脾臓と足太陰脾経『臓腑経絡詳解』より

脾の臓象と流注、そして生理学・治病学

胃腑と陽明胃経に続いて、脾臓と足太陰脾経の詳解です。脾と胃の関係、脾臓の臓象、足太陰脾経の内外流注についてしっかりと学びましょう。本章では脾に関して実に興味深い生理学や治病学が記されています。脾の臓象や経絡流注だけでなく、学ぶことの多い内容です。


※『臓腑経絡詳解』京都大学付属図書館より引用させていただきました
※下記の青色枠部分が『臓腑経絡詳解』の書き下し文です。
※書き下し文の下に足立のコメントを添えている章もあります。

脾の臓所属の提綱

胃脉は、脾と倶に右関に候う。和緩柔軟(やわらか)にして、太過不及の偏(へん・かたおち)なく、浮沈強弱その所を得る者は脾平なり。然れども、脾の平脉独り見るべからず。如何(いかん)となれば、脾は中州、土に属す。土は其の氣を四季に奇(よ)す。譬えば三月の土用のごとき、其の氣春夏の間に位して、前後春夏の氣に従う。独り時を立てず。立てずといえども、此の土に非ずんば四時和せず。万物生ぜず。故に人身の脾土中央に位し、四臓を養う。四臓みな脾氣の養いを受く。是をもって脾氣平かなるときは則ち四臓自から平なり。然るときは則ち脾の平脉は四臓の平脉の間に奇(よ)せ見(あらわ)れ、四臓の平脉また脾脉に奇せ見る。

(たと)えば春は物の生じ、其の氣温和なり。夏は物の長じ、其の令熱して、人と春夏の令たることを見れども、三月の土用にその土用の令たることを分ち見ること無し。ただ前後春夏の令中(れいちゅう)に有るのみ。人身の脾土の平脉もまたこの如し。四臓の平脉は即ち脾土の平脉なり。脾の平脉独り見ること能わざる也。

(『素問』)玉機真臓論に曰く、帝の曰く、然るときは則ち脾の善悪得て見るべし乎。
岐伯曰く、善なる者の診ることを得べからず。悪なる物は見るべし云々。脉来たること実にして、盈数(えいさく)。鶏の足を挙ぐるが如きは〔軽く疾して緩からざるを云う〕脾の病脉と曰う。来ること鋭(するど)に堅く、柔らかならずして鳥の嘴(くちばし)のごとく、鳥の距(あご)のごとく、屋の漏るるがごとく倫次(りんじ)無く、水の流るるがごとく、去りて反(かえ)らざる。是みな脾絶の死脉なり。

○脾は心肺の下、肝腎の上、中央に位して土に属す。土は其の氣を四隅に奇す。故に脾土は四肢を主る。

四肢倦怠は脾病なり。脾病みて顔色枳実の如くなる者は死す。蓋し黄黒にして潤澤無し。黄なること羅(うすもの)に雄黄(ゆうおう)を包むが如くなる者、蟹腹(かいふく・かにのはら)の如くなる者はみな脾平なり。蟹腹は黄赤にして光澤なり。雄黄は黄にして微(すこ)し赤し。且つ光澤有り。此れを羅を以て包むが如きは偏(ひとえ)に見(あらわ)れず。胃の氣有りて之(これ)を兼ぬ。又、黄土の如く黄にして光澤赤色無きも脾病なり。其の赤色光澤は元陽胃の氣の化を兼ぬ。故に之(これ)無き者は死す。治せず。

脾土は心火に養われ、肺金を生じ、腎水を尅し、肝木に尅せらる。脾氣の不足は其の本(もと)心火に有り。火の源は命門たり。是を以て下焦命門の火、土を養わず、邪水脾土を侮り、肌肉に注ぎ、浮腫の症見る。

又(『素問』)水熱穴論に曰く、腎は胃の関(かん・せき)也と。胃は水穀を受け、脾は之を化す。水穀消化の糟粕(そうはく・かす)、小腸に下り、穀は大腸に入り、後陰に出づ。水は膀胱に滲(もれ)て前陰に去る。二陰は腎の主る所。腎病むときは則ち二陰和せず。二陰和せざるときは則ち大小便不調にして脾胃之(これ)が爲に病むことを得(う)。故に昔人の所謂(いわゆる)腎を補わんよりは脾を補わんには如(し)かず(補腎不如補脾)と。又、脾を補わんよりは腎を補わんには如かず(補脾不如補腎)と。此の皆脾腎の両臓その虚実互いに及びて相離れず、病因の根元、治法の大源を盡せる也。

○脾は血を総(す)べ、意を藏(かく)し、肌肉を主り、四季の土用に旺し〔六月は一歳の中央。土氣の大に長ずる所なり〕、四隅に奇せ、竅(あな)を口に開き、唇に候う。唇は肌肉の本。脾熱して唇、乾渇(かわきそる)。脾寒して唇青し。

甘味香臭は脾に出入し、太過不及寒熱の偏氣を悪(にく)み、温暖を喜む。温なるときは則ち脾能く水穀を運化して臓腑を調え、栄衛を和す。
七情五聲五音に有りては、思歌宮を主り、その液は涎(ぜん・よだれ)也。

或る人問て曰く、脾胃は水穀消化の地なり。寒は陰。熱は陽なり。これを物に診(こころむ)るに、火熱を得れば物 能く熟す。然るときは則ち脾胃は温熱倶(とも)に好むべし。如何(いかん)そ、熱を悪(にくみ)て惟(ひとり)温のみを喜むや?
答て曰く、脾胃は中央中和の氣、偏勝を悪む。寒熱は偏氣なり。反て中氣を損して穀を消すること能わず。仲景の曰く、邪熱穀を殺せずと。殺せずとは消せざるを云うなり。
萬物火を以て之を熟するに、鍋底(かてい・なべのそこ)の火炎急烈(はげし)なるときは則ち物の反りて熟すること能わず。火氣宜しき所を得て物の能く熟す。中焦脾胃の氣此の如し。
温暖その宜しき所を得れば水穀消化して四臓を養う。熱火中焦に客するときは則ち中氣疾速(しっそく・すみやか)にして消すること能わず。或いは此れを磑磨(がいま)に譬うるに、静かに磨(ま)すれば、能く細末となる。磨すること急疾なれば細末となること能わざる者も亦た此の理に同じ。

興味深い治病学・生理学

この段落には興味深い生理学・病理学が記されています。

補腎と補脾、どっちを選ぶ?

本段落の中ごろに「補腎不如補脾」と「補脾不如補腎」といった学説に触れられています。この「補腎」が先か?「補脾」が先か?といった治療方針は、宋代の頃から提唱されていたものです。以来、歴代の医家たちがそれについて賛否両論を唱えてきた経緯があるのです。
この「補腎」を先にするか「補脾胃」を優先するか…という選択は、鍼灸治療の初手においても思案することの多いテーマではないでしょうか。

お鍋を煮込むには火力が大切

また本段落後半には「萬物火を以て之を熟するに、鍋底の火炎急烈なるときは則ち物の反りて熟すること能わず。火氣宜しき所を得て物の能く熟す。中焦脾胃の氣此の如し。」とあります。
この表現は、中焦・胃腑を鍋とみたてて、鍋(胃腑)中の水穀を熟するためには鍋を煮込む火力が重要である…という譬えです。この説もまた宋代に提唱され始めたものですが、なかなか言い得て妙ですね。
この生理学もまた江戸期の日本に伝わった生理学の一つです。

脾の臓補瀉温涼の薬

[補]
(人参)  朮(白朮)  芪(黄耆)  連(黄連)  芡(芡実)甘平  貴(陳皮)  篇(白扁豆)甘微温  (甘草)  蕷(山薬)  (蒼朮)  茯(茯苓)  汋(芍薬)酒芍は酸寒、漸く薄し

[瀉]
(枳實)  青(青皮)苦辛温  (石膏)辛甘大寒  (山楂子)酸平  (神鞠)甘苦温  (麦芽)甘鹹温  (大黄)  防(防風)辛甘微温

[温]
(丁香)  藿(藿香)  椒(胡椒)  良(良姜)  走(附子)  (肉桂)  (呉茱萸)  乾(乾姜)  宻(木香)  縮(縮砂)  肉豆(肉豆蔲)  (益智)

[涼]
(黄芩) 連(黄連)  梔(山梔子)  𣽬(寒水石)  滑(滑石)  膏(石膏)  芒(芒硝)  昡(玄明粉)  茶(細茶)  菉(緑豆)

東垣先生 報使引経の薬

(升麻)升提。 白芍、酒に浸せば肝木を制し、脾陰を安ず。 
脾臓の図

脾胃表裏の図
脾藏絵図:本記事では不掲載。『臓腑経絡詳解』を参照のこと。

『類経』に曰く、脾の形は刀鐮のごとし。胃と膜を同じくす。而して相い重なる。聲を聞くときは則ち動く。動くときは則ち胃を磨す云々。

 

脾の臓象

脾藏絵図:本記事では不掲載。『臓腑経絡詳解』を参照のこと。

(『素問』)五運行大論の王氷次注に曰く、脾の形、馬蹄(ばてい・うまのひづめ)に容(かたど)る。内、胃脘を包む云々。

脾は土に属し、その色黄に、その形馬蹄のごとく、壺盧(ゆうごう)のごとし。脊(せぼね)の第十一椎に附着し、大倉〔胃は五穀蔵盛(ぞうせい・かくしもる)の腑なり。ゆえに胃を称して大倉と云う〕の上に重蔽(かさなりおお)う。常に、よく運動して胃中の水穀を消化することを主る。化する所の水穀五味の精微、胃より上りて脾に伝え、脾氣その精を散じて肺に伝え、経を栄(さかん)にし、臓腑を養い、皮毛肌肉筋骨を充たしめる。

(『難経』)四十二難に曰く、脾の重さ二斤三両扁広(へんこう)三寸〔扁広とは、丸き者を推し扁(ひら)めるを云うなり〕長さ五寸散膏半斤有り。血を褁(つつむ)ことを主る。五臓を温(やしな)い、意を蔵することを主る云々。(『霊枢』)本神篇に曰く、脾は営を蔵す。営は意を舎(やど)す云々。営は中焦水穀精微の氣、変化して赤き者のこれを営血と云う。(『素問』)痺論に曰く、営は水穀の精氣なりと。
これ即ち帰脾湯血を生じるの所以。

医家の大源なり〔前の胃の腑の象と互いに考うべしなり〕。

 

脾経の図
脾経絵図:本記事では不掲載。『臓腑経絡詳解』を参照のこと。

足の太陰脾の経の指南

○足の太陰脾の経、多氣少血。前の手の太陰の条に詳かなり。

○『霊枢』経脉篇に曰く、脾は足の太陰の脉。大指の端に起り、指の内の側(かたわ)ら、白肉の際、核〔『十四経絡発揮』に竅に作る〕の骨の後を過ぎて、内踝の前廉に上る。

[大指の端] 足の大指の内の側らの端なり。

[指内側] 足の大指の内の側なり。蓋し両足相並べて小指の方を外とし、大指の方を内とす。

[白肉際] およそ周身の皮肉、表肉は赤色、裏肉は白色なり。陽経は表(おもて)を流る。陰経は裏(うち)を行く。脾は足の太陰経。故に足の大指の内の側らを循るに赤白肉の際(さかい)、白肉の分を行くなり。

核の骨、足の大指本節の後え、内の側ら、然骨の前二寸計り、菓核(かがい・このみのさね)のごとき圓(えん)骨、皮肉の裏に隠れ居(お)る者を云う。即ち大都太白の地なり。『十四経絡発揮』滑氏の註に曰く、覈骨(きょうこつ)、一に核骨に作る。俗に孤枴(こぼう)骨と云う、是なりと。此の説非なり。孤枴は踝骨の一名なり。『類註』に曰く、核骨は即ち大指の本説の後(しり)え、内の側らの圓骨なり。滑氏言いて孤枴骨となす者は非なり。蓋し孤枴は即ち踝骨と名づく。古え踝を撃つの説有り。即ち今北人のいわゆる孤枴を打なり。核骨は惟だ一つ、踝骨は則ち内外の分ち有り云々。

○足の太陰脾の経は、足の大指の内の側の端、爪甲角を去ること一部ばかり。隠白の穴に起り〔ここに於いて、足の陽明胃経の交わりを受け〕大指の内の側ら、赤白肉の際を循りて大都穴〔『十四経絡発揮』に足の大指本節の後え陥なる中に有ると云う。しかれども『医学綱目』に曰く、疑うらくは後の字はまさに前に作るべしと。この説最も得たりとす。大指本節の前に取るべし〕を経、核骨の下(しも)(くぼか)なる中(うち)太白の穴、核骨の後え、本節の後え一寸陥なる中(うち)、公孫の穴を過ぎて内踝(うちくるぶし)の前廉商丘の穴に〔内踝の下微前、足を屈(かがめ)て横文(もん)の頭(かしら)、陥なる中にあり〕上り三陰交の穴に之(ゆ)くなり〔穴は内踝の上三寸、脛骨(はぎぼね)の下、陥なる中にあり。けだし足の太陰厥陰少陰、三陰交会の穴なり〕

○踹〔『十四経絡発揮』に、腨に作る。踹と腨と通用〕内に上り、脛〔『十四経絡発揮』に䯒に作る〕骨の後を循り、厥陰の前に交わり出して〔踹は足肚。俗に云うコムラなり。脛骨、䯒なり。俗に云うハギボネ。またムコウボネなり。脛骨の後とは、脛骨の下廉を云うなり〕

○三陰交の穴より、踹の内に上り、脛骨の後(しりえ)を循りて、漏谷の穴を〔内踝の上六寸にあり〕(めぐ)り、漏谷よりまた上ること二寸、内踝の上八寸地機の穴にして、厥陰肝経の前に交わり出て〔脾経は三陰交より漏谷地機に行くこと、直(すぐ)にして斜ならず。厥陰肝経は三陰交より分れて、脾経の前に出て、蠡溝中都に行く。中都の上一寸、内踝の上八寸にして、横に太陰脾経の直行なる者を貫きて、脾経の後えに流れ出るなり。故に脾経は踝の上八寸にして、厥陰肝経の前に出と云う。交わるとは、肝脾の両経互いに相貫くところを以て云うなり。脾経は直行なりといえども、肝経の横行に由りて厥陰の前に出るに至るなり。地機の穴は膝下五寸踝の上八寸にあり。陰陵泉の通りなり〕陰陵泉の穴に至るなり〔穴は膝下内側ら内輔骨の下廉、陥なる中(うち)、足を伸て之を取るなり〕

○膝股の内の前廉に上り〔『十四経絡発揮』に、上りて膝股の内の前廉を循るに作る〕、腹に入りて脾に属し胃を絡う。

[股] ももの骨を髀とす。髀内を股(こ)とす。俗に云う、うちもも也。
[前廉] 股内髀骨の下廉。血海箕門の地を云う。
[腹] 臍の上を大腹とし、臍の下を少腹とす。惟(ただ)腹と云う時は臍の上下、大少腹を総べて云うなり。

○陰陵泉の穴より膝臏(しつびん)に上りて血海の穴〔膝頭の内廉の上二寸陷なる中〕に行き、股内の前廉を循りて箕門の穴〔血海の上六寸〕を経、□(辶+色)邐〔連なりつづきて絶えざる貌なり〕上りて少腹に入り、衝門の穴〔大横の下五寸中行任脉を去ること四寸半〕、府舎の穴〔腹結の下三寸、中行を去ること四寸半〕に至り、府舎より横行して任脉の中極の穴〔関元の下一寸〕に交わり、上りて関元の穴〔臍下三寸〕に会し、関元より復た左右へ分かれ出て、腹結の穴〔大横の下一寸三分〕に行き、上りて大横〔臍の旁四寸半〕の穴を循り、大横より復た横行して任脉の下脘の穴〔臍上二寸〕に会し、下脘より再び分かれ出て腹哀の穴〔日月の下一寸三分〕、日月期門の二穴〔穴法は足少陽経に見たり〕を過(よぎ)〔過とは、己が主る所の本穴ならずして、他経の穴を過ぎるを云う〕、期門よりまた横に本経の裏を循り〔本経とは前の下脘より腹哀日月期門に行く者を云う。裏とは前を流れるを云う〕斜めに下行して、任脉の中脘下脘の際(あいだ)に至りてもって、裏脾に属し、胃を絡うて、臓腑表裏の象(かたち)を爲すなり。

○以上、『十四経絡揮』滑氏の註説此の如しなり。然れども愚按ずるに、脾経の腹を行く者、任脉の中極関元下脘中脘に出入すること在るべからず。只、衝門より直(ただち)に府舎腹結大横腹哀に至り、自然に裏に入りて、脾に属し胃を絡うなるべし。然れども皇甫謐が『甲乙経』に、中極関元下脘中脘日月期門の六穴、みな足の太陰の会たりと云う。故に太陰脾経の腹を行く者、此れらの分に出入するの説在るか。
或る人問うて曰く、『十四経絡発揮』滑氏の註に曰く、中脘下脘の際に至りてもって脾に属し胃を絡うと。此の説不審(いぶかし)。脾は胃の上に重なる。中脘は胃の正中(ただなか)。下脘は其の下口なり。実(まこと)に中下脘の際において、脾に属すること有るべからず。上脘中脘の際と云えば可なからんか。学者宜しく之を詳らかにすべし。

○膈に上り、咽を挟み舌本に連なり舌下に散ず。
[膈]は、膈膜なり〔肺経につまびらかなり〕。鳩尾(きゅうび・みぞおち)を上りて胸部に至るを云う。
[咽] 人の口中に二つの竅(あな)あり。一つは咽と曰い、一つは喉と曰う。咽は呼吸出入する所。下(しも)肺に連なる。即ち肺管と云い、肺系と云う者、是なり。喉は水穀の通路。下(しも)胃脘に連なる。即ち胃系(つりいと)とす。古今に所謂(いわゆる)、咽は喉の後(しりえ)に有りと。

滑氏独り『十四経絡発揮』に註して云う。咽は物を嚥(のむ)所以の者、喉の前に居る、と。今按ずるに、咽門を以て、喉の後(しりえ)にあらしむれば、飲食の氣、呼吸の清道に交わり入りて、噎(いつ・むせぶ)をなすこと隙(ひま)あるべからず。且つ臓腑の位、臓はみな背に付きて後えに居し、腑は腹に属して前に並ぶ。喉は肺に連なる臓系(けい・つりいと)なり。咽は胃に接(まじわり)て腑系なり。これ實(まこと)に咽は腑系に属する時は喉の前にありと云う者可ならんか。

『霊枢』腸胃篇に曰く、咽門の重さ十両。広きこと二寸半。胃に至りて長きこと一尺六寸云々。(難経)四十二難に重さ十二両に作る。

[舌本] 舌根なり。即ち任脉廉泉の穴の裏に當(あた)るなり。
[散] 散とは散布して自然に終わるを云う。

○此の経は前の腹哀より分かれて、膈に〔肋骨に行くを云う〕上りて食竇の穴〔天谿の下、一寸六分。任脉の旁を去ること各々六寸。下の諸穴、皆同じ〕、天谿の穴〔胸郷の下、一寸六分〕、胸郷〔周栄の下、一寸六分〕、周栄の穴〔肺経の中府の穴の下、一寸六分。以上の諸穴。仰いで肋骨の䧟なる中に取るなり〕に行き、周栄より外に〔脇背の方へ退く者を云う〕曲折下りて、淵腋の下三寸、大包の穴に至る〔淵腋は足の少陽の穴。腋下三寸に有り〕を大包よりまた、外に曲がり折れ上りて、手の太陰の中府の穴に会し、中府よりまた、上行して陽明胃経の人迎の裏に行き〔裏とは、深く内に達するを云う〕咽門を挟みて〔挟とは、二経左右より、さしはさむを云う〕、舌本に連なり、舌下に散布して自然に終わるなり。〔中府は肺経に見たり。人迎は胃経に見たり。〕

右の図は『十四経絡発揮』の註説

○其の支なる〔『十四経絡発揮』に、其の支別に作る〕者は、復た胃より別れて膈に上り心中に注ぐ。其の太陰脾経の支(えだ)にして別るる者は、腹哀より復た別れて、再び胃の部中脘の穴の外に行き、これより膈膜〔膈膜の註は肺経に見たり〕に上り膻中〔両乳の間を云う。即ち心の宮なり〕の裏に入り、心の部分に注ぎて手の少陰心経の心中に発する者と交わりて終わる。

○以上、『十四経絡発揮』滑伯仁の註説なり。然ども、経脉篇の本意を按ずるに、腹哀によりて分かれ行くの義なし。前の腹哀日月期門の分より流るる者は脾に属し胃に絡う。此の支別なる者はその胃を絡う所より、復た別れて任脉の外を挟みて膈に上り膻中の裏、心の分に注ぎて、手の少陰に交わるなるべし。

脾臓の是動所生の病症

○是れ動ずる時は病、舌本強(こわ)く、食する時は嘔し、胃脘痛み、腹脹り善く噫(おくび)す。後と氣を得る時は快然として衰うがごとし、身体みな重し。

[舌本強] 脾経は咽を挟み、舌本に連なり、舌下に散ずるが故なり。
[食する時は嘔] 胃は食を納れ、脾は之を化す。今脾病みて食氣運ること能わず。故に食すれば即ち嘔吐す。
[胃脘痛] 胃脘は胃の腑なり。経脉は専ら胃を絡うが故に上中下三脘の辺に於いて痛を爲す。
[腹脹] 腹は脾胃の位する所。且つ脾脉腹を循ること多し。是を以て腹肚脹滿す。
[善く噫す] 噫は、脾胃の欝滞に生ず。詳義は(『霊枢』)口問篇に見たり。
[後と氣を得る時は快然として衰うがごとし] 後は大便なり。氣は転失氣(てんしつき・屁ひる)なり。後陰において或いは大便、或いは転失氣通ずることを得る時は脾氣の鬱結通行して、其の病快然として衰るが如しなり。衰るが如しとは、病の半ば退くが如くに覚ゆるを云う。
[身躰皆重し] 脾は湿土に属し、肌肉を主る。脾湿、肌肉に注げばなり。

○是れ脾を主として生ずる所の病は 〔以下は是れ脾の臓より生ずる所の病なり〕

○舌本痛み、体動揺すること能わず、食下らず、煩心し、心下急痛(『十四経絡発揮』に、寒瘧の二字あり)溏瘕泄(とうかせつ)(『十四経絡発揮』に、洩に作る。洩と泄は通用す)、水閉(『十四経絡発揮』に閉を下に作る者は誤りなり)、黄疸、臥すこと能はず、強いて立てば股膝の内腫れる(『十四経絡発揮』に瘇に作る。)、厥すれば足の大指用いられず。

[舌本痛み] 註義は右(舌本強)と同じ。盖し経病は軽くして舌本強ばる。臓病は重くして舌本痛むなり。強と痛を以て分かつべし。

[躰動揺すること能わず] 註義上の身躰みな重しと同じ。此れ又、経病にしては身躰重し。臓病は躰重きこと甚しくして身を動揺(うごかす)することも能ざるなり。

[食下らず] 経病は軽くして食すれば嘔するのみ。臓病は甚しくして食咽(のんど)に下ること能わず。(以上はみな右の経病の甚しき者なり。経は表にありて標とす。臓は裏にありて本とす。本と疾(や)む時はその症最も甚し。

[煩心] 心下急痛 脾土は心火の子。子の病母に及ぶ。且つ脾脉の支別なる者は、膈に上り心中に注げばなり。
[寒瘧] 『十四経絡発揮』に寒瘧の病を以て、脾の生ずる所に附する者の未だ詳らかならず。瘧は風木脾土に乗ずる故か。
[溏瘕泄] 溏泄、大瘕泄なり。『知要』に曰く、溏は水泄なり。瘕は痢疾なり、云々。溏泄は脾の寒なり。瘕痢は脾の滞りなり。
[水閉] 脾土の邪、水を尅するが故に小便閉渋して通ぜず。
[黄疸] 脾胃の湿熱に生ず。脾土の色は黄なり。故に周身みな黄ばむ。
[不能臥] 土邪、水道を尅して小便通ぜず。身体浮腫すること甚しくして、側臥すること能わざる也。
[強立股膝内腫] 内は股膝の内廉(うちかど)を云う。即ち脾経の循る所なり。肢体浮腫して立つこと能はず。若し強いて立つ時は、水氣下に注ぎて股膝の内大いに腫満す。(『十四経絡発揮』に腫を瘇に作る。『入門』の音字に云う。瘇は音舂、去声。)

[厥足大指不用] 若し脾氣厥逆する時は病この如し。大指は脾脉の起る所。用いられずとは挙動すること能わずなり。

○盛なる者は寸口大なること人迎に三倍し、虚する者は寸口反て人迎より小なり。 詳義は肺経に見えたり。

鍼道五経会 足立繁久

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