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さて、前記事の桂枝湯の腹証に続く第二段。今回は『腹証奇覧』に焦点を当てて記事にしました。
『腹証奇覧』および『腹証奇覧翼』は、江戸期の漢方腹診書の中でもよく知られた書だと思われます。その著者である稲葉文礼、和久田叔虎の師弟もまた有名です。
『腹証奇覧』の著者、稲葉文礼の半生
稲葉文礼(??~1805年)は生まれは不明で、自序にも「幼にして孤なり」とあり幼くして孤児であったようです。彼の青春時代は放蕩にして無頼、京摂あたりを主なホームとしていたようです。本人の言うには「大人君子の悪む所、一として為さざる所なし」と、たいていの悪事は全てやってのけたとのこと。そうして生き延びてきた者の気迫が伝わるような自序です。医書の自序としては、なかなか異色な内容です。
そんな稲葉青年にも良き友人がいたのでしょう。「友人の言に感ずる有りて医を学ばんと欲す」と一念発起したのが人生の転換期。ならず者を医の道に転向させたこの友人の言葉にも俄然興味が湧きます。
しかし育ちも孤児であり、無頼漢であった稲葉青年、そもそも文字の読み書きができません。浪華(難波)の鶴泰栄先生に師事しますが、次のような言葉で彼を教導します。「汝が性、頑愚にして頗る鄙倍に慴い、且つ已に年長ず。教るに文字を以てし、古人の書を読ましめんと欲するも、恐らくは終に以て其の成るを期する可からず。我、汝に教えるに診腹の事を以せん。汝も亦、佗(ほか)を顧みず夙夜講明し、以て治療を為せ。」とあり、腹診の術に専念させたようです。弟子の性質を見抜いて、教授の仕方を変えるこの方法は、優秀な師である証といえるでしょう。この鶴先生も大人物です。
……と、ここまでが稲葉文礼の半生です。うーむ…『腹証奇覧』の話にまでなかなか辿り着かないですね。まぁそれくらい『腹証奇覧』序文の内容がドラマチックな内容であるということです。
他にも「甲州は黒川の里にて知足斎(永田徳本)の遺書・奇方十九を得る(1792年)」「弟子、和久田氏との出会い…(1793年)」「京都にて己の術を広めようとするも…(1795年)」そして「『腹証奇覧』を出版(1800年)」などなどのエピソードも紹介するべできしょうが、かなりの長編記事になること必至なので、本記事では控えておきましょう。
とはいえ、「幼少時からの苦難」、「友の言葉と人生の転機」「師との出会い」「諸国への修行旅」「弟子との出会い」「花の都・京への立身出世」「挫折」そして医学歴史に名を残す……とかなり話題が豊富なのです。こりゃあ、大河ドラマにしてもいけるじゃない?と思えるほです。
さて、稲葉文礼という人物を紹介しきるのは諦めて、『腹証奇覧』に記載される桂枝湯の腹証について紹介しましょう。以下に書き下し文を引用します。
腹証奇覧における桂枝湯腹証
※『腹証奇覧』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。
※下記文はできる限り原文引用しておりますが、ヿや𪜈などの合略仮名は現代仮名に変換しています。
桂枝湯・書き下し文
■原文
此の証、腹滑にして、底までもこたえるものなく、図のごとく只だ拘攣あり。所謂(いわゆる)臓他病なし。上衝・発熱・頭痛・有汗・悪風する者は桂枝湯を用いる也。拘攣せざる者は去芍薬湯を用いるなり。拘攣劇しき者は加芍薬湯を用いるなり。此の三方を合わせみれば、上衝と拘攣との二つ。此の症の準拠たること知るべし。故に腹証を知らんと欲せば、まず準拠とするところの字義を味わい考うべし。
衝は突(とつ)也、向(むかう)也。毒の頭上へ突上るなり。
拘は物去り手能(よく)之を止どむるなり、また擁なり。
攣は係攣(けいれん)なり。縄を以て引きつりしばるなり。
然れば拘攣は、毒のかかわりひきつるものなり。
これを診する法、やわらかに指を下して、腹中をいら(弄)い探るに、指頭にあたりてかかわり引きつるものあり。是れすなわち拘攣なり。夫れ毒、腹中にあり、拘攣にて上衝す。是れ即ち桂枝湯の主治する所なり。
衝逆して毒、心胸を過ぎるを以て、嘔する氣味ある故、方中生姜あり。
又、拘攣上衝すれば、攣引急迫も其のうちにこもりある故、大棗甘草あり。
是れこの諸薬、各々主治する所ありといえども、壹(ひとつ)に皆、桂枝芍薬二味に佐として拘攣上衝の毒を治するものなり。
然れども拘攣のみにて上衝なければ、此の方の証にあらざる故、上衝をつかまえものにして「上衝者可與桂枝湯」と傷寒論にもいえり。これを「方意を明らかにして視毒の在る所を視る(明方意視毒之所在)」というなり。右(上)桂枝湯及び桂枝去芍薬、桂枝加芍薬の三方、此れに於いてもとむべし。その余、本方より去加の諸方も亦みな桂芍二味の証を主として、出入去加したるものなれば、只桂芍二味の意を主として考うべし。
又曰く、桂枝加桂枝、桂枝加皀莢、密伝あり。後篇に書す。懇請の人あらば伝うべし。桂枝去芍薬湯も亦ら腹候伝あり。
■原文
此證腹滑にして、底までもこたゆるものなく、圖のごとく只拘攣あり。㪽謂臓他病なし。上衝發熱頭痛有汗悪風する者は桂枝湯を用る也。不拘攣者は去芍藥湯を用ゆるなり。拘攣劇しき者は加芍藥湯を用るなり。此三方を合せみれば、上衝と拘攣との二つ。此症の準據たること知へし。故に腹證を知んと欲せば、まづ準據とするところの字義を味ひ考ふべし。
衝は突也、向也。毒の頭上へ突上るなり。拘は物去り手能止之なり、また擁なり。攣は係攣なり。縄を以て引つりしばるなり。然れば拘攣は毒のかヽはりひきつるものなり。これを診する法、やはらかに指を下して、腹中をいろひ探るに、指頭にあたりてかヽはり引つるものあり。是すなはち拘攣なり。夫毒腹中にあり、拘攣にて上衝す。是即桂枝湯の主治する㪽なり。衝逆して毒、心胸を過るを以て、嘔する氣味ある故、方中生姜あり。又、拘攣上衝すれば、攣引急迫も其うちにこもりある故、大棗甘草あり。是この諸藥各主治する㪽ありといへとも壹に皆、桂芍二味に佐として拘攣上衝の毒を治するものなり。然れども拘攣のみにて上衝なければ此方の證にあらざる故、上衝をつかまへものにして、上衝者可與桂枝湯と傷寒論にもいへり。これを明方意視毒之㪽在といふなり。右桂枝湯及び去芍藥加芍藥の三方、此に於てもとむべし。その餘、本方より去加の諸方も亦みな桂芍二味の證を主として、出入去加したるものなれば、只桂芍二味の意を主として考ふべし。又曰、桂枝加桂枝、桂枝加皀莢、密傳あり。後篇に書す。懇請の人あらば傳ふべし。桂枝去芍藥湯も亦腹候傳あり。
眼の付けどころは上衝と拘攣
『腹証奇覧』では桂枝湯の腹証の特徴として「上衝」と「拘攣」の二点を挙げています。
「拘攣せざる場合は芍薬を去り、拘攣の劇しい場合は芍薬を加える」ということから、桂枝湯に含まれる芍薬の働きがみえてきます。となれば、桂枝湯のはたらき・腹証もまた同じく「拘攣」が一つの所見となるわけです。
腹中に病邪の影響のため、毒(邪)が発生します。その毒が関与することで引き攣り、拘攣が起こるのだと文中にはあります。この内容は『聖剤発蘊』にも同じ主旨のことが記されていましたね。
そして上衝・衝逆によって“嘔”を生ずることもあります。そのため生姜を組み入れているわけです。
また拘攣と上衝によって、攣引や急迫も起こり、内部に生じて停滞することにもなり得ます。それに対して大棗・甘草が組まれているのです。
しかし、上記のような生姜・大棗・甘草の薬能もありますが、なによりも「上衝」と「拘攣」を治める二味(桂枝・芍薬)の補佐に過ぎないとしています。
このようにみると稲葉氏がみている桂枝湯の方意というものは、単なる表病に対する方剤ではなくなっています。そしてこのような観点でみれば、なるほど霍乱病編や婦人妊娠病編に桂枝湯が記載されていることも納得できるわけです。
流石は張仲景先生、イの一番に挙げる桂枝湯の奥の深さが分かってきますね。
『腹証奇覧翼』に記される桂枝湯の腹診図
上記の流れでいうと和久田叔虎の生い立ちや稲葉先生との出会いを紹介するのが筋なのでしょうが、本記事では割愛させていただきます。次の機会に必ず紹介します…ということで、『腹証奇覧翼』の桂枝湯の氣上衝および腹拘急の図を紹介しましょう。
※『腹証奇覧翼』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。
※下記文はできる限り原文引用しておりますが、ヿや𪜈などの合略仮名は現代仮名に変換しています。
桂枝湯、氣上衝 腹拘急図 書き下し文
右(前の)図の如く、臍上中脘の辺、動氣ありて、之を按(おす)に浮にして築々たるもの、桂枝湯の腹証なり。
氣上衝というも、此の動氣築するの謂いなり。上りて心を衝くというは、此の動氣上騰して心にせまるなり。但だ氣上衝というて、心を言わざるは、此の動、腹に在りて、心胸まで上衝せざるなり。軽重の別なり。
さて其の腹皮は少しひっぱりて力あり。所謂拘攣の微なるものなり。然れども之を正按するに、鞕(かた)からず、実せずして、底にこたえるものなし。動氣も亦た按して力ありといえども甚しからず。乃ち「陽浮而陰弱」なるもの、亦た此こに於いても同じことを得べし。(凡そ腹証を診して、人ごとに此の動氣あらざることなく、陰病陽病ともに同じ。これを分別するものは、外証に於いて察すべし。妄りに動氣のみをとるべからず。)
抑々(そもそも)腹証を診するもの、先ず此の図に本づき、桂枝湯の正腹証なるものを定むべし。其の大同小異あるものは、時に取て斟酌すべし。徒らに図を按(あん)じて驥(き)を求むこと勿れ。
若しくは、此の腹状にして腹拘急して時に痛むものは加芍薬湯。若しくは大実痛するものは、加大黄湯。
若しくは、拘急甚しく急痛するものは小建中湯。
若しくは、心下痞鞕拘攣するものは、加芍薬生姜人参湯。
若しくは、渇して口乾くものは加栝楼根。
若しくは、却て腹拘攣せず、之を按(おす)にぐさつきて胸さきより上はりみちて(張満)心わるくは、去芍薬湯。
若しくは、心下満、小便不利せば、去桂加苓朮湯。(『医宗金鑑』去芍薬に作す)
其の他、ことごとく本方に就いて去加増損するの意を審らかにし、或いは陽或いは陰、其の変化を明らかにせば、以て大過なかるべし。
(又案ずるに、氣上衝するもの瓜蔕散の證あり。呉茱萸湯の証あり。厥陰の證あり。或いは少陰病、四逆・真武・理中の証といえども、此の動氣の変なしというべからず。所謂、心下悸、目眩、煩躁等、亦た此の動氣にかかわるもの多し。但、其の陰陽をつまびらかにして、大表の応見を分明に診しうること肝要なり。学者これを思え。)
■原文 桂枝湯氣上衝腹拘急圖
右圖の如、臍上中脘の邊動氣ありて、之を按に浮にして築々たるもの、桂枝湯の腹證なり。氣上衝といふも、此動氣築するの謂なり。上衝心といふは、此動氣上騰して心にせまるなり。但氣上衝といふて、心を言ざるは、此動腹に在て、心胸まで上衝せざるなり。輕重の別なり。さて其腹皮は少ひつはりて力あり。所謂拘攣の微なるものなり。然𪜈之を正按するに、鞕からず、實せずして、底にこたへるものなし。動氣も亦按て力ありといへ𪜈甚からず。乃陽浮而陰弱なるもの、亦此に於ても同ヿを得べし。(凡腹証を診して、人ごとに此動氣あらざるヿなく、陰病陽病ともに同じ。これを分別するものは、外證に於て察すべし。妄に動氣のみをとるべからず。)
抑腹證を診するもの、先此圖に本づき、桂枝湯の正腹證なるものを定へし。其大同小異あるものは、時に取て斟酌すべし。徒に圖を按して驥を求ヿ勿れ。若は此腹狀にして腹拘急して時に痛ものは加芍藥湯。若は大實痛するものは、加大黄湯。若は拘急甚急痛するものは小建中湯、若は心下痞鞕拘攣するものは、加芍藥生薑人葠湯、若は渇して口乾ものは加栝蔞根、若は却て腹拘攣せず之を按にぐさつきて胸さきより上はりみちて心わるくは厺芍藥湯、若は心下満、小便不利せば、厺桂加苓朮湯。(毉宗金鑑作厺芍藥)其他こと〲く本方に就て厺加増損するの意を審にし、或は陽或陰、其變化を明にせば、以大過なかるべし。(又案、氣上衝するもの瓜蔕散の證あり、呉茱萸湯の証あり、厥陰の證あり。或は少陰病四逆真武理中の證といへ𪜈、此動氣の變なしといふべからず。所謂心下悸、目眩、煩躁等、亦此動氣にかヽわるもの多し。但其陰陽をつまびらかにして、大表の應見を分明に診しうるヿ肝要なり。學者これを思へ。)
これまで桂枝湯の腹診所見として「上衝」と多くの腹診書にて指摘されていましたが、上衝の部位が指定されているのは珍しいですね。
『腹証奇覧翼』では、その部位を「中脘あたりの動氣」を指定しています。その根拠に「但氣上衝」とだけあり「上衝心」と書いていない点から、心(鳩尾)まで行かず「中脘あたりの動」であるとしています。
また和久田氏のいう「陽浮而陰弱」を腹診にも応用している点は秀逸であります。
加えて臨床的な指南として「大同小異あるものは、時によって斟酌せよ。」とある点も現代の我々にも通ずるものがあります。マニュアルに拘って、いたずらに腹診図の通りに腹証を探し求めることはするな、と戒めています。要はその理を解せよということですね。
鍼道五経会 足立繁久