補虚枢要六方論『医経解惑論』より

代表的な六つの補剤を学ぶ

江戸期の俊英 内藤希哲の医書『医経解惑論』から、補虚枢要六方の論を学びます。補剤はその名の通り、虚に対し処方され氣血水を補う方剤です。とくに補法が好きな鍼灸師にとっては学ぶべき内容でしょう。

本記事は当会講座「鍼灸師の鍼灸師による鍼灸師のための漢方~鍼薬双修~」のテキストとして使用します。鍼薬双修では、まず江戸期の俊英 内藤希哲の医書『医経解惑論』から学びます。本記事では「補虚枢要六方論」を紹介します。


※『医経解惑論』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

■書き下し文 仲景 補虚枢要六方の論

六方とは、小建中湯、理中湯、炙甘草湯、桂枝湯、腎氣丸、四逆湯也。
桂枝湯方論は既に前に詳しい(「桂枝湯麻黄湯の論」を参照のこと)。今、五方を論じて云う。

小建中湯

論じて曰く、建中とは建脾なり。夫れ脾は陰土也。中央に応じ四藏の中に居る。飲食を運化し、津液を通行し、営衛を生育し、以て一身を滋養することを主る。若し夫れ飢飽の時を失し、労役節せず、脾氣は衰に因りて、飲食の精氣盛ならざるときは、則ち津液は四布せず、営衛は盛張せず、臓腑百体皆なその職を失す。内邪に傷れ易く、外邪に侵され易く、百痾は蜂起す。
故に仲景はこの湯を制し以てこれを補う。
膠飴の甘温が君と為し、以て津液を生じ脾胃を建てる。
芍藥の酸寒が臣と為し、以て津液を収し陰氣を益す。
甘草・大棗の甘温が佐と為し、以て脾胃を養い裏急を緩める。
桂枝・生薑の辛熱は使と為し、以て芍薬・甘草・大棗・膠飴の甘酸の滞を行らす。且つ心胃を鼓舞し、陽氣を発揚し、以て津液を運し営衛を和す、稼穡が甘を作するの本味を用いて、急ぎその中氣を建てる。飲食を増し而して精液を旺せしむる、以て血を充たし脈を生じその真陰の氣を復する也。
夫れ脾陰虚なる者は、脈弦濇、腹中急痛、心中悸煩、衂血、遺精、四肢痠痛、手足煩熱、口乾咽燥、身體怠惰、腹中急縮、腹満時痛、四肢筋急、小便自利などの証あり。
凡そ諸病に此れらの候が一二でも見われる者は、何病かを問わず、先ずこれを用いて効かざること莫し。後人に鹵莾(ろもう)多くその旨を識らず。
或いは一切以て傷寒の腹中急痛の主方と為す。或いは一切以て脾虚の中寒・営衛不和の套方と為す。遂に後学をして傷寒腹痛する者に非ずば用いる能わざらしむ。哀しき哉…。

理中湯(一名、人参湯)

論に曰く、理中とは胃を理する也。夫れ胃は陽土なり。脾と合して表裏を為す。胃は水穀を納れ之を腐熟し、以て氣血津液を生じることを主る。脾は其の精微を運行し、以て臓腑百体に於いて分布する。
東垣の(『脾胃論』脾胃勝衰論に)曰く、“胃は乃ち脾の剛、脾は乃ち胃の柔、表裏の謂い也。飲食不節するときは則ち胃は先ず病み、脾は禀る所無く而して後に病む。労倦するときは則ち脾が先に病み、胃は其の津液を行らすを為すこと能わず、而して後に胃が病む。其の生ずる所の前後異なると雖も、而して禀る所の邪は則ち一つなり”と。夫れ飲食不節、労倦失度にて、胃陽一たび衰えば則ち受納腐熟すること能わず。陰陽は乖戻し、胃中に濁乱れ、臓腑経絡は皆な其の養を失い、内外の邪に傷感(傷れ感ずる)に於いて易し、百病は此れに由りて起きる。故に仲景は此の湯を制し以て之を理する。
人参、甘草の甘温は、以て脾胃を養う。
白朮の苦温は、以て胃土を固め、水湿を燥かす。
乾薑の辛熱は、以て胃陽を補い濁陰を去る。
湿去れば濁除く。胃の陽が固まれば壮(壮健)而して百邪は伏すべし。
夫れ胃陽の虚する者、腹満心痞、心腹疼痛、胸脇逆槍、嘔吐噦噫、腸鳴泄利、臍上築動、心下悸煩、小便不利、渇して熱湯を好む、飲食を思わざるなどの証あり。
凡そ諸病に此れらの候の一二でも見われる者は、何れの病かを問わず、先ず之を用いて當と為す。此の方、小建中湯と並び立つこと車に両輪の有るが如し。其の用、博く多し。其の効は神の如し。世の病を患い、飲食労倦に由りて起る者には、十のうち常に八九居る。
仲景は此の二方を設け、以て之を建理す。所謂、脾胃を調理する者は、医中の王道、是也。
更に炙甘草湯、桂枝湯を設けて、以て上焦心肺の陰陽を補う。腎氣丸、四逆湯、以て下焦腎中の陰陽を補う。
六方を柱立して聖人は本を務めて民を仁(にん)ずるの意が備わるなり。其の他、温涼寒熱、汗吐下滲の諸方の如く、皆な之を裁成輔相する而已(のみ)。
惜しむかな、王叔和が妄りに撰次を作して、此の方論を遺亡す、僅かに霍亂篇 理中丸方後に於いて寄録す。後の諸賢、或いは桂枝麻黄青龍を以て方の大意を為し、或いは汗吐下三法を以て書中の眼と為さしむる。此れ余の已むを得ざるの所以なり。

炙甘草湯(一名、復脈湯)

論に曰く、内経(脈要精微論)に曰く、脈とは血の府也、と。夫れ脈とは飲食の精微也。飲食、胃に入り、その精氣遊溢し、而して心に走り以て営と為す、肺に入りて以て衛と為す。営衛相い合して乃ち脈と為す。臓腑百体に流行し、以て一身を滋養するなり。
仲景曰く、穀の胃に入りて脈道乃ち行く。水、経に入りて其の血乃ち成る。
『素問』経脈別論に曰く、“食氣 胃に入り肝に於いて精を散じ、筋に於いて氣を淫す、食氣は胃に入り、濁氣は心に帰し、脈に於いて精を淫す。脈氣は経を流れ、経氣は肺に於いて帰す、肺は百脈を朝し、皮毛に於いて精を輸し、毛脈 精を合し、腑に於いて氣を行らす(腑は膻中を謂う)。腑の精、神明は四臓(心肺肝腎)に於いて留まる。氣は権衡に於いて帰する(権衡とは経脈流行の度を謂う也)。権衡以て平、氣口を寸と成し、以て死生を決す。飲は胃に於いて入りて精氣を遊溢し、上りて脾に於いて輸す。脾氣は精を散じ、上りて肺に於いて帰し、水道を通調し、下りて膀胱に輸す。水精は四布し、五経並び行く。四時五臓に合して、陰陽を揆度し以て常と為す也”と。
故に心肺に一つでも虧有るときは、則ち脈の結代、心動悸などの証を致す。
仲景が此の湯を制する所以。以て心肺を補い以てその脈を復する也。
生地黄の甘苦寒は君と為し、以て心血を養う。
麦門冬・麻子仁・阿膠の甘潤平は佐と為し、以て津液を助け以て肺燥を潤す。
炙甘草・大棗・人参の甘温は臣と為し、以て脾胃を補い以てその本を建てる。
桂枝・生薑の辛熱は使と為し、以て陽氣を発揚し精氣を心肺に輸する。
清酒を以て煎ずるは以て能く薬気を行らして升発灌漑する也。
名を炙甘草を以てするは、脈の本は脾胃に在るを以て也。
此の方也、独り脈の結代・心動悸の諸病を治するにあらず。
凡そ心肺虚燥、上氣喘咳、虚煩不眠、肺痿、涎多、心中温温、口乾咽燥、煩渇熱燥、心悸、喜忘、恍惚神乱、譫妄驚惕、狂恐恥羞、短氣少力、脈虚濇・洪大・潤沢無しなどの証を致す者、皆なこれを用いる。神験あり。
或る人曰く、陰を補うに何ぞ生薑・桂枝・清酒を用うるを為すや?
曰く、所謂(いわゆる)陰虚とは陰の独り虚するにあらず也。王太僕が曰う、陽無きときは則ち陰以て生ずること無く、陰無きときは則ち陽以て化すること無し。仲景は補陰に補陽を兼ねる。補陽を補するに補陰を兼ねる。此れ立方の聖と為す所以也。
(しかし)世人は陰陽を補うに偏寒偏熱を以て欲す、なんと左であることか!?

腎氣丸(一名八味丸)

論に曰く、腎は水に属す、その臓は両枚ありて、以て習坎に象る。臓中の精を名づけて真陰と曰い、陰中に真陽が舎る。
此れ坎中の一爻、先天の元氣。名づけて腎間動氣と曰う。又、名づけて命門元陽と曰う。津液を通行し水穀を分別するを主る。
経(『素問』水熱穴論)に曰く、腎は胃の関なり、是なり。人の性命は全くこの陽に頼りて立つ。所謂(いわゆる)甲胆の升発の陽、胃中の水穀を腐熟するの陽、膻中の営衛を通行するの陽、皆な此れを以て本と為す。故に此の陽が盛んなるときは則ち人も盛ん。此の陽衰えるときは則ち病む、此の陽の絶するときは則ち死す。
蓋し精盛んなるときは則ち陽盛ん、精少なきときは則ち陽衰う。元陽一たび衰れば則ち諸陽は皆な不足す。
若し夫れ色欲の節ならず、労役大過してその精液を失するときは、則ち真陰虚す。真陰虚するときは則ち元陽衰え、百病は此れによりて生ずる。故に仲景はこの丸を制し以てこれを補う。
乾地黄の甘寒重潤は君と為し、以て真陰を補う。
腎衰るときは則ち子母俱に弱し。故に山薬の甘平を以てその母を強む。
山茱萸の酸温、以てその子を益し、臣と為す(母は肺也、子は肝也)。
腎虚するときは則ち津液は順流せずして瘀濁と為る。故に牡丹皮の辛寒、逐瘀行滞す(瘀を逐い滞を行らす)。
茯苓・澤瀉の甘淡は湿濁を泄し邪水を滲して佐と為す。
元陽衰ろうときは則ち心腎は交通せず。故に附子の辛熱を以て元陽を補う。
桂枝の辛熱は陽氣を心に於いて通じて使と為す。
丸剤とするに煉蜜を以てするは、その甘醇にて脾胃の氣を厚くし、薬力を運せしむことを欲する。
名を腎氣丸と曰うは、腎氣虚する者には此れ(此薬)に非ずば治すること能わざるを示すもの也。
夫れ腎氣の虚する者には、消渇して小便反て多し、或いは腰痛み小腹拘急し、小便利せず、或いは婦人転胞し、小便を得ず、倚息す、或いは上実下虚し、頭眩、短氣す、或いは下体酸疼し、疝氣陰疼し。或いは便精遺滑し、夜に小便多し、或いは臍腹陰冷し、二便不調し、或いは腰脚無力、陽物痿弱、或いは脚氣上攻し、少腹不仁する等の証あり。
凡そ諸病に此れらの候が一二でも見われる者には、何病をも問わず、宜しく先にこれを用うるべし。
仲景六経篇の中に此の方を論ずる者無し、恐らくは脱簡なり。
今、中風・傷寒・温病・中湿など病を治するに、腰痛み少腹拘急、小便不利、及び煩渇して引飲する等の証を兼ね見わすは、新久を問わずこれを用いて、神効あり。
但だし此の病(腎氣丸証)、猪苓湯・五苓散・真武湯の諸証と相い似る。宜しく詳らかに之を弁ずるべし。
世人は率ね此の方を以て、諸虚緩治の薬と為して、卒病に反て一二服にて其の効の神の如く有る者を知らず。夫れ卒病にこれを用いて愈る者に、妄りに他薬を用いて必ず死を免れざること慎まざるべけんや。惜しむべし。
王履は八味丸は陰火不足を治し、六味丸は惟だの陰虚を治すと妄りに謂う。薛己も又その説を宗として遂に張介賓をして此の方を以て利水設と為さしめて、別に左帰右帰の四方(左帰飲・左帰丸・右帰飲・右帰丸)を僭立す。噫!寃なる哉。

四逆湯

論に曰う、此れ胃腎陽虚を治するの主方なり。

凡そ胃腎陽虚するときは則ち少陰経の血少なし。陰寒、内に自生し外寒と相い搏ちて、乃ち無熱悪寒、燥渇煩躁、筋惕肉瞤、舌縮語澁、嘔吐噦䭇、四肢逆冷、二便不調、遺尿遺屎、下利清穀、四肢拘急、大熱狂譫、戦慄咬牙などの証を致す。
其の脈の多くは沈遅、或いは浮遅、或いは沈細而数。甚しき者は浮大緊数無根。凡そ諸病に此の候一二を見わす者は、何れの病かを問わず、此の方を以て主と為す。
甘草の甘平二両を君と為し、以て脾胃を補う。
乾薑の辛熱一両半、以て胃陽を補う。
附子の辛熱一両半、以て元陽を補い、臣と為す。
内経(『素問』至真要大論)に曰く、寒の内に於いて淫するは、治するに甘熱を以てす。
又曰く、寒の勝つ所に淫するは、平するに辛熱を以てす。
又曰く、君一臣二、奇の制也。近しき者は之を奇す。
又曰く、下を補い、下を制し、之を制し、急を以てす。急なるは氣味厚し、是の湯の氣味厚し。甘辛大熱、陽を復し寒を散ずるの急剤也。
方を四逆湯と名づくる者は、四肢逆冷の義を取る。此れ胃腎虚寒を標とする也。
或いは曰く、此の方は多く汗吐下火の四者の逆を主治する故の名と、亦た通ず。

○凡そ此の方、胃腎素(もと)より弱く、仮熱を有する者に用うべし。若し脾胃素より強くして陽暴(にわかに)虚すれば、其の人専ら冷証を見わす。
仮熱の無き者には用うべからず、乾薑附子湯、白通湯、真武湯、附子湯の属に宜し。若し之を用いば、動(ややもすれば)甘味が膈に泥(なづ)みて、其の功を成すこと難し也。
或いは已むを得ず之を用いるには、宜しく薑附を増すべし。方後に云う所の、強人には大附子一枚、乾薑三両を用うべしとは、是れなり。
此れ即ち通脈四逆湯なり。此れ止まらざれば、凡て甘味泥(なづ)む。悪心飽悶する者は、皆な胃中に停滞(宿食、氣滞、湿痰、蟲積、垢臓の類)有り。これの致す所、宜しく証に随いて之を治せ。此の方宜しからず。

○茯苓四両、人参一両を加う、名を茯苓四逆湯という。汗下の後に煩躁する者を主る、此の外の加減法、宜しく通脈四逆湯の例に従う(詳しくは本経の少陰篇を見よ)

○人参一両を加う、四逆加人參湯と名づく。陽虚を極めて血を亡する者、此の方これを主る。凡そ亡血する者、或いは悪寒脈微而して利す、或いは利止む。或いは悪寒発熱し休止無く。或いは大便不通而して腹濡(濡軟)。脈虚し復た厥す、此れらに止まらず。
凡そ諸病危急し垂死する者、皆なこれを用いて神効あり。
その証、或いは大いに汗出ること煙の如し、皮肉瞤動す、或いは発熱煩躁、或いは喘促短氣し臥することを得ず、或いは嘔吐、渇を発して止まず、或いは下利清穀、或いは四肢逆冷、或いは大便不通、小便不利、或いは二便遺失し、或いは昏瞶して人を知らず、或いは大熱狂言、或いは口舌乾燥、舌縮言澁、或いは四肢拘急して不仁、或は失血不止、或いは時に噦し䭇す。その脈洪大動数にして指を鼓す、或いは濇微濡弱、或いは虚数して倫次無く、或いは絶して至らざる者、皆な真元虚亡の致す所なり。
虚の甚しき者には人参を倍加す。病人の冷を好む者には十分に冷服す。若し熱を好む者には熱服す。傷寒・雑病・胎前・産後・老人・小児を問わず、皆な宜しくこれを用うべし。
予、嘗てこれを用いて死を起こし危を救う者、枚挙に暇(いとま)せず。世人、危急なる証に遇いて、率に唯だ独参湯、参附湯の属を用い。而して此の方を用いることを知らず。故に救を得る者、甚だ少なし。凡そ危急なる証を治するに、一日一夜この薬一剤(今十六~十七銭重)を服し尽くす。極濃煎してこれを与う(大抵、宜しく水今一升を用い五合に煮取る、滓を去り再び煮て一二合に取てこれを服すべし)。薬量少なく及び淡煎しては及び難し也。
○或いは曰く、此の湯の命名の義、似四逆せざる者に用うべからざる似る。何如?
曰く、胃腎陽虚、四逆する者の証の常なり。その四逆せざる者、証の変なり。若しその病果、胃腎陽虚に由り、四逆せざると雖も、而して當にこれを用うべし。
王海藏が曰く、烏附は身冷四肢厥冷する者に非ずば用うべからず、これ非なり。仲景は四逆の諸証に用いて、四肢逆冷か否かと拘らざる者多し。
予、亦た数人を治する、その逆不逆に拘らず、間(まま)四肢反て発熱する者有り、而して皆なこれを用て愈を得る。
但だ精しく脈証所因を研しこれを用いて宜と為すのみ。

以上のように補虚の要剤の概略が記されています。補法とひと口に言っても補う部位とその対象によって方剤が変わります。
そして、それは鍼灸もまた同じことだと言えるでしょう。
鍼灸における補法には五行補瀉がよく知られていますが、それ以外の補の手段を知っておくこと、そしてそれを鍼灸で翻訳し、現場で応用できるようになることが大事です。

鍼道五経会 足立繁久

原文 仲景補虚樞要六方論

■原文 仲景補虚樞要六方論

六方者、小建中湯、理中湯、炙甘草湯、桂枝湯、腎氣丸、四逆湯也。
桂枝湯方論既詳前。今論五方云。

小建中湯
論曰、建中者建脾也。夫脾陰土也。應中央居四藏之中、主運化飲食、通行津液、生育營衛、以滋養一身焉。若夫饑飽失時、勞役不節、脾氣因衰、飲食之精氣不盛、則津液不四布、營衛不盛張、藏府百體皆失其職。内邪易傷、外邪易侵、百痾蜂起。故仲景制此湯以補之。膠飴甘温爲君、以生津液建脾胃。芍藥酸寒爲臣、以収津液益陰氣。甘草大棗甘温爲佐、以養脾胃緩裏急。桂枝生薑辛熱爲使、以行芍甘棗飴甘酸之滞。且鼓舞心胃、發揚陽氣、以運津液和營衛、用稼穡作甘之本味、急建其中氣。使飲食增而精液旺、以充血生脈復其真陰之氣也。夫脾陰虚者、有脈弦濇腹中急痛、心中悸煩、衂血、遺精、四肢痠痛、手足煩熱、口乾咽燥、身體怠惰、腹中急縮、腹満時痛、四肢筋急、小𠊳自利等證。
凢諸病見此候一二者、不問何病、先用之莫不効矣。後人鹵莾多不識其旨。或一切以爲傷寒腹中急痛之主方。或一切以爲脾虚中寒營衛不和之套方。遂使後學非傷寒腹痛者不能用焉。哀哉。

理中湯(一名人参湯)
論曰、理中者理胃也。夫胃陽土也。與脾合爲表裏。胃主納水穀而腐熟之、以生氣血津液、脾運行其精微、以分布於藏府百體。
東垣曰、胃乃脾之剛、脾乃胃之柔。表裡之謂也。飲食不節則胃先病、脾無所禀而後病。勞倦則脾先病、不能爲胃行其津液、而後胃病。其所生之前後雖異、而所禀之邪則一也。夫飲食不節、勞倦失度、胃陽一衰則不能受納腐熟。陰陽乖戾、胃中濁亂、藏府經絡皆失其養。内外之邪易於傷感、百病由此起。故仲景制此湯以理之。
人參甘草甘温、以養脾胃。白朮苦温、以固胃土、燥水溼。乾薑辛熱、以補胃陽去濁陰、溼去濁除。胃固陽壮、而百邪可伏。夫胃陽虚者、有腹満心痞。心腹疼痛、胸脇逆槍、嘔吐噦噫、腸鳴泄利、臍上築動、心下悸煩、小便不利、渇好熱湯、不思飲食等證。凢諸病見此候一二者、不問何病、先用之爲當。此方與小建中湯並立、如車有両輪。其用博多。其効如神。世之患病、由飲食勞倦起者、十常居八九。仲景設此二方以建理之。所謂調理脾胃者、醫中之王道、是也。㪅設炙甘草湯桂枝湯、以補上焦心肺之陰陽。腎氣丸、四逆湯、以補下焦腎中之陰陽。六方柱立而聖人務本仁民之意備矣。如其他温涼寒熱、汗吐下滲諸方。皆裁成輔相之而已。惜乎。王叔和𡚶作撰次。遺亡此方論、僅寄録於霍亂篇理中丸方後、使後諸賢或以桂枝麻黄青龍爲方之大意、或以汗吐下三法爲書中之眼。此余之所以不得已也。

炙甘草湯(一名復脈湯)
論曰、内經曰、脈者血之府也。夫脈者飲食之精微也。飲食入胃、其精氣遊溢、而走於心以爲營、入於肺以爲衛。營衛相合乃爲脈。流行於藏府百體、以滋養一身焉。
仲景曰、穀入於胃脈道乃行、水入於經其血乃成。經脈別論曰、食氣入胃散精於肝、淫氣於筋、食氣入胃濁氣歸心。淫精於脈。脈氣流經、經氣歸於肺、肺朝百脈、輸精於皮毛、毛脈合精、行氣於府(府謂膻中)。府精神明留於四藏(心肺肝腎)。氣歸於權衡(權衡謂經脈流行之度也)。權衡以平、氣口成寸、以決死生。飲入於胃遊溢精氣、上輸於脾。脾氣散精上歸於肺。通調水道下輸膀胱、水精四布、五經竝行、合四時五藏陰陽揆度以爲常也。故心肺一有虧、則致脈結代、心動悸等證。
仲景所以制此湯。以補心肺以復其脈也。生地黄甘苦寒爲君。以養心血。麥門冬麻子仁阿膠甘潤平爲佐、以助津液以潤肺燥。炙甘草大棗人參甘温爲臣、以補脾胃以建其本。桂枝生薑辛熱爲使、以發揚陽氣使輸精氣於心肺。煎以清酒者以能行藥氣升發灌漑也。名以炙甘草者、以脈之本在脾胃也。此方也、不獨治脈結代心動悸諸病。凢心肺虚燥、致上氣喘咳、虚煩不眠、肺痿、涎多、心中温温、口乾咽燥、煩渇熱燥、心悸、喜㤀、恍惚神亂、譫𡚶驚惕、狂恐恥羞、短氣少力、脈虚濇洪大無潤澤等證者、皆用之。神驗。
或曰、補陰何爲用薑桂清酒。
曰、所謂陰虚不陰獨虚也。王太僕曰、無陽則陰無以生。無陰則陽無以化。仲景補陰兼補陽。補陽兼補陰。此所以爲立方之聖也。世人補陰陽欲以偏寒偏熱、不亦左乎(なんと左であることか!?)。

腎氣丸(一名八味丸)
論曰、腎屬水、其藏有兩枚、以象習坎藏中之精、名曰真陰。陰中舎真陽。此坎中之一爻、先天之元氣。名曰、腎間動氣。又名曰命門元陽。主通行津液分別水穀。經曰、腎者胃之關也。是也。人之性命全頼此陽而立。所謂甲膽升發之陽。胃中腐熟水穀之陽。膻中通行營衛之陽。皆以此爲本。故此陽盛則人盛、此陽衰則病、此陽絶則死。蓋精盛則陽盛、精少則陽衰。元陽一衰、則諸陽皆不足。若夫色欲不節、勞役大過失其精液、則真陰虚。真陰虚則元陽衰、百病生自此。故仲景制此丸以補之。乾地黄甘寒重潤爲君、以補真陰。腎衰則子母俱弱。故山藥甘平以強其母。山茱萸酸温以益其子爲臣(母肺也、子肝也)。腎虚則津液不順流爲瘀濁。故牡丹皮辛寒逐瘀行滞。茯苓澤瀉甘淡泄溼濁滲邪水爲佐。元陽衰則心腎不交通。故附子辛熱以補元陽。桂枝辛熱通陽氣於心爲使。丸以煉蜜者、欲其甘醇厚脾胃氣令運藥力也。名曰腎氣丸者、示腎氣虚者非此不能治也。
夫腎氣虚者、有消渇小𠊳反多、或腰痛小腹拘急、小𠊳不利、或婦人轉胞、不得小𠊳、倚息、或上實下虚、頭眩、短氣、或下體酸疼、疝氣陰疼、或𠊳精遺滑、夜多小𠊳、或臍腹陰冷、二𠊳不調、或腰脚無力、陽物痿弱、或脚氣上攻、少腹不仁等證。凢諸病見此候一二者、不問何病、宜先用之。
仲景六經篇中無此方論者、恐脱簡也。
今治中風傷寒温病中溼等病、兼見腰痛少腹拘急、小𠊳不利、及煩渇引飲等證、不問新久用之、神効。但此病與猪苓湯五苓散真武湯諸證相似。宜詳辨之。
世人率以此方爲諸虚緩治之藥而不知卒病反有一二服其効如神者。夫卒病用之而愈者、𡚶用他藥。必不免於死可不慎哉。惜乎。
王履𡚶謂八味丸治陰火不足。六味丸治惟陰虚。薛己又宗其説遂使張介賔以此方爲利水設、別僭立左歸右歸四方。噫、寃哉。

四逆湯
論曰、此治胃腎陽虚之主方也。凢胃腎陽虚、則少陰經血少。陰寒自生於内與外寒相搏、乃致無熱惡寒、燥渇煩躁、筋惕肉瞤、舌縮語澁、嘔吐噦䭇、四肢逆冷、二𠊳不調、遺尿遺屎、下利清穀、四肢拘急、大熱狂譫、戰慄咬牙等證、其脈多沈遅、或浮遅、或沈細而數。甚者浮大緊數無根。凢諸病見此候一二者、不問何病、以此方為主。
甘草甘平二兩為君、以補脾胃。
乾薑辛熱一兩半以補胃陽。
附子辛熱一兩半以補元陽為臣。
内経曰、寒淫於内、治以甘熱。又曰、寒淫所勝、平以辛熱。又曰、君一臣二奇之制也。近者奇之。又曰、補下制下、制之以急。急者氣味厚、是湯氣味厚。甘辛大熱、復陽散寒之急劑也。方名四逆湯者、取四肢逆冷之義。此標胃腎虚寒也。或曰此方多主治汗吐下火四者之逆。故名焉亦通。
○凢此方胃腎素弱、有假熱者可用。若脾胃素強而陽暴虚、其人専見冷證。無假熱者不可用、宜乾薑附子湯、白通湯、真武湯、附子湯之屬。若用之動甘味泥膈難成其功也、或不得已用之、宜增薑附。方後所云、強人可用大附子一枚乾薑三両是也。此即通脈四逆湯也。不止此、凢泥甘味、惡心飽悶者、皆胃中有停滞(宿食氣滞湿痰蟲積垢臓之類)之所致。宜隨證治之。不宜此方。
○加茯苓四兩人参一兩、名茯苓四逆湯。主汗下後煩躁者、此外加減法宜從通脈四逆湯之例(詳見本經少陰篇)
○加人参一兩、名四逆加人參湯。陽虚極亾血者、此方主之。凢亾血者、或惡寒脈微而利。或利止。或惡寒發熱無休止。或大𠊳不通而腹濡。脈虚復厥、不止于此。凢諸病危急垂死者、皆用之神効。
其證或大汗出如煙、皮肉瞤動。或發熱煩躁。或喘促短氣不得臥。或嘔吐發渇不止。或下利清穀。或四肢逆冷。或大𠊳不通、小𠊳不利。或二𠊳遺失。或昏瞶不知人。或大熱狂言。或口舌乾燥、舌縮言澁。或四肢拘急不仁。或失血不止。或時噦䭇。其脈洪大動數鼓指。或濇微濡弱。或虚數無倫次。或絶不至者、皆真元虚亾之所致也。
虚甚者倍加人參。病人好冷者十分冷服。若好熱者熱服。不問傷寒雑病胎前産後老人小兒皆宜用之。
予嘗用之起死救危者、不暇枚擧。世人遇危急證、率唯用獨參湯參附湯屬。而不知用此方。故得救者甚少矣。凢治危急證、一日一夜服盡此藥一劑(今十六七錢重)。極濃煎與之(大抵宜用水今一升煮取五合、厺滓再煮取一二合服之)。藥量少及淡煎難及也。
○或曰、此湯命名之義、似不四逆者不可用、何如。
曰、胃腎陽虚四逆者證之常也。其不四逆者證之變也。若其病果由胃腎陽虚、雖不四逆、而當用之。
王海藏曰、烏附非身冷四肢厥冷者不可用、非也。仲景用四逆諸證、不拘四肢逆冷與否者多。
予亦

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