夢分流鍼術について
腹部打鍼で有名な夢分流鍼術には、いくつもの鍼法が伝えられています。単なる補瀉法ではなく、多様な局面に使用できる鍼法から、仏教思想の体現する鍼術まで。夢分流鍼術を学ぶことは非常に意義深いものがあります。
なお『鍼道秘訣集』を詳しく解説する書籍に『弁釈 鍼道秘訣集』(藤本連風 著)がありますので、詳しくは此の書を参考にしてください。
その十、止むる針
十、止ヽまる鍼
立て処は両腎也。其の内、多くは右の命門龍雷の相火にて常々亢ぶり易く上り安し。
腎水を漏れたる日(とき)は、必ず右腎命門の相火動ずる物也。
天、是の火にあらざれば物を生ずること能わず。人、是の火に非ざれば一身を生すること能わず。と云いし火は是れ也。邪氣にも五邪ありとはいえども、眼とする処は命門の相火也。
相火の亢ぶり上るに鍼して止め上さざる様にするを“止ヽむる鍼”と号す。諸病に宗と用いる。
止どめ様、口伝也。工夫を以て鍼し、覚ゆ可し。
■原文
十、止針
立處は兩腎也。其内多くは右の命門龍雷の相火にて常常尤り易上り安し。腎水を漏たる日は必す右腎命門の相火動ずる物也。天是火にあらざれは不能物生人非是火不能生一身云し火は是也。邪氣にも五邪ありとはいえ𪜈眼とする處は命門の相火也。相火の亢り上るに針乄止上さざる様にするを止る針と號す諸病に宗と用る止様口傳也。工夫以て針し可覺。
「止鍼」、本文には「とどまる鍼」とも「とどむる鍼」ともふりがなが振ってあります。鍼する処は「両腎」とくに「右腎・命門相火」であると言います。
相火を対象とする鍼法は「火曳きの鍼」と同様です。火曳きの鍼は関元に鍼する術でしたが、止むる鍼はそれを左右に披いて用います。とくに腎の左右を水火に分けている点は、命門相火学説を採用し、それを鍼術に落とし込んでいることがわかります。ここからも夢分流がどのような医学の影響を受けているのかがみえてきます。
文中にある「天是非火不能物生、人非是火不能生一身」の言葉は、『格致余論』相火論にある「天非此火不能生物人非此火不能有生」と同文です。
さらに「邪氣にも五邪ありとはいえども、眼とする処は命門の相火也。」この文章からも、夢分流の医学観がより深くわかります。
五邪とは『難経』四十九難・五十難に登場する言葉です。しかし、文脈からみて“大きく五行的な不和”が諸病の要因とはいえ、治療の鍵とすべきは相火である、と読んでも可だと思われます。
止どめ様は口伝とありますが、これは「火曳きの鍼」の曳き下し様にも通ずるものかと想像しています。
その十一、胃快の鍼
十一、胃快の鍼
大食傷の日(とき)、鍼先を上へ成し、深く鍼して荒々と捏(ひね)る。大法、是の鍼にて食を吐き、胃の腑くつろぎ快(こころよく)なるが故に“胃快の鍼”と号す。
併(しかしなが)ら常には鍼せざる。
(立て)処は、臍上真中通り、臍(ほぞ)の上一寸是れ也。
又、腫氣の病人に鍼す。口伝。
■原文
十一、胃快之針
大食傷の日針先を上へ成深く針乄荒荒と捏。大法是針にて吐食胃の府くつろぎ快なるが故に胃快の針と號す。併ら常には不針。處は臍上眞中通臍上一寸是也。又腫氣の病人に針す口傳。
この胃快の鍼は胃腑に停滞している宿食を吐かせる鍼です。その技法は「臍上真中通り、臍の上一寸」「鍼先を上へ成し、深く鍼して荒々と捏る。」とあります。
夢分流において、吐かせる鍼はもう一つあります。詳しくはその十六・吐鍼にて紹介します。
十二、散ずる鍼
十二、散針
処定まらず、大風吹き来て浮き雲を拂うが如く、滞ること無くサラサラと立る。是の日(とき)の心持ち、成程(なるほど)心軽く重氣(おもげ)成る事無く立つるべし。
万病皆な以て氣血の順(めぐら)ずして滞るに依りて病生ずる也。しかれば滞る氣血を解く鍼なれば、此の方の心軽く持ちて更更(サラサラ)と鍼す可し。諸病共に用いる鍼なり。
■原文
十二、散針
處不定大風吹來て浮雲を拂が如く無滯さらさらと立る是日の心持成程心輕重氣成事無可立萬病皆以て氣血の不順乄滯るに依て生病也。しかれば滯る氣血を解針なれは此方の心輕く持て更更と可針。諸病共に用る針なり。
治術の穴処は「処定まらず」
そして技法としての具体的な情報はなく、「大風吹き来て浮き雲を拂うが如く、滞ること無くサラサラと立てる。」という比喩。
そして治術の際の心持ちとして「心軽く重氣なる事無く立つるべし。」とあります。
なんとも水のような、いやむしろ風のような闊達自在の鍼術を思い浮かべます。
その深意に「万病皆な以て氣血の順(めぐら)ずして滞るに依りて病生ずる也。」とあり、「万病気滞」説を元にした鍼法であることが分かります。このことは次の鍼不抜抜事にも関係します。
十三、鍼不抜拔事
鍼の抜けざる
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003559?page=27
九、相い引きの針
是れも処定まらず、和(やわらか)なる鍼。虚労の証、老人の養生鍼に用いる。
邪氣の曳と鍼を引と相い曳きに引く鍼也。
補鍼とも言うべし。
■原文
九、相引之針
是も處不定和なる針虚勞の証老人養生針に用る邪氣の曳と針を引と相曳に引針也。補鍼とも可言。
このように
九、相引之針
是も處不定和なる針虚勞の証老人養生針に用る邪氣の曳と針を引と相曳に引針也。補鍼とも可言。
勝ちひき
十、止まる針
立て処は両腎也。其の内多くは右の命門龍雷の相火にて常々亢り易く上り安し。
腎水を漏らしたる日(とき)は必ず右腎命門の相火動ずる物也。
天、是の火にあらざれば物を生じること能わず。人、是の火に非らざれば生一身を生じること能わずと云し火は是れ也。
邪氣にも五邪ありとはいえども眼とする処は命門の相火也。
是の相火の亢り上るに鍼して止め、上さざる様にするを“止る鍼”と号す。諸病に宗(むね)と用いる。
止め様、口伝也。工夫以て鍼し覚うべし。
■原文
十、止針
立處は兩腎也。其内多くは右の命門龍雷の相火にて常常尤り易上り安し。腎水を漏たる日は必す右腎命門の相火動ずる物也。天是火にあらざれは不能物生人非是火不能生一身云し火は是也。邪氣にも五邪ありとはいえ𪜈眼とする處は命門の相火也。是相火の亢り上るに針乄止上さざる様にするを止る針と號す諸病に宗と用る止様口傳也。工夫以て針し可覺。
このように
十三、鍼不抜拔事
是針の不拔と云事凢初心の間に有之。是故に立替の針とて二三本も用意する物也。大方左の手の押手の業也。初心なる内は押手を剛押は肉針を巻事無。押手弱れば肉針を巻に依て不拔其時針立の心動轉し色を失ひ多くは其針不得拔負る物也。左様の不拔針を拔には前の針に不構其針の四方に針を立るか扨は立て有針を手に持て病人の足の裏を爴ば爴處に病人の氣移。
其時針を捏拔に可拔拔ざる針の處へ病者の心移り居がゆへにぬけず仍て足の裏を爴時は病者氣轉乄爴處へうつるに依て針拔るなり。
總乄針を捏拔にすれば加様の難無還深針すれは驗有とて邪氣を過針すれば加様に針の拔ぬ事も有。又は藏腑を破がゆへに病者に草臥來る物也。其邪氣輕ければ針も輕く、重ければ針も亦重く邪氣程に針すれば病人草臥るゝ事も無針の拔ぬ事も無。難經に四季に依て針の深淺の變あれ𪜈當流に用ざるは何と云に春夏は淺氣血上に浮故針も浅と難經に記とも病重に淺針乄は少も効無。還秋冬は氣血下に沈に依て針を深指の由を書す。しかりといへ𪜈病輕ければ針も又淺す病の輕きに深針すれば邪氣を越て無害藏腑にあたる時は返て藏腑を損ずるゆへに邪氣程に針する事當流の掟也。扨邪氣に針の中る不中を知は撃槌の調子にてしるヽ也。是叚能能合點あらb針の不拔難も無病も安く可痊也。
十四、針痛
凢病者に針乄後針跡脹痛人あり。是は邪氣を越て深針乄藏腑損する也。又針は邪氣にすれ𪜈痛は針を立る日の心持正路ならざると可知針跡痛て不可忍人には前廉針したる穴の四方に針すれは痛處へ氣血の聚たるが散て愈是等の時は散する針を立を吉。
鍼迹痛立直之針圖
何れの處にても針跡の痛處へ如是に可針。眞中の一つは前に針したる處四方の四は後の針の立様也。處定まらず。
十五、知必死病者習
人間の百千万の念は生の種也。此念の有る内が樂たり念を離日は冥途黄泉の古郷に歸赴く事少も無疑。是念を離たる病者には必ず不可針是大事の習ひ也。加様の義、他流に無之故に病者の死する迠も藥を用針を立て下手の名を顯す。此習ひを覺たる本道針醫は前廉より病人の死するを知故に上手の名を取。
扨いかなるを念を離たる病者と觀なれば針する日、病者の目に心を付て可觀念の離ざる人は針立る内にも四方を看廻す是者は生る也。又四方を不見眞直に見て瞳子の不動人は必す死する人と觀切て不可針是秘中之秘也。
十六、吐針
穴は胃腑也。針先を上へなして深く立捏べし。一本にて効無は二三本も立る扨は兩脾の募に邪氣有は可立吐するに胃の腑に針する法とはいへ𪜈食氣胃の腑に無乄下焦にあらは瀉針にて食氣を下乄よし扨又傷寒等にも依症吐する事あり。是とても邪氣胃の腑に無時は不立。
十七、瀉針
穴は臍の下二三寸兩腎の間也。針先を下へ成乄深く立る法なれ𪜈邪氣あらざれはたてず。傷寒に瀉針用る𪜈右の如し。
十八、車輪之法
諸病共に邪氣を根と乄可立邪氣あらざる處に不可立無過を討伐するが如し。何様の煩にても兩脾の募兩の肺先蕉門兩腎胃の腑を見分療治すべし。右云ふ處の分、何様の病にても此處にて療治すれは車の兩輪の如く療治早廻との心にて車輪の法と號するもの也。
鍼道五経会 足立繁久

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