『張紫陽八脈経』(張伯端 著)について

『張紫陽八脈経』について

明代に李時珍が記した奇経の専門書『奇経八脈攷』には内丹学の知識が多数確認できます。中でも目を引くのは張伯端(張平叔・張紫陽)の存在です。

特に張紫陽が伝えたとされる『張紫陽八脈経』は、その文がそのまま採用されています。この『張紫陽八脈経』なる書は探しても、文献に詳しい先生方に尋ねても見つからず、ようやく亜東書店のO川先生に尋ねてようやく入手できました。『伍流仙宗全集』もしくは『南宗仙籍』に付録として収録されています。

張紫陽先生の真意を解することは甚だ困難ですが、せっかくですので『張紫陽八脈経』を五経会のサイト記事に紹介したいと思います。


※「張紫陽八脈経」『伍流仙宗全集』(宗教文化出版社 刊 収録のもの)より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

張紫陽八脈経 書き下し文

『伍流仙宗全集』附録

(奇経の)八脈は、衝脈は風府の穴の下に在り、督脈は臍後に在り、任脈は臍前に在り①、帯脈は腰に在り、陰蹻脈は尾閭の前、陰嚢の下に在り、陽蹻脈は尾閭の後の二節に在り。陰維脈は頂前一寸三分に在り、陽維脈は頂後一寸三分に在る②。

凡そ人に此れら八脈有り。俱に陰神に属し、閉じて開かず。惟だ神仙は、陽炁を以て衝開する③。故に能く道を得る。

八脈は先天大道の根、一炁の祖。これを采るに惟だ陰蹻に在るを先と為す。この脈、纔動すれば、諸脈皆通す④。
次に督任衝の三脈、総べて経脈造化の源と為す。而して陰蹻の一脈、『丹経』に散在す。
其の名、頗る多し。
曰く天根、曰く死戸、曰く復命関、曰く鄷都鬼戸、曰く死生根、有神これを主る、名を桃康と曰う。上は泥丸に通じ、下は涌泉(湧泉)に透する。
(もし)能く此れを知れば、真炁聚散せしめ、皆な此の開竅に従わせば、則ち天門常に開き、地戸 永く閉じ、尻脈一身を周流し、上下に貫通し、和炁、自然と上朝して、陽長じ陰消す。水中火発し、雪裏に花開く。
所謂(いわゆる)天根、月窟閑(しずか)に来往し、三十六宮都(すべて)(これ)春。之を得る者、身體軽健にして、容衰返壮(容姿衰えて返って壮なり)、昏昏黙黙として酔えるが如く癡なるが如く、此れ其の験也。
西南の郷、乃ち坤地、尾閭の前、膀胱の後、小腸の下、靈亀の上を知ることを要す。此れ乃ち天地の日を遂いて生ずる所、炁根産鉛の地なり。醫家は此れ有ることを知らず。

内丹における任督衝

下線部①「衝脈は風府の穴の下に在り、督脈は臍後に在り、任脈は臍前に在り」
この文は経絡家にとってはまだ理解しやすいのではないでしょうか。

衝脈が風府の下に在るとは大杼付近のことを言っているのではないか?とも思われます。(「督脈の別脈は膂に大杼にそして腎と…」を参照のこと)
また、これまで奇経の勉強を経て任督衝は三岐一体であることは大いに理解できました。そのため督脈のことを衝脈で説明し、衝脈のことを督脈で説明するという表現は『奇経八脈攷』の随所にもみられました。そのことを考えると「衝脈は風府の下に在り」という表現も有りではないか、とも思います。

また臍の前後で任督を説明していますが、これは臍を丹田などに置き換えて読むと納得しやすいかと思います。

『慧命経』集説第九(『伍流仙宗全集』(宗教文化出版社 刊 収録)

寂無禅師云、採取以升降、従督脈上升泥丸、従任脈降下丹田。

任督二脈者、即法輪往来之道路也。任脈者、起於丹田前弦、循環腹裏、穿二喉之中上頂也。督脈者、起於丹田後弦、並繞脊柱裏上風府入脳頂、與任脈會合。二脈通時、則百脈倶通矣。採取由此而行、法輪由此而轉、能識此道路者、則舎利子亦由此而成矣。

とあります。ここでいう「起於丹田前弦」「起於丹田後弦」が、前述の「在臍後」「在臍前」と相似した表現であると思います。

『張紫陽八脈経』における陰蹻脈の特殊性

また陽蹻陰蹻の二脈が前後に位置するその中心に尾閭があるとしています。尾閭とは内丹の領域での専門用語ですが、この尾閭を経て跟中に至るのであろうか…と想像します。
さらに陽維陰維は頂(百会・泥丸の直上)の前後に展開すると『張紫陽八脈経』では記されています。この辺りの表現から次第に門外漢にとっては難解になっていくのですが、分かることは一つ。奇経を理解するには医学だけでは不十分であり、神仙術・内丹学の領域も踏まえておく必要があると感じさせられるのです。

とくに『張紫陽八脈経』で興味深い点は陰蹻脈を重視している点です。他の道書であっても(たとえば上記の『慧命経』の引用のように)督脈・任脈を起点として小周天を行うことはよく知られています。しかし張紫陽は(特にこの『張紫陽八脈経』においては)陰蹻脈を起点としている点に注目すべきでしょう。

「八脉者、先天大道之根、一炁之祖。采之惟在陰蹻為先、此脉纔動、諸脉皆通。」との一節はいかに陰蹻脈を重要視しているかがわかります。

また陰蹻を起点としている点から、この内丹術は男性をベースに構築されていることが分かります。なぜなら二十八脈の観点でみると、男性においては陽蹻脈が経であり陰蹻脈は絡であります。経ではなく動かす余地の残された絡を起点とする発想は、経絡理論(二十八脈説)の観点からみても理に適っているものだと思われます。
蛇足ではありますが、もし女性であれば陽蹻と陰蹻の経絡が逆転します。となると女仙は陽蹻を開通させることを転機とするのだろうか…?と思うのですが、これは穿鑿に過ぎるかもしれませんね。

いずれにせよ、男性にとって絡である陰蹻脈を「天根」「死戸」「復命関」「鄷都鬼戸」「死生根」「桃康」などと称し、これを起動・衝開させることで、任督ひいては百脈を通じさせるという神仙術系の人体観は非常に興味深いといえます。

さて内丹術においては、奇経八脈は陰神に属し普段は閉じている存在です。その奇経を煉った陽炁で以て衝開するといいます。この「衝開」という表現は分かりやすいですね。内丹術以外の領域でも「衝開」に類似の表現を採ることがあると思います。

参考記事【―道家・内丹学における奇経とは―(『奇経八脈攷』その5 陰蹻脈 )】

鍼道五経会 足立繁久

原文  張紫陽八脉経

■原文
八脉者、衝脉在風府穴下、督脉在臍後、任脉在臍前、帯脉在腰、陰蹻脉在尾閭前陰嚢下、陽蹻脉在尾閭後二節、陰維脉在頂前一寸三分、陽維脉在頂後一寸三分。
凡人有此八脉、俱属陰神、閉而不開。惟神仙以陽炁衝開、故能得道。八脉者、先天大道之根、一炁之祖。采之惟在陰蹻為先、此脉纔動、諸脉皆通。次督任衝三脉、總為経脉造化之源。而陰蹻一脉、散在丹経、其名頗多、曰天根、曰死戸、曰復命関、曰鄷都鬼戸、曰死生根、有神主之、名曰桃康。上通泥丸、下透涌泉。
倘能知此、使真炁聚散、皆従此開竅、則天門常開、地戸永閉、尻脉周流於一身、貫通上下、和炁自然上朝。陽長陰消、水中火発、雪裏花開。所謂天根月窟閑来往、三十六宮都是春。得之者、身體軽健、容衰返壮、昏昏黙黙、如酔如癡、此其験也。
要知西南之郷乃坤地、尾閭之前、膀胱之後、小腸之下、靈亀之上、此乃天地遂日所生炁根、産鉛之地也。醫家不知有此。

 

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