「大頭論」について『素問病機氣宜保命集』より

王好古から李東垣、さらに劉完素へと遡る

易水派の頭痛医学について、王好古(『此事難知』)、羅天益(『東垣試効方』)、『蘭室秘蔵』(李東垣の医学を羅天益が編纂)、と、弟子から師へと遡ってきた。そして本記事では劉完素の「大頭論」を紹介したいと思う。劉完素の「大頭論」は『素問病機氣宜保命集』巻下に収録されている。

劉完素といえば、金元四大家のひとり“寒涼派”を代表する医家として知られている。そして前述の李東垣もまた四大家のひとりであり“補土派”を代表する医家として知られる。
しかし劉完素の医学と李東垣の医学はまったく別のものではないことが、この「大頭論」をみてもわかるのではないだろうか。

※本文は『素問病機氣宜保命集』(中医臨床必読叢書 人民衛生出版社)より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

大頭論『素問病機氣宜保命集』・書き下し文

書き下し文・大頭論 第三十

夫れ大頭病なる者は、是れ陰陽邪熱の太甚にして実に資(もと)り、少陽相火而して之を為す也。
多くは少陽に在り、或いは陽明に在り。或いは太陽に伝う。其の腫勢が何れの部分に在るかを視て、経に随いて之を取れ。
湿熱は腫を為し、木盛は痛と為す。此の邪、頭に見われるに、多くは両の耳後に在り先に出でる、皆な其の病を主る也。

之を治するに大いに薬の速きことは宜しからず。速ければ則ち其の病所を過ぎる。謂る上の熱は未だ除れず、中に寒が復た生じ、必ず人命を傷るなり。此の病は是れ外よりして之内(い)る者、是れ血病なり。況んや頭部の分、邪を受けるをや、(血病に比して)形無き迹の部に於いて見わる。

当に先に緩而して後に急なるべし。
先に緩するとは、謂る邪氣、上に在れば、無形の分部に著く。既に無形に著けば、至らざる所無し。
若し重剤を用いること速やかに下せば、其の病を過ぎ已え難し。
緩薬を用いると雖も、若し急に之を服せば、或いは食前、或いは頓服、皆な緩き体を失すれば、則ち薬は病を除くこと能わず。当に徐徐に無形の邪を侵漬すべし也。或いは薬の性味・形体は象に拟(にる・なぞらえ)る。皆、緩の体を離れざることを要(もとめ)る是れ也。

且つ後に急する者とは、謂る緩剤已に瀉せば、邪氣は中に入る。是れ陰部に到る、形質あるの所に染む。若し速やかに去らざるときは、則ち陰を損う也。
此れ終治の却て客邪と為し、当に急ぎて之を去るべし。是れ客を治するに急を以てする也。

且に治せんとするに“当緩”を主る者は、陽邪上に在り、陰邪下に在ることを謂う。各々本家の病となる也。
若し急ぎ之を治すれば、紛を解すること能わずして乱を益する也。此れの故に治は“当緩”を主とする。

客を治するに急を以てする者は、陽分が陰邪を受け、陰分が陽邪を受くを謂う。此れ客氣急に除き去る之(これ)也。

仮令、少陽、陽明の為す病なれば、少陽が邪を為せば耳の前後に出る也。陽明が邪を為せば首大いに腫れる是れ也。
先ず黄芩黄連甘草湯を以て、通炒過、銼、煎じて、少しも住(とどま)らずに服す。或いは剤を畢りて、再び大黄・煨鼠粘子を用いて、新瓦の上に炒香し、煎じて薬成る。滓を去り、芒硝を内(い)れ、俱に各等分す。亦、時時に之を呷(す)う。飲食の前に在らしむること無し(食後に服用の意か)。微利を得て、邪氣已(や)むに及ぶ。只、前薬を服して、如(も)し已まざれば、再び同じく前の次第にして之を服して、大利を取れ。邪氣已めば即ち止むる。

如(も)し陽明渇する者は石膏を加う。
如(も)し少陽渇する者は栝楼根を加う。
陽明の経を行らすには、升麻・芍薬・葛根・甘草。
太陽の経を行らすには、羌活、防風の類。

劉完素から王好古に伝承された頭痛論

以上の内容は『此事難知』の「大頭痛論」にほぼ同じ記述が掲載されている。ここから見えてくることは、劉完素の医学が王好古(李東垣の弟子)に伝わっているということである。

学校教育では、金元四大家の分類として“寒涼派”の劉完素、“補土派”の李東垣として劉氏・李氏の両派は区別されている。しかし、医学の系譜でみると両者には繋がりがみられる。
この点については、李東垣の師、張元素(張潔古)と劉完素との交流についても言及すべきであろうが、ここでは割愛する。
劉完素と易水派医学の関係について、鍼術の視点から見直す論稿を以前に提出した。詳しくは拙稿『中風に対する鍼薬併治 -劉完素から羅天益へ,易水派鍼法の伝承-』(『中医臨床』No.174(Vol.44-No.3)に掲載)を参照されたし。

劉完素と王好古の頭痛論の異同

しかし、劉完素と王好古の頭痛論が全く同じものであるか?というと、そうではない。まずは両者の頭痛概論を比較してみよう。

劉完素の大頭論(『素問病機氣宜保命集』大頭論)の記述はこうである。
「是陰陽邪熱太甚、資実少陽相火而為之也。多在少陽、或在陽明、或伝太陽。」

王好古(『此事難知』大頭痛論)の記述は以下。
「大抵足陽明邪熱大甚資実、少陽相火為之熾、多在少陽、或在陽明、甚則逆伝太陽。」

両つの文は同じにみえて、微妙な違いが感じられる。
劉完素の趣旨には、「陰陽邪熱の甚しいとき、これを資(もと)にして少陽相火が旺する。そのため頭痛は少陽に多い。…」と読める。
対して王好古の趣旨は「大抵、足陽明経は邪熱が盛となることが多い。その邪熱が波及して少陽相火が旺して頭痛となる。そのため頭痛は少陽に多い…」と読める。

熱の源について、劉完素は「陰陽」と大きな範囲で言及しているのに対して、王好古は邪熱の源を足陽明と明確に指定している。
この病因と病伝の違いは、病理構築に及ぼす影響は小さくはないだろう。

その理由に思いを巡らせるに、風寒邪を病邪の首としてみる劉完素の医学と、李東垣の教えを受け継ぐ王好古の医学とでは、自然とその病理観にも違いは出てくるものと思われる。とくに李東垣の医学は中氣・胃氣を二軸のうちの一つとして据えられているため、陽明の役割りも、劉完素のそれとは異なっているものとしてみるべきであろう。

治療の緩急について

治療の先後・緩急・主客については『此事難知』大頭痛論にも、同書同章のものとほぼ同じ趣旨の説がみられる。両者についても比較してみよう。

まずは劉完素のことばである。
「治之大不宜薬速。速則過其病所、謂上熱未除、中寒復生、必傷人命。」

次に王好古のことばである。
「治之冝早。藥不冝速、恐過其病上熱未除中寒已。作有傷人命矣。」

劉完素に比べて、王好古の方がより詳しく説いてくれている印象がある。頭痛という病に対して、治療は速やかさを尊ぶも、薬性薬効には速さを求めていない(王好古の言葉)という意であろう。その理由として「薬の動きが速すぎることで、その病位を過ぎてしまうことを恐れるからだ」という。譬えとして「薬の動きが速すぎるあまり、上熱(頭痛の病因)は除ききらず、(寒涼性の薬性のためであろう)中・裏位にまで内寒が生じてしまう…」という事態=誤治を戒めている。誤治に対する戒めは劉氏も王氏も同じである。

「当先緩而後急」という治療法則

「当先緩而後急。」に関しては、劉氏の教えを、王好古はそのまま継承している。この言葉は“先に緩薬を用いて治療し、その後に急薬を用いて治療せよ”と解釈できる。
そして緩薬を用いる対象病位は上部・頭であることは文脈から分かる。そして後急を行う部位は上に対して下・表に対して裏である。

先ず上部の疼痛を解する治療を行う、その際に使用するのは緩薬とはいえ、この「緩」は緩和ではなく、“緩徐”として解釈すべきであろう。

「得微利及邪氣已」「取大利。邪氣已即止。」という文をみるに、先緩後急の治療に下法を組み込んでいることが察せられる。誤治を戒める文「若用重剤速下…」も然りである。

具体例として、少陽・陽明の病(頭痛)に対し、文中には次のような処方が示されている。
「先ず黄芩黄連甘草湯(王氏は黄芩・黄連・甘草としている節がある)を以て……服す。或いは剤を畢りて、再び大黄……を用いて……芒硝を内れ……微利を得て、邪氣已むに及ぶ。只、前薬を服して、如(も)し已まざれば、再び同じく前の次第にして之を服して、大利を取れ。邪氣已めば即ち止むる。」
この文章から、緩とは“緩和”ではないこと、後急とは裏実を下すことが読み取れる。

このように治療に先後をつけるということは、異なる病位に対して、多面的に治療を展開することになる。このような治療戦略は鍼灸治療においても重要な思考となる。

鍼道五経会 足立繁久

原文 『素問病機氣宜保命集』大頭論

■原文 『素問病機氣宜保命集』大頭論

夫大頭病者、是陰陽邪熱太甚、資実少陽相火而為之也。多在少陽、或在陽明、或伝太陽、視其腫勢在何部分、随経取之。湿熱為腫、木盛為痛。此邪見于頭、多在両耳後先出、皆主其病也。治之大不宜薬速。速則過其病所、謂上熱未除、中寒復生、必傷人命。此病是自外而之内者、是血病。況頭部分受邪、見于無形迹之部、当先緩而後急。先緩者、謂邪氣在上、著無形之分部。既著無形、無所不至、若用重剤速下、過其病難已。雖用緩薬、若急服之、或食前、或頓服、皆失緩体、則薬不能除病。当徐徐侵漬無形之邪也。或薬性味形体拟象、皆要不離緩体是也。且後急者、謂緩剤已瀉、邪氣入于中、是到陰部、染于有形質之所、若不速去、則損陰也。此終治却為客邪、当急去之、是治客以急也。且治主当緩者、謂陽邪在上、陰邪在下、各本家病也。若急治之、不能解紛而益乱也。此故治主当緩。治客以急者、謂陽分受陰邪、陰分受陽邪、此客氣急除去之也。
仮令少陽陽明為病、少陽為邪、出于耳之前後也。陽明為邪者、首大腫是也。先以黄芩黄連甘草湯、通炒過、銼、煎、少少不住服。或剤畢、再用大黄煨鼠粘子、新瓦上炒香、煎薬成、去滓、内芒硝、俱各等分、亦時時呷之、無令飲食在前。得微利及邪氣已、只服前薬。如不已、再同前次第服之、取大利。邪氣已即止。如陽明渇者、加石膏。如少陽渇者、加栝蔞根。陽明行経、升麻、芍藥、葛根、甘草。太陽行経、羌活、防風之類。

附雷頭風
夫治雷頭風者、諸薬不効、為与証不相対也。夫雷頭風者、震卦主之。震仰盂、故予制薬内加荷葉、謂象其震之形、其色又青、乃述類象形也。当煎局方中升麻湯。
升麻湯
升麻(一兩) 蒼朮(一兩) 荷葉(一個全者)
上為細末、毎服五銭、水一盞、煎至七分、温服、食後。或焼全荷葉一個、研細、調煎薬服、亦妙。

附耳論
論曰、耳者、蓋非一也。以竅言之是水也。以声言之金也。以経言之、手足少陽俱会其中也。有従内不能聴者、主也。有従外不能入者、経也。有若蝉鳴者、有若鈡声者、有若火熇状者、各随経見之、其間虚実不可不察也。
仮令耳聾者、腎也。何以治肺。肺主声、鼻塞者、肺也、何以治心、心主臭。如推此法、皆従受氣為始。腎受氣于巳、心受氣于亥、肝受氣于甲、肺受氣于寅、脾正四季。此法皆長生之道也。

 

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