下薬五方論『医経解惑論』より

補法は何のために行うのか?

内藤希哲の医書『医経解惑論』から、下法五方論を学びます。とくに補法が好きな鍼灸師にとっては学ぶべき内容でしょう。

傷寒論を勉強すると、汗吐下法の理解が深まります。では汗吐下は何のために行うのか?そして補剤はなんのため処方し、補法は何のために行うのか?を考える必要があります。

本記事は当会講座「鍼灸師の鍼灸師による鍼灸師のための漢方~鍼薬双修~」のテキストとして使用します。鍼薬双修では、まず江戸期の俊英 内藤敬哲の医書『医経解惑論』から学びます。本記事では「下法五方論」を紹介します。


※『医経解惑論』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

■書き下し文 下薬五方論

夫れ五方とは、大承氣湯、小承氣湯、調胃承氣湯、大柴胡湯、麻子仁丸これ也。
東垣曰く、下薬は大承氣湯を用いるに最も緊なり、小承氣湯はこれに次ぐ、調胃承氣湯は又これに次ぎ、大柴胡湯は又これに次ぐ。此の言、その大概なり。今、その方意を左(下記)の如くに述べん。

大承氣湯

夫れ大承氣湯は邪熱の胃中に在りて燥屎を作し、その病の痞・満・燥・実・堅の五証俱に全き者を主治す。
枳実の苦寒は以て痞を疎す。
厚朴の辛温は以て満を泄す。
芒硝の鹹寒は以て燥を潤し堅を軟にする。
大黄の苦寒は以て実熱を泄す。

小承氣湯

小承氣湯はその病但だ痞・満・実して燥堅は未だ甚だしからざる者を主治する。
故に枳実・厚朴・大黄を用いるに止まり、而して芒硝を用いず。

調胃承気湯

調胃承氣湯はその病但だ燥・実・堅して痞満の甚だしからざる者を主治する。
故に芒硝・大黄を用いるに止まり、而して枳実・厚朴を用いず。
その甘草を用いる者には二義あり。一つは則ちこれを用いて以て芒硝大黄の急下の性を緩め、それ徐徐に下しせしめれば、則ち胃中に余熱無き也。一つは則ちこれを用いて以て芒硝大黄の胃氣を伐つことを防ぐ也。
蓋し苦寒は胃の悪む所。若し此の物を以て加えずば、恐らくは下後に胃氣頓ろに虚し且つ屈曲の間に邪熱が遺る。他日に胃中錯乱の禍ある也。
それ大小承氣湯に甘草を用いざるは、蓋し既に枳実厚朴を用いて痞満を疎泄して、則ち胃中遺邪の虞(おそれ)無し。且つその証は俱に急に属して虚無し。若し此の物を以て加えれば、恐らくはその薬力を緩め、速やかに功を成すること難き也。

大柴胡湯

夫れ大柴胡湯に至りては、則ち血弱氣尽や腠理開くに因りて、邪熱は既に深く入る。半ば少陽経に在り、半ば已に胃中に入る。表裏倶に逼近する也。此の時に当りて、単に小柴胡湯を用いれば、則ち裏実は去らず。単に承氣湯を用いば、則ち経の邪は復た陥入す。内外同時に攻むに非ずば則ち不可なり。
故に柴胡を用い清氣を升し、以て少陽経邪を解し。
黄芩で以て胸脇の熱を清す。
半夏で以て逆氣を下す。
芍薬で以て氣血を固め脾陰を強くす。
生薑・大棗で以て胃氣を発越し下陥せしめず。
大黄・枳実で以て裏実を泄す。
人参を去るは、邪熱を助けるを恐れる也。
甘草を去るは、薬力を緩めるを恐れる也。
蓋し(大柴胡湯の)制方、已に錯雑に属して、その性は已に和緩なり。若し又、人参甘草の和緩の品を加えれば、升発すべき者の速やかに升発せざることを恐れる。下泄すべき者の速やかに下泄せず、薬氣は胃中に留滞す。胃氣は愈(いよいよ)虚し、経邪は益(ますます)熾ん也。故にこれを去る。

麻子仁丸

夫れ麻子仁丸に至りては、則ち趺陽脈の浮而濇、浮は則ち胃氣強く、濇は則ち小便数なり、浮濇相い搏てば大便則ち鞕、それ脾約と為すを主治する。
胃氣強き者は、胃中に結熱有るを謂う也。
浮なるときは則ち胃中に結熱有りて血氣外流の診なり。
濇なるときは則ち脾氣不行にして約と為すの診なり。約とは約束なり。脾氣行らずして結束される。故に曰く、その脾約と為す也。
夫れ胃中に結熱有りて脾氣行らざるときは、則ち津液は四布すること能わず。飲む所の湯水は水道を偏滲す。故に小便数にして大便は鞕なり。
胃中に結熱有りて大便は鞕する。故に枳実厚朴で以てその結を解し、大黄で以てその熱を泄す。
津液が四布せずして腸胃は燥く。故に麻仁・杏仁・煉蜜で以てその燥を潤す。
氣液が水道を偏滲する故に芍薬で以てその氣を収す。
氣は収まれば腸は潤い結は去る、而して大便通じて則ち小便自ずと長ず。
それ丸と為すは、蓋し湯煎してこれを与えて、亦た水道を偏滲し、その功の成り難きを恐れる也。
此の証、その脈これを按じて濇にして有力。その胃脘を按じて亦た堅鞕なり、口舌乾焦、小便黄赤、此れその候なり。
若しその脈の浮濇ならず、或いは浮濇無力なる者は、俱にこの証に非ず。慎しみてこれを用う勿れ。

夫れ仲景の処方は精微にして皆な此れの如し。学者は心を尽くし自得すべし。
若し夫れ徐氏(徐春甫)の『古今医統」、三焦を以て、大小調胃の用を弁ず。
王氏(王肯堂)『証治準縄』では燥屎を以て大腸に在りて胃に在らずと為す(此の説、本は『此事難知集』に出づ)。
皆な臆度憶測の説なり。その醜さ極まれり。

羅謙甫(羅天益)曰く、若し大承氣湯証に反て調胃承氣を用いれば、則ち邪氣は散ぜず。小承氣湯証に反て大承氣を用いれば、則ち正氣を過傷し、而して腸満して食すること能わず。故に大いに泄下する勿れの戒めあり。
此れ仲景の分かちてこれを治するの所以なり。未だ嘗て聖人の制度を越えず。
後の学者(劉河間)此れら三薬を以て合して一と為す(三一承氣湯)。且つ又、三薬の証を通治す。及び傷寒・雑病・内外一切所傷を問わず一概にこれを治する。若し此の説に依れば、仲景の法と甚だ相い背違する。又、軒岐の緩急の旨を失す。
紅紫乱朱(紅紫、朱を乱す)、衆聴を迷い惑わせ、一唱百和す。病む者をして暗にその害を受けせしむ。

○北山氏が曰く、劉完素は仲景の立方本旨を察せず、而して三方を以て一と為し、三承氣の証を通治す。又、雑病・消渇・胃熱等の証をも治する。此れ仲景の方を用うに似るも、反て仲景の旨を失うなり。
餘杭の陶節庵(陶華)に至りては過於附會に過ぎず、三一承氣を以て黄芩・柴胡・芍薬を加え、六一順氣湯と号し、以て大小調胃・三一承氣・大柴胡・大䧟胸などの湯に代わる神薬と云う者、仲景の門を尚お未だ過ぎざるに、如何(いかに)能く傷寒を知るや!?
その輯する所の六書、これを火するは可なり。
江左(※)の龔廷賢の如きも、亦た夫の六一順氣湯を以て『万病回春』『済生全書』などの書に采入(採入)す。
己の惑を以て而して人を惑わす。
噫!羅公(羅天益)をして、陶華・龔廷賢に於いて後にして生れれば則ち必ず大議論有るなり。此れに由りてこれを観れば、後輩人を誤りても之を責むるに足らず

各下薬の比較をすることで…

以上のように下剤五方をみるに、下法にも実に幅が広いことがわかります。

調胃承気湯と大承気湯との比較すると・・・

調胃承気湯…〔甘草・大黄・芒硝〕
小承氣湯……〔大黄・枳実・厚朴〕
大承気湯……〔大黄・芒硝・枳実・厚朴〕
各生薬の役割りは本文で記されている通りです。

これを鍼灸治療で翻訳するならばどうする?という視点でみると、より理解しやすいでしょう。

下薬と鍼灸の比較

私自身、臨床では“下す”ことを目的とし、“腑を通じさせる”治療は多用します。
私自身にも同様に下法を目的とした鍼灸をよく行いますが、湯液の下方下薬と比べると、胃気の消耗の度合い・その質は異なるように感じます。

下法の重要性

下法・下剤というと最も強い瀉法のように感じ、強すぎる瀉法を嫌う人は多いように感じます。しかし駆邪を行うということは人体において非常に重要なことなのです。

もちろん虚証に陥った状態では、補法は優先されます。
しかし補法とは何のために行うのか?ということを考える必要があります。
「先補後瀉」という言葉があります。この言葉の解釈は人によって様々でしょう。私は次のように考えます。「補法は瀉法を行うための補助であり、瀉法は補法の結果」であります。

凡そ病というのは、多少の差はあれど、虚実が入り乱れた状態です。正氣の虚という隙間があれば、そこに邪が聚まるのです。
正氣の虚により、体内に蓄積した邪を自力で処理することができなくなった病態としてみると、まずは正氣を補う、次いで余残の邪を駆除するというプロセスが必要となるのです。

その病態が緩慢な変化をみせる慢性病であれば、上記の治療方針が適応するということは理解しやすいでしょう。しかし病態変化も早く、病邪の勢いが強い急性熱病であれば、また違う治療計画を描く必要があります。急ぎ病邪を駆逐する必要があります。
下法は陽明腑位における強い熱邪を急速に駆邪する治法として非常に重要となるのです。

駆邪の重要性はときに先補後瀉というセオリーを無視して、駆邪が優先される場合もあります。

例えば『傷寒論』では、少陰病や厥陰病でも承氣湯が用いられることがあります。
少陰病編では320条文321条文322条文に大承氣湯が用いられる条文があります。また厥陰病編でも小承氣湯が374条文に登場します。
この少陰病編における大承氣湯の条文は、少陰三急下証とも呼ばれています。この陰証に陥った状況で強い下薬を用いる治病機序を理解することで瀉法の意義がより深まると思われます。

鍼道五経会 足立繁久

原文 桂枝湯麻黄湯論

■原文 下薬五方論

夫五方者、大承氣湯、小承氣湯、調胃承氣湯、大柴胡湯、麻子仁丸是也。
東垣曰、下藥用大承氣湯最緊、小承氣湯次之、調胃承氣湯又次之。大柴胡湯又次之。此言其大槩也。今述其方意如左。

夫大承氣湯主治邪熱在胃中而作燥屎。其病痞満燥實堅五證俱全者。
枳實苦寒以疏痞。
厚朴辛温以泄満。
芒消鹹寒以潤燥軟堅。
大黄苦寒以泄實熱。

小承氣湯主治其病但痞満實而燥堅未甚者。故止用枳朴大黄而不用芒消。

調胃承氣湯主治其病但燥實堅而痞満不甚者、故止用芒消大黄而不用枳朴。
其用甘草者有二義。一則用之以緩消黄急下之性、使其徐徐下、則胃中無餘熱也。一則用之以防消黄之伐胃氣也。
蓋苦寒者胃之所惡。若不加以此物、恐下後胃氣頓虚且屈曲之間遺邪熱。他日有胃中錯亂之禍也。其大小承氣不用甘草者、蓋既用枳朴疏泄痞満、則無胃中遺邪之虞。且其證俱屬急無虚。若加以此物、恐緩其藥力、難速成功也。至夫大柴胡湯、則因血弱氣盡腠理開、邪熱既深入。半在少陽經、半已入胃中。表裏倶逼近也。當此時單用小柴胡湯、則裏實不去、單用承氣湯、則經邪復䧟入。非内外同時攻則不可。故用柴胡升清氣、以解少陽經邪。黄芩以清胸脇之熱。半夏以下逆氣。芍藥以固氣血強脾陰。生薑大棗以發越胃氣不令下䧟。大黄枳實以泄裏實。
去人參者、恐助邪熱也。去甘草者、恐緩藥力也。蓋制方已屬錯雜其性已和緩。若又加參甘和緩之品、恐升發者不速升發、下泄者不速下泄、藥氣留滞於胃中、胃氣愈虚、經邪益熾也、故去之。

至夫麻子仁丸、則主治趺陽脈浮而濇、浮則胃氣強、濇則小𠊳數、浮濇相搏大𠊳則鞕、其脾爲約者。
胃氣強者、謂胃中有結熱也。浮則胃中有結熱、而血氣外流之診。濇則脾氣不行而爲約之診。約者約束也。脾氣不行而結束。故曰其脾爲約也。夫胃中有結熱而脾氣不行、則津液不能四布。所飲湯水偏滲水道、故小𠊳數而大𠊳鞕也。胃中有結熱而大𠊳鞕。故枳朴以解其結。大黄以泄其熱。津液不四布而腸胃燥。故麻仁杏仁煉蜜以潤其燥、氣液偏滲水道。故芍藥以収其氣、氣収腸潤結去、而大𠊳通則小𠊳自長。
其爲丸者、蓋湯煎與之、恐亦偏滲水道、難成其功也。
此證其脈按之濇而有力、按其胃脘亦堅鞕、口舌乾焦、小𠊳黄赤、此其候也。若其脈不浮濇、或浮濇無力者、俱非此證、慎勿用之。夫仲景之處方、精微皆如此。學者盡心自得焉。若夫徐氏醫統以三焦辯大小調胃之用。王氏準縄以燥屎爲在大腸而不在胃。(此説本出于此事難知集)。皆臆度之説。其醜極矣。
羅謙甫曰、若大承氣湯證、反用調胃承氣、則邪氣不散。小承氣證、反用大承氣、則過傷正氣、而腸満不能食。故有勿大泄下之戒。此仲景所以分而治之。未嘗越聖人之制度。後之學者(劉河間)以此三藥合爲一(三一承氣湯)。且又通治三藥之證、及無問傷寒雑病内外一切所傷一槩治之。若依此説、與仲景之法、甚相背違。又失軒岐緩急之旨。紅紫亂朱。迷惑衆聴。一唱百和、使病者暗受其害。
○北山氏曰、劉完素不察仲景立方本旨、而以三方爲一、通治三承氣之證。又治雑病消渇胃熱等證。此似用仲景之方、反失仲景之旨矣。
至杭之陶節庵過於附會、以三一承氣加黄芩柴胡芍藥、號六一順氣以代大小調胃三一承氣大柴胡大䧟胸等湯之神藥云者、仲景之門尚未過焉、如何能知傷寒乎。
其所輯六書火之可也。
如江左龔廷賢、亦以夫六一順氣采入於回春濟世等書、以己之惑而惑人。噫、使羅公後於陶華龔廷賢而生、則必有大議論矣。由此觀之後輩誤人不足責之。

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