『奇経八脈攷』その5 陰蹻脈

李時珍が説く陰蹻脈とは

これまでの陰蹻脈は、跟中に起こり、照海穴を治穴に、交信穴を郄穴とし、足少陰腎経の別行である…というのが陰蹻脈の姿でした。
今回の記事では『奇経八脈攷』に記載される陰蹻脈の情報を紹介します。鍼灸師をはじめ医家が知らない奇経の姿を知ることができるでしょう。
※『奇経八脈攷』(『重刊本草綱目』内に収録)京都大学付属図書館より引用させていただきました
※下記の黄色枠部分が『奇経八脈攷』の書き下し文、記事末青枠内に原文を引用しています。

書き下し文・陰蹻脈

陰蹻なる者、足少陰の別脈。其の脈は跟中、足少陰然谷の後〔内踝の前下一寸陥中に在り〕に起こる。
足少陰に同じく内踝の下、照海穴〔内踝下五分に在り〕を循り、内踝の上に上り二寸を以って交信〔交信は内踝骨上、少陰の前、太陰の後廉、筋骨の間に在り〕を郄と為す。直ちに上りて陰股を循りて陰に入り、上りて胸裏に循り、鈌盆に入る。上りて人迎の前に出で、咽嚨に至り、衝脈を交わり貫く。頄の内廉に入り、上行し目内眥に属す①。手足太陽、足の陽明、陽蹻の五脈と睛明に於いて会し、而して上行す。〔睛明は目の内眥外一分宛宛たる中に在り〕

『張紫陽八脈経』(※)に云く、八脈なる者は、衝脈は風府の穴の下に在り、督脈は臍後に在り、任脈は臍前に在り、帯脈は腰に在り、陰蹻脈は尾閭の前、陰嚢の下に在り、陽蹻脈は尾閭の後の二節に在り。陰維脈は頂前一寸三分に在り、陽維脈は頂後一寸三分に在る②

凡そ人に此れら八脈有り。俱に陰神に属し、閉じて開かず。惟だ神仙は、陽炁を以て衝開する③。故に能く道を得る。
八脈なる者は、先天大道の根、一炁の祖。之を采るに惟だ陰蹻に在るを先と為す。此の脈、纔動すれば、諸脈皆通す④
次に督任衝の三脈、総べて経脈造化の源と為す。而して陰蹻の一脈、『丹経』に散在す。
其の名、頗る多し。
曰く天根、曰く死戸、曰く復命関、曰く鄷都鬼戸、曰く死生根、有神これを主る、名を桃康と曰う。上は泥丸に通じ、下は涌泉(湧泉)に透する。
倘(もし)能く此れを知れば、真炁聚散せしめ、皆な此の開竅に従わせば、則ち天門常に開き、地戸 永く閉じ、尻脈一身を周流し、上下に貫通し、和炁、自然と上朝して、陽長じ陰消す。水中火発し、雪裏に花開く。
所謂(いわゆる)天根、月窟閑(しずか)に来往し、三十六宮都(すべて)是(これ)春。之を得る者、身體軽健にして、容衰返壮(容姿衰えて返って壮なり)、昏昏黙黙として酔えるが如く癡なるが如く、此れ其の験也。
西南の郷、乃ち坤地、尾閭の前、膀胱の後、小腸の下、靈亀の上を知ることを要す。此れ乃ち天地の日を遂いて生ずる所、炁根産鉛の地なり。醫家は此れ有ることを知らず。

瀕湖曰く、『丹書』の論及び陽精河車、皆往往に任衝督脈、命門三焦を以て説と為すも、未だ陰蹻を専ら指す者は有らず。而して『紫陽八脈経』の載する所の経脈、稍(やや)醫家の説と同じからず。然も内景の隧道、惟だ返し観する者、能く之を照察せよ。其の言、必ずしも謬ならざる也。

医家の知る陰蹻脈とは

冒頭文は今まで紹介した『十四経発揮』や『奇経八脈詳解(経穴密語集)』の情報と同じで、いわゆる鍼灸師・医家が知る陰蹻脈の情報です。

目内眥に属するということ

蹻脈は跟中に起こり、目内眥に至ります。但し、よく見ると「陽蹻は目内眥に至り」ますが「陰蹻は目内眥に属し」ます。
この表現の違いも面白くまた深い意味があるのではないか?と思います。

「至る」と「属す」の差は大きいと思うのですが、この表記は李時珍だけのものでなく、すでに『霊枢』脈度に書かれていることです。
そして睛明以降の「…会於睛明、而上行。」(陰蹻脈)と、「…従睛明…入風池而終。」(陽蹻脈)といったように、ちょっとした表現の中に二蹻脈の主客が表現されているようにも感じられます。

また、目の内眥にあたる睛明穴ですが、これが意外にも多くの経脈と関係の深い穴処でもあります。足太陽膀胱経の経穴ですが、手太陽小腸経、足陽明胃経、陽蹻脈そして陰蹻脈の五脈が会する穴でもある、と。
五脈が交会する経穴といえば、、、パッと思いつくものには百会(別名、三陽五会)があります。他にも陽白などが五脈之会として『鍼灸大成』に記されています。
毫鍼を主に鍼治療していますと、睛明穴はなかなか使用しない経穴なので、どうもその重要性を忘れがちになります。さすが命門と称される部位のツボだなぁと思う次第です。(『霊枢』根結-命門は目にある説-を参照のこと)

睛明のその先は?

さらに興味深い点は「睛明に会し、而して上行する」という記述です。
次に紹介する陽蹻脈では「睛明より上行して…風池に入り終わる」とゴールが明記されているのに、陰蹻脈の場合は「上行する」と言ったきりで、明確な表現がありません。おそらくは上行した先で陽蹻脈と合流することを示唆していると思われます。この点に関して岡本一抱は「陰陽の両蹻 その起きる所も同じく、足跟の中に始まるときは則ちその終わる所も亦 両蹻 會して止むべき者なり。」として、陰陽蹻脈はともに跟中に始まり、風池に終わるとしています。(『奇経八脈詳解』陰蹻脈を参照のこと)この岡本氏の主張については私も賛同します。

詳しくは『二蹻為病-陰陽蹻脈が構築する小循環-』「霊枢寒熱病篇-奇経と目と脳の関係-」を参照のこと

道家・内丹学における奇経とは

さてここからは内丹学の話です。この話に触れる(というか私自身が勉強する)ために『奇経八脈攷』シリーズを続けてきたようなものです。
下線部②にある『張紫陽八脈経』、これは道家である張紫陽(※1)が記したとされる奇経の書です。この書を調べようにも、なかなか出回っておらず入手困難でしたが、どうやら『張紫陽八脈経』の文をそのまま李時珍は引用記載しているようです。(参考記事【『張紫陽八脈経』(張伯端 著)について】

張紫陽が示した奇経八脈

八脈なる者は、衝脈は風府の穴の下に在り、督脈は臍後に在り、任脈は臍前に在り、帯脈は腰に在る。
陰蹻脈は尾閭の前、陰嚢の下に在り、
陽蹻脈は尾閭の後の二節に在り。
陰維脈は頂前一寸三分に在り、
陽維脈は頂後一寸三分に在る。

凡そ人に此れら八脈有り。俱に陰神に属し、閉じて開かず。惟だ神仙は、陽炁を以て衝開する③。故に能く道を得る。
八脈なる者は、先天大道の根、一炁の祖。之を采るに惟だ陰蹻に在るを先と為す。此の脈、纔動すれば、諸脈皆通す④。
次に督任衝の三脈、総べて経脈造化の源と為す。而して陰蹻の一脈、『丹経』に散在す。
其の名、頗る多し。曰く天根、曰く死戸、曰く復命関、曰く鄷都鬼戸、曰く死生根、有神これを主る、名を桃康と曰う。

上は泥丸に通じ、下は涌泉(湧泉)に透する。
倘(もし)能く此れを知れば、真炁聚散せしめ、皆な此の開竅に従わせば、則ち天門常に開き、地戸 永く閉じ、尻脈一身を周流し、上下に貫通し、和炁、自然と上朝して、陽長じ陰消す。水中火発し、雪裏に花開く。
所謂(いわゆる)天根、月窟閑(しずか)に来往し、三十六宮都(すべて)是(これ)春。之を得る者、身體軽健にして、容衰返壮(容姿衰えて返って壮なり)、昏昏黙黙として酔えるが如く癡なるが如く、此れ其の験也。
西南の郷、乃ち坤地、尾閭の前、膀胱の後、小腸の下、靈亀の上を知ることを要す。此れ乃ち天地の日を遂いて生ずる所、炁根産鉛の地なり。醫家は此れ有ることを知らず。

この文は八脈の位置をごく簡潔に記しているだけですが、この断片的な情報だけでも我々医家とは異なる奇経像を道家・内丹家が有していたことを察することができます。

「衝脈は風府穴の下に在り」…とありますが、大杼との関与を示唆しているのか、『素問』瘧論にある風府と督脈(ひいては衝脈)の関係を示唆しているのかは、現時点では判断できません。
任督は臍を起点にして前後に区分している点は、鍼灸家にとっては理解しやすいことかと思います。前後に任督、となれば風府を目印とした体の上部に衝脈を配したことになんらかの意図があるのかもしれません。

さて、陰蹻と陽蹻は尾閭を目印に記されています。
尾閭とは三車・三関のひとつ、尾閭を羊車に譬え、夾脊を鹿車、玉枕を牛車に譬える。それぞれの名称に氣を行らす加減の意味を込めている。
陰蹻の説明「尾閭の前、陰嚢の下」が会陰あたりであることはイメージしやすいと思います。
陽蹻の説明「尾閭の後二節」とはどう解釈しましょう。経穴でいうと腰兪あたりかと思ましたが、「腰兪…在第二十一椎節下間。」とあり、二節後という訳にはいかなそうです。(ちなみに長強は在脊骶端。)(『甲乙経』『銅人腧穴』『十四経発揮』『鍼灸大成』と同様の取穴位。)ちなみに脊骨は二十一節とされています。(※2)
となると、細かな穴位穴処でイメージするべきではないのかもしれません。

さらに陰維・陽維も特異な表現です。
陰維が「頂前一寸三分」陽維が「頂後一寸三分」と、頭頂部(百会周辺)に流注している点もまた注目でしょう。
「陰維脈は頂前に終わる」と李時珍は『奇経八脈攷』に記しているのはこの説を採用してのことなのでしょうか?
となると、陽維の頂後一寸三分ですが、この説は『奇経八脈攷』では不採用のようです。
陽維の記述では「脳空、承霊、正営、目窓、臨泣、陽白、本神」と記載され、「本神穴にて止まる」とあります。頂後一寸三分とはまた異なる陽維脈観であることは間違いなさそうです。

以上のように医家と道家・内丹家、両者おける奇経概念には差異があることを認識した上で、もう少し『張紫陽八脈経』の引用文を読んでいきましょう。

閉じた竅と道を開く

「人は奇経八脈が備わっているが、これらは陰神に属して、通常は閉じていて開いてはいない」といった主旨の文が下線部③の前半です。
この閉じた状態にある竅や通路を修行・練功によって開竅開通するのが道家が行う内丹法です。
「神仙は、陽炁を以て衝開する」と下線部③後半にある通りです。炁とは氣と同義ですが「无」に連火・列火を加えた字から、その意図が伝わるような気がします。

「奇経八脈とは、先天大道の根であり、一炁の祖である。これを采るには陰蹻を第一とする。陰蹻脈がわずかでも動けば、諸脈は皆通する」といった主旨の文が下線部④です。

いわゆる小周天では督脈任脈を主に氣を練りますが、張紫陽は陰蹻脈を第一としています。この真意も詳しく知りたいところです。
道書では、陰蹻脈の別名を「天根」「死戸」「復命関」「鄷都鬼戸」「死生根」「桃康」など言うとのこと。天地・死生に深く関与する存在であることが伝わる名です。
とはいえ「上は泥丸に通じ、下は湧泉に透す」るという記述は、医家と道家の双方が有する陰蹻脈像が重なり合う点であると言えるのではないでしょうか。

※1;張紫陽;張伯端(983-1082年、一説には987年-1082年)。北宋末の道士として知られる。若い頃より、刑法、書算、醫卜、戦陣、天文、地理などに通じた。その著書に『悟真篇』『金丹四百字』『玉清金笥青華秘文金寶内煉丹訣』などがある。(『悟真篇浅解』中華書店より)
※2;『霊枢』骨度第十四「膂骨以下至尾骶、二十一節、長三尺。(甲乙経では膂を脊とする)」

鍼道五経会 足立繁久

■原文

陰蹻脉
陰蹻者、足少陰之別脉、其脉起於跟中、足少陰然谷之後〔然谷在内踝前下一寸陥中〕、同足少陰循内踝下照海穴〔在内踝下五分〕、上内踝之上二寸、以交信為郄〔交信在内踝骨上少陰前太陰後廉筋骨間〕直上循陰股入陰、上循胸裏、入鈌盆上、出人迎之前、至咽嚨、交貫衝脉、入頄内廉、上行属目内眥、與手足太陽足陽明陽蹻五脉會於睛明而上行〔睛明在目内眥外一分宛宛中〕。

張紫陽八脉経云、八脉者、衝脉在風府穴下、督脉在臍後、任脉在臍前、帯脉在腰、陰蹻脉在尾閭前陰嚢下、陽蹻脉在尾閭後二節、陰維脉在頂前一寸三分、陽維脉在頂後一寸三分。
凡人有此八脉、俱属陰神、閉而不開。惟神仙以陽炁衝開、故能得道。八脉者、先天大道之根、一炁之祖。采之惟在陰蹻為先、此脉纔動、諸脉皆通。次督任衝三脉、總為経脉造化之源。而陰蹻一脉、散在丹経、其名頗多、曰天根、曰死戸、曰復命関、曰鄷都鬼戸、曰死生根、有神主之、名曰桃康。上通泥丸、下透涌泉。
倘能知此、使真炁聚散、皆従此開竅、則天門常開、地戸永閉、尻脉周流於一身、貫通上下、和炁自然上朝。陽長陰消、水中火発、雪裏花開。所謂天根月窟閑来往、三十六宮都是春。得之者、身體軽健、容衰返壮、昏昏黙黙、如酔如癡、此其験也。
要知西南之郷乃坤地、尾閭之前、膀胱之後、小腸之下、靈亀之上、此乃天地遂日所生炁根、産鉛之地也。醫家不知有此。

瀕湖曰、丹書論及陽精河車、皆往往以任衝督脉、命門三焦為説、未有専指陰蹻者。而紫陽八脉経所載経脉、稍與醫家之説不同。然内景隧道、惟返観者能照察之、其言必不謬也。

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