桂枝湯の腹証 江戸期の腹診書から

講座【鍼薬双修】もこの夏からゆるりとスタートしております。第一回はやはり桂枝湯を取り上げました。桂枝湯は『傷寒雑病論』の“伊の一番”に登場する方剤です。

桂枝湯を服用すべき局面というのは、臨床現場ではなかなかお目にかかれないかと思います。なぜかというと表証中の表証、すなわち軽症であるから。しかし現場で使う機会が少ないからといって、桂枝湯の学びを疎かにして良い理由にはなりません。

それは何故か?

東洋医学を真摯に学んでいる人なら分かると思いますが、東洋医学の学習スタイルのひとつに(全てとは言いませんが)病理学を通じて生理学を伝えるという側面があるのです。とくに「傷寒論医学」や「温病学系医学」がその性格を有すると思われます。

ということで桂枝湯について学んでいきましょう。まずは『傷寒論』に記される桂枝湯関連の条文をいくつかピックアップします。

『傷寒論』に記載される桂枝湯の条文

桂枝湯が第一に挙げられているのはこの条文12です。また条文15も桂枝湯の性質を端的に示しています。

一二)太陽中風、陽浮而陰弱。陽浮者、熱自發。陰弱者、汗自出。嗇嗇惡寒、淅淅惡風、翕翕發熱、鼻鳴乾嘔者、桂枝湯主之。

一五)太陽病、下之後、其氣上衝者、可與桂枝湯。方用前法。若不上衝者、不得與之。

この他にも桂枝湯の条文は多く、上記の条文12、15の他にも、1316171819242526424445535456579195106164240 …と、三陽病編内だけでも、以上の条文番号に桂枝湯が関与しています。(桂枝湯というワードが登場する条文は他にもあります)

つまり桂枝湯は『傷寒論』における第一の首方というだけでなく、他病位にも広く関わる重要な方剤とも言えます。この桂枝湯を理解するために歴代の医家達は多くの解を記し残しています。その一部を見てみましょう。引用の順は出版の年代順ではなく、私の興味の順にあげていきます。

腹舌図解

『腹舌図解』(1813年)は 能條保菴の著書である。

桂枝湯舌診腹候


※『腹舌図解』京都大学付属図書館より引用させていただきました。

陽病用症の舌色は白胎半ばに過ぎるなり。用症とは発熱ありて自ら微汗出で、悪風、頭痛するを云う。
腹候、濡(なん・やわらか)に属して微力あり。

■原文
陽病用症の舌色は白胎半ばに過ぎるなり。用症とは發熱ありて自から微汗出惡風頭痛するを云ふ。
腹候濡に属乄微力あり。

この『腹舌図解』という書には、その名の通り各方剤の腹証と舌証が併せて記載されています。腹診と舌診の情報から各方剤の特徴(方意)を理解しようとした書です。

本書において桂枝湯の腹証は「濡に属して微力あり」と記され、平腹と大して変わらないようにもみえます。それもそのはず桂枝湯の病位は表位にあるため、腹部に大きな病変はあらわれないと思うのです。

しかし、それに反して歴代の医家達は腹診書に桂枝湯の情報を残しています。いくら日本漢方において腹診が発達したからだ…とは言え、それだけが理由だけではないほどです。

夢分正流 古今腹診論

『夢分正流 古今腹診論』(1807年)は原田無関による書です。


※『夢分正流 古今腹診論』京都大学付属図書館より引用させていただきました。

桂枝湯、頭痛、発熱、汗出、悪風する者を治する本方也。薬品これ略す。
今、腹に此の証を診るに、氣上衝して、或いは外邪、或いは腹中微急、或いは痰有り。
又、諸症の加わる者には、諸薬の能毒を知り、以て症に従い之の加減を成すこと、古例の傷寒金匱の諸変方の如し。
桂枝湯の症、而るに上衝の劇しき者には、更に桂枝を加え、其の毒の軽重に従う。汗出の甚しき者には黄耆を加う。上衝せず、小水不利の者には桂枝を去り白朮茯苓を加う。

後の方、変方は皆な之に倣う。

■原文

桂枝湯 治頭痛發熱汗出悪風者、本方也。薬品略之。
今腹診此證、氣上衝而、或有外邪、或腹中微急、或痰又加諸症者、知諸藥之能毒以從症成加減之、古例如傷寒金匱諸變方。

桂枝湯之症而上衝劇者、更加桂枝、從其毒之軽重。汗出甚者加黄蓍。不上衝小水不利者去桂枝加白朮茯苓之。
後方變方皆倣之。

上記には「氣上衝」を桂枝湯証の本として「外邪」「(腹中)微急」「痰」などは随症として扱っています。また上衝が劇しい場合には、桂枝を更に加えるとあり、桂枝加桂湯のことを指しています。桂枝加桂湯は『傷寒論』太陽病中編に掲載される方剤です(117条文

一一七)焼針令其汗、針處被寒、核起而赤者、必發奔豚。氣從少腹上衝心者、灸其核上各一壮。與桂枝加桂湯、更加桂二兩也。方六十一。
桂枝(五兩去皮) 芍藥(三兩) 生薑(三兩切) 甘草(二兩炙) 大棗(十二枚擘)
右五味、以水七升、煑取三升、去滓、温服一升。本云、桂枝湯。今加桂滿五兩、㪽以加桂者、以能泄奔豚氣也。

また、汗出の甚しい者には黄耆を加える、これは桂枝加黄耆湯。『金匱要略』水氣病編にある方剤。
上衝せず、小水不利する者には、去桂枝加白朮茯苓湯。この方は『傷寒論』太陽病上編に記載されています。(28条文

この「上衝」の劇か無かで、桂枝を増す or 桂枝を去るかの加減法が記されています。この処方から桂枝の性質、単に表を解するための生薬だけではないことが分かります。

加えて小便不利ということで、氣だけでなく水を動かす必要があります。とくに中焦を主としたエリアでの水の停滞のようです。これは白朮・茯苓を加えるということから分かります。

さて「上衝」という病変について着目し生薬「桂枝」の効能を挙げているのが吉益東洞です。
彼の書『薬徴』下巻の桂枝の項には「桂枝 主治衝逆也。旁治、奔豚、頭痛、發熱、惡風、汗出、身痛。」とあり、桂枝という生薬の主治を「衝逆」であるとしています。
とはいえ、上衝という“現象”を腹診でどのように捕えればよいのでしょうか。

含章齋腹診録

『含章斎腹診録』(1850年刊)和田東郭の教えを伝える書です。


※画像『含章斎腹診録』京都大学付属図書館より引用させていただきました。

含章斎腹診録 上 東郭和田先生口授  門人筆記

桂枝湯
桂枝加桂湯

凡そ桂枝湯類の腹は先ず大概臍下にびくびくと余り手にさわらぬ動氣ある者也。
兎角何にても表症の腹には力の有りてぐさつく者也。此れ腹を候ふ第一也。
尤も臍下のことは、桂枝湯に於て急度一定はせられぬ、或は悸動のなき者も間々あり。兎角此の桂枝湯抔は見症を審かにすべし。然れども桂枝湯は腹に於ては急度違ひなく、臍下からびくびくと上へ上へとつきかけるがつまりのこと也。是を奔豚の氣と云う、水気也。又、見症のことは傷寒論に弁せり。照し合して考うべし。

■原文 桂枝湯・桂枝加桂湯

凢桂枝湯類の腹は先大概臍下にびくびくと余り手にさわらぬ動氣ある者也。兎角何にても表症の腹には力の有てぐさつく者也。此れ腹を候ふ第一也。尤𦜝下のヿは桂枝湯に於て急度一定はせられぬ、或は悸動のなき者も間々あり。兎角此の桂枝湯抔は見症を審かにすへし。然れ𪜈桂枝湯は腹に於ては急度違ひなく、𦜝下からびくひぐ上え上えとつきかけるがつまりのヿ也。是を奔豚の氣と云。水気也。又見症のヿは傷寒論に辨せり。照し合乄考へし。

※本文はオリエント出版社『日本漢方腹診叢書』4に収録される『含章齋腹診録』を採用させていただきました。

『東洞先生家腹診論并図』(著者不詳)にも同様の内容があります。

さてこの書での、桂枝湯腹証で興味深い点はコレ、「臍下にびくびくと余り手にさわらぬ動氣ある者也」です。この「手にさわらぬ動氣」という一見したところ矛盾した表現というか、何を言っているのか分からないような表現で腹証の要点を記しています。要領を得ないのは続く文も同じ「或いは悸動のなき者も間々あり」と、動氣が有るのか無いのか『どっちやねんっ!!』と言いたくなるほどです。これを要点と呼べるのか?と思われるでしょうが、これがまた絶妙な表現といえるのです。

私見ながら、これは無形の腹証を示唆しているものだと心得ます。つまりは“手に触らぬ動氣”です。ですので上記の表現もなるほど要点となり得ると思うのです。

腹証配剤録

『腹診配劑録』、この書は著者不詳。

桂枝湯
上衝、頭痛、発熱、汗出、悪風する者、此れ所謂(いわゆる)風邪湿寒邪、或いは骨節微痛、或いは腰脚倦怠する者、其の本症に随い之を与えよ。
腹候、凡そ桂枝湯類の腹状、大抵は𦜝下に悸有り、微かにして知れ難し。悸の無き者も又間(まま)これ有り。特に桂枝加桂湯のみ、其の悸の手に応ずるに随う。惣て表症の腹状は、有力なる如くにして緩也。此れも又、知らずんばあるべからず。

■原文

桂枝湯
上衝頭痛發熱汗出悪風者、此所謂風邪湿寒邪、或骨節微痛、或腰脚倦怠者、隨其本症与之。
腹候凢桂枝湯類腹状大氐𦜝下有悸、微而難知。無悸者、又間有之。特桂加桂湯、其悸隨手應焉、惣表症腹状如有力而緩也。此又不可不知矣。

※本文はオリエント出版社『日本漢方腹診叢書』5に収録される『含章齋腹診録』を採用させていただきました。

この記述内容は『東洞先生家腹診論并図』(著者不詳)にも同様であるため、吉益東洞の流れを組むのでしょう。
この書では「悸」という文字を用いていますが、上記内容を比較してみると「悸」は「氣」に通ずるであろうことが分かります。それ故に「微かにして知れ難し。悸の無き者も又間(まま)これ有り。」と続く文に記されているわけです。

聖劑發蘊

『聖劑發蘊』(1834年)は 、小島明 有卿の著書です。


※『聖剤発蘊』京都大学付属図書館より引用させていただきました。

巻上第二 桂枝湯

拘攣、上衝、頭痛、発熱、汗出、悪風する者を治する。

胸の状丸く、小がかりにて膚(はだえ)赤く大腹に拘攣あり。臍辺より上衝の氣たきつけて燈火の燄(焔)の上る如く、手に応じ竪なれば竪に真直(ますぐ)に上り、横にふるれば其れなりに上る者と知るべし。心下にて診すれは下よりはね上る様に指頭に応ずる者なり。
拘攣の状は手を握りて(手の)甲を横に撫(なづ)る様な心持ちなり。
外証は頭痛あり、勝手なる者にて自汗出て嘔すること有るべし。
胸腹の毒状を手に得て、方を敷けば無数の外証は捨て置いて治するが、古医方の神なる所にて必ず外証に眩すること勿れ。
譬へば、一毒の胸腹に固有するは爐中の火の如し。頭痛・発熱等は燄(焔)の外に見るる者なり。されば拘攣上衝さえ手に応ぜば此の方を投ずることと知るべし。外証に眩して妄りに方剤を取りかえ加減するは、古医道に非らざるなり。慎みて正方を守るべし。
偖(さて)此の方の主治、『方極』の原本に拘攣を挙げざるは、桂枝加芍薬湯に至りて、拘攣甚しき者と云うを以て顧れば、桂枝湯の拘攣の顯然たるを以て文を互いにして其の証を知らんことを要する者なり。
然るに我が『定正方極』の如きは長圭、桐谷の二先生の校正を歴て拘攣の二字を補入す。東洞翁の意に畔(そむ)くに似たれども直ちに腹状に入り一超して其の真を握らんことを欲してなり。
且つ上衝拘攣と置くべきに拘攣上衝とせしは、証を序する順ならず。倒錯の様に思うべけれど、長圭先生は先に手に応ずる証を以て主治を定めしことにて、敢えて紙上の論に拘わらず。実に二先生の家言にして固より世に公にするに意なし。今、此の腹状の如きは拘攣始めて掌中に応じて而る後に上衝を得る者なり。以下諸方の主治、皆これに倣え。

■原文
桂枝湯 治拘攣上衝頭痛發熱汗出惡風者

胸の状丸く、小がヽりにて膚赤く大腹に拘攣あり。臍邊より上衝の氣たきつけて燈火の燄の上る如く、手に應し竪なれば竪に真直(ますぐ)に上り横にふるれは、其なりに上る者と知るへし。心下にて診すれは下よりは子上る様に指頭に應する者なり。拘攣の状は手を握て甲を横に撫(なづ)る様な心持なり。外證は頭痛あり、勝手なる者にて自汗出て嘔するヿ有るへし。胸腹の毒状を手に得て方を敷けは無數の外證は捨て置て治するが、古毉方の神なる所にて必す外證に眩するヿ勿れ。
譬へは一毒の胸腹に固有するは爐中の火の如し。頭痛發熱等は燄の外に見るヽ者なり。されは拘攣上衝さへ手に應せは此の方を投するヿと知るへし。外證に眩して妄りに方劑を取りかへ加減するは、古毉道に非らさるなり。慎て正方を守るへし。
偖(さて)此の方の主治、方極の原本に拘攣を擧けさるは、桂枝加芍藥湯に至て拘攣甚者と云を以て顧れは、桂枝湯の拘攣顯然たるを以て文を互にして其の證を知らんヿを要する者なり。
然るに我か定正方極の如きは長圭桐谷二先生の校正を歴て拘攣の二字を補入す。東洞翁の意に畔(そむ)くに似たれ𪜈直ちに腹状に入り一超して其真を握らんヿを欲てなり。且上衝拘攣と置くへきに拘攣上衝とせしは證を序する順ならす。倒錯の様に思ふへけれど、長圭先生は先に手に應する證を以て主治を定めしヿにて敢へて紙上の論に拘はらす。實に二先生の家言にして固より世に公にするに意なし。今此の腹状の如きは拘攣始めて掌中に應して而後上衝を得る者なり。以下諸方の主治皆之に倣へ。

※文中にある『定正方極』とは瀬丘長圭(校正)、岡田桐谷(監定)によるものとのこと。瀬丘長圭(1733-1781)は吉益東洞門下の医家。

『聖剤発蘊』では、桂枝湯の所見に「拘攣」なる言葉が登場します。それまで桂枝湯の所見は「上衝」という無形の現象であったのが、『定正方極』では「拘攣」という有形の所見が加わったと本文にあります。
『定正方極』の成立年代は分かりませんが、瀬丘先生の生没年から察するに1700年代後半に出版された医書とみるべきでしょうか。

拘攣とは筋肉が硬く緊張を起こし引き攣る状態です。“氣”が上に衝き上げる上衝とは現象のステージが異なる病変といえます。氣の上衝という現象の結果として生じた腹部所見というところでしょう。
拘攣といえば、桂枝湯内の生薬でいう芍薬がこれに応じるでしょう。(桂枝加芍薬湯や芍薬甘草湯を参照のこと)となると、桂枝湯内に芍薬が入っているとはいえ、加量もしていないのに拘攣を桂枝湯腹証に組み込むことに少し疑問を感じますね。
著者の小島先生もその矛盾に触れながらも「此の腹状の如きは拘攣始めて掌中に應して而後上衝を得る者なり。」と説明しています。この文では「拘攣を掌に感じ得て、その後に上衝を得る」と書いてはいますが。

桂枝湯腹証の「拘攣」については『腹証奇覧』にてまた詳解すると思います。

 

 

 

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