夢分流鍼術について
腹部打鍼で有名な夢分流鍼術には、いくつもの鍼法が伝えられています。単なる補瀉法ではなく、多様な局面に使用できる鍼法から、仏教思想の体現する鍼術まで。夢分流鍼術を学ぶことは非常に意義深いものがあります。
なお『鍼道秘訣集』を詳しく解説する書籍に『弁釈 鍼道秘訣集』(藤本連風 著)がありますので、詳しくは此の書を参考にしてください。
その六、火曳きの鍼

『鍼道秘訣集』京都大学付属図書館より引用させていただきました
火曳きの鍼
六 火曳きの鍼
是の鍼の術は臍下三寸両腎の真中也。
産後血暈とて子産みての後、目眩の来たる日(とき)、臍下三寸に鍼して上る氣を拽き下す鍼也。譬え産後に目眩無くとも三十一日の内に三度程鍼する物也。
扨て凡そ病証上実して下虚する人は必ず上氣する。
加様の者に火拽の鍼を用いる、是の外、病証に依りて用いる事、医の機転に依るべき也。
■原文
六 火曳之針
是針の術は臍下三寸兩腎の眞中也。産後血暈とて子産ての後目眩の來る日臍下三寸に針乄上る氣を拽下す針也。譬産后に目眩無𪜈三十一日の内に三度程針する物也。扨凢病証上實乄下虚する人は必す上氣する加様の者に火拽の針を用る是外病証に依て用る事醫の機轉可依也。
「臍下三寸」「真ん中(任脈通り)」とは関元穴、この関元に鍼を行います。
その術意は「上る氣を拽き下す鍼也」とあり、上部に上った氣をひき下ろすことを主意となる鍼法です。この点「上実下虚」と本文にあるとおりです。
また「産後血暈」とあり、この言葉からも病態をイメージしやすいものがあります。お産・分娩によって多量の氣血津液を消耗するのですが、本文の「産後血暈」は、やはり相火妄動が主たる病態とみるべきでしょう。そして鍼法名が「火曳き」とあるように、曳き下ろす対象はあくまでも「火(氣)」であるべきです。
そして曳き下ろした「相火(氣)」の収まり所として関元(丹田)があります。
この丹田に相火(氣)を収めるには、単に鍼をするだけなく、他にも工夫が必要となるでしょう。
また上部に亢ぶる火(邪)を、曳き下ろし丹田(関元)に正氣として収める、という術理は「邪正一如」そのものといえます。「邪正一如」とは、佛教用語(天台宗)であります。「邪正相争」ではなく、「邪正一如」として上亢する火を治めようとした点からも、夢分流鍼術が仏教医学の影響を強く受けていることがわかります。
その七、勝ち櫐きの鍼
七、勝ち櫐きの鍼
是の鍼は大実証なる人の養生鍼の日(とき)、扨て又傷寒の大熱、傷食の節(とき)用いる。処定らず邪氣を打ち拂い鍼を曳く。是れ瀉鍼也。虚労老人には用いざる鍼也。
其の外は大方是の鍼を用る。
■原文
七、勝櫐之鍼
是針は大實証なる人の養生針の日扨又傷寒の大熱傷食の節用る處定らず邪氣を打拂ひ針を曳是瀉針也。虚勞老人には用ひざる針也。其外は大方是針を用る。
「勝櫐」とは見慣れない字ですが、本文には勝櫐(かちひき)と“ふりがな”がふられています。
夢分流では、その鍼術の名に同じ読みであっても、「曳(拽)」「櫐」「引」と異なる文字が用いられています。それぞれの字義を考えるべきなのでしょう。しかし「櫐」の字は“つる植物”の意があり、草冠を加えると「蘽(かずら)」となります。どう解するべきなのでしょうか…。「畾」は“まるく盛り上がる”“まるく重なる”“ぐるぐるまいてからまる”などの意があり、勝櫐(かちひき)の意味を考察するヒントになるのかもしれません。
本文をみると、「大実証なる人の養生鍼」「虚労・老人には用いないが、その他は大方この勝ち櫐きの鍼を用いる」とあり、打鍼術の主役となる鍼法であると読み取れます。
具体的には「処定らず邪氣を打ち拂い鍼を曳く」「瀉鍼也」とある文章からおおまかながらも鍼術の全体像が想像できるかと思います。
その八、負け曳きの鍼
八、負け曳きの鍼
是れも処定まらず病証に依りて邪氣の隠れ居る日(とき)、鍼して其の邪氣をおびき出して療治する事あり。
加様の鍼を用いる病人は、何とも病証知れ難く、功を積みたる狐の付きたる病人は狐付きとも氣違とも知れ難き物也。其の時にも用いる。
兎角、
邪氣を曳き出して様子を観、療治せんと欲する日(とき)用いる鍼の方便(てだて)なり。諸病の知れ難き時の問い鍼と心得うべし。
■原文
八、負曳之針
是も處不定病証に依て邪氣の隱居日針乄其邪氣ををびき出乄療治する事あり。加様の針を用る病人は何𪜈病証難知功を積たる狐の付たる病人は狐付𪜈氣違𪜈知難物也。其時にも用る兎角邪氣を曳出乄様子を觀療治せんと欲日用る針の方便なり。諸病の難知時の問針と可心得
この負け曳きの鍼は面白い術意です。
「病証に依りて邪氣の隠れ居るとき、鍼して其の邪氣をおびき出して療治する」とあります。腹診を行うも、その反応が今一つクリアに現れないケースを示唆しています。このことは経穴診や脈診においても同様のパターンがあります。
病症(問診情報)に比して、腹診・脈診(切診情報)が合わない…、セオリーであれば逆証と判断できます。真の逆証なのか、可治なのか、その判断も臨床では重要です。
「邪氣を曳き出して様子を観」るための鍼術であるといいます。「問い鍼」とも表現しており、臨床での駆け引きを示唆する教えでもあります。この点、漢方(湯液)にはない、実践的な手法ともいえるでしょう。
その九、相い引きの鍼
九、相い引きの針
是れも処定まらず、和(やわらか)なる鍼。虚労の証、老人の養生鍼に用いる。
邪氣の曳と鍼を引と相い曳きに引く鍼也。
補鍼とも言うべし。
■原文
九、相引之針
是も處不定和なる針虚勞の証老人養生針に用る邪氣の曳と針を引と相曳に引針也。補鍼とも可言。
「処定まらず」「和らかなる鍼」「虚労・老人の養生鍼」と術意が記されています。勝櫐の鍼とは対極にある鍼といえるでしょう。ひと言でいうと「補鍼」とのこと。
その術理は「邪氣の曳くと鍼を引くと相い曳きに引く鍼也」との表現は非常に含蓄のある言葉だと思います。鍼術の工夫に助けとなることでしょう。
その2・止鍼に続きます。
鍼道五経会 足立繁久
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