胎血、毒を致すことを弁ず 『博愛心鑑』下巻 その㉙

「魏直先生の痘毒新説編」もこの記事でフィナーレです!

本章では魏直先生は、従来の胎毒説および痘瘡病理の不備を指摘しています。とくに李東垣が提唱したであろう胎毒が「命門伏蔵説」を完全否定しています。その否定ぶりは実にクールです。小児体質の変蒸を根拠としつつ、従来の胎毒説の矛盾点を冷静に指摘しています。ぜひ魏直先生の論破ぶりをご覧ください。


※『痘疹博愛心鑑』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

書き下し文・胎血、毒を致すことを弁ず

『博愛心鑑』弁胎血致毒

胎血、毒を致すことを弁ず 

前人の謂う、痘出の由、言小児初生の時、口に胎血を含み咽(のみ)下し、腎経に至る、以て此の如きことを致す、と。
予、謂う“非也”と。
且つ児の胞中に在る、氣は内に団にして血は外を護る。内外堅固にして、風氣も通ぜず。惟だ臍帯の中、母の呼吸に随いて、水穀の氣 児の腹に窨入る。即ち胞漿これ也。此れを以て児体を長養す。如(も)し血が走漏すれば其の胎は成らず。或るいは堕胎するとき有る者は、此れ則ち胎血を損傷する故也。

降生するに至るに及びて、其の根蒂は左腎に於いて脱し、母氣始めて離れて、而して子に授け、氣は即ち丹田より児の口鼻に湧出す。鬱悶を禁ぜず、頭は子の体より重きが故に下より湧躍して出づる也。
豈に児に胎血を含む理の有らんや。

間(まま)降生の際有れば、母血太盛すること、口鼻に灌ぎ入る者これ有り。総て入るの胎血、口鼻に灌ぎ入りて而して腸胃に咽(のみ)下す。開乳の後、亦た必ず大便よりして出だす。
夫れ豈に逕(ただ)ちに腎経に入るの事有らんか。
且つ腎に二有り。一つは腎を為し、一つは命門を為す。皆な肋の盡る処、権骨の両傍に繋がる。初より門路の腎に通ずる無し。況んや血は本(もと)有形の物、亦た母形の余なり。何に由(ゆえ)に児の口に含み、咽(のみ)下し腎の臓に入り、畜えて一歳より至り六七、十歳に及ぶに、而して後に始めて発して毒と為さん。
且つ初生の児、未だ変蒸を経ず、一塊の氣血、天一水を生ず、故に始めて生じて三十二日に、一変して癸を生じ。又三十二日に、一変して壬を生ず。凡そ六十四日にして、氣血始て表裏に通じ、足少陰太陽二経に配合して、始めて能く事を用う。其の胎血、又豈に能く久しく腹に留まり腎経に伝えて入らんや。
予、嘗て深く其の言を究め、誠に不通の説と為さん也。

従来の説を真っ向から断ずる

李東垣が提唱した胎毒説は「分娩の際に、新生児が口中の羊水血液(悪液)を嚥下。その結果、悪液が毒となって命門に伏蔵する」というものです。魏直先生はこの説をバッサリと否定しています。

実は李東垣の説にはいくつか不明な点があるのです。
「新生児の悪液を嚥下」と「命門に胎毒として伏蔵する」この二つの出来事がつながらないのです。「悪液嚥下」から一足飛びに「命門伏蔵」とするには聊か無理があります。
李東垣自身は「腸胃」「腎経」の二点までは言及していませんでしたが、後代になると両事象の間を埋めるように「腸胃」と「腎経」とを介在させた胎毒形成ストーリーが形成されたようだと推察します。
この推察は『博愛心鑑』本章の文(「灌入口鼻者有之、總入胎血、灌入口鼻而咽下腸胃開乳之後、亦必從大便而出矣」)から判断しています。そして魏直先生はこの説に対して、その不明を指摘しております。

この魏直先生、非常にリアリストな人のようで「嚥下した胎血は確かに胃腑・腸管を通るが、腎臓は肋骨の傍らにある臓器であって、胃腸から腎臓に繋がる経路がないじゃないか!」と解剖学的な反論を展開しています。

また東洋医学的な根拠も提示している点も魏直先生の優秀な点といえましょう。
「そもそも出産直後の新生児は変蒸もまだ経ていないんだぞ。」
「生後1,2ヵ月で変蒸が二回起こる。そこでようやく壬癸の膀胱経腎経が機能し始めるという。」
「なのに、腎経が機能していない時点で、どうやって腸胃→腎経→腎臓・命門に胎血・胎毒を輸送することができるのか?」と、鋭い指摘をしています。

なかなか生命の発生を成長を追窮する医学者らしい指摘だといえますね。

鍼道五経会 足立繁久

原文 『博愛心鑑』下巻 辯胎血致毒

■原文 『博愛心鑑』下巻 辯胎血致毒

辯胎血致毒

前人謂痘出之由、言小兒初生時、口含胎血咽下、至於腎經、以致如此。予謂非也。且兒在胞中、氣團於内血護於外。内外堅固、風氣不通。惟臍帶中隨母呼吸、水穀之氣窨入兒腹。即胞漿是也。以此長養兒體。如血走漏其胎不成。或有墮胎者、此則損傷胎血故也。

及至降生、其根蒂脱於左腎、母氣始離、而授於子、氣即從丹田湧出兒之口鼻。鬱悶不禁、頭重子體故從下湧躍而出也。豈有兒含胎血之理。
間有降生之際、母血太盛、灌入口鼻者有之、總入胎血、灌入口鼻而咽下腸胃開乳之後、亦必從大便而出矣。夫豈有逕入腎經之事乎。且腎有二。一爲腎、一爲命門。皆繋於肋之盡處權骨兩傍。初無門路通腎。況血本有形之物、亦母形之餘。何由含兒之口、咽下入腎藏、畜至一歳及六七十歳、而後始發爲毒。且初生兒未經變蒸。一塊氣血、天一生水、故始生三十二日、一變生癸。又三十二日、一變生壬、凡六十四日、氣血始通表裏、配合足少陰太陽二經、始能用事。其胎血又豈能久畱於腹傳入於腎經哉。予嘗㴱究其言、誠爲不通之説也。

おすすめ記事

  • Pocket
  • LINEで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを残す




Menu

HOME

TOP