『宋版傷寒論』厥陰病の書き下し文と原文①

張仲景の厥陰病編

三陰病編も大詰め、厥陰病です。厥陰とは「両陰が交わり尽きるところ」、即ち陰の極まるところでもあります。しかし、陰が尽きてしまうとそれでおしまい、人体でいうと“死”に至ります。
しかし陰陽の法則の一つには「陰極まり陽に転じる」という言葉があります。治療家の仕事として、陰の尽きる前に如何に陽に転じ、起死回生の機をつかむか!?について本編・厥陰病編は記されています。


※『傷寒論』京都大学付属図書館より引用させていただきました。

※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

書き下し文 弁厥陰病編 第十三

■書き下し文 弁厥陰病編 第十三

326)厥陰の病為(た)る、消渇、氣は上りて心を撞き、心中疼熱し、飢えて食することを欲せず。食すれば則ち蚘を吐し、之を下して利は止まず。

327)厥陰中風、脈微浮なるは兪えんと欲す。浮ならざるは未だ愈えずと為す。

328)厥陰病、解せんと欲するの時、丑より卯上に至る。

329)厥陰病、渇して水を飲まんと欲する者は、少々之を与えて兪ゆる。

330)諸々の四逆厥する者は、之を下すべからず。虚家も亦た然り。

331)傷寒、先に厥し後に発熱し而して利する者は、必ず自ら止む、厥を見わすは復た利する。

332)傷寒、始め発熱すること六日、厥は反て九日而して利す、凡そ厥利する者は、當に食すること能わざるべし。今、反て食すること能う者、恐らくは除中と為す。(一に消中と云う)
食は索餅を以てし、発熱せざる者は、胃氣は尚(なお)在り必ず愈ゆることを知る。恐らくは暴かに熱が来たり出で而して復た去る也。
後日に之を脈するときに、其の熱の続いて在る者は之を旦日夜半に愈ゆることを期する。
然る所以の者は、本(もと)発熱して六日、厥すること反て九日。復た発熱すること三日なるときは、前の六日を并せて、亦た九日為(た)り。厥と相い応ずる故に之を旦日夜半に愈ゆると期する。
後の三日に之を脈し、而して脈数、其の熱の罷まざる者、此れを熱氣有余と為す。必ず癰膿を発する也。

333)傷寒、脈遅なること六七日、而して反て黄芩湯を与え、其の熱を徹す。
脈遅は寒を為す。今、黄芩湯を与うは、復た其の熱を除く。腹中は応(まさ)に冷ゆるべし、當に食すること能わず。今、反て能く食するは、此れ除中と名づく、必ず死する。

334)傷寒、先ず厥して後に発熱するは、下利は必ず自ら止む。而して反て汗出で、咽中痛む者は、其の喉は痺すると為す。
発熱し無汗、而して利は必ず自ら止む。若し止まざるは、必ず便膿血す。便膿血する者は、其の喉は痺せず。

335)傷寒、一二日から四五日に至り、厥する者は必ず発熱す。前に熱する者は後に必ず厥す。厥の深き者は熱も亦た深し。厥の微なる者は熱も亦た微なり。厥、応(まさ)に之を下し而して反て発汗する者は、必ず口を傷りて爛赤す。

336)傷寒病、厥五日、熱も亦た五日なるとき、設し六日には當に復た厥すべきに厥せざる者は自ら愈ゆる。厥は終に五日を過ぎざるに、熱すること五日を以ての故に自ら愈ゆることを知る。

337)凡そ厥する者は、陰陽の氣が相い順接せず、便ち厥と為す。厥とは、手足逆冷する者これ也。

338)傷寒、脈微而して厥するとき、七八日に至り膚冷える。其の人、躁して暫くも安なる時の無き者、此れを臓厥と為す。蚘厥に非ざる也。
蚘厥なる者は、其の人は當に蚘を吐すべし。病者をして静ならしめ、而して復た時に煩する者、此れは臓寒と為す。
蚘が上りて其の膈に入る、故に煩する。須臾にして復た止まり、食を得て而して嘔する。
又、煩する者は、蚘が食臭を聞き出でる。其の人、常に自ら蚘を吐する。
蚘厥なる者に、烏梅丸これを主る。又、久利を主る。方一
烏梅(三百枚) 細辛(六両) 乾薑(十両) 黄連(十六両) 当帰(四両) 附子(六両、炮、皮を去る) 蜀椒(四両、出汗) 桂枝(皮を去る、六両) 人参(六両) 黄柏(六両)
右(上)の十味、異々に擣き篩し、合して之を治む。苦酒を以て烏梅を漬けること一宿、核を去る。之を五斗米の下に蒸す。飯が熟して擣き泥と成す。薬と和して相い得せしめ、臼中に内れ、蜜と杵すること二千下、丸すること梧桐子大の如く。先に食飲して服すること十丸。日に三服す。稍(やや)加えるも二十丸に至る。生冷滑物、臭食等を禁ずる。

339)傷寒、熱少なく微しく厥する、指頭寒く(※稍(やや)頭寒との説あり)、嘿嘿として食することを欲せず、煩躁すること数日。小便利して色白き者、此れ熱除なり。食を得んと欲するときは、其の病は愈えんと為す。若し厥而して嘔して、胸脇煩滿する者、其の後は必ず便血す。

340)病者、手足厥冷し、我(われ)結胸せずと言い、小腹満し、之を按じて痛む者、此れ冷結が膀胱関元に在る也。

341)傷寒、発熱して四日、厥すること反して三日、復た熱すること四日、厥は少なく熱の多き者は、其の病は當に愈えるべし。
四日から七日に至り、熱の除かれざる者は、必ず便膿血す。

342)傷寒、厥すること四日、熱すること反て三日、復た厥すること五日なるに、其の病は進むと為す。寒多く熱少なく、陽氣が退く故に(病の)進むと為す也。

343)傷寒六七日、脈微、手足厥冷、煩躁するときは、厥陰に灸せよ。厥の還らざる者は死する。

344)傷寒、発熱し、下利し厥逆し、躁して臥すること得ざる者は死す。

345)傷寒、発熱、下利の甚しきに至り、厥の止まざる者は死する。

346)傷寒六七日、利せず、便ち発熱し而して利する。其の人汗出でて止まざる者は死する。陰有りて陽無きの故也。

347)傷寒五六日、結胸せず腹濡(軟)、脈虚し復た厥する者は、下すべからず、此れ亡血、之を下せば死する。

348)発熱而して厥す、七日下利する者は、難治と為す。

349)傷寒、脈促、手足厥逆するは、之に灸すべし。(促は、一つに縦と作する)

350)傷寒、脈滑而して厥する者、裏に熱有り。白虎湯これを主る。方二。
知母(六両) 石膏(一斤、砕く、綿に裹む) 甘草(二両、炙る) 粳米(六合)
右(上)の四味、水一斗を以て、煮て米熟す、湯成りて滓を去る、一升を温服す、日に三服す。

351)手足厥寒し、脈細にして絶せんと欲する者は、当帰四逆湯これを主る。方三。
当帰(三両) 桂枝(三両、皮を去る) 芍薬(三両) 細辛(三両) 甘草(二両、炙る) 通草(二両) 大棗(二十五枚、擘く。一法、十二枚とす)
右(上)の七味、水八升を以て、煮て三升を取り、滓を去る、一升を温服す、日に三服す。

352)若し其の人、内に久寒有る者、当帰四逆加呉茱萸生姜湯に宜しい。方四。
当帰(三両) 芍薬(三両) 甘草(二両、炙る) 通草(二両) 桂枝(三両、皮を去る) 細辛(三両) 生姜(半斤、切る)  呉茱萸(二升) 大棗(二十五枚、擘く)
右(上)の九味を、水六升、清酒六升を和したるを以て、煮て五升を取る、滓を去り、温分して五服す。(一方では、水酒各四升とす。)

353)大いに汗出で、熱は去らず、内は拘急し、四肢疼む。又、下利して厥逆し而して悪寒する者、四逆湯これを主る。方五。
甘草(二両、炙る) 乾姜(一両半) 附子(一枚、生用、皮を去り、八片に破る)
右(上)の三味、水三升を以て、煮て一升二合を取り、滓を去る、分温再服す。若し強人なれば大附子一枚、乾姜三両を用いて可なり。

354)大汗、若し大いに下利し而して厥冷する者、四逆湯これを主る。六。(前第五方を用う)

355)病人の手足は厥冷し、脈乍ち緊なる者、邪は結ぼれ胸中に在り。心下満而して煩し、飢えて食すること能わざる者、病は胸中に在り、當に須く之を吐するべし。瓜蔕散に宜し。方七。
瓜蔕 赤小豆
右(上)の二味、各等分し、異々擣き篩す、合して臼中に内(い)れ、更に之を治む、別して香鼓一合を以て、熱湯七合を用い、煮て稀糜を作する、滓を去り、汁を取り散(瓜蔕散)一錢匕と和して、之を温頓服す。
吐せざる者は、少少加え、快吐を得れば乃ち止む。諸々の亡血虚家には、瓜蔕散を与うべからず。

356)傷寒、厥、而して心下悸、先に水を治むるに宜し。當に茯苓甘草湯に服するべし。却てその厥を治す。不爾(しからず)ば水漬みて胃に入り、必ず利を作する也。茯苓甘草湯方八。
茯苓(二両) 甘草(二両、炙) 生姜(三両、切) 桂枝(二両、皮を去る)
右(上)の四味、水四升を以て、煮て二升を取り、滓を去り、分温三服す。

357)傷寒六七日、大いに下した後、寸脈沈而して遅、手足は厥逆す。下部の脈は至らず、喉咽は利せず、膿血を唾し、泄利の止まざる者は、難治と為す。麻黄升麻湯これを主る。方九。
麻黄(二両半、節を去る) 升麻(一両一分) 当帰(一両一分) 知母(十八銖) 黄芩(十八銖) 萎蕤(十八銖、一つに菖蒲と作する) 芍薬(六銖) 天門冬(六銖、心を去る) 桂枝(六銖、去皮) 茯苓(六銖) 甘草(六銖、炙) 石膏(六銖、碎く、綿に裹む) 白朮(六銖) 乾姜(六銖)
右(上)十四味、水一斗を以て、先に麻黄を煮て一両沸す、上沫を去り、諸薬を内れ、煮て三升を取る。滓を去り、分温三服す。相い去ること三斗の米を炊く如きの頃、盡せしむ。汗が出でて愈ゆる。

358)傷寒四五日、腹中痛み、若し転氣下りて少腹に趣く者、此れ自利せんと欲する也。

359)傷寒、本(もと)寒より下るとき、医が復た之を吐下し、寒格は更に逆って吐下す。若し食が口に入れば即ち吐。乾姜黄芩黄連人参湯これを主る。方十。
乾姜 黄芩 黄連 人参
右(上)四味、水六升を以て、煮て二升を取り、滓を去る、分温再服す。

360)下利、微熱有り、而して渇し、脈弱なる者、今自ら愈えんとす。

361)下利、脈数、微熱有り、汗出でるは、今自ら愈えんとす。設し復た(脈の)緊なるは未だ解せんと為す。(一に云う、「設脈浮復緊」と)

362)下利、手足厥冷し、脈の無き者に、之に灸して温まらず、若し脈の還らず、反て微喘する者は死す。少陰の趺陽に負ける者は順と為す也。

363)下利、寸脈の反て浮数、尺中の自ら濇なる者は、必ず膿血を清する(清とは便なり)。

364)下利清穀するは、表を攻むべからず、汗出でて必ず脹満す。

365)下利、脈沈弦なる者、下重する也。脈大なる者は未だ止まずと為す。脈微弱数なる者は、自ら止まんと欲するを為す、発熱すると雖も死せず。

366)下利、脈沈而して遅、その人の面少しく赤く、身に微熱有り、下利清穀する者、鬱冒し汗出で而して解する。病人は必ず微厥する。然る所以の者、その面の戴陽するは、下虚する故也。

367)下利、脈数而して渇する者、今自ら愈えんとす。設し差(い)えざるは、必ず膿血を清する、熱有るを以ての故也。

368)下利後、脈絶し、手足厥冷、晬時に脈が還り、手足温なる者は生く、脈の還らざる者は死す。

369)傷寒、下利すること日に十余行、脈は反て実なる者は死す。

370)下利清穀、裏寒外熱し、汗出で而して厥する者は、通脈四逆湯これを主る。方十一。
甘草(二両、炙る) 附子(大なる者一枚。生、皮を去り、八片に破る) 乾姜(三両。強人は四両にす可し)
右(上)三味、水三升を以て、煮て一升二合を取り、滓を去る。分温再服す。その脈の即ち出でる者は愈ゆる。

371)熱利下重する者は、白頭翁湯これを主る。方十二。
白頭翁(二両) 黄柏(三両) 黄連(三両) 秦皮(三両)
右(上)四味、水七升を以て、煮て二升を取り、滓を去る。温服一升す。愈えずば更に一升を服す。

372)下利して、腹脹満し、身体疼痛する者、先ずその裏を温め乃ち表を攻む。裏を温むるに四逆湯に宜し。表を攻むるに桂枝湯に宜し。十三。(四逆湯、前第五方を用う)
桂枝湯方
桂枝(三両、皮を去る) 芍薬(三両) 甘草(二両、炙る) 生姜(三両、切る) 大棗(十二枚、擘く)
右(上)五味、水七升を以て、煮て三升を取り、滓を去る。温服一升す、須臾にして熱稀粥一升を啜る、以て薬力を助く。

373)下利して水を飲まんと欲する者、熱有るを以て也。白頭翁湯これを主る。十四。(前第十二方を用う)

374)下利譫語する者は、燥屎有る也。小承氣湯に宜しい。方十五。
小承氣湯方
大黄(四両、酒で洗う) 枳実(三枚、炙る) 厚朴(二両、皮を去り、炙る)
右(上)三味、水四升を以て、煮て一升二合を取り、滓を去る、分二服す。初めの一服にて譫語止む。若し更衣する者は後服を停め、不爾(しからざる)は之を服し盡す。

375)下利後、更に煩し、之を按じて心下濡なる者、虚煩と為す也。梔子鼓湯に宜し。方十六。
肥梔子(十四箇、擘く) 香鼓(四合、綿に裹む)
右(上)二味、水四升を以て、先に梔子を煮て、二升半を取る、鼓を内れ、更に煮て一升半を取り、滓を去る。分けて再服す、一服で吐を得れば、後服を止むる。

376)嘔家に癰膿有る者、嘔を治するべからず、膿盡くせば自ら愈ゆる。

377)嘔して脈弱、小便復た利し、身に微熱有り、厥の見れる者は難治。四逆湯これを主る。十七(前第五方を用う)

378)乾嘔し涎沫を吐し、頭痛む者は、呉茱萸湯これを主る。方十八。
呉茱萸(一升、湯にて洗うこと七遍) 人参(三両) 大棗(十二枚、擘く) 生姜(六両、切る)
右(上)四味、水七升を以て、煮て二升を取り、滓を去る。温服七合、日に三服す。

379)嘔而して発熱する者は、小柴胡湯これを主る。方十九。
柴胡(八両) 黄芩(三両) 人参(三両) 甘草(三両、炙る) 生姜(三両、切る) 半夏(半升、洗う) 大棗(十二枚、擘く)
右(上)七味、水一斗二升を以て、煮て六升を取り、滓を去る。更に煎じて三升を取る、温服一升し、日三服す。

380)傷寒、大いに吐し大いに之を下し、極虚す。復た極めて汗する者、その人の外氣は沸鬱す、復た之に水を与え、以て其の汗を発し、因りて噦を得る。然る所以の者は、胃中寒冷する故也。

381)傷寒、噦而して腹満するは、其の前後を視て、何れの部が利せざるかを知り、之を利すれば即ち愈ゆる。

厥陰病の提綱

冒頭条文326には厥陰病の提綱というべき症状群が記されています。

これら症状を一つ一つピックアップしますと「消渇」「氣上撞心」「心中疼熱」「飢而不欲食」「食則吐蚘」「下之利不止」となります。
各症状ともに「上・下」「寒・熱」の乖離がいよいよひどくなってきていることが分かります。まさに厥陰という名を冠するに相応しい病態であるといえます。
この上下・寒熱の「乖離」という状態が重要なポイントです。これは即ち陰陽・上下を繋ぐ存在が危険な状態となったことを意味します。上記各症候にも「中虚」を要因とする症状が確認できると思います。この点は少陰病編の症候にも通ずるものがありますが、厥陰病ではさらに病態と病勢を変えて「中虚」が進行していると読み取ることができると思います。

改めて厥を考える

条文330)には「諸四逆厥者」という言葉が登場します。もちろん「厥」が記されているのは本条文だけではありません。また「厥」が登場するのは厥陰病編に限ったことではありません。(太陽病上編中編・陽明病編・少陰病編にも厥は見られるが、厥陰病編において「厥」は圧倒的に多く登場する。)
厥陰病の提綱である条文326には「厥」の文字こそありませんが、ここは厥陰病位であるだけに「厥」について再確認しておくべきだと思うのです。

厥とは?逆とは?

森立之先生は『傷寒論考註』においてまずはシンプルにまとめてくれています。

『傷寒論考註』巻第廿五 辨厥陰病脈證并治第十二

案ずるに、(諸四逆厥の)「諸」とは六経病を総括して言う。「虚」とは亦た六経病上の素より禀ける虚弱の者を指す也。「四逆厥」とは四肢厥逆を謂う也。凡そ云く厥、云く逆、云く冷、云く寒、云く厥冷、云く厥逆、云く逆冷、云く逆寒、云く四逆は皆な同じ。
その氣の接順せざる自(よ)り、厥と云い、逆と云う。その温まらざるより、冷と云い、寒と云う也。

■原文…
案、諸者、總括六經病而言。虚家、亦指六經病上素禀虚弱者也。四逆厥、謂四肢厥逆也。凡云厥、云逆、云冷、云寒、云厥冷、云厥逆、云逆冷、云逆寒、云四逆皆同。自其氣不接順、云厥、云逆。自其不温、云冷、云寒也。

と、まず森先生は以上のように総括してくれています。とくに「厥は陰陽の氣が相い順接せざる(凡厥者、陰陽氣不相順接、)」ことで起こる病症であることは条文337にも明記されているとおりです。

厥・逆が「(陰陽の)気が順接していない(其氣不接順)」病態であると、端的に示してくれています。厥陰病ステージは“厥陰”という陰の尽きる位ですので、この気血の不相順接はかなりシビアなものになる…と想定すべきでしょう。

「厥」に続く発熱を考える

条文331には、この「厥」の続きとなるストーリーが描かれています。
「先厥後発熱(而利)」という言葉には、先ず厥が起こり次に熱を発するという発病過程を明記しています。

ここはまたもや森立之先生のお話を引用しましょう。

『傷寒論考註』巻第廿五 辨厥陰病脈證并治第十二

案ずるに、傷寒とは、表実無汗の証。若し発汗せざれば而して肝心包二経に転入し、則ち厥陰病と為す也。先ず厥する者は、即ち厥陰病と為す。……(中略)……故に四逆を為す也。その人は水飲が素より多く、故に発熱せず而して先に厥する也。厥すれば則ち利す、利止めば則ち発熱す、発熱而して利止む者は、将に愈えんとするの兆と為す也。若し発熱の後に再び厥を見わせば則ち復た利する。是、邪氣が三焦水血の際に在る故に厥が変じて熱と為す。その邪は已に除かれれば則ち愈ゆ。若し邪が未だ除かれざるときは則ち復た厥し而して利する。胃陽が内に盛んなるときは則ち又発熱し而して厥し利も自ずから止む、乃ち愈する也。

■原文…
案、傷寒者、表實無汗之證、若不發汗而轉入肝心包二經、則爲厥陰病也。先厥者、即爲厥陰病…(中略)…故爲四逆也。其人水飲素多、故不發熱而先厥也。厥則利、利止則發熱、發熱而利止者、爲將愈之兆也。若發熱後再見厥、則復利。是邪氣在三焦水血之際、故厥變爲熱。其邪已除則愈。若邪未除則復厥而利、胃陽内盛則又發熱而厥利自止、乃愈也。

なるほどなるほど、氣血の順接せざる故に「厥」が起こり、厥すれば利も起こる(厥則利)。利が止めば発熱して、発熱して利が止む者は愈の兆しである。もしも發熱の後に再厥する場合は、復た利が起こる…と。
このように厥と発熱と利の順番・流れは非常に重要であります。これら症状の流れは即ち正氣の回復や盈衰を示すものなのです。

症候の順序が変わると分かれる可治と不可治

「先厥後発熱」との言葉には、次のようなストーリーが含まれています。
当初は氣の不順接により“厥”が起こっていたが、氣が満ちてくることで順接し、さらに正邪相争(発熱)を起こすまでに回復した…といったストーリーです。

このように“正氣が回復することで起こる症候変化”は『傷寒論』中にもしばしば記されています。「邪氣の侵攻」と「正氣の盈衰」による正邪のせめぎ合いが「傷寒病」そのものなのです。

この観点でみると続く語句「而利者、必自止」もまた次のように読み取れます。
(氣血が回復し順接することで)下利も自然と止まるのです。しかし「見厥復利」とあるように、まだ厥がみられる場合はやはり下利が起こるのです。

この「厥」と「発熱」と「下利」の順番が入れ替わることで、病のストーリーはガラリと変わってしまうのです。

このように各症候の組み合わせ(およびその順序)で、愈証か険証か死証かを弁じることは「平脈法」にも記されています。(条文11、12、13)このように脈・証などの情報を経時的に分析することが正しい診断に繋がります。

除中とは?

条文332、333に記される「除中」というワードは興味深いものがあります。

332条文の冒頭部分を強引に圧縮すれば、「先発熱後厥而利」となります。上記(331条文)の「先厥後発熱、而利者必自利」と比べると、332条文では“傷寒病が漸次悪化している”ことが分かりやすくなると思います。
6日続いた発熱により正氣が減衰し、陰陽の氣の順接がなされなくなり厥が起こる。また厥に陥ってからの期間が9日間と長く続いており、胃氣までも尽き始めています。そのため下利も起こっている…という、極めて生命を維持するのに困難な状況であることが読み取れます。
また本文にある「厥利」という言葉には、四肢(経脈)と裏(臓腑)の両方面において“陰陽を繋ぐ力”が失われている状態にあることを示している、と読み取ります。
漢代よりも後の医家、李東垣の言葉を借りるならば、“中氣不足”という状態に近いのではと思います。この状態になると脾胃虚損(中焦脾胃の機能不全)であるため、当然「不能食」になります。

宇津木昆台は333条文の「當不能食」の註文にて以下のように説明しています。

『古訓醫傳』巻十三 風寒熱病方経篇 辨厥陰病脉證并治法第七

■原文
………陽氣内に絶て腹中冷なるべく、其上胃の氣も絶て、食するヿ能はざるやうになるが當りま井なり。故に腹中応冷當不能食と云り。食するヿのならぬは、胃気の尽きたるなり。時に又それに反して能く食する者は胃氣の尚ありて食するにあらず。これは胃中の陽氣のみならず、水血ともに竭たる者にして、竹の筒へ物を入るヽが如くなりて、少しも滞る物なく、如何ともし難き場に至りたるなり。此れを除中と名づく。除中とは、中の穀化を主る、胃中の陽気、人人主として生を保つべき根本の気の、さつぱり除き尽たる者にして、病証の目當もなく、医術も絶たる者故に、必死と云たるなり。……

このように脾胃が機能不全に陥ることで、飲食することは不可となります。反して食欲旺盛になると、それは末期の症候である…と、このように胃氣・中氣が完全に除かれ消されてしまった状態が除中であると言います。

332条文では胃氣の残存具合を確かめるには“索餅”を食べさせてみろと言います。宇津木先生はこの索餅を湯索麺として解説しています。

『古訓醫傳』巻十三 風寒熱病方経篇 辨厥陰病脉證并治法第七

■原文
………故にいよいよ其症か、又は少しく胃の気のあるかを試るには、湯索麺を與へて、若し発熱する者は、これは全く胃気の竭たるにあらず。故に若発熱者、知胃気尚在必愈と云り。然れ𪜈湯索麺の勢にて、暴に発熱するのみにて、乍に其熱の出て復た去る者は、いよいよ除中にあらずとも云難し。故に二所に恐の字を入れて、必死の証を気づかはしく思ふなり。後世にこの暴熱の証を燈の滅んとして、乍ち明かなるに譬へたり。……

索餅について検索してみると、とても除中の恐れのある病人に食べさせられような物には思えません。油で揚げてるようだし、かなり食べ応えもありそうだし…。
まだ湯索麺(ゆでた素麺。私の住む地域では「にゅうめん」と言います)ならまだ勧められそうかな…とは思います。ですが胃氣の有無を診るなら、なにも“桂枝法の将息でも禁じている麺”を食べさせ、さらには発熱するか否かで確認しなくても良いのでは?と思うのです。
それならば桂枝法の将息にもある“熱稀粥を啜らせ”て、食後の脈の変化を診ればよいのです。とはいえ、厥陰病の除中が疑わしい患者さんを診る経験が私には不足していますので、この案の是非も正確には判断つきかねますが。

烏梅丸の服用法 薬食の先後

条文338の烏梅丸方には「先食飲服十丸」とあり、服薬のタイミングについて指示されています。このように飲食と服薬の順について明記されているのは「桂枝湯方」と「桃核承氣湯方」そして「烏梅丸方」です。
桂枝湯方は仲景方剤の基本となる将息ですので、本記事ここでは触れませんが、それだけに「桃核承氣湯方」と「烏梅丸方」の薬食先後の指定には興味があります。

「桃核承気湯方」では「先食温服五合、日三服、當微利。」とあり、先に飲食その後に服薬です。
「烏梅丸方」もまた「先食飲、服十丸」であり、先に飲食その後に服薬です。
とはいえ、烏梅丸と核承気湯とでは両方の方意も違えば、その意図も自ずと異なるはずです。またその証拠に烏梅丸方の将息には「禁生冷滑物臭食等」と、桂枝法将息のような禁止品目までも明記されています。(参考記事「服薬と食事の順番について」(桃核承氣湯の場合))

さて手持ちの傷寒論註釈書を通覧してみたところ、納得いくようなご意見は得られませんでした。そこで『傷寒論輯義』の烏梅丸方の薬方説明から考察してみましょう。

烏梅丸の構成生薬の役割り『傷寒論輯義』から

『傷寒論輯義』巻六  東都 丹波元簡亷夫 學

辨厥陰病脉證并治

……故に烏梅を用いて君と為す、その味酸は能く蚘に勝つ。川椒(蜀椒)細辛を臣と為し、辛以て蟲を殺す。乾姜・桂枝・附子を以て佐と為し、以て寒氣に勝ち、而してその中を温む。黄連・黄柏の苦を以て以て蚘を安んず。人参・当帰の甘を以て、而して其の中を補い緩む。各々が使と為す。且つ此れ蚘蟲が患と為し、難と為す。寸白(すばく)等の比(類)に、劇しく下殺の剤に用ゆ。故に勝制の方を得る。

■原文…
……故用烏梅爲君、其味酸能勝蚘。以川椒細辛爲臣、辛以殺蟲。以乾薑桂枝附子爲佐、以勝寒氣、而温其中。以黄連黄栢之苦以安蚘。以人參當歸之甘、而補緩其中。各爲使且比蚘蟲爲患爲難比寸白等、劇用下殺之劑。故得勝制之方也。。

丹波先生の烏梅丸・各生薬の説明をみると君臣佐使に分け、烏梅(君薬)と蜀椒・細辛(臣薬)そして黄連・黄柏によって、蚘蟲の動きを抑制する薬能を意図して、烏梅丸が構成されています。
そして338条文の文言「蚘聞食臭出」を考えると、食の気配を感じて動き出す蚘蟲を烏梅・蜀椒・細辛・黄連・黄柏を組する烏梅丸によって、抑え込もうとする意図があったのではないか?と推測します。

そのため食臭を嗅ぎつけ動き出す“食後”に烏梅丸を服薬するとあるのでは?と考えた次第です。この点については今後も調べ考察したいところですが、回虫・条虫・蟯虫など寄生虫の存在が希薄になった現代日本では“口から寄生虫が出てくるような局面”はかなりレアですので、烏梅丸の方意を深く探究するのは難しそうですね。

厥陰病における承氣湯処方

374条文)では小承氣湯が宜しと勧められています。少陰病でも大承氣湯による三急下証が記されていましたが、厥陰病編にも小承氣湯が処方されている点に個人的に注目しています。
なにしろ厥陰病の基本コンセプトとして“上下の乖離”とみた場合、その背景にある“脾胃の虚脱”は無視できないからです。
そして本条文(338)の病症として、冒頭に「下利」があるのですから、ここは慎重な鑑別を要するはずです。しかも陽明病編には「下利」と「譫語」が重なる条文(210条)はありますが「譫語す……下利する者は死す」とあり、前情報ではかなりシビアな局面にあるとみて良いかと思います。

しかし厥陰病編の本条文では、「下利譫語者、有燥屎也」とシンプルかつダイレクトに明記されているため、ここでは鑑別というよりも病理理解に重点が置かれているのではないか?とも判断します。
この点は少陰病編の321条文「少陰病、自利清水、色純青……可下之、宜大承氣湯。」に似た病理ではないかと思います。
この(321条文)病理を要約すると「胃中の津液をも失い胃家内に燥熱を生じます。また陽氣は全身的に巡らないため水血も順行せず、生じた胃熱を処理することができずに陽明腑に鬱熱したままになる」と、この流れは『古訓医伝』(宇津木昆台)の説を参考にしています。
さらにまとめますと、氣水血の分離が大きな要因となり、腑内に実熱化してしまった燥屎を強制的に排出しないといけない…という点では厥陰病の基本コンセプトをもとに形成された陽明腑実熱という病理かと思われます。

小承氣湯のレシピ、ホンの少しの違い

ここ厥陰病編にて用いられる小承氣湯は陽明病のそれと分量は同じなのですが、ホンの少し違いがあるように思います。

・陽明病編の小承氣湯方は以下の通りです(条文208)。
大黄(四両、酒洗) 厚朴(二両、炙、去皮) 枳実(三枚、大者、炙)

・厥陰病編の小承気湯方は次になります。(条文374
大黄(四両、酒洗) 枳実(三枚、炙) 厚朴(二両、去皮、炙)

分量は変わらないのですが、陽明病編の小承気湯では枳実は「大者」とありますが、厥陰病編の小承気湯方にはそれがありません。ホンの少しの違いですが、これもまた陰証であることに対する微調整かとも思えるのです。

厥陰病の灸法

厥陰病編にも灸治の記載が登場しています。これも鍼灸師としては見逃せない情報です。
「灸」のワードが登場する条文343349362の三つです。

しかし…意気込んで条文を読んでみたものの、少陰病編灸治の考察と大きな違いが無いようにも感じます。要点は裏の真陽を補うことです。また文献によっては「回陽」という言葉を用いたりもしますが、裏位の陽氣(眞陽や元陽などの表現に近い)を確保したいので、ただ全身に陽氣をめぐらすべく四肢末端の経穴に灸治を行うよりも、やはり腹募穴・背兪穴に比重が置かれるかと思います。この点も少陰病編の灸治考察「少陰病編の灸治、どの経穴を選ぶ?」と同じ考察の方向性になりますね。
余談ながら、また条文349の「脉促」の情報を鑑みると、足厥陰のみならず手厥陰にも灸治を行うのもありかと考察した次第です。

救裏と救表

最後に「先温裏乃攻表」について触れておきましょう。372条文の桂枝湯と四逆湯の条文は見覚えがありますね。これは太陽病中編の条文91のほぼ同じ内容です。

91)傷寒、醫下之、續得下利、清穀不止、身疼痛者、急當救裏。後身疼痛、清便自調者、急當救表。救裏宜四逆、救表宜桂枝湯。

372)下利腹脹滿、身體疼痛者、先温其裏乃攻表、温裏宜四逆湯。攻表宜桂枝湯。

先に裏を四逆輩にて温補します。その後に表位の病を桂枝輩にて解表・発表などを行います。これを「先補後瀉」とも「先裏後表」ともいえるのでしょうが、重要なことは治療の順序ではありません。両条文の中にある段階的な治癒過程を理解し実践することが大事であると思います。
この段階的な治病の流れは、鍼灸治療にて日常的によく行われているのではないかと思います。とくに脈診の三機を意識することで、両条文の意図がよく分かることだろうと思います。

鍼道五経会 足立繁久

少陰病編 第十一 ≪ 厥陰病編 第十二 ≫ 霍乱病編 第十三

原文 辨厥陰病脉證并治第十二

傷寒論巻第六 辨厥陰病脉證并治第十二

厥陰之為病、消渇、氣上撞心、心中疼熱、飢而不欲食、食則吐蚘、下之利不止。
厥陰中風、脉微浮為欲愈。不浮為未愈。
厥陰病、欲觧時、従丑至夘上。
厥陰病、渇欲飲水者、少少與之兪。
諸四逆厥者、不可下之。虚家亦然。
傷寒先厥、後發熱而利者、必自止、見厥復利。
傷寒始發熱六日、厥反九日而利。凡厥利者、當不能食、今反能食者、恐為除中。(一云消中)食以索餅、不發熱者、知胃氣尚在必愈。恐暴熱来出而復去也。後日脉之。其熱續在者期之旦日夜半愈。㪽以然者、本發熱六日。厥反九日、復發熱三日、并前六日、亦為九日、復發熱三日、并前六日、亦為九日、與厥相應、故期之旦日夜半愈、後三日脉之、而脉數、其熱不罷者、此為熱氣有餘。必發癰膿也。
傷寒脉遅六七日、而反與黄芩湯撤其熱、脉遅為寒。今與黄芩湯、復除其熱、腹中應冷、當不能食、今反能食、此名除中、必死。
傷寒先厥後發熱、下利必自止、而反汗出、咽中痛者、其喉為痺、發熱無汗、而利必自止、若不止、必便膿血、便膿血者、其喉不痺。
傷寒一二日至四五日、厥者必發熱。前熱者後必厥。厥深者熱亦深。厥微者熱亦微、厥應下之而反發汗者、必口傷爛赤。
傷寒病厥五日、熱亦五日、設六日當復厥不厥者自愈。厥終不過五日、以熱五日、故知自愈。
凡厥者、陰陽氣不相順接、便為厥。厥者、手足逆冷者是也。
傷寒脉微而厥、至七八日膚冷、其人躁無暫安時者、此為藏厥。非蚘厥也。蚘厥者、其人當吐蚘、令病者靜、而復時煩者、此為藏寒。蚘上入其膈、故煩。須臾復止、得食而嘔。又煩者、蚘聞食臭出。其人常自吐蚘。蚘厥者、烏梅丸主之。又主久利。方一
烏梅(三百枚) 細辛(六兩) 乾薑(十兩) 黄連(十六兩) 當歸(四兩) 附子(六兩、炮、去皮) 蜀椒(四兩、出汗) 桂枝(去皮、六兩) 人參(六兩) 黄蘗(六兩)
右十味、異擣篩、合治之。以苦酒漬烏梅一宿、去核、蒸之五斗米下、飯熟擣成泥。和藥令相得、内臼中、與蜜杵二千下、丸如梧桐子大。先食飲、服十丸、日三服、稍加至二十丸。禁生冷滑物臭食等。
傷寒熱少微厥、指(一作稍)頭寒、嘿嘿不欲食、煩躁、數日小便利、色白者、此熱除也。欲得食、其病為愈。若厥而嘔、胷脅煩滿者、其後必便血。
病者手足厥冷、言我不結胷、小腹滿、按之痛者、此冷結在膀胱關元也。
傷寒發熱四日、厥反三日、復熱四日、厥少熱多者、其病當愈。四日至七日、熱不除者、必便膿血。
傷寒厥四日、熱反三日、復厥五日、其病為進。寒多熱少、陽氣退、故為進也。
傷寒六七日、脉微、手足厥冷、煩躁、灸厥陰、厥不還者死。
傷寒發熱、下利厥逆、躁不得臥者死。
傷寒發熱、下利至甚、厥不止者死。
傷寒六七日不利、便發熱而利。其人汗出不止者死。有陰無陽故也。
傷寒五六日、不結胷腹濡、脉虚復厥者、不可下、此亡血、下之死。
發熱而厥、七日下利者、為難治。
傷寒脉促、手足厥逆、可灸之。(促、一作縦)
傷寒脉滑而厥者、裏有熱。白虎湯主之。方二。
知母(六兩) 石膏(一斤、碎、綿裹) 甘草(二兩、炙) 粳米(六合)
右四味、以水一斗、煑米熟、湯成去滓、温服一升、日三服。
手足厥寒、脉細欲絶者、當歸四逆湯主之。方三。
當歸(三兩) 桂枝(三兩、去皮) 芍藥(三兩) 細辛(三兩) 甘草(二兩、炙) 通草(二兩) 大棗(二十五枚、擘。一法、十二枚)
右七味、以水八升、煑取三升、去滓、温服一升、日三服。
若其人内有久寒者、冝當歸四逆加呉茱萸生薑湯。方四。
當歸(三兩) 芍藥(三兩) 甘草(二兩、炙) 通草(二兩) 桂枝(三兩、去皮) 細辛(三兩) 生薑(半斤、切)  呉茱萸(二升) 大棗(二十五枚、擘)
右九味、以水六升、清酒六升和。煑取五升、去滓、温分五服。(一方、水酒各四升。)
大汗出、熱不去、内拘急、四肢疼。又下利厥逆而惡寒者、四逆湯主之。方五。
甘草(二兩、炙) 乾薑(一兩半) 附子(一枚、生用、去皮、破八片)
右三味、以水三升、煑取一升二合、去滓、分温再服。若强人可用大附子一枚、乾薑三兩。
大汗、若大下利而厥冷者、四逆湯主之。六。(用前第五方)
病人手足厥冷、脉乍緊者、邪結在胷中。心下滿而煩、飢不能食者、病在胷中、當須吐之。宜瓜蔕散。方七。
瓜蔕 赤小豆
右二味、各等分、異擣篩、合内臼中、更治之、別以香鼓一合、用熱湯七合、煑作稀糜、去滓、取汁和散一錢匕、温頓服之。不吐者、少少加。得快吐乃止、諸亡血虚家、不可與瓜蔕散。
傷寒厥而心下悸、宜先治水。當服茯苓甘草湯。却治其厥不爾水漬入胃。必作利也。茯苓甘草湯方八。
茯苓(二兩) 甘草(二兩、炙) 生薑(三兩、切) 桂枝(二兩、去皮)
右四味、以水四升、煑取二升、去滓、分温三服。
傷寒六七日、大下後、寸脉沈而遲、手足厥逆、下部脉不至、喉咽不利、唾膿血、泄利不止者、為難治。麻黄升麻湯主之。方九。
麻黄(二兩半、去節) 升麻(一兩一分) 當歸(一兩一分) 知母(十八銖) 黄芩(十八銖) 萎蕤(十八銖、一作菖蒲) 芍藥(六銖) 天門冬(六銖、去心) 桂枝(六銖、去皮) 茯苓(六銖) 甘草(六銖、炙) 石膏(六銖、碎、綿裹) 白朮(六銖) 乾薑(六銖)
右十四味、以水一斗、先煑麻黄一兩沸、去上沫、内諸藥、煑取三升、去滓。分温三服。相去如炊三斗米頃、令盡、汗出愈。
傷寒四五日、腹中痛、若轉氣下趣少腹者、此欲自利也。
傷寒本自寒下、醫復吐下之。寒格更逆吐下、若食入口即吐、乾薑黄芩黄連人參湯主之。方十。
乾薑 黄芩 黄連 人參
右四味、以水六升、煑取二升、去滓、分温再服。
下利有微熱而渇、脉弱者、今自愈。
下利脉數、有微熱、汗出、今自愈。設復緊為未觧。(一云、設脉浮復緊)
下利、手足厥冷、無脉者、灸之不温。若脉不還、反微喘者死。少陰負趺陽者為順也。
下利寸脉反浮數、尺中自濇者、必清膿血。
下利清穀、不可攻表、汗出必脹滿。
下利脉沈弦者、下重也。脉大者為未止。脉微弱數者、為欲自止、雖發熱不死。
下利脉沈而遲、其人靣少赤、身有微熱、下利清穀者、鬱冒汗出而觧。病人必微厥。㪽以然者、其靣戴陽、下虚故也。
下利脉數而渇者、今自愈。設不差、必清膿血、以有熱故也。
下利後脉絶、手足厥冷、晬時脉還、手足温者生、脉不還者死。
傷寒下利、日十餘行、脉反實者死。
下利清穀、裏寒外熱、汗出而厥者、通脉四逆湯主之。方十一。
甘草(二兩、炙) 附子(大者一枚。生、去皮、破八片) 乾薑(三兩。强人可四兩)
右三味、以水三升、煑取一升二合、去滓。分温再服。其脉即出者愈。
熱利下重者、白頭翁湯主之。方十二。
白頭翁(二兩) 黄蘗(三兩) 黄連(三兩) 秦皮(三兩)
右四味、以水七升、煑取二升、去滓。温服一升、不愈更服一升。
下利腹脹滿、身體疼痛者、先温其裏乃攻表、温裏宜四逆湯。攻表宜桂枝湯。十三。(四逆湯用前第五方)
桂枝湯方
桂枝(三兩、去皮) 芍藥(三兩) 甘草(二兩、炙) 生薑(三兩、切) 大棗(十二枚、擘)
右五味、以水七升、煑取三升、去滓。温服一升、須臾啜熱稀粥一升、以助藥力。
下利欲飲水者、以有熱也。白頭翁湯主之。十四。(用前第十二方)
下利讝語者、有燥屎也。宜小承氣湯。方十五。
小承氣湯方
大黄(四兩、酒洗) 枳實(三枚、炙) 厚朴(二兩、去皮、炙)
右三味、以水四升、煑取一升二合、去滓、分二服、初一服讝語止。若更衣者停後服、不爾盡服之。
下利後更煩、按之心下濡者、為虚煩也。宜梔子鼓湯。方十六。
肥梔子(十四箇、擘) 香鼓(四合、綿裹)
右二味、以水四升、先煑梔子、取二升半、内鼓、更煑取一升半、去滓。分再服、一服得吐、止後服。
嘔家有癰膿者、不可治嘔、膿盡自愈。
嘔而脉弱、小便復利、身有微熱、見厥者難治。四逆湯主之。十七(用前第五方)
乾嘔吐涎沫、頭痛者、呉茱萸湯主之。方十八。
呉茱萸(一升、湯洗七遍) 人參(三兩) 大棗(十二枚、擘) 生薑(六兩、切)
右四味、以水七升、煑取二升、去滓。温服七合、日三服。
嘔而發熱者、小柴胡湯主之。方十九。
柴胡(八兩) 黄芩(三兩) 人參(三兩) 甘草(三兩、炙) 生薑(三兩、切) 半夏(半升、洗) 大棗(十二枚、擘)
右七味、以水一斗二升、煑取六升、去滓。更煎取三升、温服一升、日三服。
傷寒、大吐大下之、極虚。復極汗者、其人外氣沸鬱、復與之水、以発其汗、因得噦、㪽以然者、胃中寒冷故也。
傷寒、噦而腹滿、視其前後、知何部不利、利之即愈。

おすすめ記事

  • Pocket
  • LINEで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを残す




Menu

HOME

TOP