『杉山流三部書 医学節要集』には、杉山流医学の生理学が記されており、当会講座『医書五経を読む』でもテキストとして使用したことがあります。
杉山流医学は明代医学を多く取り込んだ形跡も窺え、伝統医学・伝統鍼灸を学ぶ鍼灸師は目を通しておくべき医書と言えます。
Contents
食物胃腑へ受けてこなす道理の事のこと

※画像は『医学節要集』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。
『医学節要集』 食物、胃腑へ受けてこなす道理のこと
書き下し文・『医学節要集』 食物、胃腑へ受けて消化(こなす)道理のこと
夫れ人の脾胃は、下部の陽氣通じ亘(わた)りて運動すること太(はなはだ)し。呼吸の数は、一日一夜に一万三千五百息にして、須臾(しばらく)も淀みなければ氣の運(めぐ)ること盛んなり。故に呼息(つくいき)吸息(ひくいき)に、脾の臓の働く所より胃の腑の内(うち)動(うご)き揉まるるが故に食物も腐熟(こなる)る物也。
人又、寝る則(とき)は、食物常よりこなれ兼ぬるもの也。此の意(こころ)を案するに、動く所を陽と云う。人も亦た眠らざる時は陽なり。故に三焦の氣運ることも壮(さかん)也。
人、形(かたち)動かずと雖も眠らざれば、万(よろず)の事を耳に聞き、眼に遮る則(とき)は其の意動くべし。且(そのうえ)起居(たちい)挙動(ふるまい)につき形も動かずと云うことなし。
又、人寝る則は静にして陰也。陰なる則は氣の行ること遅し。其の上、起居(たちい)働きをも為(せ)ざる故、水穀常より腐熟(こなれ)兼ぬるもの也。
三焦のことは末に見たり。
或いは遠路(とおみち)を走り足手動く則(とき)は食物平生より一際早く腐熟(こなるる)ものなり。此の意(こころ)を案するに皆な相火の道理也。
其の相火と云うは物の動き揉まる所より生ずる火の事也。譬えば、石より打ち出す火も相火也。或いは茂りたる山風吹く時に火の出ることあり。皆、草木倶に動き揉み合わする所より生ずるものなり。
或いは復た水は純ら陰たりと雖も、其の動く所より火も生ずるもの也。
譬えば、海中に火の起(たつ)ことあり。是れを龍燈(りゅうとう)と云う。或いは荒溟(あらうみ)にて水の勢い強く濤(なみ)の立ち動く所より起(たつ)もの也。是れ龍燈に非らず。実は水の動く所より生ずる火也。この事は『格知余論』相火論に論ずる所の丹渓の意(こころ)也。人も亦た斯くの如し。
或いは急に走り足手動き働く則(とき)は汗出で、又は食物も墾(こな)るるもの也。是れ皆な脾胃の火氣熾んに成る故なり。木火土金水の五行と雖も、土は五行の中央に在るもの也。『内経』に、脾は四肢を主ると云う。四肢とは四の手足のこと也。譬えば春は木を主ると雖も、春の季(すえ)の土用を得て其の木を成就し、夏は火を主ると雖も夏の季(すえ)の土用を得て其の火を成就し、秋は金を主ると雖も秋の季(すえ)の土用を得て其の金を成就し、冬は水を主ると雖も冬の季の土用を得て其の水を成就す。
此の如く五行の木火土金水、皆な土を得て成就すと云う則は、人の手足も一身中の季(すえ)にして皆な土を主る。是れ四季の末に土用の有るが如し。故に脾は四肢を主ると知るべし。
然る則は足手動き働く時、脾胃の火氣煽なること、其の理明らか也。火氣煽なる則は食物も墾(こな)れ、最も汗も出るべし。是れ皆な相火の為す所也。其の相火と云うは、生ずる所に定る所もなく何にても動く所を本として生ずるもの也。
生命を理解するということ・その3
呼吸と胃腑と
第一章・第二章に続いて“生命を理解するということ・その3”です。本章では、胃の腑の消化機能について説かれています。
まず「呼吸の數は一日一夜に一万三千五百息にして、須臾も淀みなければ氣の運ること盛んなり。故に呼息吸息に脾の臓の働く所より胃の腑の内動き揉るるが故に食物も腐熟する物也。」とあるように、呼吸と関連付けている生理はなるほど!と思わされます。東医的・経絡的な身体観だと思います。
水穀腐熟から、水穀精微を抽出し、胃氣となり営衛となり、営衛二氣が経脈の内外を行ります。……と、このようにみていくと、この一節には初見では感じられなかった奥行きが感じられるのです。
肺はふいご
肺は「橐籥の如し」(「肺の藏象」『臓腑経絡詳解』より)このという言葉があります。この言葉から連想できるのは、空気を取り込んでは吐き出す(呼く息・吸く息)という肺臓の動き、そしてそれによって心血が拍出される様子です。それ故に「肺は相傅の官…」(『素問』霊蘭秘典論)という言葉もあるのです。
呼吸によって、氣血そして営衛の行りが促進され、その結果(逆算的に)胃腑の働きが活発になるのです。
生命の源をさぐる
以上の生命活動の流れを理解しつつ、さらにその源を辿っていくと「相火」にいき着きます。
本書の相火概念は、朱丹渓の『格致余論』相火論をベースにしています。上記の生命活動・営み・流れは、相火を元とするものであり、「是れ皆な脾胃の火氣熾に成る故なり」として、五行説を引用しながらも、脾胃(土)の本質には火を孕むという趣旨も含めています。
季節と人体
本文には季節(春夏秋冬と土用)と人体生理の関係についても触れています。
これも『素問』玉機真藏論にある「岐伯曰、脾脉者土也。孤藏以灌四傍者也。」「帝曰、夫子言脾為孤藏、中央土、以灌四傍。」の一節による話です。
この説は四季(五季)のみならず、五方としてみても理解しやすいと思います。
本章最後の段落は、三焦にそのままつながる内容です。
鍼道五経会 足立繁久
腹の見様のこと・前半 ≪ 腹の見様のこと・後半 ≪ 食物胃腑へ受け消化道理のこと ≫ 三焦のこと
原文 『醫學節要集』食物胃腑ヱ受て消化道理之事
■原文 『醫學節要集』食物胃腑ヱ受て消化道理之事
夫れ人の脾胃は下部の陽氣通じ亘りて運動すること太し。呼吸の數は一日一夜に一万三千五百息にして、須臾も淀みなければ氣の運ること盛んなり。故に呼息吸息に脾の臓の働く所より胃の腑の内動き揉るヽが故に食物も腐熟物也。人又寐る則は食物常よりこなれ兼るもの也。此意を案するに動く所を陽と云。人も亦眠らざる時は陽なり。故に三焦の氣運ることも壯也。
人形動かずと雖𪜈眠らざれば万の事を耳に聞き、眼に遮る則は其意動くべし。且起居擧動につき形も動かずと云ことなし。又人寐る則は静にして陰也。陰なる則は氣の行ること遅し。其上起居働きをも爲ざる故水穀常より腐熟兼るもの也。三焦のことは末に見たり。
或は遠路を走り足手動く則は食物平生より一際早く腐熟ものなり。此意を案するに皆相火の道理也。其相火と云は物の動き揉る所より生する火の事也。譬ば石より打出す火も相火也。或は茂りたる山風吹時に火の出ることあり。皆艸木倶に動き揉合する所より生ずるものなり。
或は復水は純ら陰たりと雖𪜈其動く所より火も生ずるもの也。譬は海中に火の起ことあり。是を龍燈と云。或は荒溟にて水の勢强く濤の立動く所より起もの也。是龍燈に非ず。實は水の動く所より生ずる火也。この事は格知相火論に論ずる所の丹渓の意也。人も亦斯の如し。
或いは急に走り足手動き働く則は汗出、又は食物も墾るヽもの也。是皆脾胃の火氣熾に成故なり。木火土金水の五行と雖𪜈土は五行の中央に在もの也。内經に脾は四肢を主ると云。四肢とは四の手足のこと也。譬ば春は木を主ると雖𪜈春の季の土用を得て其木を成就し、夏は火を主ると雖𪜈夏の季の土用を得て其火を成就し、秋は金を主ると雖𪜈秋の季の土用を得て其金を成就し、冬は水を主ると雖𪜈冬の季の土用を得て其水を成就す。
此の如く五行の木火土金水皆土を得て成就すと云則は人の手足も一身中の季にして皆土を主る。是四季の末に土用の有が如し。故に脾は四肢を主ると知べし。然る則は足手動き働く時、脾胃の火氣煽なること、其理明也。火氣煽なる則は食物も墾れ最も汗も出べし。是皆相火の所爲也。其相火と云は生ずる所に定る所もなく何にても動く所を本として生ずるもの也。
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