この夏は『ハリトヒト。』さんにインタビュー記事とおススメ図書の記事を取り上げていただく機会がありました。
そこで「鍼灸学生にビギナー鍼灸師に送る推薦図書5冊」を私なりに紹介しましたが…
ハリトヒト選書 鍼灸師:足立繁久の5冊
この記事はその裏の答え・ウラノカオともいえる内容を書かせていただこうと思う。
少々辛口モードというか、意地の悪い内容に感じる人もいるだろうが、ご容赦いただきたい。
写真:ハリトヒト選書で足立が選んだ5冊のうちの4冊
安易に聞いてはいけないこと
鍼灸勉強会の講師を10年以上もしていると、よく受ける質問のひとつがこれ。
「東洋医学の勉強をしたいのですが、初心者におススメの本はないですか?」
初心者・ビギナーにも分かりやすい東洋医学の書籍を…というオーダーなのだが、
もし自分ならばこの質問は絶対にしないだろうと思う。
またこの手の質問をする人に限って、薦めた本を読んでいないことが多く、
読んだ感想を…なんてリスポンスは未だかつて一度もない。
この行為を譬えると、ピンポン・ダッシュするようなことなので、教えを請う人に対する行為ではない。(※ちなみにピンポン・ダッシュは犯罪です)
もし真剣に勉強しようと決意している人なのであれば、安易に人に読むべき書を聞く、ということはしないほうが良い。
では「推薦図書を必ず読むから教えてください」という姿勢なら良いのか?
…というと、そうでもない。
というよりも、そういう問題ではない。
何を学びたいの?
このような質問を受けると、最近はこのように返すようにしている。
「あなたは何について学びたいのです?」
「学びたいテーマ、専門としたい科があれば、その分野のお薦め書を紹介しますよ」と。
この問いに対して即答されるケースはあまりない。
脈診を学ぶにせよ、婦人科を学ぶにせよ、伝統医学にも様々なジャンル・部門がある。当然ながら学ぶ目的によってお薦めの本は違う。
意地悪に聞こえるかもしれないが、それだけ明確な目標をもって聞く必要はあるのだ。なぜなら答える側は適当に返事する気はないのだから。
どうすれば良いのか?
こちらの言い分ばかり続くと『じゃ、どうすりゃ良いの?』となるだろうから
私なりの模範解答を書いておこう。
とにかく、自分自身で本を探し、見つけて、読んで、調べて、考える。その上で、分からないことを質問する。これが模範解答だ。
自分で調べもせず、読みもせず、考えもせずに、質問権がもらえるなんて思わない方が良い。
もしくは、特定の先生のお話を聴きたいのであれば、その先生の著作、ブログ記事など、徹底的に目を通すと良い。
さらに、その文章の中に出てくる書物を探し求め、読むことだ。
そうすると、やっと何を質問したら良いのかが分かるのである。
そのような努力をせずに安易に教えてくれというのは実は失礼な行為なのだ。
伝統医学の書はマニュアル本ではない
「自分で探して勉強できれば こんな質問しませんよ!」
「それが分からない初心者だから聞いているんです…」と反論されそうだが
もし東洋医学がマニュアル本を読むだけで実用可能な技術であれば、簡単なおススメ本もあったであろう。
しかし、東洋医学の本は探求書なのだ(と、私は思っている)
医学として面はあるが、思想や哲学も込められており、独自のかつ壮大な世界観を持つ。
そう簡単に「簡単で分かりやすい本」なんてものはない、と言ってもよいだろう。
それが証拠に「実際の患者さんには東洋医学の教科書どおりに治療できない」と嘆く人も少なくない。
この言葉は正しい。
患者さんは生き物で、身体にも心にもいろんな問題を抱えている。
そんな人の心身を丸ごとみる東洋医学を簡単にわかってしまうマニュアル本があるはずないのだ。
良い悪いではなく“もったいない”
安易に尋ねることを戒める理由は他にもある。
「苦労が足りない」とか「失礼なことだ」といった苦言だけでなく、
安易に人に尋ねることはもったいない行為でもあるのだ。
自分のレベルに合った本を探すことは、自分の嗅覚を磨くチャンスでもある。
私自身の経験談になるが、開業当初の貧乏なくせに比較的 書籍を買い求めた方だと思う。
とはいえ、オリエント出版さんの全集などは買えなかった(ノドから手が出るほど欲しかったが)。
その分、亜東書店さんでよく購入させていただいた。中文は和書に比べて安いし、コツコツ一冊ずつ購入できる。
そのため、売上は少ないのに(妻に内緒で)密かに買い集めたものだ。
中にはハズレと思える書もそれなりにあった。
そしてハズレもあれば、『これはアタリ!』と思える書もあった。
このようなことを繰り返しているうちに、どの本がアタリかハズレか、書籍名や概要をみるだけ分かってくる。
否、アタリ・ハズレの問題ではない。今の自分のレベルに必要な書が分かるということなのだ。
自分のレベルに合う書を探し求めるにはやはり嗅覚が要る。その嗅覚を養うのに良書探しは向いている。
そして良書探しは良師探しにも通ずるものがあると思う。
どれだけ回りが「良い先生だよ!」と絶賛していても、今の自分のレベルに合った先生か?と考えると、そうではないことはしばしばある。周囲の評価と自分のニーズは必ずしもイコールではないのだ。
ここで間違ってはいけないのは『評価のわりに良い先生ではなかった…』ではなく、自分がその先生のレベルに合っていなかったのだと思うようにした方が良い。
最後に・・・
以上の内容は私自身の経験、失敗を踏まえた教訓でもあるので、
意地悪な内容に感じたかもしれないが、その時はどうかご容赦いただきたい。
最後にもう一つ。
書には思いというか念のようなものが込められている…そんな気もする。
本・書籍には著者の言葉と思いが綴られているだけに、当然と言えば当然の感覚だと思う。
そんな書との出会いは縁のようなものがあって、人とのご縁とも似ている。
それだけにその出会い・ご縁を人に安易に委ねてはいけない。自分自身で探し求めて、そのご縁を自分自身で判断する…それはとても大切な行為でもあると思うのだ。