瘡疹候『小児薬証直訣』より

瘡疹(痘瘡・天然痘)について

伝統医学の小児医書には「瘡疹(癍疹・痘瘡…)」に関する情報は必ずといってもよいほどに論じられています。現代の呼称「天然痘」でみると、その病の重大性が分かると思います。

天然痘は1980年に根絶宣言が出されましたが、その症状は悪寒・発熱・頭痛などから始まり、特徴的な発疹が全身に広がります。その発疹の経過は「紅斑・丘疹・水疱・膿疱・結痂・落屑」の順で変化していくとのこと。
現代の臨床や生活では遭遇することのない病ですが、伝統医学の小児科はこの「痘瘡」にも向き合ってきました。その姿勢と歴史に敬意を払うべきでしょう。

伝統医学において、どのように「痘瘡」が理解されてきたのか、『小児薬証直訣』本文を読んでいきましょう。


※画像は『類証注釈銭氏小児方訣』京都大学付属図書館より引用させていただきました。

※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

『類証注釈銭氏小児方訣』 瘡疹候

書き下し文・『類証注釈銭氏小児方訣』 瘡疹候 第十七

面燥き腮赤く、目胞も亦赤く、呵欠し頓悶す、乍ち涼く乍ち熱す、咳嗽啑噴、手足は稍冷え、夜臥に驚悸す、多睡し、並に瘡疹証なり。(瘡とは即ち痘瘡。疹は俗名を麻子という也。児、胎に在るとき濁穢を食み、以て五肝(五臓のことか)を養う。既に生下して、当に痘疹出るの時、其の証悉く見わる。呵欠、頓悶するは肝証也。乍涼乍熱、手足稍冷、多睡するは脾証也。面燥、顋赤、咳嗽、嚏噴、肺証也。驚悸、心証也。惟だ腎は臍下に在りて、穢濁を受けず、独り其の証無し。)
此れ天行の病也(時行瘟疫也)。惟だ温涼薬を用いて之を治す。妄りに下し及び妄りに攻めて発し風冷を受くべからず。五臓に各々一証有り。肝臓は水疱、肺臓は膿疱、心臓は斑、脾臓は疹。腎に帰して黒に変ず。
惟だ斑疹の病後、或いは癇を発す。余(ほか)の瘡は癇を発し難し矣。木は脾に勝つ、水は心に勝つ故也。若し驚を涼するには、涼驚丸(二)を用う。驚を温むるには粉紅丸(三)を用う。

小児は胎に十月在りて、五臓の血穢を食む。既に而して生下したときは、則ち其の毒まさに出すべし。故に瘡疹の状、皆な五臓の液、肝は液を主り、肺は涕を主り、心は血を主る。其の瘡出に五名あり。肝は水疱を為す、涙を以て出ること水の如し。其の色青く小なり。肺は膿疱を為す、涕を以て稠濁なり、色は白く而して大。心は斑を為す、心は血を主る、色は赤く而して小なり、水疱に次ぐ。脾は疹を為す小、斑瘡に次ぐ。其れ血を裹むことを主る。故に色赤黄にして浅き也。涕涙の出ること多し。故に膿疱水疱、皆な血は内を営する。出る所は多からず。故に斑疹は皆な小也。病疱の者は、涕涙俱に少なし。譬えるに疱中に水を容る、水去るときは則ち痩る故也。

始め潮熱を発すること、三日以上、熱が皮膚に運入して即ち瘡疹を発する。而して甚だ多からざる者は、熱が膚腠の間に留まる故也。潮熱が臓に随いて出る。早食に潮熱已まず、水疱を為すの類の如き也。
瘡疹、始めて出るの時、五臓の証見わるも、惟だ腎は候無し。但だ平証が見わる耳(のみ)。“骫涼耳涼”是れ也。骫耳は俱に腎に属す。其の居は北方、冷を主る也。(骫耳は俱に腎に属するときは則ち骫耳は当に是れ両処。上文の“耳骫涼”“耳涼”是れ也。上の“耳”字は語の助辞なり。玉篇を按するに、骫の音は委、曲骨也。又、按ずるに、楊氏は「耳尻涼」と作する也。尻は刀反の若し、乃ち尾骫骨也。)
若し瘡の黒陥して耳骫が反て熱する者、逆と為す也。百祥丸(三十九)牛李膏(四十)を用う。各々三服す。愈えざる者は死病也。

凡そ瘡疹、若し出でれば軽重なる者を弁じ視る。
一発して便ち出で尽きる者は、必ず重き也。
瘡に疹を挟む者は、半ば軽く半ば重き也。
出ること稀少なる者は軽し。
裏外、肥え紅なる者は軽し。
外黒、裏赤き者は微し重き也。
外白、裏黒なる者は大いに重し也。
瘡の端裏、黒点の針孔の如き者は、勢い劇し也(瘡勢の甚し)。
青く乾き紫に陥み、睡昏、汗出で止まず、煩躁、熱渇し、腹脹れ、啼喘し、大小便不通なる者は、困也。

凡そ瘡疹、当に乳母が口を慎しみ飢えさしめるべからず、及び風冷を受けさしめるべからず。必ず腎に帰し而して黒に変じて難治也。
大熱のある者、当に小便を利するべし(去桂五苓散(百五十三)、導赤散(八))。
小熱のある者、宜しく解毒すべし(消毒散(百二十))、
若し黒紫乾陥する者は、百祥丸(三十九)之を下す。黒ならざる者は、慎しみて下す勿れ。

更に時月軽重を看るに、大抵、瘡疹は陽に属す。出でるときは則ち順と為す。
故に春夏の病は順と為し、秋冬の病は逆と為す。冬月は腎旺し又、寒も盛ん。病の多くは腎に帰し黒に変ず。
又、当に当に春の膿疱、夏の黒陷、秋の斑子、冬の疹子を弁ずるべし、亦た順ならざる也。重病と雖も、猶(なお)十に四五は活く。
黒なる者は何れの時を問う無し。十に一二も救い難し。其の候、或いは寒戦、噤牙し、或いは身黄腫紫する。宜しく急ぎ百祥丸(三十九)を以て之を下すべし。

復た悪寒已まず、身冷え、汗出で、耳骫は反て熱する者は死する。何を以て然るや?
腎氣大いに旺して、脾虚は治すること能わざるが故也。
下して後、身熱し氣温、水を飲まんと欲する者は可治。
脾土が腎に勝つを以て、寒去り而して温熱する也。之を治するに宜しく毒を解するべし。妄りに下すべからず(此の句の上、必ず闕文あり。謂く「已上之證」無し、「不可妄投百祥丸下之」を切る)。
下せば則ち内虚す。多くは腎に帰する。
若し能く食し而して痂頭焦起れば、或いは未だ焦せず而して喘すせば、実なる者は之を下すべし(四順飲に宜し)。
若し身熱し、煩渇、腹満而して喘し、大小便渋、面赤、悶乱、大吐せば、此れ当に小便を利するべし(去桂五苓散(百五十三)、導赤散(八))。差えざる者は、宜風散(四十一)これを下す。
若し五七日にして痂が焦せずは、是れ内に熱を発す。熱氣、皮中に蒸する。故に瘡は焦痂することを得ず。宜しく宜風散(四十一)これを導くべし。生犀磨汁(百十二)を用いてこれを解す。熱をして不生せしむる。必ず痂に著く矣。

瘡疹は内の相勝に由る也。惟だ斑疹は能く搐を作す。
疹は脾の所生と為す、脾虚而して肝が旺じ之に乗ずる。水来りて土に勝ち、熱氣相い撃ちて、心神に於て動ず、心喜びて熱を為し、神氣は安んぜず。搐に因りて癇を成す。
斑子は心の熱の生ずる所。熱すれば則ち風を生ず。風は肝に属す。二臓相い搏ちて、風火は相い争う。故に搐を発する也。
之を治するに当に心肝を瀉し、其の母を補うべし。栝樓湯(二十一)之が主る。
瘡黒にして忽ち便膿血を瀉す。并びに痂皮する者は順。水穀消さざる者は逆なり。何を以て然るや?
且(まさに)瘡黒は腎に属す。脾氣が本(もと)は強く、或いは補脾薬を旧服し、脾氣は実するを得れば、腎は事を用うと雖も、脾は之を制すべし。
瘡をして腹に入らしむれば、膿血を為し及び痂皮に連なりて出だすことを得る。
是れ脾強腎退。即ち病出で而して安んずる也。米穀及び瀉乳化せざる者は、是れ脾虚して腎を制すること能わず。故に自洩する也。此れ必ず難治。

痘瘡の病因と発症パターンについて

胎毒について

痘瘡の主原因として、胎毒が指摘されています。「胎毒」という言葉が初めて記されたのは(筆者調べでは)『小児衛生総微論方』(1156年)です。『小児薬証直訣』(1119年)が記された37年後の小児科医書です。
但し「胎毒」という言葉は普及せずとも、その概念は隋唐代のころから存在しています。最古の小児科医書といわれる『顱顖経』にも、その概念は記されています。胎毒について詳しくは『中医臨床』175号(Vol.44-No.4)~179号(Vol.45-No.4)まで、連載記事として論考にまとめています。『中医臨床』掲載の論考に目を通してみてください。

痘瘡について

「痘瘡」が中国に伝わったのが5世紀のころだと言われています。この痘瘡の脅威に対抗するべく、痘瘡を東医的に理解するべく研究されてきました。痘瘡病理の中に「胎毒」が組み込まれたのが11世紀のころとみています。
そして本書『小児薬証直訣』でも、胎毒が「瘡疹」の主病因として位置付けられています。本章には「胎毒」という言葉こそありませんが、「児在胎食濁」「小児在胎十月、食五藏血穢」が胎毒を意味する言葉です。

痘瘡の発症機序

“痘瘡病理に胎毒を組み込んだこと” と “痘瘡症状パターン” には大きな関係があります。本章では、痘瘡の症状パターン「肝証」「脾証」「肺証」「心証」として分類されています。四臓の証はありますが、「腎証」が発現されません。その理由として、「惟だ腎は臍下に在りて、穢濁を受けず、独り其の証無し。」と挙げ、胎毒の形成過程と関連づけて理論化されています。

※ちなみに、胎毒の形成過程は時代によって、変化(発展?)していきます。その変化に応じて痘瘡医学も発展していくのです。そして清代には人痘接種法が確立され、その接種法は日本にも1744年に伝わってくるのです。詳しくは本サイト記事『種痘こと始め』をご覧ください。

四臓の証が移り行く病期については「此れ天行の病也(時行瘟疫也)。惟だ温涼薬を用いて之を治す。妄りに下し及び妄りに攻めて発し風冷を受くべからず。」と説いています。
伝染病の一種である痘瘡を一つの流行り病(疫病・天行病)とみて、その初期症状(熱病形態)の段階で、温涼薬を以って治すると定めています。また病位が表位にあるうちは不可下であるというセオリーも、傷寒病・温病など外感病と同じです。

痘疹の発症機序について

現代医学の情報では天然痘における発疹の経過は「紅斑・丘疹・水疱・膿疱・結痂・落屑」の順で変化していくとあります。
『小児薬証直訣』のころに観察されていた情報としても、「肝臓水疱。脾臓疹。肺臓膿疱。帰腎変黒。

「肝臓水疱。肺臓膿疱。心臓斑。脾臓疹。帰腎変黒。(肝臓は水疱、肺臓は膿疱、心臓は斑、脾臓は疹。腎に帰して黒に変ず。)」と五臓と瘡疹との分類がなされていいます。これを発症順に並べ直すと「心斑、脾疹、肝水疱、肺膿疱」といったところでしょうか。このように

皮膚症状という形態を借りて各四臓の毒を排出するという病態を採っています。病という現象の奥には、発熱や発汗・皮膚症状を借りて、体内の伏邪・伏毒を排出するという考え方は東洋医学ならではの考え方であります。ウイルス学・細菌学の視点では相容れないものですが、一定の価値はあると個人的には思います。

さて、この皮膚症状(瘡疹)の発生機序についても、本文には記されています。
「始め潮熱を発すること、三日以上、熱が皮膚に運入して即ち瘡疹を発する。而して甚だ多からざる者は、熱が膚腠の間に留まる故也。潮熱が臓に随いて出る。早食に潮熱已まず、水疱を為すの類の如き也。」

緻密な病理とはまだ言えませんが、発生した熱が皮膚に押し上げられて瘡疹が発症するという機序です。

以上のように、病因病理・発病パターン・瘡疹の鑑別…などの他にも、順逆の鑑別法、季節による順逆や治療の易難、病の転機…などなど、東医的に痘瘡の病についてよく観察されていたことが分かります。

傷風風温潮熱相似傷寒瘡疹同異 ≪ 瘡疹候 ≫ 吐瀉腎祛失音

鍼道五経会 足立繁久

原文 『類證注釋錢氏小兒方訣』瘡疹候

■原文 『類證注釋錢氏小兒方訣』瘡疹候 第十七

面燥腮赤、目胞亦赤、呵欠頓悶、乍涼乍熱、咳嗽啑噴、手足稍冷、夜臥驚悸多睡、並瘡疹證。(瘡即痘瘡、疹俗名麻子也。兒在胎食濁穢、以養五肝、既生下、當出痘疹之時、其證悉見、呵欠頓悶、肝證也。乍涼乍熱、手足稍冷、多睡、脾證也。面燥、顋赤、咳嗽、啑噴、肺證也。驚悸、心證也。惟腎在臍下、不受穢濁、獨無其證。)
此天行之病也(時行瘟疫也)。惟用温涼藥治之、不可妄下及𡚶攻、發受風冷。五臓各有一證。肝藏水疱。肺藏膿疱。心藏斑。脾藏疹。歸腎變黒。
惟斑疹病後、或發癇、餘瘡難發癇矣。木勝脾、水勝心故也。若涼驚、用涼驚丸二。温驚用粉紅丸三。
小兒在胎十月、食五藏血穢、既而生下、則其毒當出。故瘡疹之狀、皆五藏之液、肝主液、肺主涕、心主血、其瘡出有五名。肝為水疱、以涙出如水。其色青小。肺為膿疱、以涕稠濁、色白而大。心為斑、主心血、色赤而小、次於水疱。脾為疹小、次斑瘡。其主褁血。故色赤黄淺也。涕涙出多。故膿疱水疱皆血營於内。所出不多。故斑疹皆小也。病疱者、涕涙俱少。譬疱中容水、水去則痩故也。
始發潮熱、三日以上、熱運入皮膚、即發瘡疹、而不甚多者、熱留膚腠之間故也。潮熱隨藏出、如早食潮熱不已、為水疱之類也。
瘡疹始出之時、五藏證見、惟腎無候、但見平證耳。骫涼耳涼是也。骫耳俱属於腎。其居北方、主冷也。(骫耳俱属於腎則骫耳當是兩處。上文耳骫涼耳涼是也。上耳字語助辭。按玉篇、骫音委曲骨也。又按楊氏作耳尻涼也。尻若刀反、乃尾骫骨也。)
若瘡黒陷而耳骫反熱者、為逆也。若用百祥丸三十九、牛李膏四十、各三服。不愈者死病也。凡瘡疹若出辨視輕重者、一發便出盡者、必重也。瘡夾疹者、半輕半重也。出稀少者輕。裏外肥紅者輕。外黒裏赤者微重也。外白裏黒者大重也。瘡端裏黒點如針孔者、勢劇也(瘡勢之甚)。青乾紫䧟、睡昏、汗出不止、煩躁熱渇、腹脹、啼喘、大小便不通者、困也。凡瘡疹當乳母慎口不可令飢、及受風冷。必歸腎而變黒難治也。有大熱者、當利小便(去桂五苓散百五十三、導赤散八)。有小熱者、冝解毒(消毒散百二十)、若黒紫乾陷者、百祥丸三十九下之。不黒者、慎勿下。更看時月輕重、大抵瘡疹屬陽、出則為順。故春夏病為順、秋冬病為逆。冬月腎旺又盛寒。病多歸腎變黒。又當辨春膿疱、夏黒陷、秋斑子、冬疹子、亦不順也。雖重病、猶十活四五。黒者無問何時、十難救一二。其候或寒戰噤牙、或身黄腫紫。宜急以百祥丸三十九下之。復惡寒不已、身冷出汗、耳骫反熱者死。何以然。
腎氣大旺、脾虚不能治故也。下後身熱氣温、欲飲水者可治。以脾土勝腎。寒去而温熱也。治之宜解毒。不可妄下(此句之上、必有闕文。謂無已上之證、切不可妄投百祥丸下之)。下則内虚。多歸於腎。若能食而痂頭焦起、或未焦而喘、實者可下之(宜四順飲)。若身熱煩渇、腹滿而喘、大小便澁、面赤悶亂大吐、此當利小便(去桂五苓散百五十三、導赤散八)。不差者、宜風散下之四十一。若五七日痂不焦、是内發熱、熱氣𮐹於皮中。故瘡不得焦痂、宜宜風散導之四十一、用生犀磨汁解之百十二、使熱不生。必著痂矣。
瘡疹由内相勝也。惟斑疹能作搐。疹為脾所生、脾虚而肝旺乗之。水来勝土。熱氣相撃、動於心神、心喜為熱。神氣不安。因搐成癇。斑子為心所生熱。熱則生風、風屬於肝。二藏相搏、風火相争。故發搐也。治之當瀉心肝補其母。栝蔞湯主之二十一。瘡黒而忽瀉便膿血、并痂皮者順。水穀不消者逆。何以然。
且瘡黒屬腎。脾氣本強、或𦾔服補脾藥。脾氣得實、腎雖用事、脾可制之。令瘡入腹、為膿血及連痂皮得出。是脾強腎退、即病出而安也。米穀及瀉乳不化者、是脾虚不能制腎。故自洩也。此必難治。

 

 

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