夢分流鍼術・その3

夢分流鍼術について

腹部打鍼で有名な夢分流鍼術には、いくつもの鍼法が伝えられています。単なる補瀉法ではなく、多様な局面に使用できる鍼法から、仏教思想の体現する鍼術まで。夢分流鍼術を学ぶことは非常に意義深いものがあります。
なお『鍼道秘訣集』を詳しく解説する書籍に『弁釈 鍼道秘訣集』(藤本連風 著)がありますので、詳しくは此の書を参考にしてください。

その十三、鍼の抜けざるを抜くの事

十三、鍼、抜けざるを抜くの事

是の鍼の抜けざると云う事、凡そ初心の間に之有り。是れ故に立替えの鍼とて、二三本も用意する物也。
大方、左の手の押手の業也。

初心なる内は押手を剛く押せば肉鍼を巻く事無し。
押手弱ければ肉鍼を巻くに依りて抜けず。其の時、鍼立ての心動転し、色を失い、多くは其の鍼抜けることを得ず負る物也。

左様の抜けざる鍼を抜くには、前の鍼に構わず、其の鍼の四方に鍼を立てるか
扨は、立て有る鍼を手に持ちて、病人の足の裏を爴(かけ)ば、爴く処に病人の氣移る。其の時、鍼を捏(ひね)り抜きに抜く可し。抜けざる鍼の処へ病者の心移り居るが故にぬけず。仍りて足の裏を爴く時は、病者の氣転じて爴く処へうつるに依りて鍼抜けるなり。
総じて鍼を捏り抜きにすれば、加様の難無し。

還(また)深鍼すれば、験(しるし)有りとて邪氣を過ぎ鍼すれば、加様に鍼の抜けぬ事も有り。
又は臓腑を破るが故に病者に草臥れ来たる物也。
其れ邪氣軽ければ鍼も軽く、重ければ鍼も亦た重く、邪氣程に鍼すれば病人草臥るる事も無く、鍼の抜けぬ事も無し。

『難経』に、四季に依りて鍼の深浅の変あれども、当流に用いざるは何(いかに)と云うに、春夏は氣血上に浮ぶ故に鍼も浅しと『難経』に記せども、病重きに浅く鍼しては少しも効無し。還(また)秋冬は氣血下に沈むに依りて鍼を深く指(さす)の由を書す。しかりといえども、病軽ければ鍼も又浅くす。病の軽きに深鍼すれば、邪氣を越えて害(とが)無き臓腑にあたる時は返て臓腑を損ずる故に邪氣程に鍼する事、当流の掟也。

扨、邪氣に鍼の中る不中(中らざず)を知るは、撃槌(うつつち)の調子にてしるる也。
是の段、能く能く合点あらば、鍼の抜けざる難も無く、病も安く痊るべき也。

■原文
十三、鍼不抜拔事
是針の不拔と云事凢初心の間に有之。是故に立替の針とて二三本も用意する物也。大方左の手の押手の業也。初心なる内は押手を剛押は肉針を巻事無。押手弱れば肉針を巻に依て不拔其時針立の心動轉し色を失ひ多くは其針不得拔負る物也。左様の不拔針を拔には前の針に不構其針の四方に針を立るか扨は立て有針を手に持て病人の足の裏を爴ば爴處に病人の氣移。
其時針を捏拔に可拔拔ざる針の處へ病者の心移り居がゆへにぬけず仍て足の裏を爴時は病者氣轉乄爴處へうつるに依て針拔るなり。
總乄針を捏拔にすれば加様の難無還深針すれは驗有とて邪氣を過針すれば加様に針の拔ぬ事も有。又は藏腑を破がゆへに病者に草臥來る物也。其邪氣輕ければ針も輕く、重ければ針も亦重く邪氣程に針すれば病人草臥るゝ事も無針の拔ぬ事も無。難經に四季に依て針の深淺の變あれ𪜈當流に用ざるは何と云に春夏は氣血上に浮故針も淺と難經に記とも病重に淺針乄は少も効無。還秋冬は氣血下に沈に依て針を深指の由を書す。しかりといへ𪜈病輕ければ針も又淺す病の輕きに深針すれば邪氣を越て無害藏腑にあたる時は返て藏腑を損ずるゆへに邪氣程に針する事當流の掟也。扨邪氣に針の中る不中を知は撃槌の調子にてしるヽ也。是叚能能合點あらば針の不拔難も無病も安く可痊也。

「鍼の抜けざると云う事、凡そ初心の間に之有り。」
未熟な鍼医に、鍼が抜けなくなるということは、しばしばあるようです。

その理由として「左の手の押手の業」にあるといいます。
「押手弱ければ、肉鍼を巻くに依りて抜けず」と、押手の力に堅脆にあると説きます。このことは管鍼法にも通ずることです。

また肉が巻いて抜けなくなった鍼をどのように抜くのか?その解決法が面白いです。
“気を他処に移す”ことで鍼を抜きやすくするのです。これ類似の手口として和田東郭も臨床に応用しています。(東郭先生は「移精変氣」と称していますが、実のところ「移氣変氣」ですね。)詳しくは『蕉窓雑話』をご覧ください。

いずれによ、鍼刺によって気滞が生じ、治術そのものに支障が出ることを示唆しています。この点からも、鍼刺の巧拙のみならず、問診の際など医家がどのようにふるまうべきか?について考えさせられる章です。

その十四、鍼痛

十四、鍼痛
凡そ病者に鍼して後、鍼跡脹(ふく)れ痛む人あり。是れは邪氣を越えて深く鍼して臓腑損する也。
又、鍼は邪氣にすれども痛むは鍼を立てる日(とき)の心持ち正路ならざると知るべし。
鍼跡痛みて忍ばざる人には前廉(かど)鍼したる穴の四方に鍼すれば、痛処へ氣血の聚りたるが散りて愈ゆ。
是れ等の時は散する鍼を立てて吉。

鍼迹(あと)痛む立て直しの鍼図
何れの処にても鍼跡の痛む処へ是の如くに鍼すべし。
真中の一つは前に鍼したる処、四方の四は後の鍼の立て様也。処定まらず。

■原文
十四、針痛
凢病者に針乄後針跡脹痛人あり。是は邪氣を越て深針乄藏腑損する也。又針は邪氣にすれ𪜈痛は針を立る日の心持正路ならざると可知針跡痛て不可忍人には前廉針したる穴の四方に針すれは痛處へ氣血の聚たるが散て愈是等の時は散する針を立て吉。

鍼迹痛立直之針圖
何れの處にても針跡の痛處へ如是に可針。眞中の一つは前に針したる處四方の四は後の針の立様也。處定まらず。

本章では鍼による痛みについて説かれています。

鍼刺の跡が痛み・脹れることがあるようで、その原因として「邪氣を越えて深く鍼して臓腑損する」とあります。この「邪氣を越えて深く鍼」するとは、前章の『鍼不抜拔事』にも「邪氣を過ぎ鍼すれば……」とあります。前章には鍼刺の深浅についても触れられており、病・邪氣の軽重と鍼刺の深浅を対応させるべきだと説いています。

十五、必死の病者を知るの習い

十五、必死の病者を知るの習い

人間の百千万の念は生の種也。此念の有る内が楽しみたり。念を離るる日(とき)は冥途黄泉の古郷に帰り赴く事少しも疑い無し。是の念を離たる病者には必ず鍼すべからず。是れ大事の習い也。

加様の義、他流に之無き故に病者の死する迠も薬を用い鍼を立て下手の名を顕す。此の習いを覚えたる本道鍼医は前廉より病人の死するを知る故に上手の名を取る。
扨、いかなるを念を離れたる病者と観るなれば、鍼する日(とき)、病者の目に心を付けて観るべし。念の離れざる人は鍼立てる内にも四方を看廻す、是の者は生くる也。
又、四方を見ず真直ぐに見て、瞳子の動かざる人は必ず死する人と観切て鍼すべからず。是れ秘中の秘也。

■原文
十五、知必死病者習
人間の百千万の念は生の種也。此念の有る内が樂たり念を離日は冥途黄泉の古郷に歸赴く事少も無疑。是念を離たる病者には必ず不可針是大事の習ひ也。加様の義、他流に無之故に病者の死する迠も藥を用針を立て下手の名を顯す。此習ひを覺たる本道針醫は前廉より病人の死するを知故に上手の名を取。
扨いかなるを念を離たる病者と觀なれば針する日、病者の目に心を付て可觀念の離ざる人は針立る内にも四方を看廻す是者は生る也。又四方を不見眞直に見て瞳子の不動人は必す死する人と觀切て不可針是秘中之秘也。

この章では、死が近い末期の患者さんの診分けについて説かれています。
「不可治」の患者を鍼治の際にいかに診分け、難を避けるべきか‥‥については当時は(もちろん今も)重大事であります。
よくよく考えながら本章を読むとよいでしょう。

その4に続きます。

 

 

 

十三、鍼不抜拔事
是針の不拔と云事凢初心の間に有之。是故に立替の針とて二三本も用意する物也。大方左の手の押手の業也。初心なる内は押手を剛押は肉針を巻事無。押手弱れば肉針を巻に依て不拔其時針立の心動轉し色を失ひ多くは其針不得拔負る物也。左様の不拔針を拔には前の針に不構其針の四方に針を立るか扨は立て有針を手に持て病人の足の裏を爴ば爴處に病人の氣移。
其時針を捏拔に可拔拔ざる針の處へ病者の心移り居がゆへにぬけず仍て足の裏を爴時は病者氣轉乄爴處へうつるに依て針拔るなり。
總乄針を捏拔にすれば加様の難無還深針すれは驗有とて邪氣を過針すれば加様に針の拔ぬ事も有。又は藏腑を破がゆへに病者に草臥來る物也。其邪氣輕ければ針も輕く、重ければ針も亦重く邪氣程に針すれば病人草臥るゝ事も無針の拔ぬ事も無。難經に四季に依て針の深淺の變あれ𪜈當流に用ざるは何と云に春夏は淺氣血上に浮故針も浅と難經に記とも病重に淺針乄は少も効無。還秋冬は氣血下に沈に依て針を深指の由を書す。しかりといへ𪜈病輕ければ針も又淺す病の輕きに深針すれば邪氣を越て無害藏腑にあたる時は返て藏腑を損ずるゆへに邪氣程に針する事當流の掟也。扨邪氣に針の中る不中を知は撃槌の調子にてしるヽ也。是叚能能合點あらb針の不拔難も無病も安く可痊也。

十四、針痛
凢病者に針乄後針跡脹痛人あり。是は邪氣を越て深針乄藏腑損する也。又針は邪氣にすれ𪜈痛は針を立る日の心持正路ならざると可知針跡痛て不可忍人には前廉針したる穴の四方に針すれは痛處へ氣血の聚たるが散て愈是等の時は散する針を立を吉。

鍼迹痛立直之針圖
何れの處にても針跡の痛處へ如是に可針。眞中の一つは前に針したる處四方の四は後の針の立様也。處定まらず。

十五、知必死病者習
人間の百千万の念は生の種也。此念の有る内が樂たり念を離日は冥途黄泉の古郷に歸赴く事少も無疑。是念を離たる病者には必ず不可針是大事の習ひ也。加様の義、他流に無之故に病者の死する迠も藥を用針を立て下手の名を顯す。此習ひを覺たる本道針醫は前廉より病人の死するを知故に上手の名を取。
扨いかなるを念を離たる病者と觀なれば針する日、病者の目に心を付て可觀念の離ざる人は針立る内にも四方を看廻す是者は生る也。又四方を不見眞直に見て瞳子の不動人は必す死する人と觀切て不可針是秘中之秘也。

十六、吐針
穴は胃腑也。針先を上へなして深く立捏べし。一本にて効無は二三本も立る扨は兩脾の募に邪氣有は可立吐するに胃の腑に針する法とはいへ𪜈食氣胃の腑に無乄下焦にあらは瀉針にて食氣を下乄よし扨又傷寒等にも依症吐する事あり。是とても邪氣胃の腑に無時は不立。

十七、瀉針
穴は臍の下二三寸兩腎の間也。針先を下へ成乄深く立る法なれ𪜈邪氣あらざれはたてず。傷寒に瀉針用る𪜈右の如し。

十八、車輪之法
諸病共に邪氣を根と乄可立邪氣あらざる處に不可立無過を討伐するが如し。何様の煩にても兩脾の募兩の肺先蕉門兩腎胃の腑を見分療治すべし。右云ふ處の分、何様の病にても此處にて療治すれは車の兩輪の如く療治早廻との心にて車輪の法と號するもの也。

鍼道五経会 足立繁久

 

 

おすすめ記事

  • Pocket
  • LINEで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを残す




Menu

HOME

TOP