霊枢における二十八宿
『霊枢』には「二十八宿」という言葉が登場します。『霊枢』五十営篇・衛氣行篇がそれに当たります。
二十八脈を流れる営気の循環を説くのが五十営篇、衛氣の流れについて詳しく説く篇が衛氣行篇。そのどちらにも「二十八宿」という言葉が登場するのです。となれば、衛氣営氣の循環の秘密に「二十八宿」が大きく関わると考えるべきでしょう。
衛氣営氣を理解するためには、「二十八宿」について知っておく必要があります。「二十八宿」について調べたことを記事としてまとめました。『霊枢』に用いられた「二十八宿」を理解するために、時代を逆行した順にシリーズ記事として紹介していきます。
まずは基本的な情報から挙げますと、「二十八宿とは天を二十八の星宿に区分し、その周期を問うもの」です。まず大きく天を東西南北に分けます。そして二十八宿は角・亢・氐・房……星・張・翼・軫と二十八の宿星(恒星・距星)が(不均等に)配置され、各星画を形成しています。
しかし、この情報だけでは、今ひとつ要領を得ないものがありますね。もう少し情報を集めていきましょう。
二十八宿と赤道・黄道・白道
実際に「二十八宿」についてネット検索してみると、意外と多様な意見が見受けられます。その多くは占星術関係のものが多いのですが、それを含めて、興味深く感じたのが、“二十八宿が何を基準としているか?”に関する意見です。
「天の赤道を基準とする」「…黄道を基準とする」「…白道を基準とする」という3つの意見に分かれるようです。
「赤道」「黄道」「白道」と、なぜこのように意見が分かれるのでしょうか?
これら三つの道を混同するには、大きな誤差になるようにも感じるのですが…。
赤道と黄道と白道
ここで赤道・黄道・白道について、天文学的な観点から(簡単ではありますが)整理しておきましょう。
・赤道とは「天の赤道」であり、地球上にある赤道(緯度0°)を天球上にまで拡大したもの。
・黄道とは「太陽の通り道」を天球上に示したもの。
・白道とは「月を通り道」を天球上に示したもの。
天の赤道とは23度4分(23度27分との説もみられる)の傾きがあるとのこと。そして白道は黄道に対して5度1分の傾きがあります。つまり赤道に対しては28.5度(23.4+5.1)の傾きとなります。
そして二十八宿が基準とするのは、「赤道」「黄道」「白道」どちらなのか?
個人的にすごく疑問になります。
少し古い文献ですが『日本暦学大全』(佐藤政次 著 浩文社 刊)を開いてみると、次のように記されています。
「…月は白道を一周するのに29日7時43分11秒と10分の5(約29日3分の1)を要する。支那古代の天文学では、この白道と太陽の通る黄道并びに天体の中心を通る赤道とを二十八の区劃に分け、月または日は一夜ごとにその星劃を移って、宿泊すると考えその位置を表示した。‥」
「…さらに一歩進めて、予め黄赤道面の一周、天の月の運動行程に応じた著しい星宿を目標として二十八の月の宿に区分し」た。
※原文では漢数字表記を、適宜アラビア数字に表記変換しています
この書の文からは、二十八宿の星画を“白道・黄道・赤道もひっくるめたライン上”に設けているように読み取れます。その理由を想像するに、赤道と白道の角度差は28.5°です。その角度差・角度幅をも包括する範囲内で二十八の星宿を配置しているのでしょうか。
月の周期に2つある
ちなみに余談ですが、専門知識を持たない一般人にとって“月の周期でややこしい点”があります。
それは「策望月」と「1恒星月」です。
上記(『日本暦学大全』)には「月は白道を一周するのに29日7時43分11秒と10分の5(約29日3分の1)を要する」とあります。これは、月が“地球と太陽を結ぶ線を基準に”して、地球を1周する時間が約29.53日なのです。この周期は新月(朔月)から新月(朔月)までの公転周期であり、この周期を「朔望月(さくぼうげつ)」とも呼びます。
一方で約27.3日という月の公転周期があります。それが1恒星月と呼ばれる周期のこと。この1恒星月とは、月が地球の周りを1周する時間です。
前者(朔望月)の29.53日と、後者(1恒星月)の27.3日との差は、地球の公転(地球が太陽の周りを周回する動き)を踏まえた上での計算によるものです。
いやはや、天文学(暦学)の視点・観点は一筋縄ではいかないものがあります。一般人の感覚とは少し違った視座を要すると感じます。
17~18世紀の資料に遡る
さて、二十八宿とは天を二十八区画(宿・舎)にわけたものであり、それぞれの星宿に恒星(距星)を配置しています。
まず天球を(北極を中心に)東西南北の四方に区分します。その四方にそれぞれ七宿星を配当させて二十八宿となるのです。
しかし、ここで強調しておきたい点は、この二十八宿は不均等区分であるという点です。徐々に時代を遡っていきましょう。引用資料は17~18世紀(江戸期・清代)の文献からです。
繰り返し確認しておきますが、『なぜ近代天文学の資料ではないのか?』
それは『霊枢』に使用されている「二十八宿」について知りたいからです。そのため現代から徐々に古代暦学の情報に近づいていきたいと考えているわけです。
『和漢三才図会』(1712年刊)二十八宿の説明を以下に引用します。
二十八宿
東 七宿 三十二星 南 七宿 六十四星
西 七宿 五十一星 北 七宿 三十五星
以上、百八十二星
按ずるに、天は円形にして二十八宿、天緯に布き列なる。故に人、四方に配する所以を訝がる。
予、渾天儀の諸星の図範を造り、其の器、北高く南低き者は乃ち常也。更に試るに、北極を以て上と為し、南極を以下と為す。之を竪(たて)て、北辰の五星をして星宿の方に向かわしめるときは、則ち南方備わり而して二十八宿、逆に東西南北を行るの象(かたち)具わる。
釈氏、之を須弥山と称して、北極紫微宮を以て帝釈天と為す也。
■原文 二十八宿
二十八宿
東 七宿 三十二星 南 七宿 六十四星
西 七宿 五十一星 北 七宿 三十五星
以上、百八十二星
按天圓形而二十八宿布列於天緯。故人訝所以配四方。予造渾天儀諸星圖範、其器北髙南低者乃常也。更試以北極爲上、以南極爲下。竪之而令北辰五星向星宿方、則南方備而二十八宿、逆行東西南北之象具焉。釋氏、稱之須彌山以北極紫微宮爲帝釋天也矣。
『和漢三才図絵』巻二では、この本文に加えて絵図が記載されています。
北極を中央に据え、さらに東北西南の順に星宿が配され、反時計回りに数える形になっています。
東に配される星宿は「角」「亢」「氐」「房」「心」「尾」「箕」
北に配される星宿は「斗」「牛」「女」「虚」「危」「室」「壁」
西に配される星宿は「奎」「婁」「胃」「昴」「畢」「觜」「參」
南に配される星宿は「井」「鬼」「柳」「星」「張」「翼」「軫」
となります。
各書に図示される二十八宿の角度
二十八宿が不均等区分であることは『天経或問』(中国清代 1675年 游藝)、『和漢三才図会』(江戸中期 1712年 寺島良安)の図に描かれています。

写真:『天経或問』「黄赤二道見界総星図」 国立国会図書館デジタルコレクションより引用
『天経或問』とは、中国清代の頃に記された暦学書です。上図のように、二十八宿の各星画の間に線が引かれ、それらが不均等に配されている様が一目でわかるようになっています。『和漢三才図会』にも同様に二十八宿の絵図が記載されています。
このように近代以前の頃から、詳細に天体が観測され学問として体系づけられていたことに感動を覚えるのです。
さらにもう一冊、暦法書から引用しましょう。『大略天學名目鈔』(江戸期 1729年序 西川正休)二十八宿の説明を以下に引用します。
天は無體にして星宿を以て體とす。是故に日月の行度、五星の運歩を算計するに皆二十八宿の星度を測窺して、七曜の旋行度分を知るもの也。
二十八宿の外、衆星共に常に其度極を主る遠近を測り定めて置て時に取て便とす。天の黄道は秤量の衡の如く、二十八宿は量目の星の如し。星宿に依て七曜運行する分量の多少を知る者也。七曜は自行有て、行度伏見、時々動て齊しからず。是を衛星と云。二十八宿衆星は、一粒各々の自行無くして万古座列を変ぜず。一同に天に從い附す。晝夜東西に左旋運回する而已。舎と云い宿と云うも七曜行道の驛路にして次第を経て移り行くこと、人の旅行の如きを云。躔度と云も日月宿舎と云意也。
「是れ故に日月の行度、五星の運歩を算計するに皆な二十八宿の星度を測窺して、七曜の旋行度分を知るもの也。」とある点は注目です。
五星とは、辰星・太白・熒惑・歳星・鎭星(現代でいう水星・金星・火星・木星・土星)のことでしょう。そして七曜とは、「日月(太陽と月)そして前述の五星」を併せて七曜とします。『大略天學名目鈔』の「七曜大體小體之辨」を参照のこと。この一節は重要な情報です。
繰り返し引用しますと「二十八宿の星度を測窺して、七曜の旋行度分を知るもの也。」とあり、二十八宿の星々を観測することで、日月五星の施行度分(運行・位置・角度)を測っていたとあります。
ここでようやく二十八宿の姿がおぼろげながら見えてきました。
その2に続きます
鍼道五経会 足立繁久
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