『診病奇侅』死生について

『診病奇侅』死生について

本記事では『診病奇侅』の死生の項を紹介します。では本文を読んでみましょう。


※画像は『診病奇侅』京都大学付属図書館より引用させていただきました。

※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

『診病奇侅』の死生

書き下し文・診病奇侅 死生

前の諸條中、既に其の説多し、宜しく互参すべし。

○古伝に曰く、『内経』『難経』に載する所の死生を知る法、大略皆な脈診を以て云う。然れども腹診の伝法に、又一法秘訣あり。その医の手を以て、病人の腹を按もむとき、丹田氣海の地にさし張たる如くに、中の臓物をしっかりと持ちてこたえあるは、是れを元氣と云う。是れを目当てに腹を候うに、若し按して絶るほどなるは、元氣虚衰の証なり。必ず病重るべきなり。
若し又、大病の後に、丹田氣海の地、此れの如くなる者は、必ず三十日の内に可死なり。
又、大病の後、鳩尾の下の間に、細く筋張り、皮肉離れたる如くなるものは、必ず十四五日の内に可死。
又、腹中の動氣退かずして鳩尾の下、両の骨下までさしこみ、攻め上るものは、必ず七日にして死すべきなり。
已上の診法は、皆な病中病後の診なり。仮令、人迎寸口の脈平和なりといへども、此の症ある者は、不可治なり。(南溟)

○(森立夫、引中虚)腎間の動氣ありといえども、亦た死する者も間(まま)之有り。灯火の滅せんと欲する其の光の暴明なるが如し。浮大にして無力、之を按じて即ち無き者、是れ根の無きものなり。

○邪氣離れて後、腹の上下左右平和にして、強く堅固なるは生なり。邪氣離れて後、脈静かに足下温なるは生なり。
邪氣離れて後、腹中ぐわぐわして、布袋に石を入れたる如きは、死証なり。
邪氣離れて後、腹中に物なく、唯ぐさぐさとしたるは死証なり。(同上)

○久病人に、兎角に不可治と思うに、図らずも腹部よくなり、一日一夜の中に、驚くほどよくみゆることあり。此の症は二三日も過ざる内に死するものなり。ひたとだまさるるものなり。(中虚)

○森立夫、引中虚)偏虚偏実の者は、皆な死と為す。
偏虚とは、腹脊につき、筋のみあって、腹になにもなく、動氣とぼしきもの速くして、身熱欲去衣の若し、是れ陽の極なり。
偏実とは、腹みち、鳩尾へ取上げ、手も入れがたく、動氣遅く静かにして、どきどきとうち、身もだえする、是れ陰の極なり。共に死と為す。

○(森立夫、引中虚)死証の動氣を知る事、無病平和の人をして、道一町ばかり走らしめ、直に其の人の鳩尾の動を見るべし、無疾の人といえども、常に此の如くの動あるものは久しからず。病人に之有るときは必ず死す。静なるは陰なり、動くは陽なり。陽動ずる時は死するの謂いなり。是れ偏陽なり、孤陽なればなり。

○(森立夫、引中虚)動氣髣髴として、電光の如くなるものは死す。

○(森立夫、引中虚)腹肉太だ奪して、皮膚脊に着き、鳩尾両肋の下も、臍辺大に陥る者は、臓腑直にあらわれて、手応えすること痞塊の如し、是れ大虚不治の症なり。庸医は知らずして病邪とす。

○岩戸腹と云うあり。老人など、本腹の張るに、俄かに腹皮背にひっつく症あり。三年を出ずして死す。臓真竭る故なり。又、任脈通りに中りて、火箸の大の如く、三道攣急して下に達し、臍に至て左右に分るる者あり。三年出ずして大病を発して多くは死す。(台州)

○惣て大病に及びしもの、臍下の動、必ず上へ上り、胸下につき上り死す。さなきときは、肉分以上にあらはれて、甚しきものは皮下までも動くようになるなり。此れ必死の候なり。(饗庭)

 

病人の臍へ、我の中指をあて、動氣あらば、死すると知るべし。左にある帰一湯を与えて、動氣静まらば、生くると心得えて療治すべし。とかく動氣出る人は死するなり。此の帰一湯をあたえ、神闕の動氣静まらずは、療治すべからず。(万法帰一湯は、益氣湯加桂附なり)

○右大極源流腹診傳に出づ。寶永中の人、山田昌庵

不可治の腹証

冒頭の南溟先生(浅井南溟)の言葉には、詳細に不可治(可死)の腹証が記されています。
死生吉凶を候う腹証の情報として、共通しているのは「動氣」「任脈上の筋張り」そして「皮肉の離れ」である。とくに「離れ」は胃氣の枯渇を示すため、最も悪候であります。
そして、この「動氣の上衝」は、腎氣の虚衰(命門相火の妄動と腎水の枯)を示します。この「皮肉の離れ」と「動氣」が重なれば、「胃氣の枯渇」と「腎水の消耗」という救うことのできない状況に陥っていることを示し、命期長からずと判断できます。

また「任脈」の異常(任脈の筋張り)は、任脈不通に近い状況を示すのでしょう。陰脈の海である任脈が機能しなくなると、三陰経脈もその影響を受け、やはり生命を維持することが困難となる…と、このように判断するのでしょう。

死生吉凶をみる腹診からわかる生命観

このようにみると腹候から死生を判断するということは、“胃氣の供給不全”と”腎水の枯渇”の徴候を把握すること、この二点が焦点となります。この二点が生命の終焉に結びつくことは、東洋医学における人体の成立ちを考えると至極当然のことだといえます。

また、腎に蔵される真元の氣の枯渇を診る法は、寸口脈診には存在しないとされています。これは『難経』八難に明記されているとおりです。

それだけに腹診を以って腎間の動氣をみる診法が、江戸期日本において研究研鑽されてきたのです。その成果(の一部)が本書本章に伝えられているのです。

他にも『永田徳本遺稿』などみると、明代医学の生命観を採り入れながら、腎間の動氣の有無を診る診法があります。機会をみて紹介したいと思います。

肋下 ≪ 心腹痛 ≪ 腹満 ≪ 婦人妊娠 ≪ 小児 ≪ 衆疾腹候 ≪ 死生

鍼道五経会 足立繁久

原文 診病奇侅 死生

■原文 診病奇侅 死生 前の諸條中、既に其説多し、宜く互參すべし

○古傳曰、内經難經に載する所の死生を知る法、大略皆脈診を以て云、然ども腹診の傳法に、又一法秘訣あり。その醫の手を以て、病人の腹を按もむとき、丹田氣海の地にさし張たる如くに、中の藏物をしつかりと持てこたへあるは、是を元氣と云。是を目當に腹を候ふに、若按して絶るほどなるは、元氣虚衰の證なり。必ず病重るべきなり。若又大病の後に、丹田氣海の地、如此なる者は、必三十日の内に可死なり。又大病の後、鳩尾の下の間に、細く筋張り、皮肉離れたる如くなるものは、必ず十四五日の内に可死。又腹中の動氣不退して鳩尾の下、兩の骨下までさしこみ、攻上るものは、必ず七日にして死すべきなり。已上の診法は、皆病中病後の診なり。假令、人迎寸口の脈平和なりといへども、此症ある者は、不可治なり。(南溟)

○(森立夫、引中虚)腎間の動氣ありといへども、亦死する者間有之、灯火欲滅、其光暴明なるが如し。浮大にして無力、按之即無者、是無根ものなり。

○邪氣離れて後、腹の上下左右平和にして、强く堅固なるは生なり。邪氣離て後、脈靜に足下溫るは生なり。邪氣離て後、腹中ぐわ〱して、布袋に石を入たる如きは、死證なり。邪氣離て後、腹中に物なく、唯ぐさ〱としたるは死證なり。(同上)

○久病人に、兎角に不可治と思ふに、不圖腹部よくなり、一日一夜の中に、驚くほどよくみゆることあり。此症は二三日も過ざる内に死するものなり。ひたとだまさるゝものなり。(中虚)

○森立夫、引中虚)偏虚偏實の者は、皆爲死。偏虚とは、腹脊につき、筋のみあつて、腹になにもなく、動氣とぼしきもの速くして、若身熱欲去衣、是陽の極なり。偏實とは、腹みち、鳩尾へ取上げ、手も入がたく、動氣遲く靜にして、どき〱とうち、身もだえする、是陰の極なり。共に爲死。

○(森立夫、引中虚)死證の動氣を知る事、無病平和の人をして、道一町ばかり走らしめ、直に其人の鳩尾動を可見、無疾の人といへども、常に如此の動あるものは不久、病人に有之ときは必死す。靜なるは陰なり、動くは陽なり。陽動ずる時は死するの謂なり。是偏陽なり、孤陽なればなり。

○(森立夫、引中虚)動氣髣髴として、如電光なるものは死す。

○(森立夫、引中虚)腹肉太だ奪して、皮膚脊に着き、鳩尾兩肋の下も、臍邊大に陷る者は、藏府直にあらはれて、手應へすること痞塊の如し、是大虚不治の症なり。庸醫は不知して病邪とす。

○岩戸腹と云あり。老人など、本腹の張るに、俄に腹皮背にひつつく症あり。不出三年して死す。藏眞竭る故なり。又任脈通りに中りて、火箸の大の如く、三道攣急して下に達し、臍に至て左右に分るる者あり。不出三年發大病して多くは死す。(臺州)

○惣て大病に及びしもの、臍下の動、必ず上へ上り、胸下につき上り死す。さなきときは、肉分以上にあらはれて、甚しきものは皮下までも動くやうになるなり。此必死の候なり。(饗庭)

 

病人の臍へ、我中指をあて、動氣あらば、死すると知るべし。左にある歸一湯を與へて、動氣靜まらば、生ると心得て療治すべし。とかく動氣出る人は死するなり。此歸一湯をあたへ、神闕の動氣靜まらずは、療治すべからず。(萬法歸一湯は益氣湯加桂附なり)

○右大極源流腹診傳に出づ。寶永中の人、山田昌庵

診病奇侅 終

 

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