ボラ(鯔)の食物本草情報について

9月の講座【生老病死を学ぶ】の打ち上げではボラ(鯔)をいただきました。立ち寄った鮮魚コーナーにお買い得のボラがあったので購入しました。ボラはこれからの季節が旬です!

ゴケイメシにボラ


写真:お買い得の称号をもつボラ、税抜き299円!!

写真:きれいで厚みのある白身、皮目も特徴的です

写真:フリー画像からのボラ写真。

写真:今回の宴は、むかごご飯、サケ・ボラ・ハガツオのお造り、柴漬け、バイ貝の煮つけでした。

ボラの調理法は、強めに塩を当ててフライパンでシンプルに焼く!焼き上がりはフワッとホロホロした柔らかい白身ステーキの食感でした。

そんなボラ(鯔)の食物本草情報をみてみましょう。

ボラ(鯔)の食物本草情報

出典資料は『閲甫食物本草』(名古屋玄医 1669年序)、『公益本草大成』(岡本一抱 著 1698年)、『日養食鑑』(石川元混 著 1819年)、そして『魚鑑』(武井周作 著 1831年)です。これまでの紹介記事は、文字数の少なく、読みやすい順に紹介していましたが、今回からは年代順の紹介となります。

まずは『閲甫食物本草』(名古屋玄医 1669年序)からの鯔(ボラ)情報です。

『閲甫食物本草』に記される鯔(ボラ)の効能

 ミョウキチ、ナヨシ、ボラ、イナ、イセコイ、ヱフナ、スバシリ

順(源順)が『和名集』に奈與之(なよし)と訓す。或いは曰く、其の名の甚だ多きを以て奈與之(なよし)と呼ぶ。
按するに『本草集解志』に曰く、鯔魚は江河浅水中に生ず。鯉に似て身圓にして頭扁、骨軟、性は喜みて泥を食う。
時珍が曰く、東海に生じ、状は青魚の如し、長き者は尺余り。其の子は腹に満ちて黄脂あり。斯の説の如きなるときは則ち俗に謂う所の伊勢古伊(いせこい)に甚だ似たり。故に鯔魚の繋る所の性味、全く取りて以て之に載す。
氣味、甘平無毒。主治は胃を開き、五臓を利し、人をして肥健ならしむる。百薬と忌むこと無し。(宋『開宝本草』)
予の亡父、此の物を嗜む、及び死日に之を思う、調(調理)して之を供す。是れ亦た捨るべからずと云て食さず。予も亦た素より之を嗜む。余、肉を取りて之を食するも、胸に碍げて味可ならず。其の後、此物に逢う毎に、戚戚焉たること有りて之を食うに忍ばず、味も亦た可ならず。強いて食せば則ち其の臭い噫氣の時に出でて、而して病と為らんと欲す。物理の感、言うべからずして此の類甚だ多し。凡人、病ありて腸胃に不可なること有りて、自ら未だ覚えざる時に、素より嗜む物と雖も偶々之を食うときは、則ち其の物に中りて見える者の如し。是に因りて遂に罪を其の物に帰し、後に此の病に遭うときは則ち必ず忌みて其の物を食さず。之、不幸なる歟。今の幸医、能毒を云う者は皆な然り。其の性主治を論ぜず、而して其の病を曰う。時が其の物に與(くみ)するときは、則ち病甚し。再三に之を試みるに此の如し。嗚呼、是れ妄なる哉。

■原文
順和名集訓奈與之。或曰以其名甚多呼奈與之。
按本艸集解志曰、鯔魚生江河浅水中。似鯉身圓頭扁骨軟、性喜食泥。時珍曰、生東海、狀如靑魚、長者尺餘。其子滿腹有黄脂、如斯説、則俗㪽謂伊勢古伊、甚似。故鯔魚㪽繋之性味全取以載之。
氣味甘平無毒。主治開胃利五藏令人肥健與百藥無忌。(宋開寶)
予兦父嗜此物及死日思之、調供之、是亦不可捨不食。予亦素嗜之、取餘肉食之、碍胸味不可。其後毎逢此物、有戚〃焉不忍食之、味亦不可。強食則其臭出噫氣時、而欲為病、物理之感、不可言而此類甚多。凡人有病而腸胃有不可而自未覺時雖素嗜物偶食之、則如見中其物者。因是遂帰罪於其物、後遭此病則必忌不食其物。之不幸歟。今幸醫云、能毒者皆然、不論其性主治、而曰其病、時與其物、則病甚再三試之如此、嗚呼是妄哉。

今も昔もボラの呼び名は多い!

まず目を引くのは、ボラの呼び名の多いこと。「ミョウキチ」「ナヨシ」「ボラ」「イナ」「イセコイ」「エフナ」「スバシリ」と挙げられています。
現代でもボラは出世魚の一つとして知られています。「オボコ」→「スバシリ」→「イナ」→「ボラ」→「トド」と、成長にしたがって名前が変わります。
江戸期のボラ情報をみても、地域によって異なる呼び名に加えて、成長段階によっても名前が変わることが影響し、このようにボラの呼び名が多いのでしょう。

亡父とボラの思い出

名古屋玄医先生の亡き父のエピソードが面白いですね。

「玄医先生の亡き父はボラが好物でした。命日のたびにそれを思い出して、お供えをするのです。
(予亡父嗜此物、及死日思之、調供之、是亦不可捨不食。)」

「玄医先生もボラを好むもので、ボラを食するのですが、胸につかえてノドを通りません。味もなんだか変です。それからというもの、ボラを食するたびに同じような気持ちになるのです。無理して食べれば、げっぷの時に、ボラの臭気がこもって病になったような気になるのです。
(予亦素嗜之、取餘肉食之、碍胸味不可。其後毎逢此物、有戚戚焉不忍食之、味亦不可。強食則其臭出噫氣時、而欲為病)」

「たいていの人は自覚しない程度に胃腸不調となります。そのときに、自身の好物を摂り、さらに胃腸不調が進み、食中毒に近しい症状に見舞われます。その結果、その食材のせいとしてしまい、以降それを食べなくなってしまいます。
(凡人有病而腸胃有不可而自未覺時雖素嗜物偶食之、則如見中其物者。因是遂帰罪於其物、後遭此病則必忌不食其物。)」

この経緯は日常であり得るものですね。それだけに医家は、食物の性味・主治をよく理解しておく必要があるのだ!と名古屋先生は締めています。

『公益本草大成』に記される鯔(ボラ)の効能

鯔魚

甘平
胃を開き、五臓を利し、人をして肥健ならしむ。百薬と忌むこと無し。(鯉に似て身圓く、頭扁、骨軟、腹に黄脂あり。)

 

■原文

鯔魚

甘平
開胃利五藏令人肥健與百藥忌無。(似鯉身圓、頭扁骨軟、腹有黄脂)

ボラの本草食能として「開胃、利五藏、令人肥健」といったシンプルな情報です。これは『本草綱目』からの情報です。そしてその情報を辿ると、『閲甫食物本草』にある通り、宋代の本草書『開宝本草』(973年刊)からのものだそうです。

『日養食鑑』に記される鯔(ボラ)の効能

ぼら 鯔魚

甘平、毒なし。
胃を開き五臓を利す。然ども味ひ厚く性重し。病人に宜からず。

■原文
甘平、毒なし。
胃を開き五臓を利す。然ども味ひ厚く性重し。病人に冝からず。

本書におけるボラの本草食能には「胃を開き、五臓を利す。然ども味ひ厚く性重し。」とあります。これも『閲甫食物本草』『公益本草大成』の情報と同様ですね。

最後に『魚鑑』(武井周作 著 1831年)をみましょう。

『魚鑑』におけるまぐろ情報

ぼら いなの條にくわしくしるす

いな

『和名集』にいう“なよし”。畿内にて“くちめ”。伊勢に“めうぎち”という。漢名“鯔魚”、本草綱目に出づ。なよしは即ち名吉の字音なり。古も名のよきに因(ちなみ)するや。
紀貫之の記(『土佐日記』)に、
かどのしりくめなはのなよし乃かしらひゝらき(九重の門のしりくめ繩のなよしの頭ひゝら木…)といえるも、この魚をいうなり。いつころよりか、赤鰯となりぬるは、ほしかは、田を作るのものにて、何れの地にも貯へ置くものゆえ得やすければ、代へ用いしにやいうかし。
初生を“おぼこ”といい、微しく育たるを“えふな”という。『閩書』南産志、及び南寧府志に“撥尾”という。
二歳のものを“いな”といい、三歳を“すばしり”という。『閩志』には、䰵魚(しぎょ)と名づく。四歳以上を“ぼら”という。即ち鯔魚(しぎょ)なり。十歳以上を“とど”というといえり。
其の初め、浅瀬に生ず。夏秋の間、連行(つれだち)て群をなす。多き時は一網に千万をとってかぞう。
東都(えど)佃洋(つくだおき)、すなわち其の処なり。あじわいも泥臭くなくして甚だよし。只だ“いな”のみにあらず。諸々の魚、神奈川沖より、こなたに生るるもの、所謂江戸前(えどまえ)と称(となえ)て賞美せぬものぞなき。昔しは、をゑど(汚穢土)いや、むさしきたなしと戯たる尾花うけらしげれるの人を、剪闢(きりひらき)月の入る山も、見え渡るは、君のめぐみにぞよれる。さあれば、常盤堅盤(ときはかたは)にさかえます、花の大江戸とはなりけらし。四海の珍(めずらしき)をここに鐘(あつめ)て、諸侯(だいみょう)の厨(くりや)には、海族(ぎょるい)をむらがらしめ、賤民(いやしきもの)とても小鮮(こざかな)はかかず。ゆえに鮮魚(なまうお)の肆(いち)には、巨萬(いくまん)堆(うずたか)きも遂に一尾の宿(よべ)を越ゆるなく、鮑魚(ひもの)の肆(いち)には吞舟(どんしゅう・くじら)の魚より佐比魚(さひお・ごまめ)までもらすことなし。輸するもの多しといえども、食ものの夥しにはしかずなりけめ。肴よ、酒よ、といえども、先だつものは飯なりければ炊かぬ家とてもなし。しかれば竃の烟(けむりい)ひまなく立ちのぼり空をも蔽えり。溝洫(みぞどぶ)は米泔汁(しろみづ)に色かえ末は川に入り、川水これが為に甘く、海に入れば潮も亦た甘し。水は火をけし、ものを濡すの用は、萬水共おなじく、潮は船を通じ塩を出すの利、四海ことならずといえども、活動(いきてはたらく)ものに於てや同じからず。
この江戸前と称るものは、東方生育の陽氣を受て生じ、五穀滋味の余り甘きを食て長(そだ)つ。故に味い他国のものに勝れり。且つ此の魚、陰陽の氣に化して生ずる故に、数千ひらきみるに、その腹中にひとつも䱊(こ)あることなし。ゆえに異魚(いな)という。あるいは稲の茎くされてなるという。しからば稲魚(いな)の義なるべし。古は魚の字を“な”と訓(よみ)しなり。
[氣味]甘平毒なし
[主治]胃をひらき、五臓を利し、人をして肥健ならしむ。或は妊婦多く食らえば血を動かすという。

いせごひ
畿内にて呼ぶ。関東に“めなだ”、西国に“紫口(しくち)”、又“朱口(しゅくち)”、又“くちめ”という。『閩志』にいう“赤目烏(せきもくう)”。
其の状、鯔魚(ぼら)と一般(いちよう)にして、口眼赤く、大なるもの三尺余。背、ぼらよりも青く、味極て甘美。生も煮るもよろし。且つ此の魚、化生にあらず。卵生にしてぼらと異なり。糠を和し、塩して藁にて巻たつるを筒込(つつこみ)といふ。志州鳥羽の名産なり。年をへて味ひ変わらず。冬に到れど黄赤色にして透明なり。薄く切りて酒あるひは酢にて食らえば酒媒(さけのさかな)の最第一なり。必ず炙煮(やきに)すべからず。
[氣味]甘平、毒なし。
[主治]熱痢(りびょう)消渇を治す。百病に忌むことなし。

からすミ
俗に□(魚鼠)の字を用ゆ。即ちこの魚の䱊(こ)なり。肥前より出るものは、黄赤色(かばいろ)にして透明なり。味ひ甘美、尤も上品なり。志州土州のものこれに次ぐ。備後讃州より出るもの、皆な鰆(さわら)の䱊にして、紫黒色(さびいろ)、味い辣(いらからく)渋(しぶ)くして劣れり。久しく貯るには、糖藏(さとうづけ)をよしとす。又、青海苔に包み置くもよし。
産後腹痛に細かに切て、味噌汁にて煮食らえばたちどころにしるしあり。

■原文
和名集にいふなよし。畿内にてくちめ。伊勢にめうぎちといふ。漢名鯔魚、本草綱目に出つ。なよしは
即名吉の字音なり。古も名のよきに因するや。紀貫之の記に、かどのしりくめなはのなよし乃かしらひゝらきといへるも、このうをゝいふなり。
いつころよ里か、赤鰯となりぬるハ、ほしかハ、田を作るのものにて、何れの地にも貯へ置くものゆへ得やすけれハ、代へ用ひしにやいふかし。
初生をおぼこといひ、微しく育たるをゑふなといふ。
閩書南産志及南寧府志に撥尾といふ。二歳のものをいなといひ、三歳をすばしりといふ。閩志には、䰵魚と名づく。四歳以上をぼらといふ。即鯔魚なり。十歳以上をとゞといふといへり。
其初め浅瀬に生ず。夏秋の間、連行て群をなす。多き時は一網に千万をとつてかぞふ。
東都佃洋、すなわち其䖏なり。あじわひも泥臭なくして甚よし。只いなのミにあらず。諸魚神奈川沖より、こなたに生るもの㪽謂江戸前と稱て賞美せぬものぞなき。昔しはをゑどいやむさしきたなしと戯たる尾花うけら志げれるの人を、剪闢月の入る山も、見へ渡るハ、君のめくみにそよれる。さあれハ、常盤堅盤にさかへます、花の大江戸とはなりけらし。四海の珎をこゝに鐘て、諸侯の厨には、海族をむらがらしめ、賤民とても小鮮ハかゝず。ゆへに鮮魚の肆にハ巨萬堆きも遂に一尾の宿を越るなく、鮑魚の肆にハ吞舟の魚よ里佐比魚までもらすことなし。輸するもの多といへども食ものゝ夥しにハ志かずな里けめ。肴よ酒よといへども、先だつものハ飯なりけれバ炊ぬ家とてもなし。志かれバ竃の烟ひまなく立のぼり空をも蔽へり。溝洫は米泔汁に色かへ末は川に入り、川水これか為に甘く、海に入れバ潮も亦甘し。水は火をけし、ものを濡すの用ハ、萬水共おなしく、潮ハ船を通じ塩を出すの利、四海ことならすといへども、活動ものに於てや同じからず。
この江戸前と称るものハ、東方生育の陽氣を受て生じ、五穀滋味の餘甘を食て長つ。故に味他國のものに勝れり。且此魚陰陽の氣に化して生ずる故に、数千ひらきミるに、その腹中にひとつも䱊あることなし。ゆへに異魚といふ。あるひハ稲の莖くされてなるといふ。志からバ稲魚乃義なるべし。古ハ魚の字をなと訓しなり。
[氣味]甘平毒なし
[主治]胃をひらき、五臓を利し、人をして肥健ならしむ。或ハ姙婦多く食バ血を動かすといふ。

いせごひ
畿内にて呼ぶ。関東にめなだ、西國に紫口、又朱口、又くちめといふ。閩志にいふ赤目烏。
其状、鯔魚と一般にして、口眼赤く、大なるもの三尺余。背ぼらよりも青く、味極て甘美。生も煑もよろし。且此魚化生にあらず。卵生にしてぼらと異なり。糠を和し、塩して藁にて巻たつるを筒込といふ。志州鳥羽の名産なり。年をへて味ひ變す。冬に到れど黄赤色にして透明なり。薄く切て酒あるひハ酢にて食ば酒媒の最第一なり。必炙煑すべからず。
[氣味]甘平毒なし。
[主治]熱痢消渇を治す。百病に忌むことなし。

からすミ
俗に□(魚鼠)の字を用ゆ。即この魚の䱊なり。肥前より出るものは、黄赤色にして透明なり。味ひ甘美尤上品なり。志州土州のものこれに次ぐ。備後讃州より出るもの、皆鰆の䱊にして、紫黒色、味ひ辣渋くして劣れり。久しく貯るにハ、糖藏をよしとす。又青海苔に包ミ置もよし。
産後腹痛に細かに切て、味噌汁にて煮食へばたちどころに志るしあり。

ボラの名の由来

『魚鑑』には「なよし(ボラのこと)」という名の由来が記されています。『閲甫食物本草』にも「和名集訓奈與之。或曰以其名甚多呼奈與之。」とありますが、『魚鑑』には「なよしは即名吉の字音なり。古も名のよきに因するや。」とあり、どうやら“名良し”の「なよし」だった説もあるようです。

花のお江戸の隆盛ぶり

『魚鑑』本文には、江戸の街が栄え、活気あふれる人々の暮らし、豊かな食にあふれていた様子が記されています。その文章の表現力は見事、当時の様子が目に浮かぶように描かれています。

お米のとぎ汁から、川を潤し、さらには海を豊かにするという、人間の暮らしが自然を豊かにするというサイクルが形成されていたようです。
現代日本では、人間社会と自然破壊は同義のように考えられますが、当時の人間の生活規模であれば、自然と共栄可能な範囲内であったのでしょう。たとえばホタル(蛍)の生態などは、(ある程度)人間の生活に依存している要素があるとされています。水田に生活する水棲生物は全般的にそれに当たるのではないでしょうか。

さて、このような江戸時代に形成された豊かな海が、「江戸前」の料理文化を作り上げたのでしょう。本文には「江戸前と称るものは、東方生育の陽氣を受て生じ、五穀滋味の餘甘を食て長つ。故に味他國のものに勝れり。」とあり、東京湾の海産資源がいかに豊かであったか、が伝わってきます。

鍼道五経会 足立繁久

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