桂枝湯麻黄湯の論 『医経解惑論』 より

鍼薬双修のテキスト

本記事は当会講座「鍼灸師の鍼灸師による鍼灸師のための漢方~鍼薬双修~」のテキストとして使用します。

鍼薬双修では、まず江戸期の俊英 内藤希哲の医書『医経解惑論』から学びます。本記事では「桂枝湯麻黄湯の論」を紹介します。

※『医経解惑論』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

■書き下し文 桂枝湯麻黄湯の論

桂枝湯は表虚を治し、麻黄湯は表実を治す。その法は古し。然るにその義は則ち諸氏の説、懵然(ぼうぜん)たり。夫れ表虚なる者、頭痛、悪寒、発熱、汗自出、脈浮弱なる者是也。
凡そ表虚諸病、その人の体氣素より祛弱、裏和無病と雖も、而してその裏氣不足し、以てその表を固す(※1)。故に微寒微風に遇い、便ち著きて病を為す。
『内経』(経脈別論篇第二十一)に曰く、祛する者は著きて病と為す、是也。仲景これを治するに桂枝湯を以てす。一名を陽旦湯という。立方の旨、桂枝は木皮にして固外の物と為す。その味は辛甘、その性は温熱。
『内経』(陰陽応象大論第五・至真要大論第七十四)に云う、辛甘は発散して陽と為す。又(六元正紀大論第七十一)云う、表を発するには熱を遠ざけず。桂枝は木皮辛甘を以て、発散して表に達し、其の外を固めるの性を以て、能く表を閉じて汗を止む。
表虚して邪有るときは則ち之を托出する。邪の無きときは則ち但だその表を補う。表を補うときは則ち営衛は盛んとなり、心肺の氣は充ち、膻中の陽は乃ち盛んとなる。故に仲景、上焦の陽を補う毎に、皆な君として之を用う。
芍薬は酸寒にして、能く脾陰を益す。甘草大棗は甘温、能く胃陽を補う。
『内経』(太陰陽明論第二十九・厥論篇第四十五)に曰く、脾は胃の為にその津液を行らすを主る。蓋し表虚は心肺不足に因ると雖も、而してその本は脾胃に在り。桂枝も発散して表を補うと雖も、然るに脾胃の津液を借りるに非ざれば則ちその功を成すこと難し。
故に芍薬の臣と為し、甘草大棗を佐と為すを以て、生薑の辛温、能く胃氣を発越し、桂枝の達表を佐くる。故に以て使と為す。
此の方、但だ裏和表虚の者の為に設けるのみ。
若し脈浮緊、発熱、無汗、及び裏氣虚し津液の少なき人に、誤まりて之を用いれば害を為すこと軽に非ず。
夫れ表実なる者、頭痛、悪寒、発熱、無汗、身体疼痛、脈浮緊の者が是也。

凡そ表実の諸病は、その人の臓氣は素より壮実なり、常時、風寒(の邪)は(人体に)著きて病と為すこと能わず。経(経脈別論第二十一)に曰う、勇者は氣行りて則ち愈ゆ是也。
その或いは労役跋渉し、或いは温熱の氣に遇いて、一時腠理の密ならず而して風雨寒湿これに感ずること深く重く、その邪乃ち表裏に中りて、太陽少陰俱にこれを受く。然るに臓氣素より盛んなる者は、暫時裏の陽は自ずと復し、裏に中りたる邪は少陰に留まること能わず。乃ち経に随いて太陽に浮出する。而して初めの表に中りたるの邪は衛分に在り、後に浮出したるの邪は営分に在り。営衛俱に病めば、経氣は凝閉して、遂に太陽表実病と成る。
内経(『霊枢』論勇篇第五十)に曰く、その皮厚く肌肉堅き者は、必ず重ねて寒を感じ、外内皆な然して乃ち病む是也。
仲景これを治するに麻黄湯を以てす。麻黄は草葉にて中空外粗、体軽く性散の物と為す。釈継洪が曰く、麻黄の地あり、冬に雪は積もらず、と。此れその温熱発散の性の然しむる也。
故にこれを君として以て経中凝閉の実邪を発散す。臣は桂枝を以てする者、一つには以て麻黄慓悍の勢いを覊(つなぐ)、之をして表に徐達せしむるときは則ち経隧屈曲の間に、遺邪の患い無し。一つには以て汗を発しその表を閉じるときは則ち汗多く亡陽の変無きなり。
佐するに杏仁を以てするは、蓋し肺は皮毛を主る。表、実邪を受けるときは則ち肺はこれが為に利せず、多くは喘欬、胸満等の証を見わす。杏仁の辛甘は能く肺氣を利す。
使を甘草を以てするは、能く諸薬を調和する。無過不及の偏り無し、而して正氣を傷らざる也。此の方、但だ裏和表実の者の為に設けるのみ。
若し裏虚津少、及び表虚にして無汗、脈浮弱なる者に誤まりて之を用いば、立ちどころに禍い見わる。用いる者は之を詳にせよ。

或る人の問いて曰く、桂枝麻黄は俱に表薬たり、裏に於いて関わり無し。而して今、裏氣虚津液の少なき者に於いて、併びに二方を禁ずるは何ぞ也?
曰く、此れ二方だけにあらず。凡そ諸々の発汗解肌の薬は、皆な禁ずる所あり。夫れ薬の表に達し邪を散ずる也、その薬の直に自ら到るに非ざる也。
必ず先ず胃に入り、その裏の血氣津液を引き揚げ而して後に病処に到るなり。
此れその脾胃の強さ、血氣津液の盛んなるを以て、能くその薬氣を送る也。
若し脾胃虚し、血氣津液の盛んならざる者、これを用いると雖も、而してこれを送り病処に到すこと能わず。反て薬の困ずる所と為す。或いはこれを送りて病処に到り、而してその薬勢の牽く所、素より少なき津液が外に飛揚し、その裏は頓ろ空ろとなる。軽き者は日を引き、重き者は死に至る。
間(まま)に邪去りて病の愈る者有りと雖も、正氣は傷を受く。異日に種々の病患を致す。故に裏虚津少の人には宜しく禁ずべき所なり。

又、問う、嘗て聞く芍薬・甘草・生薑・大棗は皆な脾胃を補し津液を生ずる者也と。今、桂枝湯の中に皆なこれを用う。その発表するは一味の桂枝のみ。然るときは則ち裏虚の人にこれを用うと雖も何の害あらん?而してこれを禁ずるは何ぞ也?
曰く、桂枝は辛甘と雖も発表の力は烈し。芍薬甘草大棗も補裏すと雖も而してその力は和緩なり。
且つ生薑の辛、亦た能く表を発し汗を出す、その力、緩ならず。
今の人、多くこれを啖(くら)えば即ち汗出づるを観るを見るべき也。
小建中湯方の如きは、(各)三両の桂枝と生薑を以て、諸々六両芍藥、三両甘草、一升膠飴、十二枚大棗と合わせ、而して後に乃ちその発散を専らとせず、但だ能く甘酸の滞を行らし、脾胃の氣を升発し、而してその裏を補いてその中を建てることを得るなり。
今、桂枝湯方、桂枝・生薑・芍薬各三両、甘草二両、大棗十二枚、而して膠飴は無し。夫れこれを補いて緩める者を以て、これ発するの烈しき者に於いて等しきときは、則ちその裏を補せんと欲すと雖も、得るべからざる也。但だ以てその裏の虚を防ぐに足るのみ。
故に諸々の裏和表虚する者に用いるときは、則ち能く諸々の裏氣を助け而して表に達し、能く邪を散じ表を補い而して再びその裏を虚することを至さざるなり。
若し諸々の裏虚津液少なる者に用いるときは、則ちその損じる所は益する所に於いて多し。これを如何にせん、その虚さずして且つ変ずるを。
壊病篇に曰く、傷寒、脈浮、自汗出、小便数、心煩、微悪寒、脚攣急(此れ脾胃虚、血少なき者也)。反て桂枝湯を与えその表を攻めんと欲す、此れ誤まり也。
これ得て便ち厥す、咽中乾、煩躁、吐逆する者、甘草乾薑湯を作してこれを與う。以てその陽を復す、云云。(桂枝湯を禁ずる諸證は甚だ多し、余りは皆な之を太陽中篇に類聚す考うべし。)
見るべし、桂枝湯は能く表を補い裏を補うこと能わざる也。従来の諸医、仲景の述べる所の不可発汗の諸條を以て麻黄の戒めと為す者、昧き哉
李梃が『医学入門』に曰く、不可汗の諸証、俱に宜しく和解すべし。その謂う所の和解とは、桂枝湯、実表湯、冲和湯、解肌湯、和解散の類を指す也。吁、世(医)の仲景の書を熟読せざること!徒らに諸人の涎唾を拾い、而して書を著わす者、往往にして此れの如し。後(世)に禍を貽(おく)る者と謂うべき也。

或る人が曰く、子、之を已に詳らかに弁ず。然して猶お疑うべき者有り。夫れ桂枝が表を補い、猶お且つ芍薬甘草大棗を用いて、以てその裏の虚するを防ぐ。
麻黄湯の表を瀉するが如きは、則ち宜しくその虚を防ぐべく、彼を倍す。今、三両麻黄、二両桂枝、七十箇杏仁を用い、而して甘草を一両に止む。何ぞその裏虚を恤(うれ)えずこと甚し也。
曰く、表虚の病、その人の体氣の素より祛弱なるに因りて、裏和すると雖も而してその裏氣不足し以てその表を固める(※1)。故に単にその裏氣を引きて以てその表を充つときは、則ちその裏はまた不足す。是を以て表を補い、必ずその裏も兼補する也。若し夫れ表実の病なれば、その人の素より壮実なるに因りて、軽浅の邪は著きて病と為すこと能わず。唯だ深重の邪は傷侵して病を為す也。邪氣の深重なるときは則ち裏氣が盛んと雖も、自ら表に達し、その邪を去ること能わず。必ず猛峻の薬勢を籍(かり)て、乃ち能くその邪を発散すべき也。
然るに裏氣素より盛んなるを以て、補薬の力を籍(かり)ず。此れ麻黄湯の宣発に於いて専らにして、その裏を慮らざる所以也。

或る人問う、桂枝湯、何を以て一名を陽旦湯とするか?
曰く、陽とは日なり。旦とは朝なり。旦の字は日が始めて地上に出るの形に従う。桂枝湯の陽氣を発揚し、外邪を解散するの功、猶(なお)朝日の一たび地上に出でて、陰霧を消散するが如き也。
成無己が曰く、陽旦桂枝湯の別名なり、是なり。
方中行(方有執)が謂う陽は風を以て言う、且つ暁なり。中風に似るがその分は暁なりと言う。此れ陽旦を以て病名を為す。仲景が明らかに陽旦湯の言の有ることをを知らず。(陽旦湯の言、婦人篇中に見る)粗率と謂うべき也。
若し夫れ朱奉儀(朱肱)、桂枝湯加黄芩を以て陽旦湯と為し、黄芩乾薑を加え生薑を去る(の方)を陰旦湯と為す。(陰旦湯の旦の由来は『千金』に已にその方有り。)
喩嘉言は黄芩を加えて陽旦湯と為し、桂枝を加えて陰旦湯と為す。夫れ陽旦の義、固より通ず。陰旦の義は甚だ通ぜず。
吁、此の輩は字義を知らず。焉んぞ仲景を知らんや。仲景を知らずして漫(みだり)に書を著わす。後世に禍を貽(おく)る所以也。痛むべき哉。

或る人の問う、嘗て聞く、桂枝湯は風が衛を傷るを主治し、麻黄湯は寒が営を傷るを主治す。風寒が営衛を傷るは大青龍湯の主治する所なり。
今、子は麻黄湯を以て営衛両傷の主薬と為すは何ぞ也?
曰く、子の聞く所、成氏(成無己)の妄説より出づ、而して後に昧き者が雷同附和したるもの也。夫れ風傷衛は固より桂枝湯の主る所也。寒傷営の如くは即ち少陰病なり、附子湯・四逆湯・真武湯・白通湯の主る所、是のみ。唯だ風寒が営衛を両傷し俱に病む者は、麻黄湯が之を主る。宋版傷寒論に明らかに戴る。「脈浮而緊、浮則爲風、緊則爲寒。風則傷衛、寒則傷営。営衛俱病、骨節煩疼。當発其汗、宜麻黄湯」。
成氏、その己の説と合わざるを以ての故に𥨸(ひそか)にこれを刪り去る。その罪、固より大なるかな!
若し夫れ大青龍湯、但治麻黄湯證之有裏熱者耳。
噫!宋より今に至るまでに、未だ一人もこれを弁え知る者有らず、見るべし!中国にも亦た明眼の人の乏しき也。
清の程応旄は、大青龍湯証を以て為中風に温邪を夾むと為すも亦た新たに“様一胡蘆”を画出す(※2)、笑うべし。

※1,「雖裏和無病、而其裏氣不足、以固其表」この箇所は、文脈からすると“裏和すると雖も裏氣が不足するため、表を充たし固めることができない”と読みたいところであるが。
※2,「畵出新様一胡蘆」これは諺「依様画葫蘆(様に依りて葫蘆を画く)」すなわち「様式だけに依って中身のない瓢箪の絵を描くようなこと」の意に通ずるセリフ。

桂枝湯は『傷寒論』太陽病編の最初に登場する薬方です。またその加減法も多く、表証の病理と治病を理解する上で重要な方剤の一つと言えましょう。
対する麻黄湯も表病に対する方剤。
桂枝湯と麻黄湯、両剤の対比からそれぞれの病態像を理解することができます。

また桂枝湯・麻黄湯の方意を理解することで、表病に対する鍼灸治療をより精密に理解・応用することにもつながるでしょう。

鍼道五経会 足立繁久

原文 桂枝湯麻黄湯論

■原文 桂枝湯麻黄湯論

桂枝湯治表虚、麻黄湯治表實。其㳒舊矣。然其義則諸氏之説懵然。夫表虚者、頭痛惡寒發熱汗自出、脈浮弱者是也。
凢表虚諸病、其人體氣素祛弱、雖裏和無病、而其裏氣不足、以固其表。故遇微寒微風、𠊳著爲病。
内経曰、祛者著而爲病、是也。仲景治之以桂枝湯。一名陽旦湯。立方之旨、桂枝木皮爲固外之物。其味辛甘、其性温熱。内経云、辛甘發散爲陽。又云、發表不遠熱、以桂枝木皮辛甘、發散而達表、以其固外之性、能閉表而止汗。表虚而有邪則托出之。無邪則但補其表。補表則營衛盛、心肺氣充、膻中之陽乃盛。故仲景毎補上焦之陽、皆君用之。
芍藥酸寒、能益脾陰。甘草大棗甘温、能補胃陽。内経曰、脾主爲胃行其津液、蓋表虚雖因心肺不足、而其本在脾胃。桂枝雖發散而補表、然非借脾胃津液、則難成其功矣。
故以芍藥爲臣、甘草大棗爲佐、生薑辛温、能發越胃氣、佐桂枝達表。故以爲使。
此方但爲裏和表虚者設耳。
若脈浮緊發熱無汗、及裏氣虚津液少之人、誤用之爲害非輕。夫表實者、頭痛惡寒發熱無汗身體疼痛、脈浮緊者是也。
凢表實諸病、其人藏氣素壮實、常時風寒不能著而爲病。經曰、勇者氣行則愈是也。其或勞役跋渉、或遇温熱之氣、一時腠理不密、而風雨寒溼感之深重。其邪乃中表裏、太陽少陰俱受之。然藏氣素盛者、暫時裏陽自復、中裏之邪不能留于少陰。乃隨經浮出於太陽。而初中表之邪在衛分、後浮出之邪在營分。營衛俱病、經氣凝閉、遂成太陽表實病矣。
内経曰、其皮厚而肌肉堅者、必重感於寒、外内皆然乃病是也。
仲景治之以麻黄湯。麻黄草葉爲中空外粗、體輕性散之物。繼洪曰、有麻黄之地、冬不積雪。此其温熱發散之性然也。
故君之以發散經中凝閉之實邪。臣以桂枝者、一以覊麻黄慓悍之勢、使之徐達於表、則經隧屈曲之間、無遺邪之患焉。一以發汗閉其表、則無汗多兦陽之變矣。
佐以杏仁者、蓋肺主皮毛。表受實邪、則肺爲之不利、多見喘欬胸満等證。杏仁辛甘能利肺氣。
使以甘草者、能調和諸藥。無過不及之偏、而不傷正氣也。此方但爲裏和表實者設耳。
若裏虚津少、及表虚而無汗、脈浮弱者、誤用之、立見禍。用者詳之。

或問、桂枝麻黄俱表藥、於裏無關、而今於裏氣虚津液少者、併禁二方何也。
曰、此不獨二方。凢諸發汗解肌之藥、皆在所禁。夫藥之達表散邪也、非其藥直自到也。
必先入于胃、引揚其裏之血氣津液而後到於病處矣。
此以其脾胃强、血氣津液盛、能送其藥氣也。
若脾胃虚、血氣津液不盛者、雖用之而不能送之到於病處。反爲藥所困。或送之到於病處、而其藥勢所牽、素少之津液飛揚於外、其裏頓空。輕者引日、重者至死。
雖間有邪厺病愈者、正氣受傷。異日致種種病患焉。故裏虚津少之人所宜禁也。

又問、嘗聞芍藥甘草薑棗皆補脾胃生津液者也。今桂枝湯中皆用之。其發表者一味桂枝耳。
然則雖裏虚之人用之何害。而禁之何也。
曰、桂枝雖辛甘發表之力烈。芍甘大棗雖補裏而力和緩。
且生薑之辛、亦能發表出汗、其力不緩。觀今人多啖之即汗出可見也。
如小建中湯方、以三兩桂枝生薑合諸六兩芍藥三兩甘草一升膠飴十二枚大棗、而後乃得不専其發散、但能行甘酸之滞、升發脾胃氣、而補其裡建其中焉。
今桂枝湯方、桂枝生薑芍藥各三兩甘草二兩大棗十二枚、而無膠飴。夫以補之緩者、等之於發之烈者、則雖欲補其裏、不可得也。但足以防其裏之虚耳。
故用諸裏和表虚者、則能助諸裡氣而達於表、能散邪補表而不至再虚其裏焉。
若用諸裏虚津液少者、則其所損多於所益矣。如之何其不虚且變。
壊病篇曰、傷寒脈浮自汗出、小𠊳數、心煩微惡寒脚攣急(此脾胃虚血少者也)。反與桂枝湯欲攻其表此誤也。
得之𠊳厥、咽中乾煩躁吐逆者、作甘草乾薑湯與之以復其陽、云云。(禁桂枝湯諸證甚多、余皆類聚之太陽中篇可考。)
可見桂枝湯能補表不能補裏也。從來諸醫以仲景所述不可發汗諸條爲麻黄之戒者昧哉。
李梃入門曰、不可汗諸證、俱宜和解。其所謂和解者、指桂枝湯實表湯冲和湯解肌湯和解散類也。吁世之不熟讀仲景書。徒拾諸人之涎唾、而著書者往往如此。可謂貽禍於後者也。

或曰、子之辨已詳。然而猶有可疑者。夫桂枝之補表、猶且用芍甘大棗、以防其裏之虚焉。
如麻黄湯之瀉表、則宜防其虚、倍彼、今用三兩麻黄二兩桂枝七十箇杏仁、而甘草止一兩。何不恤其裡虚之甚也。
曰、表虚之病、因其人體氣素祛弱、雖裏和而其裏氣不足以固其表。故單引其裏氣以充其表、則其裏又不足。是以補表必兼補其裏也。若夫表實之病、因其人素壮實、輕淺之邪不能著而爲病。唯深重之邪傷侵爲病也。邪氣深重則裏氣雖盛、不能自達表去其邪。必籍猛峻之藥勢、乃能發散其邪也。
然以裏氣素盛、不籍補藥之力焉。此麻黄湯之所以専於宣發、而不慮其裡也。

或問、桂枝湯何以一名陽旦湯。
曰、陽者日也。旦者朝也。旦字从日始出地上形。桂枝湯發揚陽氣、解散外邪之功、猶朝日一出地上、陰霧消散也。
成無己曰、陽旦桂枝湯別名也、是也。
方中行謂陽以風言、且暁也。言似中風分暁。此以陽旦爲病名。不知仲景明有陽旦湯之言。(陽旦湯之言、見婦人篇中)可謂粗率也。
若夫朱奉儀以桂枝湯加黄芩爲陽旦湯、加黄芩乾薑厺生薑爲陰旦湯。(陰旦湯、旦由來千金已有其方。)
喩嘉言加黄芩爲陽旦湯、加桂枝爲陰旦湯。夫陽旦之義固通。陰旦之義甚不通。
吁此輩不知字義。焉知仲景也。不知仲景而漫著書、所以貽禍於後世也。痛哉。

或問、嘗聞桂枝湯主治風傷衛、麻黄湯主治寒傷營。風寒傷營衛
大青龍湯之所主治也。
今子以麻黄湯爲營衛兩傷之主藥、何也。
曰、子之所聞出于成氏𡚶説。而後之昧者、雷同附和者也。夫風傷衛者固桂枝湯之所主也。如寒傷營者即少陰病、附子湯四逆湯真武湯白通湯所主是已。唯風寒兩傷營衛俱病者、麻黄湯主之。宋版傷寒論明戴。脈浮而緊、浮則爲風、緊則爲寒。風則傷衛、寒則傷營。營衛俱病、骨節煩疼。當發其汗、宜麻黄湯。成氏以其不合己説、故𥨸刪去之。其罪固大矣。若夫大青龍湯、但治麻黄湯證之有裏熱者耳。噫、自宋至今、未有一人辨知之者、可見中國亦乏明眼之人也。
清程應旄以大青龍湯證爲中風夾温邪、亦畵出新様一胡蘆、可笑。

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