鍼灸茗話・その2 石坂流鍼術の不妊治療

石坂流鍼術の不妊鍼灸と避妊鍼灸

第4章禁穴は割愛させていただく。今回は第5章求嗣断嗣からの紹介である。
今回は求嗣、いわゆる不妊鍼灸である。もう一つは断嗣、避妊であり中絶治療でもある。

今も昔も跡継ぎを求める不妊治療(妊娠するための治療)は世の中に必要とされるものである。
しかし断嗣、避妊や中絶は今の倫理観にはそぐわない。
なぜ石坂氏はそのような治療を行ったのか?その経緯や石坂氏が気乗りしない様子もそこはかとなく伝わってくる文章であったことが読んでいて興味深い章でもあった。

写真:『鍼灸茗話』(臨床実践鍼灸流儀書集成12・オリエント出版社)より引用させていただいています。

求嗣断嗣

古より求嗣断嗣のことを論ずる者、紛々として一ならず。されどもその顕著の効を見わす者 甚だ少なし。
按するに、この理に於いて、又必ずなしと言うべからず。

若し夫れ丈夫 禀受の虚弱に由りて、精液薄劣なる者、或いは黴毒、疝鬱等に由り、陰器睾丸、及び臍下下焦に瘀濁を蓄うる者、
婦人 瘀鬱、畜血閉、又はその他の病邪に由りて、下焦臍下及び陰中に血気の有余不足ありて、中和の度を失い、
或いは小腹臍下の経絡、拘急攣縮する等の者、自ら宗気を阻遏する所ありて、温和中正の気、乏しきに由りて、
その交接の際、男精女宮、快く注射すること能わず。竟にその嗣を得難きことあり。

これらは皆、その不足を補い、有余を損し、その病邪を盡く去り除けば、交接の時に於いて妨碍する者なく、陰陽交泰、その胚胎を得ざることあるべからず。

嘗て一士人の令室、無嗣を患う懇請して、予に問う。
予これを診す、その人臍下攣急し、天枢の下に當りて微動あり。これを按せば陰中に引きて痛む。
予、以為(おもえ)らく、これ所謂、疝瘕(※1)なり。それをして嗣得ざらしむ者は即ち是也と由りて、その交接の時、何か異あることはなきやと問うに、聊かも無しと覚えれども、或いはその尤も快の時に當りて微しく臍下の邊に何となく痛を覚ゆることありと云う。
これに依りて先ず当帰芍薬散を投じせしむること、凡二十余日。
并びに外陵大巨の四穴に灸せしむる。
又、子宮及び近傍に微針を以って連環に刺すこと十有余日。
間に七,八度、尚累月三度づつ右(上記)の四穴に灸せしむるに、数月を踰(こえ)ずして経水断ず。
月満ちて安産せり。
今その男子、現に十三四歳、怜悧壮健にして成長し

又『鍼灸説約』に載る治験に曰く、銅人(銅人腧穴針灸圖経のことと思われる)に云う、中極は婦人の孤無しを治す(※2)。千金に云う、関元は婦人に之を刺すに則ち孤無し(※3)。夫れ中極、関元を相い去ること厪(わずか)に一寸。灸するに其の一は断渚を治す。其の一は刺せば則ち子無し、と。之を疑うべし。

嘗て一商賈の貧家にして、歳々一子を産する者あり。五六年の間、荐(しきり)に五六児を擧ぐ。夫妻、その薪炊の給らざることを患い、来たりて絶嗣の方を請う。その婦も亦、頗る健なり。
因りて試しに関元の穴を刺すこと二寸、或いは三寸。又、石門の穴に灸すること二七壮(十四壮)、鍼灸七日にして止む。
その婦人、又 姙す。来たりて験無きことを嗤う。
乃ち五月に至るを待ち、亦 関元、合谷、三陰交の三穴を刺すこと七日にして止む。
其の姙、自若なり。期満つれば一男子を産む。産もまた軽くし、予これに於いて始めて古人の善く訏ることを知る。

この両件の事に由りてこれを観るに、古人の鍼は瀉ありて補無しと云うも、亦妄説たることを知るべし。

※1;医道の日本社刊の『鍼灸茗話』(柳谷素霊 注解)には疝癖と略されているが、オリエント出版社の影印本では不明瞭ながらも「疝瘕」と読める。文脈や病理から判断して「疝癖」ではなく「疝瘕」として記載させていただいた。
※2;『銅人腧穴針灸圖経』には

「中極一穴、一名玉泉、一名氣原。在関元下一寸。膀胱之募、足三陰任脉之会。治五淋、小便赤澀、失精、臍下結如覆杯、陽気虚憊、疝瘕水腫、賁豚搶心。甚則不得息、恍惚尸厥。婦人断緒、四度針、針即有子。故却時任針也。因産悪露不止、月事不調、血結成塊。針入八分、留十呼、得気即瀉、可灸百壮、至三百壮止。
※3;『千金翼方』巻二十六 針灸上「取孔穴法第一」に「針関元主婦人無子。針石門則終身絶嗣。」
とあり、石坂氏の主張は千金翼方の内容に反する

石坂流鍼術と不妊治療

求嗣とは「嗣(あとつぎ)を求める」こと、つまり現代でいう不妊治療である。
断嗣とは「嗣を絶つ」こと、いわゆる避妊である。
ツボ(経穴)を使って避妊ができる…なんていうと変に注目を受けそうだが、まず賛同できない。妊娠とは生命力が直接かかわることである。断嗣を行うということは生命力を損なうことにもつながる。この点は本文を読むと分かると思う。

子を産み育て、子孫を繁栄させることは種として民族として、そして家族として大きなテーマである。医学に類するものであれば産科は重要な位置づけとなる。
✓なぜ妊娠するのか?(なぜ妊娠しないのか?)
✓妊娠中のトラブルをどのように回避するか?
✓妊娠中の胎児の様子はどうなのか?
✓どうしたら安産に結びつくのか?
…などなどは医学の範疇に含まれる。これらの生理・病理が欠落してしまうと医学ではないと言われても仕方がないだろうと思う。
昨今の思考停止の如く「妊娠力を高めるツボ」や「安産のツボ」など、その機序を考えることなく悩める患者さんに勧めたりするのはどうだろうか…と疑問に思わずにはいられない。

さて、石坂氏は不妊治療、すなわち妊娠力を高める治療については「諸説あり、数々のメソッドがあるが、その著効を示すものは極めて少ない」とやや冷めた視点を持っている。しかし「この理に於いて必ず無しと言うべからず」つまり不任鍼灸の効は無いわけではないとも言っている。

しかしその直後に述べられているのが、不任の要因=病理である。(下線部分)
これら不妊の病理・原因を弁え、それらを改善するとご懐妊するということである。
列挙された病症をみてみると、男性における原因は先天の虚(禀受の虚弱)を先に挙げ、女性における原因は器質的な要因(瘀鬱、蓄血閉)を挙げており、個人的には現代の不妊治療に通ずるものがあると思える。

本文中段以降は石坂氏の症例が二例紹介されている。

不妊治療の症例

一例目はめでたくご懐妊・安産そして健康に育っている成功例である。
とある武家の奥方の治療、腹診所見から疝瘕を診断している。現代不妊治療でいう、卵管因子や子宮因子を疑う所見であろうか。
処方には当帰芍薬散を投与し、外陵と大巨に施灸、さらに又、子宮及び近傍に微針を以って連環刺法を行っている。

疝瘕に対する処方として当帰芍薬散は穏当に過ぎるのではないか?と思われるが、鍼治を組み合わせることでその不足を補っている。
本治療の目的は駆瘀血ではない。妊娠することが目的なのだから駆瘀・破血の剤を多用するわけにはいかない。補を以て瀉と為す手法を採用しており、外陵・大巨は陽明胃経の経穴であり、夢分流鍼術では腎に当たる。胃氣腎氣を補う灸治ともいえるが、駆瘀血の方向性をもつ治法ともいえる。とくに子宮周囲の連環刺法は営衛・正気を消耗させることなく、周辺の阻滞を解除する目的で行っているのであろう。

子宮とは経外奇穴の子宮ではなく、文脈から子宮(女子胞)いう意味であろう。

また服用期間と施術期間、頻度の比較も非常に実践的な学びとなる。

当帰芍薬散は20数日。
外陵・大巨は7~8壮を月に3度ほど(七,八度、尚累月三度づつ)。
子宮周囲の連環刺は10数日。

この頻度からどの治法がそれぞれ補瀉をどのように強調しているのかが読み取れるだろう。

…と、医案(カルテ)から読み取れる治療戦略を簡単ながら紹介させていただいた。

避妊治療の症例

二例目は断嗣(避妊)の失敗例である。

貧しい家庭にて毎年子が生まれて大変だ…というケース。もちろん、当時はコンドームをはじめとする信頼できる避妊法もなかったであろう。貧家であるということは経済力も低く、多くの子を養うことも困難なのであったろうということが想像できる。

毎年、妊娠し出産できる(5,6人の年子)というのは相当の正氣を持っていると言えよう。
石坂氏のいう「その婦も亦、頗る健なり。」という言葉は多産の理由を記しているのではなく、断嗣の治療の耐える正氣を確認しているのだと思われる。

石坂氏は断嗣(避妊)の治療として「関元の穴を刺すこと二寸、或いは三寸。」とし、関元に深刺を行い下焦の氣に対して瀉を目的とした鍼を行っているようである。
次いで「石門に灸 二七 十四壮」を行っているが、灸の程度は分からないが瀉灸として機能しているのか?少し疑問に思える点もある。

しかし、その避妊治療も敢え無し。その婦人は妊娠してしまう。
「(患者が)来たりて験無きことを嗤う。」とある文から、石坂氏の悔しい気持ちがリアルに伝わってくる。
ちなみに石坂氏の心情としてはそもそも「試みに関元に鍼」と書かれている点から、この避妊治療にはあまり気乗りしなかったのであろう…ということも推察できる。

患者に嗤われた悔しさなのか…いや、7,8人家族がさらに8,9家族になることで、この家はさらに困窮してしまう、との責任感なのであろう。「五月(16-19週目)に至るを待ち、亦 関元、合谷、三陰交の三穴を刺す」と堕胎治療を行っている。
このとき鍼治のみを行い、灸治はもちろん湯液を処方していないことにも、石坂氏の狙いや考えを読み取ることができる。

この施術を1週間続けたが、皮肉にも安産で産まれてしまう。

さて、石坂氏はこの症例を以て「鍼は瀉有りて補無し」という言葉を否定し、かつ古典にある言葉を金科玉条として鵜呑みにしてはならないというメッセージを伝えている。

但し、石坂氏のこの症例を読む我々はより深く思考しなければならない。

例えば、関元への深刺を断嗣(避妊)を目的として行ったが、これは患者の素体によっては瀉鍼として働かない可能性は十分にある。
加えて堕胎目的で行った「関元、合谷、三陰交への刺鍼」も同様である。
現代の鍼灸教育では妊婦への三陰交・合谷への刺鍼への補瀉・刺鍼は注意すべきこととして教えられることが多いであろう。しかし私は妊娠初期の妊婦への刺鍼に三陰交を用いることは多々ある。もちろん堕胎などは一度も起こさず、むしろ良好な鍼効を示している。

鍼も灸も患者の正氣量と病態により、刺鍼深度や鍼の番手、鍼の手技を一概に補瀉・効能を決めつけることは困難である。しかし、当会が主張する診鍼一致を基に考えるとさして矛盾は感じられないと思われる。

蛇足ながら…『銅人』と『千金』

※1;『銅人』に云う、中極は婦人の孤無しを治す。
※2;『千金』に云う、関元は婦人に之を刺すに則ち孤無し。

と引用を記しているが、それぞれ『銅人』は『銅人腧穴針灸圖経』、『千金』は『千金翼方』のことだと思われる。
※1;『銅人腧穴針灸圖経』の中極の効能は以下の通り
「中極一穴、一名を玉泉、一名を氣原という。関元の下一寸に在り。膀胱の募、足三陰 任脉の会。五淋、小便赤澀、失精、臍下結如覆杯、陽気虚憊、疝瘕水腫、賁豚搶心、甚しき則ち息するを得ず、恍惚尸厥を治す。
婦人断緒(不妊)、四度針、針して即ち子有り。故に却時針に任ずる也。産に因り悪露止まず、月事調わず、血結して塊を成すには、針入れること八分、留むること十呼、気を得て即ち瀉す、灸は百壮すべし、三百壮に至りて止む。

※2;『千金翼方』巻二十六 針灸上「取孔穴法第一」には「関元への針、婦人無子を主る。石門へ針するは則ち終身絶嗣す。」とある。
『備急千金要方』にも関元と婦人疾患への関与はいくつもの記述があるが、石坂氏の記述に近しいのは上記の引用である。

以上から考えるに、『銅人腧穴針灸圖経』には全く同じ記述こそ見つからないが「中極への鍼は子無し(不妊)を治す効がある」という点では一致している。
しかし『千金翼方』における記述では「関元は婦人に之を刺すに則ち孤無し(石坂氏は関元刺鍼を堕胎目的で使用している)」と「関元への針、婦人無子を主る。(不妊治療を目的としている)」とあり、石坂氏の主張にはそもそもの前提でズレがあるのではないかと思う次第である。

 

鍼道五経会 足立繫久

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