二十八宿がなぜ必要とされたのか? シリーズその3

古代より注目されていたであろう二十八宿

これまで二十八宿について調べてきました。暦学素人の私にとって、いきなり古代中国の暦学を掘り進めるのは困難でしたので、まずは17~18世紀の暦学書から二十八宿の情報を収集し、少しずつ古代暦学における二十八宿の姿を知ろうと試みたのが前々回の記事。

そして、前回記事では『淮南子』『漢書』といった伝世文献に、さらには、「曾候乙墓」「汝陰侯墓」といった紀元前の出土品にも二十八宿が残されていることが分かりました。

写真:『考古』1978 5期に掲載される論文『西汉汝阴侯墓出土的占盘和天文仪器』(殷涤非先生)

このように「二十八宿」は『霊枢』の時代から存在する暦法であったことが明らかとなりました(疑ってった訳ではありませんが…)。

また墳墓に埋葬される副葬品に「二十八宿」が選ばれているという点から、暦法として非常に重視されていたことが察せられます。

では、いよいよ『二十八宿のもつ暦法としての意義』について調べ考えていきたいと思います。

なぜ二十八宿が必要だったのか?

前々回記事の締めくくりに『大略天學名目鈔』(江戸期 1729年序 西川正休)の一節を引用しました。
その引用には「二十八宿の星度を測窺して、七曜の旋行度分を知るもの也。」とあり、二十八宿の観測によって、七曜の運行を測っていたと判断できます。『古代より二十八宿がなぜ観測されてきたのか?』この疑問のヒントがようやく見えてきた気がする…そんな一文でしたね。

二十八宿の由来について、暦と絡めて説明してくれているサイトがあります。上記の『大略天學名目鈔』の一節を、実に詳細に解説してくれているのが、「暦と二十八宿の関係」です。少々長文になりますが、該当部分を下記に引用します。

二十八宿はこの太陰太陽暦を作るために考案されたものです。中国式の新月(朔月)を暦の月の区切りに使う方式の暦を作るためには、なによりも新月の日付と、その位置を知ることが必要になります。新月とは月が見えない日です。ですから直接この瞬間・位置を観測することは出来ません(例外は希に起こる日食)。
そこで、見えない新月が何時なのか、どこにあるのかを間接的に知る方法が考え出されました。新月が何時かという問題は、新月後に月が最初に観測された日から遡る方法で推定出来ます。
月が最初に目撃されるのは大体三日月の時ですから、これを二日遡った日が新月(朔)の日と推定されます。……
新月の時期はわかりましたが、では位置はどうやって知るか、そこで登場するのが二十八宿です。月の位置を毎日、星の位置と比較しながら観測してゆくと月が背景の星座に対して28日弱の周期で移動してゆくことがわかります。毎日、月がどの星座に近い位置にあるかを観測してゆくと、大体一定の割合で移動してゆく様子もわかりました。月が星座の間を一定の割合で移動すると解ったので、その周期に近い28日分の目印を決めればよいということでその目印として利用されたのが二十八宿です。
新月の位置が三日月の位置から二日分遡ったところだと考えれば、三日月が二十八宿のどこにあるかを観測すれば、新月がどこにあったかを知ることが出来るわけです。

……(中略)……

「暦月の区切り」という意味で新月を知ることは必要ですが、それは「新月の位置」ではなくて「新月の日」でよいので、三日月の日から二日前が新月の日と解れば事足ります。ではなぜ、新月の位置など知ろうとしたのでしょうか?
その答えは、新月の位置が示すもう一つの天体の位置を知るためだと言うことです。
新月の位置が解れば解るもう一つの天体とは太陽です。新月とは太陽と月が同じ方向にあって見えないわけですから、新月のときの月の位置を知ることはすなわち太陽の位置を知ることになるのです。
なんとも回りくどい方式ではあるのですが、太陽は明るすぎて、これが出ている間は空の上での位置の目印になる星座が見えませんので、こうした間接的な方式でその位置を知ろうとしたわけです。
では太陽の位置が解ると何が解るかと言えば、それは季節の動きです。季節の変化は太陽の動きによって生まれるものですから、季節の動きを知るためには太陽の動きを知る必要があるのです。そして太陽がある位置を通過して再びその位置に戻ってくる期間が「一年」ですから、こうした観測を繰り返すことで一年の長さを知ることが出来ました。

このサイトの説明によると、月の運行を割り出すために、目盛りとして二十八の恒星(距星)を設定。この目盛りによって月に一度の観測不能となる月(新月)の位置を導き出すために二十八宿を制定した…ということでしょうか。そして、導き出した月の位置によって、その先にある太陽の位置を推定することが可能となるわけです。

つまり二十八宿は、日月の運行を観測するために、必要不可欠な暦法ということになります。

なぜ「赤道」「黄道」「白道」だったのか?

ここまでくると、なぜ二十八宿の基準として「赤道」「黄道」「白道」の3つの道が混同されるかのように挙げられてのかが分かりますね。

二十八宿は元々は月の位置を測定するための暦法です。ここから「白道」上に配置される星々と解釈される流れがみえてきます。またさらに新月の位置から太陽の位置を導き出すという暦法からも、その基準が「黄道」であると解される過程も想像できなくはないです。

しかし出土文献から示されるように「二十八宿は赤道周囲に配されている」ものです。そして、その目的は「新月の位置を観測し、さらには太陽の位置までも測定すること」にあります。

素人なりに分かりやすく言い換えると、「月の動きを割り出すことが目的であるから、当然その目盛りは月とは別の目印(恒星)が用いられる。故に二十八宿という恒星(距星)を基準線として(白道でも黄道でもなく)天の赤道となる」ということでしょう。

しかしそのように重要な暦法であった二十八宿も暦が定まるつれて、その存在も変わってきたようです。

失われてゆく二十八宿

時代と共に、人類が編み上げる暦の精度は上がっていきます。そうなると二十八宿を使わなくても日月の位置は測定できるようになっていきます。
このような過程で、二十八宿が用いられることは無くなり、徐々にその存在も薄れていきます。
このプロセスについては前述したサイト「暦と二十八宿の関係」にも説明されています。また同様に論文『天水放馬灘秦簡『日書』乙種
「入八月四日己丑旦心」をめぐる一考察』(末永高康先生 P.3~)にも詳述されています。

以上が、「二十八宿」という古代暦法を理解するための次第であります。

さて、ここまで「二十八宿」が分かったところで、五十営篇・衛氣行篇を読んでいくわけですが、どうやら『霊枢』では、このような暦法という意味で「二十八宿」が用いられている訳では無いようです。このことについての詳しい話は、『中医臨床』の論稿にて紹介するとしましょう。

鍼道五経会 足立繁久

 

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