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古代中国における二十八宿
第二弾となる本記事では、17~18世紀という近世から、一気に時代を遡りたいと思います。二十八宿は古代より観測されてきた星々です。
素朴な疑問として『なぜ二十八宿が観測され続けたのか?』
言い換えると『二十八宿という暦法が必要とされたのはなぜなのか?』
この疑問に対する解が私には必要と感じたのです。
しかし、その解に迫る前に、中国文献から「二十八宿」に関する情報をピックアップしてみましょう。
(前回記事で紹介した17~18世紀の文献も参考にまでに比較資料としてとり上げています)
「二十八宿」を記す中国文献としては『淮南子』『漢書』があります。『淮南子』天文訓、『漢書』律暦志には、二十八宿の各星宿の名称が記されています。それだけでなく、各星宿の角度(古度)が記されている点も、非情に驚きです。
『淮南子』『漢書』に記される二十八宿の古度
下表に二十八宿の各星宿における古度をまとめてみました。
『淮南子』『漢書』そして比較参考として江戸期『和漢三才図会』からの古度を表記しています。フォントサイズを調整しきれず少し見にくいですが、ご容赦ください。
| 星宿名称 | よみ | 星分度(『淮南子』天文訓より) | 星分度(『漢書』律歴志より) | 角度(『和漢三才図会』より) | 二十八宿(古度)※ | 採用値※ |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 角 | かく | 12 | 12 | 12.70 | 11.9 | 12 |
| 亢 | こう | 9 | 9 | 9.42 | 8.9 | 11 |
| 氐 | てい | 15 | 15 | 16.15 | 14.9 | 17 |
| 房 | ぼう | 5 | 5 | 5.41 | 5.4 | 7 |
| 心 | しん | 5 | 5 | 6.18 | 4.5 | 11 |
| 尾 | び | 18 | 18 | 17.78 | 19.3 | 9 |
| 箕 | き | 11と4分の1 | 11 | 9.58 | 10.4 | 10 |
| 斗 | と | 26 | 26 | 23.68 | 26.7 | 22 |
| 牛(牽牛) | ぎゅう | 8 | 8 | 7 | 7.9 | 9 |
| 女(須女) | じょ | 12 | 12 | 11.29 | 11.9 | 10 |
| 虚 | きょ | 10 | 10 | 9.13太 | 9.6 | 14 |
| 危 | き | 17 | 17 | 16.18 | 16.6 | 6 |
| 室(營室) | しつ | 16 | 16 | 18.47 | 16.8 | 20 |
| 壁(東壁) | へき | 9 | 9 | 9.32 | 10.8 | 15 |
| 奎 | けい | 16 | 16 | 17.70 | 13.7 | 11 |
| 婁 | ろう | 12 | 12 | 12.19 | 11.1 | 15 |
| 胃 | い | 14 | 14 | 15.57 | 14.9 | 11 |
| 昴 | ぼう | 11 | 11 | 10.92 | 11.2 | 15 |
| 畢 | ひつ | 16 | 16 | 16.32 | 18.0 | 15 |
| 觜(觜嶲) | し | 2 | 2 | 初0.5 | 1.3 | 6 |
| 參 | さん | 9 | 9 | 10.23 | 7.7 | 9 |
| 井 | せい | 33 | 33 | 31.29 | 33.2 | 26 |
| 鬼(輿鬼) | き | 4 | 4 | 2.14 | 4.1 | 5 |
| 柳 | りゅう | 15 | 15 | 13.20 | 15.1 | 18 |
| 星 | せい | 7 | 7 | 6.40 | 6.8 | 12 |
| 張 | ちょう | 18 | 18 | 18.5 | 17.0 | 16 |
| 翼 | よく | 18 | 18 | 20.26 | 18.5 | 17 |
| 軫 | しん | 17 | 17 | 18.65 | 17.0 | 16 |
※古度および採用値は『前漢の二十八宿天体暦 汝陰侯墓出土円儀の天文学的考察』(日本天文考古学会・東亜天文学会 江頭務先生)から引用させていただきました。
上記論文には、古代中国における暦法・暦学について、精密に調査されており、非情に有意義な情報が載せられています。
上記論文には「漢書は、二十八宿の度数を最も一般的に代表するものである。」と書かれあり、さらに「二十八宿の古度の計算値は、表1の隣合う二十八宿の赤経差(°)を、(365/360)倍して中国度数に換算したものである。また、古度の採用値は、宿盤Ⅱをベースとして、不明のところは洪範と計算値等を勘案したものである。」とあり、暦学素人の私にはチンプンカンプンな解説ですが、緻密な計算をもとに古度を算出していることが察せられます。
さて、暦学素人の私ではありますが、二十八宿の古度を私の理解できる範囲でみてみましょう。
『淮南子』天文訓の二十八宿
『淮南子』天文訓に記される古度数値は以下のように記載されています。
星、正月建營室、二月建奎婁、三月建胃、四月建畢、五月建東井、六月建張、七月建翼、八月建亢、九月建房、十月建尾、十一月建牽牛、十二月建虚。
星分度、角十二、亢九、氐十五、房五、心五、尾十八、箕十一四分一、斗二十六、牽牛八、須女十二、虚十、危十七、營室十六、東壁九、奎十六、婁十二、胃十四、昴十一、畢十六、觜嶲二、參九、東井三十三、輿鬼四、柳十五、星七、張翼各十八、軫十七、凡二十八宿也。
『漢書』律暦志の二十八宿
そして『漢書』律暦志下に記される古度数値は以下のように記載されています。
角十二、亢九、氐十五、房五、心五、尾十八、箕十一、東七十五度。
斗二十六、牛八、女十二、虚十、危十七、營室十六、壁九、北九十八度。
奎十六、婁十二、胃十四、昴十一、畢十六、觜二、參九、西八十度。
井三十三、鬼四、柳十五、星七、張十八、翼十八、軫十七、南百一十二度。
ちなみに『後漢書』律暦にも同様に二十八宿の古度が記されています。
角爲十三度、亢十、氐十六、房五、心五、尾十八、箕十、
斗二十四四分度之一、牽牛七、須女十一、虚十、危十六、營室十八、東壁十、
奎十七、婁十二、胃十五、昴十二、畢十六、觜三、參八、
東井三十、輿鬼四、柳十四、星七、張十七、翼十九、軫十八、凡三百六十五度四分度之一。…
『漢書』の記載内容とずいぶん変更しているようにみえますが、総和の周天度は三百六十五度四分の一、と『淮南子』と同じく、より詳細な数値に改めているようにもみえます。

写真:『後漢書』律暦の二十八宿部分。京都大学付属図書館より引用させていただきました。
古度の和が示すもの
両者の違いは箕宿のみ。『淮南子』に記される古度が「箕十一四分一」、そして『漢書』が「箕十一」となり、わずか「四分の一」のみの差です。
『漢書』に記されれる東西南北の小計古度を和すと、365度となります。(東75+北98+西80+南112、計365度)
そして『淮南子』に記される古度の和は365度4分の1となり、非常に精密な数値が出てきます。
この365度というのは一太陽年の長さに相当します。また『淮南子』にある「四分一」とは、現在で算出されている0.24…(約6時間)の端数に相当し、現行の暦にある閏に当たります(と、暦学素人は理解しています)。
このようにみると、以下に古代暦法が(現代の我々が思っている以上に)精密な観測を行っていたのか…驚嘆する次第であります。
余談ながら…『和漢三才図会』の数値について
そして『和漢三才図会』にも天球を東西南北の四区分し、それぞれの角度を示しています。数値を引用しますと…下のようになります。
東:77度22分
北:95度7分太
西:82度97分
南:109度99分
計:365度88分
これは『和漢三才図会』二十八宿度分方位之圖に記載される数値です。
しかし、この数値は注意が必要かと思います。実際の絵図に記されている各星宿の数値を実際に計算すると下のような結果になります。
東:77度22分
北:95度7分太
西:83度43分(差:0.46)
南:110度44分(差:0.45)
計:366度79分(差:0.91)
※差とは絵図に付記される数値との差。
なにぶん暦学素人の私が調べたものですので、コチラの間違いがあるかもしれませんが、その際はご容赦ください。
さて、ここまでは『淮南子』と『漢書』を中心に二十八宿を調べてきました。次に中国の出土文献にのこる二十八宿について紹介しましょう。
古代中国における二十八宿
二十八宿は紀元前にまで遡る
現在のところ、「二十八宿」に関する最も古い資料は戦国時代初期(紀元前475~前221年)の頃のものとされています。
論文『曾候乙墓の神話世界 ー出土文物の圖像からー』稻畑耕一郎(早稲田大学リポジトリ)には、「曾候乙墓」において二十八宿の資料が発見されたとあります。
出土した衣箱の蓋には、中央に「斗」の字が篆體で大書されており、その周圍に「角」からはじまる二十八の星座の名が記されており、さらにその両端には龍と虎と見える圖像が描かれているそうです。この龍虎とは、青龍・白虎であると考えられており、論文には「北斗を中央に置いて、その周圍に二十八宿を配する」また「両端の龍と虎とは、朱雀・玄武とあわせて「四神(四象)」とされる東西南北の星宿の神を示すものと考えられる」とあります(p.118~)。
また前漢初期のものとされる汝陰侯墓(墓葬年代は前173年と推定されている)からも、“二十八宿円盤”が出土しています。これはおそらくは世界最古の星座早見盤であるそうです。(※論文『前漢の星座早見盤〈汝陰侯墓出土の二十八宿円盤(1)』および、論文『前漢の二十八宿天体暦 汝陰侯墓出土円儀の天文学的考察』ともに江頭務先生)
上記論文から「二十八宿は天の赤道の周囲に配されている」とみて良いようです。(赤道上ではない)

写真:上記論文に引用されている論文『西汉汝阴侯墓出土的占盘和天文仪器』(殷涤非先生:『考古』1978 5期)に掲載されている、占盤もしくは天文儀器の図
二十八宿は赤道周囲に配置される
二十八宿について調べた結果、「天の赤道周辺を二十八区分し、それぞれの星画に恒星(距星)を配置」したのが二十八宿であことが分かってきました。
そして『それは何のために?』という疑問の解もおぼろげながら見えてきたように思います。さらにその解は『黄道・白道を基準としたものではないのか?』という疑問の答えにも関係してくるように思います。
その3に続きます
鍼道五経会 足立繁久
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