任脈 奇経八脈詳解

前回の督脉に続き、任脉の書き下し文も掲載する。任脉は婦人科鍼灸を行う者なら学んでおくべき奇経のひとつ。衝脉と併せて理解を深めたい。

今回からは手持ちの蔵書資料『経穴密語集』を頼りに書き下し文を記述している。なにぶん視力も衰えてきた今日この頃…文字を読むにはやはり紙媒体が最適である。『奇経八脈詳解』と『経穴密語集』は同じ内容の書であると認識している。データ画像の紹介は引き続き京都大学貴重資料デジタルアーカイブから引用させていただいた。

任脉の書き下し文

△任脉経の図、及びその穴法に於いては前集臓腑経絡詳解に見えたり。又贅せず。

○任脉 張潔古が曰く任は妊なり。陰脉の妊養と為すと。任脉は胸腹陰部の中行を流れて、諸陰脉の総任、妊養すればなり。

霊枢、五音五味篇に曰く、衝脉、任脉は皆 胞中に於いて起こり、上りて背裏を循り、経絡の海と為る。
胞中は子宮中なり。男女藏精の所。女子は此に於いて胎を受くる者なり。
本経に任脉衝脉、胞中に起こると雖も、督任衝の三脉と俱に子宮胞中に起り上りて、背脊の裏を循りて経絡の血海たり。
按ずるに、此れ任脉の行と雖も、實は督脉の流れに属す。蓋し右(上記)の督脉に辨する如く、任督衝の三脉は一つの子宮の流れにして其の行る所の背腹陰陽の部を以て別ちて三名にする者なり。故に督脉にしては任の行を兼ねて云、任にしていは督の行をも兼ねて云う。
且つ経絡の海を為すとは、海論に曰く、衝脉は十二経の海たりと。又、任脉の背を行く者は、即ち督脉諸陽の會、その腹に行く者は諸陰の會たり。
故に本経に任衝の脉を總べて稱して経絡の海と云う也。然るに二十七難の本義に、衝脉は諸陽の海とは誤り也。

其の浮みて外なる者は、腹の右を循りて上行し、咽喉に於いて會し、別れて唇口に絡う。
任脉の背を行く者は脊裏を流れて其の行深し。故に腹を行く者を以て、浮而外(浮かみて外)なる者とす。
循腹右(腹の右を循りて)とは、類註に衝任は陰脉なり。陰は右を主る。故に任脉の行は腹の右を流る。胃は足陽明の脉、故に胃の太絡は左の乳下に出づ。此れ陰陽自然の配なりと。
又、甲乙経に此の文を載せて、直ちに右の字を刪去(けずりさ)るなり。按ずるに骨空論に曰く、「任脉者起中極之下、以上毛際、循腹裏上関元、…」と。然るときは則ち右は裏の字の誤りなるべし。此の言は任脉の浮かみて外なる者は腹の中行を循りて上行し、天突廉泉に流れて、咽喉に會し、承漿に行きて別れて両脉となりて唇口を絡繞す。此れ任脉の腹部に直行する本経也。
咽 飲食の道
喉 呼吸の路也。

素問、骨空論に曰く、任脉は中極の下に起こり、以って毛際に上り、腹裏を循りて関元に上り、咽喉に至り、頤に上り面を循りて目に入る。
甲乙経に此の文を載せて「中極の上に起こり以って毛際に下る」に作る。又「目を循り面に入る」に作る也。此の文、難経二十八難にも見えたり。然れども「頤に上る」と云うより以下の六字(上頤循面入目)、難経にこれ無く、且つ咽喉を喉嚨に作る。
中極の下とは丁徳用が曰い、中極とは穴の名なり。臍下四寸に在り、その中極の下とは曲骨の穴なり。これ任脉の起こる所…云々。
虞庶が曰う、任脉は会陰の穴に起こり、毛際に上るとは乃ちこれ曲骨穴…云々。
滑伯仁が難経本義に曰う、任脉は中極の下、曲骨の穴に起こる…云々。
張景岳が云う、中極は任脉の穴の名、曲骨の上一寸に在り、中極の下は即ち胞宮の所…云々。
滑氏が十四経に曰う、任脉は中極の下に起こるとは、会陰の分なり。これに因りて曲骨を循り毛際に上る…云々。

按ずるに、丁徳用は中極の下を以って直ちに中極の下 曲骨とする者は、督脉の下極の兪を以って長強の穴とするが故に、此れと対して任脉も亦腹部に上行する者の初穴たる曲骨の穴に起こるとす。会陰は任の本穴たりと雖も、これ外脉の一源三岐の地。任督衝の別れる所に繋るを以って、任督俱に会陰を除きて、惟 長強曲骨を以って云う。實に旨あり。
滑氏の難経本義も亦これに従う。
虞庶と滑氏の十四経とは、会陰は任脉の本穴たるを以って、中極の下は会陰の穴とすると雖も、中極の下に曲骨の一穴あるときは、此れを越えて中極の下は直ちに会陰の穴と致しがたし。然れども中極の下を以って会陰とするときは「以って毛際に上る」の句、正明たり。
丁氏が曲骨の穴とするに於いては督の下極の腧を以って長強とするに相対して宜しと雖ども、曲骨の穴は即ち毛際に存するときは「以って毛際に上る」衍(あまる)に似たり。故に張氏類経に中極の下は直ちに任脉発源の地、胞宮の所とす。然るときは則ち、中極の下の字を以って裏の意に取りて云う。此の義、實に是なり。
且つ五音五味篇に衝脉任脉、皆胞中に起ると云うときは則ち彌(いよいよ)これに所謂、中極の下も直ちに胞中を指すこと明らかなり。中極は臍下四寸任脉の穴の名なり。
中極の位は裏 胞宮の下際に當る。此れ言う心は任脉は中極の下裏子宮胞中に起りて会陰に出づ。これより曲骨の穴に行て以って前陰毛際に上り、腹裏の中行を循りて、臍下三寸関元の穴に上り、臍を貫き胸中に上り、天突廉泉の両穴に行きて咽喉に至り、頤に上りて下唇の下、承漿の穴に至り、左右に別れて唇を繞(めぐ)り、鼻邊を挟みて面を循り、両目の下の中央、承泣の穴に入る也。承泣は足陽明の穴なり。甲乙経に「目に循り面に入る」とは誤りなり。

甲乙経に「中極の上に起こり以って毛際に下る」と云うも亦、胞中に起るの義なり。蓋し中極の裏の位は胞中の下際なり。中極の上の裏は直ちに胞中なり。此れより起こりて毛際に下る。此れ皆、任脉の会陰に浮くまでの裏行とす。亦一理あり。
惑る人問う、難経に督脉は脊裏に並ぶと。此れ所謂、任脉は腹裏を循ると、この両の裏の字は如何?
曰く、督脉に言う脊裏とは脊骨の裏に比しく並び行くを云い、是に腹裏と云うは陰陽の義。背は陽、腹は陰とす。陽は表、陰は裏なり。故に腹裏と云う。両の裏の字 得て同じからざる也。或いは腹は肉のみ有りて、骨相無し。故に腹裏を云うは誤りなり。然らば何ぞ督脉に脊裏と云うことあらんや。非なること知るべきなり。

霊枢、経脉篇に曰く、任脉の別、名を尾翳と曰う。鳩尾に下り腹に散ず
類註に云う、尾翳は誤り也。任脉の絡、屏翳と名づく。即ち会陰の穴と。この説に従うときは則ち「腹に散じ鳩尾に上る」と改めざれば其の理、通ぜざる也。
甲乙経に曰う、鳩尾、一つに尾翳と名づく、一には■骬(ケツウ、■は骨曷)と名づく、任脉の別と。然るときは則ち是に所謂 尾翳も亦 鳩尾の穴か。
然れども任脉は小腹より鳩尾に上り胸に行くときは則ち鳩尾に下り腹に散ずるの義、吻合せず。
因りて按ずるに、鳩尾を以って任脉の別とするときは、任脉これより別れ下りて腹に散布する者あるならん。然らざるときは則ち鳩尾に下る…云々の六字(「下鳩尾散於腹」)に通ぜず。又、尾翳を以って屏翳に改めて会陰とし、腹に散じ鳩尾に上ると改むと雖も、散の字において通ぜずとす。何如となれば、散とは経脈自然に微細になりて自然に止(とどま)り盡るを云う也。任脉は腹を上り鳩尾に上り、胸に行き面を循る。則ち胸腹は任脉専行の部にして、散の字義に中らず。然るときは則ち鳩尾より腹に散ずる別脉あること明らか也。

十四経に曰く、任脉は陰脉の海に属す
任脉は腹の中行陰部を流れて諸々の陰脉の総任たり。故に任脉を以って陰脉の海に属すとす。按ずるに甲乙経に督脉を陽脉の海とするに因りて、滑氏その任督対配の流れたるが故に、任を以って亦陰脉の海に属すとす。實に理あり。
按ずるに以上任脉の行を考えるに、任脉の背を行く者は即ち督脉の流れ也。その鳩尾より下り腹に散ずる者は任の別絡なる者なり。その本経に於いては骨空論に謂う腹の中行、会陰より承漿に至る所の者を以ってす。且つ氣府論に謂う任脉の氣の発する所の者、二十八穴の序次に従って推し求めるときは則ち任脉の本経 流れる所の行度、腹部に在ること昭然として見るべし。

素問、氣府論に曰く、任脉の氣 発する所の者二十八穴。喉の中央二つ。膺中骨陥の中各々一つ。鳩尾の下三寸は胃脘。五寸は胃脘。以下横骨に至りて六寸半一つ。腹脉の法なり。下陰の別一つ。目下各々一つ。下唇一つ。齗交一つ
喉の中央二つとは、廉泉天突の両穴なり。
膺は胸の両旁肥肉の所を云う。膺の中央を胸と云うときは則ち膺中は胸中なり。骨陥各々一つとは胸の肋骨重なる所の陥なる中に各々一穴づつ存するを云う。凡そ胸中の骨陥六ありて六穴を存す。璇璣、華蓋、紫宮、玉堂、膻中、中庭なり。鳩尾は鳩尾骨を云う。鳩尾の下三寸とは胸中肋骨の推端。俗に云うミゾヲチの位。肋骨の左右に別れて岐(ふたまた)なる處を岐骨と云う。岐骨の際より細き小指の大さばかりの骨を指し出てその形 鳩の尾に似たり。これを鳩尾骨と云う。或いは蔽骨、或いは■骬(ケツウ、■は骨曷)とも号(なづく)。
その鳩尾骨の根本、岐骨の際自り下行三寸は上脘の穴なり。「五寸は胃脘」とは上脘は鳩尾の下三寸に在るときは則ち臍より上行五寸に上脘を取るとなり、此れ岐骨より臍に至るまで折りて八寸として、、一寸一穴に求めること示す義なり。
鳩尾の根、岐骨より下行一寸は鳩尾の穴。又、下ること一寸は巨闕の穴、又下ること一寸は上脘の穴。實に上脘は鳩尾骨の根より下ること三寸に在るなり。
又、臍の上一寸は水分の穴、又上ること一寸は下脘の穴、又上ること一寸は建里の穴、又上ること一寸は中脘の穴、又上ること一寸は上脘の穴。
實に上脘は臍の上五寸に在る者なり。此れの如くにして、胸下臍上に七穴を存す。

「以下横骨に至り」とは横骨は陰毛際に横たわる骨。俗に云うイチノキザ也。以下とは際より以下、横骨に至りて長さ折りて六寸半とす。蓋し霊枢骨度篇の法と同じ。一とは六寸半として、一寸毎に一穴を存すと云うの義なり。
然れども今按ずるに甲乙経に臍下一寸、陰交穴とす。此れを下ること五分は氣海の穴。又、下ること五分に丹田の穴。又下ること一寸に関元穴。又下ること一寸に中極の穴。又下ること一寸は直ちに臍下五寸陰毛際横骨の端、曲骨穴とするときは、臍より以下横骨に至りて五寸として、寸毎(ごと)に一穴とす。

然るときは則ち骨度の法六寸半と雖も、穴法に於いては五寸とす。六寸半の法なるときは寸毎に一穴ならず。故に新校正に此れ所謂 一の字を疑いて云く、詳にするに一の字、疑うらくは誤りとは實に是なり。
読む者の是に所謂 六寸半は只 骨度の法に合して云う耳(のみ)にして、穴法は然らず。且つ一の字、衍文としてこれを視よ。
腹脉の法なり、とは凡そ胸腹の諸々の経穴は任脉中行の者よりこれを立つ。故に以上の膺中骨陥各々一穴として六穴を存するの法、臍下六寸半と雖も、穴法は五寸にして六穴を存する者は、皆胸腹諸々の穴脉を取るの法式と也。

或る人の云う、六寸半一とは、六は五の字の誤り。半の字は衍文。五寸一と改めて視るべしと。
尤も可なるが如し。
下陰の別一とは、会陰の一穴を云う。会陰は下部前後両陰の間に在りて、任脉の別絡に繋がるを以って「下陰の別」とす。
目下各々一つとは、足陽明承泣の穴、左右に各々一穴。下唇一とは下唇の下は承漿の一穴。齗交一つとは上歯の縫中齗交の一穴なり。
以上、都合二十七穴。臍中も神闕の一穴と数えて此れの如し。
然るに任脉の氣の発する所二十八穴とは、今これを数えて一穴 缺(か)けて全数を得ざる者なり。詳義下文に見えたり。

十四経発揮に曰く、按ずるに内経に云う 右(上記)の氣府論の文を云う 任脉の発する所の者、二十八穴と。経に一穴を闕(か)けて、實に二十七穴有り。内、齗交の一穴は督脉に属す。承泣の二穴は足陽明 蹻脈に属す。故に止(ただ)二十四穴を載す。
内経に任脉発する所二十八穴と雖も、右(上記)の法の如くにして、今、内経に存する者を数れば一穴の闕けて實は二十七穴あり。其の二十七穴の内の齗交の一穴は、督脉の本穴に属す。承泣の二穴は足陽明胃経の本穴にして、陽蹻脉の会に属す。故に滑伯仁、十四経発揮を撰して任脉の本穴を記すには、承泣齗交の三穴を除いて、只二十四穴を載せると也。
齗交を以って督脉の本穴とするの説は、前の督脉の註に見えたり。

〇或る人問う、氣府論に任脉の氣の発する所は二十八穴と。然るに今、皇甫士安(皇甫謐)が甲乙経に載せる所、及び氣府論の王氏が次註に記す所の穴を以って数え量(はか)れば、一穴闕けて全数を得ざる者は實(まこと)に然るや否や?
曰く、先輩、皆これに従うと雖も、愚 竊(ひそか)に按ずるに、督脉は素髎を下りて上歯の縫中に至りて齗交の一穴を存す。任脉の廉泉より上りて承漿に至る者、何ぞ下歯の縫中に入らざるや?
督脉は脊中を行き、任は腹中を行く。督に長強穴あれば、任に曲骨穴あり。督に大椎穴あれば、任に天突穴あり。督に瘂門穴あれば、任に廉泉穴あり。督に水溝穴あれば、任に承漿穴ありて、督任の経穴、相対配するときは、只下歯の縫中を称して、齗基と云う耳(のみ)にして、豈(あに)穴なき者のならんや。下歯の縫中齗基の地に本(もと)任脉の承漿より至る所の一穴ありて、督の齗交と相対する者ならん。経に一穴闕くとはこれ等の謂いか。
李時珍、任脉の行を辨じて云う。頤に上り承漿を循り、唇を還り上りて下齗交に至る、と。
此れ深く任脉の行度を得たり。督脉の経、上歯の齗交に入るときは則ち實に任も下歯の齗基に入るべきことを発明す。余が右(上記)に謂う所の者と吻合するに似たり。

時珍が曰く、任は陰脉之海。その脉は中極の下、少腹の内に起こり、会陰の分 両陰の間に在り より上行して外に出づ その脉、会陰の分にしては深くして未だ浅からず。已に横骨の曲骨穴の分に流れて脉行、浮かび出づる。故に外に出づと云う 曲骨を循り 横骨の上、毛際陥なる中 毛際に上り 前陰毛際 中極に至り 臍下四寸、膀胱の募 足の厥陰太陰少陰と同じく腹裏を並び行き、関元を循り 臍下三寸、小腸の募。三陰任脉の會 石門 即ち丹田。一名は命門。臍下二寸に在り。三焦の募なり。 氣海 臍下一寸半、宛々たる中、男女生氣の海 を歴て、足少陽 衝脉に陰交に於いて會し 臍下一寸、膀胱の上口に當る。三焦の募 神闕 臍の中央 水分 臍の上一寸、小腸の下口に當る を循り、足太陰に下脘 臍上二寸、胃の下口に當る に於いて會し、建里 臍上三寸 に手太陽少陽、足陽明に中脘 臍上四寸、胃の募 に於いて會し、上脘 臍上五寸 に上り、巨闕 鳩尾の下一寸、心の募 鳩尾 蔽骨下五分 〇按ずるに岐骨の下一寸 中庭 膻中の下一寸六分、陥なる中 膻中 玉堂の下一寸六分。直ちに両乳の中間 玉堂 紫宮の下一寸六分 紫宮 華蓋の下一寸 華蓋 璇璣の下一寸 璇璣 天突の下一寸 喉嚨に上り陰維に天突廉泉に於いて會し 天突は結喉の下四寸、宛々たる中に在り。廉泉は結喉の上、舌下の中央に在り 頤に上り、承漿を循りて、手足陽明督脉と會し 唇の下、陥なる中 唇を環り上りて下齗交に至り、復た出て分かれ行りて面を循り、両目の下の中央に繋り、承泣に至りて終わる。 目下七分、直瞳子 陥なる中 二穴 凡そ二十七穴 これ下齗交と承泣と俱に数えて二十七穴と云う也。承泣は本、胃経の穴にして任脉の會、下齗交は李氏発明の一穴なり。

〇これ時珍、深く内経の旨に達して、任脉の行を明にせり。且つ「唇を還り上りて下齗交に至る(還唇上至下齗交)」とは李氏の発明なり。督脉の流れ水溝兌端を経て、上歯の縫中に入りて齗交に至るときは則ち任脉も亦、承漿より唇を還り上りて、下齗の縫中に入るとす。督脉の上歯の縫中に齗交穴あるを以って、任脉の下歯の縫中に至る者に於いて下齗交と云えり。
前輩、皆 謂う所の任は上行して承漿より唇を還りて両目の下に繋るとす。時珍始めて「至下齗交」の説を立てて、千古の未だ発せざるところを発明す。是に於いて氣府論に任脉発する所二十八穴の数、自ずから全きことを得たり。詳論なを右(上記)の如し。
〇以上の細註、愚が臆註は皆、その首に圓(〇のこと)して之を別つ。その圓無き者は本より李氏が細註なり。

十四経発揮に曰く、夫れ人身の任督有るは猶(なお)天地の子午有るが如し。人身の任督は腹背を以って言う。天地の子午は南北を以って言う。

人の任督の二脉あるは天地の間に子の陰、午の陽あるが如し。人身の任督は只一つの子宮中の血脉なりと雖も、その腹陰に行く者を任と名づけ、背陽に行く者を督と号す。これの如く、その流れる所の陰陽腹背を以って名を別つと雖も、實は子宮の血の一躰なり。天地の子午も渾然たる一氣なりと雖も、その南方の陽位を以っては午と名づけ、北方の陰位を以っては子と号る者と同じきなり。

以って分かつべく、以って合すべき者なり。
然るときは則ち任督、本(もと)一躰と雖も、その行る所の腹背の陰陽を以っては任督の名を別つべく、又任督俱に子宮の一源に発するを以って一躰とも合すべき者なり。天地の子午も南北の陰陽を以ってはその名を別つべく、又、渾然として間(へだて)なきを以っては一氣とも合すべき者なり。

これを分かちて以って陰陽の雑(まじわ)らざるを見(しめ)すに於いて、これを合して以って渾淪の間無きを見(しめ)すに、一にして二、二にして一なる者なり。
人身の任督、天地の子午、これを分かちて以って陰陽の氣位の雑(まじわ)らざるを見(しめ)すに於いては一躰一氣と雖も、二岐となれり。彼の陰陽相合して渾淪の間(へだて)なきを見すに於いては二岐と雖も、一躰一氣なる者なり。只 分かつべく、只 合すべき者なり。
渾淪…物の相離れず、相分かれずを云うなり。

霊枢 脉度篇に曰く、督脉任脉、各々四尺五寸

十四経発揮に曰く、凡そこの任脉の行、胞中より上りて目に注ぐ。長きこと四尺五寸。
任脉の子宮胞中より出て、腹部の中行を流れて上りて両目の下の中央に注ぐまで、その長きこと四尺五寸あるを云う也。
愚、按ずるに、滑氏十四経「脉氣所発篇」の註に、任脉は中極の下に起こる、会陰の分なり、と。是には「胞中より上りて目に注ぐ(従胞中上注目)」と。前後の義、対せざるに似たり。是に胞中と云うときは則ち前の註に「中極の下に起こる、胞中の分なり」と云うべし。前後の義、實に誤れり。
督脉は会陰より齗交まで、任脉も亦、会陰より上り目に注ぐまで、各々四尺五寸なるべし。脉度の法、惟その外脉を以って量(はか)るのみ。胞中は深く両腎の間に存す。督は外脉を以って量りて四尺五寸とす。何ぞ獨り任のみ深く胞中発源の地より度量するの義あらんや。且つ外脉の浮かぶ者はその終始の所、明顕にして實にその度を量るべき者たり。
彼の胞中よりと云うが如きは、何の従處(よるところ)ありてその尺寸を量るべき者ならんや。尤も生知の聖を以ってこれを量るべし雖も、その外より直に察し難きを量るに於いては、聖人といえども明かに意を加えて、後学に示すの辞ありて疑いなからしむ。
如何となれば骨度篇に曰く、柱骨、腋中に行ること見えざる者四寸(柱骨行腋中不見四寸※)」と。これその量り難きを量るに因りて、見えざるの二字を加えて後の疑いなからしむ。且つ脉度篇、手の六陽は手より頭に至りて量る。手の六陰は手より胸中に至りて量る。足六陽は足より頭に至りて量る。足六陰は足より胸中に至りて量る。蹻脉は足より目に至りて量る、これ皆 外脉の終始の間を以って度量を致し、又その量り易き取りて盡く手足より云うときは則ち、何ぞ任脉獨りその胞中より深く尋ねて量ることあらんや。経に只 督脉任脉各々四尺五寸と云いて度量の明文なきを以って、後学の惑いを致す。経に明文なきものはその量り易きに従て也。督任の脉度、度量し難き者たらば、経に明かに何ぞその「何れより何に至りて」と云うことあらざるべけんや。
督は会陰より頭面に量り、任は会陰より面目に度る。これ實に何れより何れに至ると云うに及ばずして明顕たる脉度なり。故に経の文に惟(ただ)督脉任脉各々四尺五寸と云うのみ。伯仁の義、穿鑿(せんさく)に過ぎたる者か。

任脉為病

骨空論に曰く、任脉の病を為す、男子は内結七疝、女子は帯下瘕聚す。
内結は腹内の結積を云う。七疝は五藏の疝氣に狐疝、㿗疝を加えて云う。帯下は俗に云うコシケ。瘕聚は癥瘕、積聚なり。腹中の塊聚その所を定めて、その正しく徴あるを以って癥と云う。その塊聚の所を定めずして假(かり)に見わるを以って瘕と号る也。
任脉は腹を流れて上行す。故にその病、皆 腹内凝結に属す。蓋し男子は氣に属し、女子は血に属す。疝は氣滞の病、帯下瘕聚は血滞の病たれば也。

〇按ずるに難経二十九難にこの語を載せて「任の病為る、その内 結を苦しむ。男子は七疝と為り、女子は瘕聚を為す。(任之為病、其内苦結、男子為七疝、女子為瘕聚。)」に作る。内苦結とは男女俱に任の病は皆 腹内の結積を苦しむとす義、尤も明白なり。

経脉篇に曰く、實するときは則ち腹皮痛む。虚するときは則ち癢掻す。これを別れる所に取るなり。
任脉に邪氣實するときは則ち腹皮これが為に痛をなす。もし任脉の正氣虚するときは則ち腹皮癢掻す。蓋し任脉は腹部の中行なれば也。痛は邪實の結なり。癢(かゆき)は正氣虚して縈せざれば也。病これの如きなる者は任脉の別る所の尾翳の穴を取りて治す。

五音五味篇に曰く、血氣盛んなるときは則ち膚充ち肉熱す。
これ任衝の二脉を兼ねて云うと雖も、専ら任脉を主として云う也。この両脉に血氣俱に盛んなるときは則ちその勢い皮膚に充ちて肉氣これが為に熱なることを致す。
血獨り盛んなるときは則ち皮膚に澹滲して毫毛を生ず。
若し血分獨り盛んなるときは則ち血液動溢して皮膚に滲(も)れて毫毛を生ず。
澹…水動揺の貌、血液の溢れるを云う。
毫毛…皮毛の太きを云う。
今 婦人の生、氣に於いて有餘、血に於いて不足す。その数(しばしば)脱血するを以って也。衝任の脉、口唇を營せざる故に鬚を生ぜず。
今、婦人の生や、常に氣に有餘して血に不足。何如となれば、毎月経水下りてその数々(しばしば)血を脱出するを以っての故なり。これを以って婦人は衝任の血脉その口唇を營華するに足らず。故に婦人は鬚の生ずることなし。
〇甲乙経、十四経発揮にこの文を載せて、十四経に「背裏」を「脊裏」に作り、「充膚熱肉」を「肌肉熱」に作す。
十四経、甲乙経に「澹滲」を「滲灌」に作る。
十四経に「其数脱血…云々」を「其月事数下、任衝並傷故也。任衝之交脉不營其口唇。故髭鬚不生」に作る。
甲乙経に「其月水数脱血…」に作る。口唇の脣の字無し。交脉は任脉の別れて口唇を絡うに於いて、左右互いに交わる者を云う也。
髭は唇の上に生ず。鬚は唇の下頤に生ずるを云う也。
蓋し諸々の毛類は血液の餘りなり。婦人は毎月の経行に因りて、彼の任衝の血脉傷れて、これが口唇に交わり絡う所の経脉に於いても血の營華すること盛んならず。故に男子の如くに髭鬚の生ずると云うことなし。

或る人問う、婦人毎月経水下ること有るに因りて、任衝の交脉傷ると云うときは則ち諸経も亦 當に不足すべし。何ぞ獨り任衝の交脉のみ傷るるに至るや。
曰く衝脉は十二経の海たり。任は腹部を流れて陰脉の海たり。故に婦人経水の事は専らこの両脉にあづかる。これを以って上古天眞論に女子は二七にして天癸至り、任脉通じ、太衝の脉盛んにして月事、時を以って下る。七七にして任脉虚し太衝の脉衰え、天癸竭きて地道通ぜざる、と云う。これ月経の道、獨り任衝にあづかること知んぬべし。

脉経に曰く、寸口 寸部を云う の脉来たること緊細實長にして関に至る者は任脉也。 これ任脉の脉氣の至る者なり。 動(ややもすれば)少腹、臍を繞(めぐ)りて下は横骨陰中に引いて切痛することを苦しむ。関元を取りて之を治す。
又、曰く寸口の邊に横(よこたわり)て、脉丸丸たる者は任脉也。腹中に氣有りて階の如く上は心に搶いて俛仰することを得ず拘急することを苦しむ。
 丸丸は脉の珠丸の如し。

 

経穴密語集 巻之上終

任脈のトリセツ

任脈の流注

霊枢に書かれている内容から、李時珍が推す「一源三岐」の奇経観は確立されていないようである。一源三岐の言葉は王冰による『素問王冰註』にみられる。
『同書』素問 骨空論にて「督脉亦奇経也、然任脉衝脉督脉者、一源而三岐也。…」とある。

さて、任脈は「胞中に起こる」という記述は現代でも学ぶ内容であるが、胞中に根差すのは任脈と衝脈であるという。(※『素問』骨空論では「督脈は少腹に起こる」としている。)
続いて「上りて背裏を循り」「経脈の海となる」という記述は、衝脈督脈と概念的に交錯しているように読める。さらに『霊枢』ではこのように続く。任脈の外脈は腹部の右に浮かび、上行して咽、唇口に絡う…という。

『素問』骨空論では、任脈が起こる所を「中極の下」とし「腹裏を循り」として、具体的な記述としては『霊枢』とは大きく異なるようにもみえる。
この矛盾を李時珍は一源三岐という表現で解消したのではないだろうか。任督衝は本質的には一体であり、冥々とした存在である。本来は三脈に区分せずともよい存在なのかもしれない。素問、霊枢を読むと、このようにも思えてくる。
しかし治療に携わる者としては、奇経を用いる以上はもう少し詳細に理解を深める必要がある。

流注に関しては督脈との交会だけでなく、他経との交会を詳細に抑えておくべきであろう。特に面部における任脈を主とした各経の走行と繋絡関係は、伝統鍼灸のみならず流行りの美容鍼灸方面でも研究し応用してはどうだろうか?と思う次第である。

奇経循環の歪な如環無端 -齗交の扱い-

『十四経発揮』では任脈の経穴を「内、齗交の一穴は督脉に属す。承泣の二穴は…云々」として、齗交を任脈の経穴から外している。
ちなみに『十四経発揮』の任脈流注では「任脉者與衝脉皆起胞中…會於咽喉、別而絡唇口。」「任脉起於中極之下…至咽喉、上頤、循面、入目。属陰脉之海。」とされており、齗交への直接的な関わりは不明瞭である。「絡唇口」くらいであろうか。

しかし、李時珍はそれを是とせず、齗交にもう一歩ふみ込んで言及している。「上頤、循承漿與手足陽明督脉會、環唇、上至下齗交、復出分行循面…」の文である。
岡本一抱もこの説がいたく気に入ったようで大いに賛同している。しかし、下齗交を岡本氏は以下のように述べている。
「督脉の流れ水溝兌端を経て、上歯の縫中に入りて齗交に至るときは則ち任脉も亦、承漿より唇を還り上りて、下齗の縫中に入るとす。督脉の上歯の縫中に齗交穴あるを以って、任脉の下歯の縫中に至る者に於いて下齗交と云えり。」とあり“督脉における水溝ー齗交”の関係と同じように“任脈において承漿ー下齗交”と下齗交を解釈しているようである。

私見ながら、李時珍の説には賛同するが、岡本一抱の釈文には個人的には賛同できない。
まず李時珍の「上至下齗交」の語句であるが、文脈からすると「承漿から唇を環り上って下齗交に至る」のである。承漿から上っていくと、岡本氏の説(と思われる)「承漿ー下齗交」にはたどり着けないのだ。
個人的に推したいのは「齗交の下、すなわち齗交の深層」という解釈である。これは任脈の出発地点「中極の下」の解釈を張景岳が「中極の下は即ち胞宮の所…云々」とする説と似る。
なぜ下齗交を深齗交としたいのか?
任督の合流地点が齗交であると考えるからだ。

任督衝は胞中に根ざし、会陰に別れ、口唇周囲にて再び合流する。(衝脉が会陰にて別れるのは岡本氏の説ではあるが)
この奇経系統が承漿(任脈)と齗交(督脈)で途切れるのは少し具合が悪い。

但し、見かたを変えれば、任脈と督脈が繋がりそうでいて途切れている…という絶妙な循環系は生物における「完成された不完全」とも言えるのではないだろうか。
この「不完全」さ(歪な如環無端)が口唇周囲、特に齗交と下齗交にある奇経観であり、神仙術・内丹学にも通ずるのではないだろうか。
例えば、呼吸法における「舌を上顎(上歯の裏)に付ける」というちょっとした行為も、途切れた任督を接続させ、如環無端を成立させる一行為ともなり得ると考える。

任脈と生理病理

任脈は陰脈の海である。
滑伯仁、李時珍はこの立場をとっており、督脈と対比させている。流行部位は腹部であり、関与する要素としては血としており、それ故に女性の妊娠や病態に関わる傾向が強い奇経である。

また任脈上の経穴は募穴が多く、やはり臨床でよく用いる奇経である。
ちなみに任脈上にある募穴は、中極・関元・石門・中脘・巨闕・膻中と、十二ある募穴の半数が任脈にある。陰分に関わりの深い奇経であることがよく分かる。

他にも任脈流注の要所が、咽喉・口唇・面・目であることを把握しておくことで、診断治療の幅も広がることだろう。

 

鍼道五経会 足立繁久

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