『宋版 傷寒論』少陽病編の原文と書き下し文①

張仲景の少陽病編

いよいよ三陽病の最後、少陽病編に入ります。この編はこれまでの太陽病上・中・下編、そして陽明病編に比べて驚くほどボリュームが少ないのが印象的です。
しかし、条文が少ないからといって侮ること勿れ。『素問』にも「太陽為開、陽明為闔、少陽為樞(太陽は開を為し、陽明は闔と為し、少陽は枢と為す)」(陰陽離合論)とあるように、少陽は枢軸の立場をとっています。三陽病に開闔枢をそのまま当てはめることはできないながらも、この少陽枢の立ち位置は頭に入れておくことは必要かと思います。

※『傷寒論』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。
※書き下し文には各条文に漢数字にて番号をふっています。この番号は東洋学術出版社の『傷寒雑病論』(三訂版)に準じています。

書き下し文 弁少陽病編 第九

■書き下し文 弁少陽病編 第九

263)少陽の病為(た)る、口苦、咽乾、目眩也。

264)少陽中風、両耳は聞く所無く、目赤く、胸中満而して煩する者、吐下するべからず。吐下すれば則ち悸而して驚する。

265)傷寒、脈弦細、頭痛、発熱する者、少陽に属する。少陽は発汗するべからず。発汗すれば則ち譫語す。此れ胃に属する。胃和すれば則ち愈ゆる、胃和せざれば、煩而して悸する(一に云う、躁)。

266)本(もと)太陽病、解せず、少陽に転入する者、脇下鞕満し、乾嘔し食すること能わず、往来寒熱す。尚(なお)未だ吐下せず、脈沈緊なる者、小柴胡湯。方一
柴胡(八両) 人参(三両) 黄芩(三両) 甘草(三両、炙る) 半夏(半升、洗う) 生薑(三両、切る) 大棗(十二枚、劈く)
右(上)七味、水一斗二升を以て、煮て六升を取り、滓を去り、再煎して三升を取る。一升を温服す、日に三服する。

267)若し已(すで)に吐し、下し、汗を発し、温鍼すれば、譫語し、柴胡湯証罷(や)むは、此れ壊病を為す。何れの逆を犯すかを知り、法を以て之を治す。

268)三陽合病、脈浮大、関上に上り、但だ眠睡せんと欲し、目合すれば則ち汗す。

269)傷寒六七日、大熱無く、其の人躁煩する者、此れ陽去り陰に入るを為す故也。

270)傷寒三日、三陽盡きるを為す、三陰當に邪を受くべし。其の人反て能く食し而して嘔せず、此れ三陰は邪を受けずと為す也。

271)傷寒三日、少陽脈小なる者、已(や)まんと欲する也。

272)少陽病の解せんと欲する時、寅従(よ)り辰上に至る。

少陽病の脈証から

少陽病の脈は弦細と記されています。
※弦緊脈という記載の説もありますが、本記事では弦細で話を進めます。

これまでの記述では、太陽病の脈は浮脈(1条文)、陽明病は脈大(条文186)とあり、それぞれ脈位(病位)と脈力(病勢)が示唆されていました。
この少陽病の脈弦細は脈状として読み取ることができると考えます。
弦脈が示す病態、細脈が示す邪気と正気の勢力に思いを馳せること、そして各病編の脈証と比較することが、少陽病の性質を理解する一助になるかと思います。

少陽病編は条文が少ないながらも、脈診に関する情報が多いのも印象的です。

三陽合病の脈は…

三陽合病の脈は浮大です。(268条文)この条文には脱簡説(中西深斎)や残缺説(浅田宗伯)がありますが、読み取れる範囲で私見を述べさせてもらいます。

まず「脈浮大」、これは上記の内容、脈位・脈力・脈状と病位・病勢・病質を考えると考察しやすいことかと思います。脈浮は太陽病、脈大は陽明病の要素を持っているということでしょう。

そして浮大脈なる病脈が「上関上(関上に上る)」とあります。
「関上に上る」とは、「…脉浮大の脉、関上の部より一等上りて、寸口の下まで来る勢なれば…」(『古訓医伝』宇津木昆台 著)と記されている記述を採用すれば、関上より寸口の間、つまり“関前一分”を示しています。

関上という脈位も重要です。
「陽明居中、主土也。(陽明は中に居し、土を主る也。)」とあるように、陽明は中央に位置します。そして寸関尺における脈位では中央とは関上です。右側の関上が陽明胃を示す脈位であることは脈診家であれば周知のことです。そして反対の関上(左関上)は少陽胆の脈位です。

すなわち「三陽合病、脉浮大、上關上…」の言葉は、浮大脈という太陽病・陽明病の性質を含む病邪が関上から、身体の上部へと病邪が向かう病伝を示す文でもあります。とくに浮大脈が示す情報は陽実証そのものです。この陽性の強さが、中焦から上焦への病邪の動きにつながります。
その動きを示しているのが脈診情報、関上から寸口に向かって病脈が“上る”という記述です。

三陽合病の病症

「但だ眠睡せんと欲し、目合すれば則ち汗す。(但欲眠睡、目合則汗)」とあります。
脈浮大という、陽性の強い病邪を示す脈が上部に向かうという情報のわりに、症状は眠睡を欲するという症状は脈と症が合致しないようにも感じますね。

というのも「但だ寝んと欲する(但欲寐也)」という症状は少陰病編にも記載されれています。「但欲眠睡」(少陽病)と、「但欲寝也」(少陰病)とは類似の症にもみえます。

少陰病における「但欲寐也」は虚としての症ですが、少陽病の「但欲眠睡」は主たる病邪は、脈から考えて陽邪のはずです。陽邪が少陽に悪影響を及ぼすことで眠睡を欲するとはどういった理由でしょうか?

内藤希哲先生は『傷寒雑病論類編』にて次のように解説しています。

「但欲眠睡」とは、三陽が邪を受け、而して衛氣が陰に留まり、陽に行ることを得ざる也。
霊枢経に曰く、衛気が陰に入ること得ざれば、常に陽に留まる。陽に留まれば、則ち陽氣満ちる。陽氣満ちれば、則ち陽蹻脈が盛んとなり、不得入於陰に入ること得ざれば、則ち陰氣虚す。故に目は眠らずなり。衛氣が陰に留まれば、陽に行ること得ず、陰に留まれば、則ち陰氣が盛んとなる。陰氣盛んとなれば、則ち陰蹻脈が満ちる。陽に入ること得ざれば、則ち陽氣盛ん。故に目閉する也。
又曰く、陽氣盡き、陰氣盛んなれば、則ち目瞑す。陰氣盡き、而して陽氣盛んなれば、則ち寤める。是也。
「少陰病(之為病)、脈微細、但欲寐(也)」者、衛氣が虚し、而して陽に行ること得ざる也。此の証、「脈浮大、但欲眠」なる者、衛氣虚に非ず、但だ三陽受邪に由り、而して陽に行ること得ざる也。「目合則汗出」なる者、盗汗也。蓋し寤める時、衛氣尚(なお)陽に行り、邪と相い持する、故に汗は出でざる也。眠時には、則ち衛氣が偏り陰に留まり、邪と相い持さず、邪熱薫蒸し、而して汗出でる也。「壊病編」に曰う、「頭痛発熱、微盗汗出者、表未觧也」是也。此の条、本(もと)は少陽編に在り、蓋し當に小柴胡湯これを主るべきことを示す也。夫れ三陽合病は、理は當に三経(病)を兼治すべし。今、但だ小柴胡湯を以て、単に少陽一経を治する者は、何ぞ也?
蓋し少陽は、身の半表裏、陰陽の枢機を為す、邪の客するや、此の経が胃氣の祛するに因りて、氣弱血盡の致す所也。邪が一たび之に客し、枢機は此れに由りて利せずば、則ち清氣は升らず、濁氣は降りず。乃ち衛氣をして陽を行らしめること得ず、而して太陽陽明の邪も、留連して解せざる也。故に単に小柴胡湯を与え、以て其の枢機を利せば、則ち衛氣は陽を行らすを得て、而して二陽の邪の、解せざるも而して自ずと解する。
又、按ずるに、「目合則汗」の下には、當に「不可發汗吐下、小柴胡湯主之」の十二字を加うべし、是の如くに看れば則ち意義明白なり、亦た費解せざるなり。

■原文:但欲眠睡、三陽受邪、而衛氣留於陰、不得行於陽也。靈樞經曰、衛氣不得入於陰、常留於陽、留於陽、則陽氣満。陽氣満、則陽蹻盛、不得入於陰、則陰氣虚。故目不眠矣。衛氣留於陰、不得行於陽、留於陰、則陰氣盛。陰氣盛、則陰蹻満。不得入於陽、則陽氣盛。故目閉也。
又曰、陽氣盡、陰氣盛、則目瞑。陰氣盡、而陽氣盛、則寤矣。是也。
少陰病、脈微細、但欲寐者、衛氣虚、而不得行於陽也。此證、脈浮大但欲眠者、非衛氣虚、但由三陽受邪、而不得行於陽也。目合則汗出者、盗汗也。盖寤時、衛氣尚行於陽、與邪相持、故汗不出也。眠時、則衛氣偏留於陰、不與邪相持、邪熱薫蒸、而汗出也。壊病篇曰、頭痛發熱、微盗汗出者、表未觧也、是也。此條、本在少陽篇、盖示當以小柴胡湯主之也。夫三陽合病者、理當兼治三經。今但以小柴胡湯、單治少陽一經者、何也。
盖少陽、身之半表裡、為陰陽之樞機、邪之客、此經因胃氣祛、氣弱血盡之㪽致也。邪一客之、樞機由此不利、則清氣不升、濁氣不降、乃令衛氣不得行於陽、而太陽陽明之邪、留連不觧也。故單與小柴胡湯、以利其樞機、則衛氣得行陽、而二陽之邪、不觧而自觧。又按、目合則汗之下、當加不可發汗吐下、小柴胡湯主之十二字看、如是則意義明白、不亦費觧焉。

ちょっと長いですが、非常に理路整然として生理と病理が説かれています。とくに衛気と蹻脈と昼夜(目の合不合)を絡めて説明されている点は秀逸です。

「目合」すなわち睡眠時には、人体の衛氣が流行する層が変わります。それによって陰陽の盛が変化するのです。その様は潮の満ち引きをイメージすると良いでしょう。

「此證、脈浮大但欲眠者、……但由三陽受邪、而不得行於陽也。目合則汗出者…。盖寤時、衛氣尚行於陽、與邪相持、故汗不出也。眠時、則衛氣偏留於陰、不與邪相持、邪熱薫蒸、而汗出也。」

とあるように、三陽が邪を受けることで、陽分における氣の行りが不利となります。
起きているときは衛気は陽を行るので、邪と相い持するため汗は出ません。
一方、睡眠時では衛気は陰に留まるので、邪と相い持することがなく邪熱が薫蒸してしまい、汗出することとなります。

…と、以上の機序で「目合則汗出」の説明がなされています。
「相い持する(相持)」という表現は「相い搏つ(相搏)」と異なります。相搏は邪正相争であり、正邪の二気が衝突することで発熱します。相持はそれとは異なり、正氣が邪氣の活動を留めるようなニュアンスを文脈から感じます。
起きている間、表位に客する邪氣を正氣が留めています(相持する)。起きている間は衛氣は陽分を行るからです。しかし睡眠時は起きている間は衛氣は陰分を行るため、表位に客する邪氣を留めることができずに、邪氣は活発となり熱化し、表を薫蒸することで水が蒸し出されて汗を発するのです。

睡眠中の発汗は盗汗とも呼ばれ、おそらく鍼灸学校の教育では「盗汗=陰虚」として教えられることが多いと思います。ですが盗汗にも虚証と実証の2つあるのです。実証の盗汗は小児にしばしばみられる現象ですので、小児はりを行う鍼灸師は理解しておくとよいでしょう。

少陽の脈の小なるは…

ここに記される「脈小」は“脈の変化”としての脈小として理解しています。

脈象の中に「小脈」という分類もあります。例えば元代の脈書『診家枢要』にも小脈の項目があります。
しかし、本条文における「脈小」は、少陽病の病脈「弦細(もしくは弦緊)」の程度が減少すること示しているのが「脈小」であると読むこともできます。

すなわちこの脈小は、病勢減少としての脈証であるといえるでしょう。

鍼道五経会 足立繁久

陽明病編 第八 ≪ 少陽病編 第九≫ 太陰病 第十

鍼道五経会 足立繁久

原文 辨少陽病脉證并治第九

傷寒論巻第五

辨少陽病脉證并治第九(方一首、并見三陽合病法)

太陽病不觧、轉入少陽、脅下鞕滿、乾嘔不能食、往来寒熱、尚未吐下。脉沈緊者、小柴胡湯。第一(七味)

少陽之為病、口苦咽乾目眩也。
少陽中風、兩耳無㪽聞、目赤、胷中滿而煩者、不可吐下、吐下則悸而驚。
傷寒、脉弦細、頭痛發熱者、屬少陽。少陽不可發汗。發汗則讝語。此屬胃、胃和則愈、胃不和、煩而悸(一云、躁)。
本太陽病不觧、轉入少陽者、脅下鞕滿、乾嘔不能食、往来寒熱。尚未吐下、脉沈緊者、與小柴胡湯。方一
柴胡(八兩) 人參(三兩) 黄芩(三兩) 甘草(三兩、炙) 半夏(半升、洗) 生薑(三兩、切) 大棗(十二枚、劈)
右七味、以水一斗二升、煑取六升、去滓、再煎取三升。温服一升、日三服。
若已吐下發汗温針、讝語。柴胡湯證罷、此為壊病。知犯何逆、以法治之。
三陽合病、脉浮大、上關上、但欲眠睡、目合則汗。
傷寒六七日、無大熱、其人躁煩者、此為陽去入陰故也。
傷寒三日、三陽為盡、三陰當受邪。其人反能食而不嘔、此為三陰不受邪也。
傷寒三日、少陽脉小者、欲已也。
少陽病、欲觧時、從寅至辰上。

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