纖纖としてとして糸の如くなるものより、其の血を衛に輸るの度を失い、皮膚に近く浮かみて鬱陳したるを血絡と云う。是を泄して去るを云う也。
※纖:かよわい、こまかい

又、衛の浮かみたる経絡の結ぼれて高く起きたるをよく尋ね見て、是を除き去るの術にて血絡に泄すと云う、結絡に除くと云う。
何れも血を取り去るの術也。
鈹鍼鋒鍼三陵鍼の類を用ゆ。瀉法に泄除と云い、補法に迎髄虚実と云う。
是、内経黄岐の奥義秘旨にして得がたき事。天漢の水を汲まんと欲すに似たり。故に八十一難経より以下 明の世、清の世に至るまで皆 内経の意を得ずして微針の術の中にて補瀉を別ちたる故、種々無理の説のみにて信用しがたし。
※天漢:天の川

予、針科の家に生まれ、この道の廃れんことを患い、苦心して内経を読み、霊枢は微針の法を第一に説きたる者にて補法の祖なる事を発明して、又、開巻第一の章に毒薬を被らしむることなく、砭石を用いることなく、微針を以てその榮衛を通し、精神を調うことあるを以て、瀉法は上古よりある瀉血の法にして補法は微針にして虚実迎髄の手術有ることを見聞きたるは天河の水に掉さし、織女の支機石を得たる心地する也。
如何なる博識多才の人なりとも学術の二つつり合いよくなければ聖経の奥義は解し得ること難かるべし。国を治め家を治むる学よりも軍陳弓槍剣の術に至るまでその理は同じ事と知るべし
※陳:ここでは“ならべつらねる”の意か、いずれにせよ兵法用兵の術を指すのであろう。

この章にも大切なことが凝縮されています。

まず第1に鍼の呼吸について。「指にて呼吸の如く始終動揺して止まず」という表現が絶妙です。
この感覚は浮き物通しで磨く感覚に近いと私は考えています。

また終盤の霊枢に関する記述。
霊枢(針経)が湯液(漢方)、砭石(瀉血)によることなく、毫鍼(微針)によって栄衛、精神を調うと明言されているのは有難く心強く感じる文です。

第四 脉

第四 脉   診脉古義に詳らかなり

脉は栄の動く也。その源は心の藏の左の系より出て、頭に上り足に下り、横に手に至る。その源を衝脈と云う。則ち脊裏の動なり。上は則ち人迎、大迎、耳前、額角、口吻等に動き中は則ち腋下臑内肘内、経渠、神門、合谷等に動き下は則ち気衝、陰股、三里、解鞋(解谿)、太谿、趺陽等に動く也。

栄の動脈多くは骨に添いて肉中に潜(かく)し流るるなり。故に骨多く肉少なき所に至りては骨上を温めてその動外に浮かむなり。
診してその大小、長短、滑濇、盛虚を辨じ知るべし。
故に邪気上に在れば陽脉和せずとて、面部の脉 他の中部下部より変じて動く也。

邪気 下に在れば足部の脉和せず。亦、頭部手部の脉と相い違わず。

邪気、膈上に有りては手の脉これに應じて動ずる故、頭部足部に合せず。

故に内経の三部九候論の説により上中下三部にして九ヶ所の脉を診して上下左右の有餘不足と邪気の劇易を察し知る事、医の先務なり。別にむつかしき秘傳口説有には非ず。ただ上部と中部と下部との脉をかけ合せ見て有餘不足なく大小同等にして一條の縄を引くが如き者を平人無病の脉とし、病有りと雖も治し易しとす。上中下の脉、大小等しからずして互(さら)に巻きつくが如くなるを死脉とす

是一定の論にして内経を読み、診し易く解し易き道にして上古診脉の口傳奥儀とは是なり。後世八十一難経と云う医書出て妄りに秦越人の名をかりて偽り作りたる者なるに、司馬晋以後の医者、古来よりの道流を知らず。
一脉を以て死生を決するの説を信じ、その一寸九分の間、浮中沈を以て三部九候を附會したるを真の診脉と心得たりしより以来、代々の医師、その轍を改めること能わずして、遂には内経を蔑視して難経を祖述し種々異端の説のみ行われて内経の道、遂に亡びたり。

唐の王氷、内経の残鈌を補い、再び世に出ると雖も皆これ難経の説に合わせて真なる者、却って割り裂かれたり。畢竟は肆(ほしい)ままに己が意を以て難義の説になぞらえ書替えたるものと見ゆ。

その後、宋の世の儒者校正せしなれど、是も難経を是として校合し、皆難経を用い内経を改めず。故に内経の道はいよいよ晦くして顕ならず。されども古経の文、全くは改めがたく、其の改兼ねたる所以のみ古神医の微旨奥義は残りたるなり。
故に内経を読む者はよくその無稽の語を芟(か)り去って、古経の真を見出して読まざれば終身刻苦すると雖も寸益もなく、却って拘泥癡(おろか)拙(つたなし)の窟中に陥らんか。入門の子弟、宜しく心得有るべきこと也。

但、よく内経を読みて宗脉、栄衛十二官診脉の道を明らかにせば、針刺の術も自ら明らかならん。
猶お能く手術に心をつくし手に得、心に識りたらんには所謂古神医の微旨奥義も自ら黙契神會の期あるべき也。
又、素問霊枢に説きある所の手術のわけは自然と心に解し得るべし。

石坂流における脈の概念について解説されています。やはり解剖学的な趣きが入っていますね。
衝脈が脊裏の動であるという見方は卓見であると思います。が、どうしても解剖学的な視点が入るのが私としては惜しい気がします。

さて、石坂先生は広義の寸口脈で全身の状態を診ることを否定されています。素問における三部九候脈診を推しています。
寸口脈で全身をみるという立場の私としましては耳が痛いお話です。しかし、技術・技法に拘るのではなく、その術理を理解することが重要なのだと思います。

理を追究していく先に石坂先生のいう黙契神會の期が訪れるのでしょう。

余談ですが、ここにある死脈の解説「上中下の脉、大小等しからずしてさらに巻きつくが如くなるを死脉とす。」
この表現は私の中ではなるほどと思わされる表現です。
私自身、上中下の三部脈を診ているわけではありませんが、寸口・関上・尺中、または浮・中・沈の脈状が等しからず調わず、それでいて巻きつくというより蛇ののたうつような(?)そんな脈状を診たことはあります。この時の脈証が思い出される表現ですね。

 

第五 十二官

第五 十二官 委しくは内景備覧に詳らか也。

素問霊蘭秘典論に、肺心膻中脾肝腎膽焦(三焦)胃小腸大腸膀胱の十二官とし、刺節真邪論に茎垂は身中の機と云う。海論に脳は髄の海と云い、五藏別論に女子胞と云う、皆内景の事を説きたる也。

さて略して言わん。内景の第一は前に言いし精神也。頭脳に生ずる者は雙(双)の宗脉あり。脊髄及び髎骨に生ずる者、三十雙の宗脉あり。皆宗脉の官に通じて一身内外に周く能く一身の機生じ、人の用をなす。

その次は栄衛なり。
栄は心藏の左系に起こり前に説きし如く、左右上下内外に周流す。
栄の終わる所に衛起こりて逆行し集まりて大管となり、心藏の右系に入る。
肺に上り、肺中にて天気の藁籥(たくやく)を経て、また心藏に下りて栄の源となる故に栄衛の人身を周流すること環の端なきが如く也。

心藏に左右の二室ありて中を肉にて隔てたる故に衛の右方に入りたる血が左室へ直に行かずして肺に上り、又 心に下る也。
その外に胃腸より水穀の精糜を醸し取り製したる糜の如き汁、左の缺盆骨下に上りて衛の大管に入り、同じく心の右室に入りて、同じく肺に上り変化して赤し。

心の藏に四つの系あり。
右の一つは衛の系也。一つは衛の肺に上る系なり。此の二つは右室にあり。
左の一つは肺より下る系なり。一つは栄の系なり。此の二つは左室にかかる。

心、五藏に系すと云うは後世の誤り也。
心の藏より知慮分別の出ると云うも又誤り也。

口と鼻と天地間の大気を呼吸し肺藏に入りて、引く息には肺藏充張りて、つく息には肺藏ちぢまり、此の盈虚によりて一身皆気を受く。則ち十二藏栄衛精神共に是が為に生気を得て、その役その職を全くし、膻中は膈膜なり。
肺の呼吸によりて凹凸をなし、凹する時は膽焦(三焦)の汁、小腸の上口に灌ぎ入る。この腋(液)によりて飲食を消化し、精糜となして血の源となる。

この機、少しく違えば心肺利せず。膈下の諸藏も又利せず。脉も平常に変わり忽ち病人となる。針科はこの膻中の利不利を能く診して、心下の針心得あるべし

世に針の理に暗き人、腋(腹)部の針を忌むものあり。医師にもままあり、心下に針せざれば膻中の拘攣を治することを得ず、腹部に針すれば一身の脉の緩むことを以て、又辨え知るべき也。

さて、心を君主の職とし、肺を相傅大臣の職とし、膻中を臣使の職として人身の重器にして至て貴き寶(宝)なり。
脾藏は津液を作り、三焦これに属して酸き薄き汁を製して、肝膽の二汁と共に、胃の上口に灌ぎ、小腸中の消化の用をなす。
肝藏は中経の血を集めて苦き汁を作り、膻中凹凸の機に乗じて腸に灌ぎこと、脾と三焦と同じ。
この汁、苦烈にしてよく固を砕き、鋭を折り、故に肝を将軍の官とす。
胃は上焦なり。凡そ飲食の口に入る者、みな気と味とあり。胃中に上焦の職役ありて、その気を蒸しとり霧の如く一身内外へ周く敷き施す也。
その味は小腸に下り、肝脾焦膽の汁を以てこれを変化し消熟して精糜を作り出す。
これ腸 中焦の職分にて漚の如しと云う者是。漚とは漬して柔らかにするの義なり。

この如くしてその純粋を取り、精糜を作りてその力、衝脈に並び升りて右の缺盆骨に上り、
衛の大経に合して心の右方に入り、肺に上りて血と成る也。

大腸は門腸と云いて腹に門の字を書きし如く、右の臍の傍らより肋骨の邊まで上り、左に横はること梁(うきはし)の如く、左の乳の通り肋骨の下に至りて左の臍傍に下り、臍の下 後ろへ轉じて曲がりたるを直腸と云う。これ糟粕を傳送するの官なり。

腎は左右二つあり。その職は血中の瘀濁を去り、水を取り小便に輸り出す。腎に附きたるを下焦と云う。
下焦は瀆の如しと言うも是なり。
猶 水瀆の地、上に在る如く遣い仕舞いたる濁水を流して身の外へ出すなり。
膀胱これに属して小便を嚢の内に溜めて尿道へ出すなり。
時寒なれば腎の下焦能く化して小便利し、時暑なれば肌表の下焦能く化して汁(汗)を出すこと漛漛たり。
両腎共に系ありて膀胱に通じ断ぜず小便をこれより輸り入れるなり。

莖は男根なり。
垂は睾丸なり。
莖は女子の胞に対し、垂は女子の子宮に対す。
同じく命門丹田の名ありて生々化々の本なり。

能くこの十二官及び男女の陰具まで明らかにして、その位置は官能を辨じ識り病に対し針を刺し治すべきの理を考え学ぶべきこと、医の尤も肝要なる事なり。

「内景の第一は精神である」まず冒頭に石坂宗哲先生の人体観が主張されています。
精神と宗氣は密接な関係にあり、鍼は宗氣に働きかけるため、栄衛、精神を調和するのは湯液でも砭石でもなく微針なのです。

宗氣の流れを宗脉とし、その宗脉は脊髄から流れ出るとしています。その数30対。解剖学的には脊髄から31対の脊髄神経が出ているとされています。脊髄神経を宗脉と相応させようとしたのか否かは分かりませんが、知覚・指令を司る神経という存在に焦点を当てようとした姿勢をうかがい知ることができます。

そして第二に榮衛が重要であると続きます。この章での衛気栄気観についてはコメントは控えさせていただきますが、『宗榮衛三氣辨』や『医源』を参考にしてください。

また中盤では、腹部への刺鍼についても言及しています。心下への鍼は、膻中を介して胃の気を利すということを仰っています。

第六 骨

第六 骨

骨を身の幹とすれば、頭より四支(肢)に至るまで其の真骨のある所の深浅遠近を能く知り得て針を下すべし。たとえば心肺は避ける藏なれども、胸に針刺すことなきに非ず。肋骨の上に刺しても胸痛は治する也。

脊も右(上記)の如く骨上に刺すべし。
胛骨などは別して大蛤を仰向けにしたる如くなれば、骨上に刺して深さ寸餘も針を下すべき也。

その他、骨の浅き所は針を横に臥せて刺す。これ等の術は一身の骨を委しく知り得るに非ずんばその法を行うこと能はず。

骨数:大小百八十七剛骨なり。嫰骨この数に非ず。聴骨二つ、舌骨一つ、鼻柱一つ、それ知り易き者なり。
頭八つ 上下顎(骨へん)二つ 項七つ 背脊十二 腰五つ 八髎(穴卯)一つ 腰臗 左右二つ 胛左右二つ 肋左右二つ
臑左右二つ 臂左右二つ 掌左右二つ 指大指三つ、余りは四つ左右は三十八 股左右二つ 膝蓋左右二つ 脛骨左右二つ
骬(※骨行)骨左右二つ 足掌左右十四 足指各四つ左右四十

予家 本骨一具を藏す。入門の子弟に示さんが為なり。

石坂流骨学です。最後の一文にあるように、どうやら石坂家には骨(標本?)一式があるようですね。

第七 筋膜

第七 筋膜

筋を剛とすと云いて、一身に充満し骨に附き肉となり、動作をなす者也。

剛柔に二種ありて、宗気栄衛の養いを受けて、屈伸坐起、手舞足踏の事、筋の用に非るはなし。
一筋必ず一職にて兼ねること非ず。

膜は一身に非ざる所なく、藏腸骨肉脳髄宗気栄衛水道に至るまでこの膜を用いてその分界となし、相乱れ相混ぜぬように隔てたるもの也。

厚薄両種あり、その所在によりてその質も又異なり。肉と云う者は別に無し。

宗脉の細き者と栄衛筋膜水道等の細き者、皆寄り集まりて一身の肉となる。
その集まりたる所を㬷肉と云い、経肉と云う。

腹部は四層の肉あり。或いは斜めに上り、或いは斜めに下り、或いは横、或いは縦にして骨なき所を擁護す。
故に栄衛宗脉とどこおり易し。是針刺に非ざれば流利しがたし。

腹部は骨の擁護がないため、他の部位に比べて栄衛宗脉が滞りやすいとのことです。
これもまた積聚が生じる所以ということなのでしょうか。

後半に続きます。
『石坂流鍼治十二條提要・後半』はコチラ

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