鍼灸茗話・その3

鍼灸茗話の第三回はクライマックス

『鍼灸茗話』は1826年、江戸後期に発刊された鍼灸書である。石坂宗哲の娘婿、石坂宗圭が著者だとされている。
本記事、第3回ではいくつかの章については敢えて割愛させていただくとして「鍼灸の別」から一気に「要穴」っまで進みたいと思う。

石坂流に伝わる刺法鍼術が記されていたり、
二儀・三台・四霊・五柱という名が登場したり
はたっまた鍼治が兵法に譬えられたり、とまさにクライマックスである。

鍼と灸の効能の違いについてである。
『鍼とお灸とどう違うの?』という人は参考にしていただきたい。では第六章「鍼灸の別」に進もう。
写真:『鍼灸茗話』(臨床実践鍼灸流儀書集成12・オリエント出版社)より引用させていただいています。

第六章 鍼灸の別

針の能は宗氣を憤発せずしてこれを援(たす)けて邪氣を駆逐せしむるの補法と云う。
血絡、結絡を誅(せ)めて、瘀滞の悪血を去り、栄衛の氣を流通せしむるの瀉法と云うなり。

故に扁鵲も疾の血脉に在るに針石の及ぶ所とも云えり。
皆、その栄衛の血脉を刺して、それをして流通せしむることを謂うなり。

灸の能は温熱の陽氣を以って、内は宗氣を活発せしめ、外は火氣を以って、経絡の寒結凝泣する者を融解して、その氣を流通せしむるの能なり。
癰疽種上に灸して、膿の憤口を開かせしむる者も亦この理なり。
経にも、陰陽皆虚すれば火自らこれに當たると云う。
又、経の陥下なる者、火則ち之に當る、結絡堅緊なれば、火のこれを治する所ともあり。
又、針の為さざる所、灸の宜しき也、ともあり。
急遽の間、卒暴の疾に於いて、瀉血の法などを行い難き者には、灸の力 大なりと謂うべし。

この事を平日一切の病に針の為さざる所、灸の宜しき所なり、と心得たるは、尚 未熟の人と謂うべきか。
兎角に灸は気血の発揚しがたきものを引き起こすの能あり。故に経にも陥下する者、これに灸すと云う 云々。

灸治の本質

まずは鍼の補と瀉の機序である。これは『鍼灸茗話』その1の「補瀉」の項に詳しい。

さて灸の効能については下線部の文がすべてを言い表している。「温熱の陽気」とあるように、灸と鍼の基本性能の違いはこの温熱である。もちろん鍼でも陽気を動かし補を行うこともあるが、温熱・火氣そのもので以って治療することができるのが灸治である。

下線部以下の文、膿に対する灸治は現代ではなかなか行われないが、陽熱を加え高めた陽気の勢いで伏邪や陰邪を追い出すというメカニズムは鍼灸治療に於いて非常に参考になる治病観である。
この灸治の性質を端的に表わしている言葉が「兎角に灸は気血の発揚しがたきものを引き起こすの能あり」である。
伏寒や瘀血を主体とした慢性疼痛、俗に云う古傷や老人の治療に灸治が奏功するのもこの機序にある。

第七章 針暈

針暈とて、針して俄かに気遠くなり暈倒するに至る者あり。
これは譬え上手の針医が刺しても、この事、決してなしと云うべからず。
宗脉に厳しく触れて致す所也。

初心の輩は、驚愕して周章し、その處置(処置)を失う者也。驚くべからず。
速やかに手拭いか風呂敷のようなる者にて、その人の口鼻を掩いて𩩲骬(かつう)の下一寸ばかりの所を、左の手の三指にてしっかりと按じ、定むれば、息を吹き回(かえ)す者なり。

又、手の三里に針するも可なり。
右邉に針して暈倒せば、左の手の三里に刺し、左邉に針して暈倒せば、右の手の三里を刺すべし。

又、膻中より上の部、天髎、巨骨、肩井等に針して暈倒せば、足の三里を刺すべし。
これも手と同じく左右繆刺すべし。

気附きたらば、三黄湯の擺出を呑ましむるも宜し。

鍼あたりからみる石坂流鍼術

鍼暈とはいわゆる「鍼あたり」のことである。鍼して貧血状態になる状態を指している。

石坂氏は「上手の鍼医が刺しても、決して無しと云うべからず」と言っており、どんなに鍼が上手であっても油断しないようにと忠告している。
その理由として“宗氣の脉に抵触”するからだと記している。
これは言い換えると上手の鍼医ほど宗氣に対する影響力は増す。となればそれだけ鍼暈の可能性が高くなる…しかし、そこを鍼暈を起こさないよう加減するのが上手であるということであろうか。ただドーゼを抑えて鍼暈を抑えようという考えとは異なる主旨のように思える。

この「宗脉に厳しく触れて致す所」が鍼暈の原因である。ということはその解除の方法も宗氣に関わる方法を採るだろうと思われる。本章では気付きの法として「𩩲骬の下一寸ばかりの所を、左手三指にてしっかり按じ、定むれば、息を吹き回(かえ)す」としてしている。𩩲骬とは『霊枢』骨度にある。岡本一抱氏は鳩尾としている。詳しくはコチラを参考に…
手足三里を用いるのは氣の升提作用を意図しているのであろうか。

余談ながら、往々にして「鍼あたり」と「瞑眩」は混同されやすい傾向にある。
瞑眩とは一般的には好転反応という意味で解釈される。体が治癒に向かう転機に一過性に何らかの症状が突発的に現れることをいう。
実際に鍼を受けて患家が『これは瞑眩、これは鍼あたり』と見分けることは難しい。また患者の訴えから瞑眩か鍼あたりかを冷静に判断することも初歩のうちは難しいのではないのではなかろうか。

鍼は氣を操作する医術である。氣を動かした結果、水や血が動く。それにより、津液虚、血虚を補い、湿痰、瘀血を駆除するのだ。
とくに瀉の場合に熱邪や湿邪、瘀血が排出される際に起こる排毒排邪の一環としておこるものが瞑眩である。

本章にある鍼暈の症状や機序と瞑眩とは異なる異なることに注意されたい。

 

第八章 逆灸

逆灸とは、病もなき小児に逆(あらかじ)め灸すること也。
逆とは「未だ至らずして迎える(未至而迎)」と云う義也。
世俗に無疾の小児に逆して灸して、その疾を防ぐこと、尤も謂う所なき僻事(ひがごと)也。
小児は肌肉軟脆にして、殊に火熱堪え難し。
然るに、その無病に数度灸すれば、その苦痛に由りて甚しき啼泣を発し、依りて自然臓気を動かす。これよりして多くは、癇痙の病を生ずる者也。

唐山にても、古は阿洛関中などの寒気甚しき土地にして、小児生まれて三日目に必ず灸し、それより数度、灸して止めし、故にその地の児は、癇痙の疾を患うる者、至りて夥し。
呉蜀などの温暖の土地にては、かかることなき故、この疾至りて少なしと云えり。

今は土地の寒温にも拘らず、只、之に灸す。
故に都会の児は多病也。田舎などにて何ごとも構わず。自然に任せて生育する者の、小児は大抵無病にて、健やかなることを見るべし。

小児への火法

お灸を治未病に用いることを戒めている。
特に小児と云う陽実の者に対して温熱火熱を加えることで起こる壊病を指摘している。

記されているように、小児は陽実でもあるがまだまだ体は脆く弱い状態にある。灸による火傷にて肌肉を傷つけ、陰分を損なう。さらに小児特有の体質でみると、常に上実下虚(陰陽)、水虚木旺(五行)の状態にあると言っても過言ではない。
この状態に灸による誤治を加えたら火逆となるのも頷ける。

しかし、ここでいう灸と現代の灸とは熱量が異なる。また素体である小児の体質も少し異なる。
この点の誤差修正をした上で本文をよく理解し、日々の臨床に活用すべきであろう。

第九章 鍼入幾分留幾呼

凡そ各穴に針するに、或いは針入れること幾分、或いは留むること幾呼、などあれども、此れ等の事は必ず拘泥すべからず。
夫れ人の肌肉に肥痩厚薄あり。
病に浅深寒熱あり。
正邪倶に虚実あり。
気至るに遅速あり。
何ぞ一定の刺法を以て万変の疾を療ずべけんや。肌肉肥厚の人は、針宜しく深すべし。
痩薄の人は宜しく浅くすべし。

熱疾は疾く刺すこと手を以て湯を探るが如く。
寒清は遅く、人の行かんと欲せざるが如く。
邪實の者に 刺すこと疾く、正虚の者には 徐かに刺す。

気至れば速やかに針を出し、気至らざれば久しく針を留め、治術は病人に随いて変ず。

これを活法と云う。
豈に一定の分寸遅速を以て、千態万状の病に臨むべけんや。
この理を融会するときは自ら俗法に拘泥するの死法には陥らざるべし。

活法と死法

鍼の深さや刺鍼時間の長さについて説いている。
石坂氏が本文で述べているとおりである。
ここで「活法」と「死法」という言葉を用いているのが印象深い。

古人の教えを活かすも殺すも、我々が如何に読み理解し実践するかにある。

第十章 十二原 第十一章 八會穴 第十二章 六臓六腑井榮兪経合 第十三 知大椎及腰椎髎骨法 第十四 定脊椎之寸法 第十五 同身寸法 第十六 脚気八處 第十七 鬼哭穴 第十八 挟脊之穴 第十九 騎竹馬穴 第二十 脊上五處穴法 第二十一 四花之穴法 第二十二 患門之穴法 第二十三 人神 第二十四 兪穴俗称  は割愛させていただく。

第二十五章 家定三刺法

誘導刺

針を以て内に當りて、管のままにて龍頭より、人指指の腹にて軽くたたき下す也。針下り切りてもその侭にてたたくこと、凡そ六七十にして抜くべし。これの如くすることの皆同じ。その能は大抵、九針中の員針に同じく、分間の邪を導く法也。
故に都(すべ)て病の浅くして肌表にある者、皆この刺法に宜し
殊に侠脊の誘導刺は滞気を開通し、栄衛を循環せしむる故に胸腹中の疾、肩背の凝結等には甚だ良効あり。

連環刺

小腹、両股、臂臑等の所に行う。その病の浅深に由り、針の浅深異なりといえども、何れも皆、連環の形に刺す。
半月を累ねたる病形なりとも栄衛の経絡、宗気の道路を洩らさず之を取る療法也。
小便急閉の症、或いは小腹急痛、或いは臂臑、偏廃、攣痛、或いは麻木、痺痛等の病には必ず施すべき法なり。

穿蛇刺

凡そ骨上肉薄くして、針を深く入れ難き所、或いは歯齦、或いは頭面四末等の部は、針を刺して横に骨肉の分際を逢う如くに刺す。
手術未熟にては為し難し。
頭痛、歯痛、手足指頭の麻痺、痛癢などはこの法に非ざれば治すること難し。
古人の謂う所、鶏足刺と云う者に稍々近けれども亦それとは大いに異なれり。

右(以上)の三法は、予が家の定法にして、その術行い易くして、その効験者也。その余の手術は筆尖にては陳(の)べがたし。故に盡く口傳ある也。

以上の三つの刺法(誘導刺、連環刺、穿蛇刺)は石坂流に伝わる家伝の技術であるという。

詳しい技法は門外漢故 知らないが、各刺法の意図する点は非常に重要だと思われる。各派各技術における術理を知り理解しようとする姿勢は重要である。

第二十六章 要穴刺號

二儀刺
上の二儀は不容二穴、下の二儀は大乙二穴。

三台刺
中脘一穴。その両旁相い去ること、各一寸五分、二穴。

四靈刺
臍の上下、左右。各一寸五分。四穴。

四柱刺
肓門二穴、帯脉二穴

五柱刺
風府一穴、風池二穴、天牖二穴

星文刺
天髎二穴、肩外兪二穴、天宗二穴、大椎一穴、臑兪二穴、肩井二穴、要穴。

四霊刺と澤田流の四霊穴

要穴刺號という章名も格好良いが、穴名もまた格好が良い。まずは各要穴をみていこう。

二儀には上下の2種ある。
上二儀 不容(左右)
下二儀 大乙(太乙)の左右である。

三台 中脘を中心とし外方一寸五分の左右二穴を取る。いうなれば中脘と内梁門(左右)である。

四霊 臍を中心とした上下左右各一寸五分の四穴である。氣海・上水分・内天枢の四穴。

以下の四柱・五柱・星文刺は経穴名がそのまま書かれているので割愛するとして、近代日本鍼灸が好きな方なら見覚えのある穴名号名ではないだろうか?
澤田健(1877-1938年)は一原・両岐・三大・四霊・五柱という言葉を用いて人体観を説明している。

いうまでもなく石坂宗哲(1770-1842年)は江戸後期の人物で、彼の著書『鍼灸説約』(1811年)にすでに二儀刺・三台刺・四台刺・四柱刺・五柱刺の記載がある。
この要穴名號名に澤田氏は影響を受けたのは明らかではなかろうか。

以下に『沢田流聞書 鍼灸真髄』(代田文誌 著)の一節を引用する。

一原は太極で、両岐は陰陽です。
太極の一原気が陰陽に分れるのです。その一原気が人身にあっては任督二脉に分れて任督の両脉となります。
三大とは腹背の三脉で、三行づつ相対する。背部の第一行、第二行、第三行と、腹部の腎経(第一行)胃経(第二行)脾経(第三行)と、腹背相対する三つの大きな脈です。
四霊とは滑肉門の左右と大巨の左右です。
五柱は中脘・上脘・下脘と左右の梁門です。…
五柱は背部では大椎、陶道・身柱・風門の五穴となって現れます。

二儀と両岐、三台と三大(それぞれ石坂流と沢田流の要穴名號名)を比較すると両派の意図する内容や意味は異なるようである。
しかし四霊穴をみるとかなり澤田氏は石坂流の影響を受けているのではないか?と思わずにはいられない。

臍を中心・中宮に建て、その上下左右(東西南北)を四神(石坂流の四霊刺に相当する)とする。
これに澤田氏の曰く「地の理」「斜(すじかい)」「卍の法則」そして運気の思想などを加味して沢田流における四霊穴を考案したと考察している。
このような要穴穴理や刺法術理を考えるのは楽しいものであり、且つ臨床に活かせるため、古典を学ぶ醍醐味を大いに感じる次第である。

要穴

凡そ鍼刺の病を治するに於いては、手術の巧拙に在りて、兪穴の精粗には非る也。

之を譬えれば兪穴は猶お地理の如し。手術は猶お攻戦の如くす。
いかほど地理に精(くわ)しと雖も、攻戦の術、拙なければ、戦に勝つこと得がたし。

地理は大概その山の険阻、その川の浅深、城地の要害に通じ、大略辨うときは、大澤に陥るの謬はなかるべし。

唯、その敵の強弱、身方の中姦を察し、虚々実々の機に通じ、攻むると戦うとの利不利を明らかにし、万全の利を計りて必ず勝の軍を出し、戦に臨みて心、臨機応変の活法に達せば、いずれか敵地に至ると雖も、甲斐なき敗軍には到るまじ。治療の活法も全く是に異ならず。

故に病者に臨みては大概各部切要の兪を審らかにして手術を施さば何れの病に臨むとも事欠くこと無かるべし。手術に熟して治療に明らかならば、病は自由に治し易き者也。
この事を経にも「夫れ善く針を用いる者はその疾を取ること、猶 刺を抜くがごとし、猶 汚を雪ぐがごとし、猶 結を解くがごとし、猶 閉を決すが如し、疾久しと雖も、猶 之畢るべし。(『霊枢』九鍼十二原)」
然るに治すべからずと謂う者は未だその術を得ざる者也と説きたり。

夫れ世間凡その事さえも、皆簡要を貴ぶ者也。事、煩雑なれば兎角に取り締まりなくして治まりがたし。
これ故に今、その頭面手足胸腹等各部の要穴を択び附するに図を以てし、一看して了然と識り易からしむ。
但、その背腋の部なれば兪穴の俟しよう、古今の謬誤を正し、各繋がる圖を以てす。別に一本となす。

治療と兵法

ここでは経穴を地形に譬え、刺法鍼術を戦術に譬えている。実際には戦術と戦略を整理して考えると、より臨床での治療を組み立てることが容易となる。(『戦術と戦略と』を参考のこと)

保有する戦術はたくさんあればあるほど良い。手持ちのカードは多いほど選択肢は増えるものだ。しかし適切な戦略を基に戦術を駆使しなければならない。このことを石坂氏は示唆してもいる。虚々實々、臨機応変とは、まさに現場での判断が必要であり、状況(病態)により柔軟かつ自在に治療を組み立てなければならない。
「●●病には○○穴に鍼」といった固定された知識(マニュアル)では、まず対応できない。石坂氏はこれを死法という。

このような要諦は治療や兵法だけでなく、日常すべての事にも通ずるものだとしている。一事が万事ということであり、これを大きく推し広げると「上医は国を医す」という言葉にも通ずるのではないかとも思える。

 

鍼道五経会 足立繁久

おすすめ記事

  • Pocket
  • LINEで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを残す




Menu

HOME

TOP