和田東郭に学ぶ医術医道を研鑽する姿勢

和田東郭の術を極める姿勢

先日(このとき)、松田博公先生から“全身鍼灸師”との称号をいただきました(笑)
「…子どもと一緒に稲を植え収穫し、昆虫や小動物と戯れ、山岳修行をし、そして臨床する。そうあってこそ、全身の一挙手一投足が鍼灸師であり得る。患者さんも信頼する。…」と、メールにてこの言葉をいただいたときは『松田先生は分かってくれている!!』といたく感動したものです。
さて本記事『蕉窓雑話』の初編にはこのような話が記されています。


※『蕉窓雑話』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

腹『蕉窓雑話』より

蕉窓雑話 初編 

東郭和田先生燕語   門人筆記

医たる者よく心を用いるときは事々物々の中、自然と我が道の法則と思い合すべきことを寓する者あり①
近来宋画の鶴を得て壁間に掛けおき毎々見、且つ巧者の人にその画法の能くきまりたることを聞く。又、傍ら飛鳥井家に畜(飼わ)れたる生たる者(鶴)を見るなどして、近頃余ほど鶴の画の見様を覚えたり。
然るに別に本(もと)より持ちたる所の鶴の画あるを此の頃掛けて見るに、前方は大低よきと思いし鶴、先の宋画に比するときは何分見るに堪えず。これ此の宋画そのおし処の形、幾つも覚えたる故なり。是を以て見るときは病を診察するも全く此れの如きものにて兎角(とかく)丁寧に此の方の見覚えの形幾つもできるときは自然と其の病の深浅吉凶を見分けること分明なり。

さて又、診察の法と云うも別に子細あることにも非らず。然るに近世、所謂(いわゆる)古方者流と称する者などの多くは皆な古の法則と云うことを主張して徒(いたずら)に是をその箇条証候の書き付けにのみ求むる。随分これにて表向き一通りの形は済めども、それのみの場にて術を取るときは突付学問(とっつけ学問)と云い、子細は先ず寒熱去来して胸脇苦満・嘔吐などある者、一通りの形にては小柴胡湯の症と云うは、さしずめ知れたることなり。書面のみにて云うときは左様なれども其の病人に対して精(くわ)しく是を診察し細まかに其の因を推すときは右の証候にても中々小柴胡湯ばかりに非らすして色々用いる薬ある者なり。右一通りの形のみにて行うものならば、古の書を能く読み覚えさえすれば随分それにて見ること出来ることなれども、中々それ計(ばかり)にては行われぬものなり。
故に兎角(とかく)同症の様に見ゆる者も其の病因及び少しづヽの具合にて色々以て行う所の薬に違いあり。形や法則ばかりにて出来る者なればそれさえ覚えれば誰も別に術の巧拙は無き筈なり。故に本論(おそらくは『傷寒論』少陰病編を指しているのだろう)に大承気湯と四逆湯をつり合して挙げてあり。薬は大いに違えども其の見かけ一通りの処は同様にして甚だ分ちがたし。故に是を並べ挙げたる所のあんばい、実の活法と云うものなり。
是又「有法の法は死法なり。無法の法は活法なり」と云いて②、実の術の活法を云うときは其の形・法則にくくられずして無法の法を得るを真の活法とは云うなり。形・法則にくくられるは有法の法にて即ち是れ死法なり。実の活法を得たりと云うべからず。此の場を能々(よくよく)呑み込て修業すべし。

先ず診察の法を物に比類して見るに何よりもたやすく、別に彼是の論に及ばざることあり。
総べて術のことは只あたりなしに論ぜんよりは物に比して見るべし。其れ診察と云うは今、祇園二軒茶屋などの如き処に五六人も牀机に腰かけ並び居るに河原の向うより坊主頭に大小(二刀)を指して出て来る者あらん。各々是を何者なるや?と云うときに、或いは是は法親王方の坊官なりと云い、或いは山伏なりと云い、或いは五山の行者なりと云う。衆評まちまちなるとき能く出て来る者の人品取なりを見るときは一つも右(上)のさす処にてはなくて、反て是は侍の隠居せる者なりと見ゆるも有るべし。
医の病を診するは全ここらの処なり。只その丸き頭にして両刀を横たえたる処は右(上)の各々の云う処に合すれども唯だ此の処ばかりにて見定るときは大いに見間違いある者なり。然ればとて侍の頭の“さ”の字もなく山伏の“や”の字もなけれども、唯だ自然の処に其の人品・持前の処はどこともなく達者なり。其の違い処を見覚えゆるが診察なり。
無法の法と云うも是なり。
侍の“さ”の字、山伏の“や”の字と云う様なることなれば、誰も同じことにて見間違いもなく巧拙もなけれども、決して左様には無き者ゆえ此の処を能々わきまえて、夙夜汲々として工夫鍛錬すべし。

是を求ること深切なるときは庭の樹木を見るにも、山に遊び、水に泛(うか)び、又煙草盆一つを手に提て見ても事々物々の中に自然と我が術の工夫の手掛かりとなること寓してある者なり①’
兎角(とかく)各々我が業(わざ)とする一芸に凝りかたまりて習熟すべし。必ず多端なるときは術の精妙に至ること能はず。
若しよく其の多端なるを省みて、一筋に心を趣(はしら)しめ、これを思いこれを求むるときは、我が相応に見識の開くことはボツボツと出来る者なり。
此の如くにして一旦豁然たることを得るに至りては実に手の舞い、足の踏むことを知らざるの喜びあり。只、一途に術のことを求むべし。

昔、備前の国に某なる士、代々鎗の家なりしに、或る時、其の家の主人に甚だ愚なる(人物)が生まれ出て、実に朋友の附き合いの挨拶等も出来ぬ位にて、主家への朔望の勤も時々は忘るる程の人なりしが、其の術に於ては妙処を極め、その国の諸流も敢えて当たること能はず。且つ其の祖にも劣らざる者と一国の衆評ある故、
愚なる人なれども、やはり其の術を以て家を続かしめられたり。
その愚なるが中にも我が術のことには色々工夫ありて、其の人平日を得ては厠に至りて出でざること半時、或は一時に過ぎることの有ること毎々なりし故、後々には家人氣を附け、若し厠の中にて氣を閉ずることもやあると窓より窺い見れば、兼ねてより厠の中へ箸を二本入れ置くことを工夫しおいて、厠に居ながら其の箸を両手に構えて左右より突き合いて鎗を遣(つか)う真似をして、程よく意に落合う時とおぼしくニコニコと笑う時もあり。又、左もなきかして面に皴(しわ)して工夫するときもあり。是を以て時を移せども出でず。且つ傍らより人の己を窺うことも知らず。若し余り時を移すにより行いて、食事の過ぎるなどを告ぐるときは始めておどろきて厠を出るなどと云う様のことにてありしとなり。加様にありて社其の術も妙処に至るべしと戸田先生(戸田旭山、東郭の師)の物語して毎々感ぜられしことなり。
又或いは、鞠(まり)の家に生まれて其の芸に妙を得たる人あり。是は七歳の時より七十余まで毎朝未明より起きて鞠を蹴ることを怠らず、常に雨天には内にて蹴り、天のいまだ明ずして鞠の上より落つるの見えざるにもやはり誤らず蹴りたりとなり。一芸に名のある人は皆な此の如し、銘々我が業を励むことは此れの如きこそありたき者なり。

医の心うべき一大事あり③
病人を療治するとき、先ず一番に我が胸宇(きょうう)を杜塞(とそく)するの茅楚(ぼうそ)あり。その子細はもし此の病人を仕損じたらば世の人の我を庸医なりと云いし、病家の我を罪せんやと思うこと一番に我が胸宇を塞ぐ茅楚となりて、肝心の病本は察せられずなり。
此の意を能々穿鑿すれば、人の疾苦を救い人を愛するの職と云うは表向きになりて、実は我を利し我を愛すると云うものにて不忠の至極なり。爰(ここ)に処する人は何ほど苦心しても遂に其の術の妙処を候うことも成り難く、又人よりも却て好く思はしざる者なり。

夫れ人の性命は至りて大切なること故、大病と思はば生死不測(はかられざる)のこと、及び我術の分限をも有体(ありてい)に病家へよくよく演説すべし。その上にて病家、死生を一決し彌(いよいよ)我に委任せば丹誠を抽(ぬきん)でて治を施し、後日の褒貶毀誉のことを脱却して、只忠誠ばかりになりて何とぞ病人を救いたく思うより外に余念なく、只病人と我と向い合いたるのみにて傍らに碍(さまたげ)るものなき心持ちになりて、我が力量一杯の治を施すべし。
若し我の思わくの通りに愈ずんば、即ち我が手にて打ち殺すべし!と覚悟を極めて取りかかり、他人の口舌に拘ることなく、唯だ一念に診察処方に心を盡すべし。
此の如くするときはたとえ治功なくても我が忠誠、自然に人の心に徹通して決して我を怨むることはなく、却て深く信ずるものなり。是れ我が道に私せずして力を尽くし誠を尽くすが故なり。……

あらゆる事物の中に答えがある

冒頭文①「事々物々の中、自然と我が道の法則と思い合すべきことを寓する」

この文の「自然と」とは「自ずと」というニュアンスですが、ここで敢えて「自然」という言葉を使うことにします。
医学・医術というものはそもそも人の体に施すものであります。そして言うまでもないことですが、人の体は自然の中の一部でもあります。人間は数多存在する生物の一つに過ぎないのです。
言い換えると、自然の法則の中に人の体の法則があり、その人の体を調和させる治術の法則もまた自然の中にあると言えるでしょう。

生き物の営みや季節の移ろいの中に自然の法則が隠されており、譬え人工物であっても優れた工匠の作品の中にはやはり自然の法則が隠されています。葛飾北斎しかり、アントニ・ガウディしかりです。このことは下線部①’の文にそのまま記されています。

余談ですが「生き物の営みの中に法則あり」という点においては、実際に人の体に触れる技術を研鑽すべき鍼灸師は大いに自然から学ぶことがあるでしょう。とくに物言わぬ生き物、無情の生物に接し、それらから如何に情報を得るか?は四診において重要です。
そして大事なのは、その訓練を遊びの中で行うことです。その私(足立)の様子をみて松田博公先生は“全身鍼灸師”と称してお褒めの言葉を贈ってくれたのでしょう。

目を肥やすということ

さて下線部①の文の続きに話を戻しますが、和田東郭先生は“鶴の宋画”にまつわるエピソードを挙げています。どうやら和田先生は、この鶴の絵を相当にお気に召されたようですね。朝な夕なに鶴の絵を愛でていた様子が目に浮かび微笑ましく思えてしまいます。

さらに絵画の達者にも教えを請い、実際の生きた鶴の観察にも出かけ…と、鶴ゾッコンの生活を一時期は送っていたようです。その成果があらわれたのが、以前に手に入れていた鶴の絵を壁に掛けて眺めたときでした。
『どうも良くない…』
そう思えるようになってしまったのです。どうやら宋画の鶴を愛で続けたことによって、鶴の絵の目利きになってしまったようです。私にも覚えがありますが、これと似たような経験を持つ人は少なくないと思います。

そしてこれは診察や治療も同じことだと、和田先生はおっしゃっています。このような和田先生の医学研鑽に対する姿勢には強く共感を覚えます。

形を見覚えるということ

例に古方派の診察診断を挙げていますが、いわゆる“表面的な”方証相対の診断だと、

「(古方派の)多くは皆な古の法則と云うことを主張して徒(いたずら)に是をその箇条証候の書き付けにのみ求むる。随分これにて表向き一通りの形は済めども、それのみの場にて術を取るときは突付学問(とっつけ学問)と云い」「一通りの形のみにて行うものならば、古の書を能く読み覚えさえすれば随分それにて見ること出来ることなれども、中々それ計(ばかり)にては行われぬものなり。」と本文に書かれてある通り、表層的な知識だけで勝負することはまさに付け焼刃であり、医業を行うには非常に危ういのです。

しかし、どんな名人であっても初級の段階があります。これを和田先生は「形を幾つも見覚える」ことが肝要であるとしています。この点は古方であろうとも後世方であろうとも、同じことが言えます。

活法と死法との違い

「有法の法は死法なり。無法の法は活法なり」という言葉があるそうです。
「有法の法」とは、文字や言葉で定義できる方法。対する「無法の法」とは、文字や言葉だけに縛られず融通無碍なる境地…と表現しましょうか。
しかし、有法の法が死法であるとはいえ、有法の法もまた重要なのです。先ほども触れましたように、どれだけ自由自在な境地にある名人でも、初心の段階はあったはずです。その初心の段階で、無形の法を学び会得することはできません。まずは有法の法、有形の教えから始まるのです。

どの世界でもありがちですが、初級の段階にある人が通ぶって名人の真似をすること。これも憧れという気持ちがあって、そうさせるのは可愛いものです。
しかしやはり基本を積むことは大事です。名人芸は華やかに見えますし、基本を積むことは泥臭くみえるものです。しかしそれを疎かにしたり、ましてやそれを否定したりするとなると、それは唯々残念だ…と言うより他ありませんね。

医の心得るべき一大事

下線部③「医の心うべき一大事あり」とあり、これも医療現場に立つ人ならばよくよく共感できることではないでしょうか。

「臆する気持ち」は誰しも持つ感情です。

『もし一生懸命治療しても、治せなかったらどうしよう…』

しかしこの気持ちの源を突き詰めていくと、結局それは患者を大切に思う気持ちではなく、保身に過ぎないのだ、と和田先生は言い切っています。

和田先生のスゴイところは「覚悟」をきめているところです。覚悟をきめる…この言葉にも並々ならぬ重みを感じます。どれほどの重みか?それは本文にそのまま書かれています。
また覚悟をきめるにしても「決める」ではなく「極める」なのです。医の道を極めるという点で和田東郭はまさに医の極道ともいえる存在ではないでしょうか。

この和田東郭先生の現場の覚悟の極めっぷり、極道ぶりは同書『蕉窓雑話』に記載される医案に詳細に記されています。

余談ですが、病者の治療に臨み治療家が迷う心を律することをテーマにした教えとして『鍼道秘訣集』の「心持の大事」があります。和田東郭先生とは少し違った切り口ですので、どちらも知っておくとよいでしょう。

鍼道五経会 足立繁久

 

原文 『蕉窓雑話』より

■原文  蕉窓雑話 初編

東郭和田先生燕語   門人筆記

毉たる者よく心を用る寸は事々物々の中、自然と我道の法則と思合すべきヿを寓する者あり。近来宋畫の鶴を得て壁間にかけおき毎々見且つ巧者の人に其畫法の能きまりたるヿを聞。又傍ら飛鳥井家に畜れたる生たる者を見など乄近頃餘程鶴の畫の見様を覺たり。然るに別に本より持たる所の鶴の畫有を此頃かけて見るに、前方は大低よきと思し鶴先の宋畫に比する寸は何分見るに堪へす。是此宋畫其おし處の形幾つも覺たる故なり。是を以て見る寸は病を診察するも全く此の如きものにて兎角丁寧に此方の見覺の形幾つもてきる寸は自然と其病の深浅吉凶を見分るヿ分明なり。

扨又診察の法と云も別に子細あるヿにも非す。然るに近世所謂古方者流と稱する者なと多くは皆古の法則と云ヿを主張乄徒に是を其箇條証候の書付にのみ求む。隨分是にて表向一通の形はすめ𪜈夫のみの場にて術を取寸は突付學問と云、子細は先寒熱去来乄胸脇苦満嘔吐などある者一通のかたちにては小柴胡の症と云はさしづめ知れたるヿなり。書面のみにて云寸は左様なれ𪜈其病人に對乄精しく是を診察し細かに其因を推寸は右の証候にても中々小柴胡はかりに非す乄色々用る藥ある者なり。右一通のかたのみにて行ものならば古の書を能讀覺さへすれば隨分夫にて見こと出来るヿなれ𪜈中々夫計にては行ぬものなり。故に兎角同症の様に見ゆる者も其病因及少しづヽの具合にて色々以て行處の藥に違あり。形法則ばかりにて出來る者なれば夫さへ覺ゆれば誰も別に術の巧拙はなき筈なり。故に本論に大承四逆をつり合して擧てあり。藥は大に違へ𪜈其見かけ一通の處は同様に乄甚分ちがたし故に是を並へ擧たる所のあんばい實の活法と云ものなり。
是又有法の法は死法なり。無法の法は活法なりと云て實の術の活法を云寸は其形法則にくヽられず乄無法の法を得るを眞の活法とは云なり。形法則にくヽられるは有法の法にて即是死法なり。實の活法を得たりと云へからず。此場を能々呑込て修業すべし。

先診察の法を物に比類乄見るに何よりもたやすく別に彼是の論に及ざるヿあり。総て術のヿは只あたりなしに論せんよりは物に比乄見るべし。其診察と云は今祇園二軒茶屋などの如き處に五六人も牀机に腰かけ並び居るに河原の向より坊主頭に大小を指して出て來るものあらん。各是を何者なるやと云寸に或は是は法親王方の坊官なりと云、或は山伏なりと云、或は五山の行者なりと云。衆評まち〱なる寸能出て來る者の人品取なりを見る寸は一つも右のさす處にてはなくて反て是は侍の隠居せる者なりと見ゆるも有べし。
毉の病を診するは全こヽらの處なり。只其圓き頭に乄両刀を横たへたる處は右の各の云處に合すれ𪜈唯此處はかりにて見定る寸は大に見違ある者なり。然はとて侍の頭のさの字もなく山伏のやの字もなけれ𪜈唯自然の處に其人品持前の處はどこともなく達者なり。其違處を見覺ゆるか診察なり。
無法の法と云も是なり。
侍のさの字、山伏のやの字と云様なるヿなれは誰も同じヿにて見違もなく巧拙もなけれ𪜈決乄左様にはなき者ゆへ此處を能々わきまへて夙夜汲々と乄工夫鍛錬すべし。是を求るヿ深切なる寸は庭の樹木を見るにも、山に遊ひ、水に泛ひ、又煙草盆一つを手に提て見ても事々物々の中に自然と我術の工夫の手掛かりとなるヿ寓乄ある者なり。
兎角各我業とする一藝にこりかたまりて習熟すへし。必ず多端なる寸は術の精妙に至るヿ能はず。
若しよく其多端なるを省て一筋に心を趣しめ、これを思いこれを求むる寸は、我相應に見識の開ヿはほつ〱と出來る者なり。
此の如くに乄一旦豁然たるヿを得るに至ては實に手の舞い、足の蹈ヿを知らざるの喜あり。只、一途に術のヿを求むへし。

昔備前の國某なる士、代々鎗の家なりしに、或時其家の主人に甚愚なるが生れ出て實に朋友の附合の挨拶等も出來ぬ位にて主家への朔望の勤も時々は忘るヽ程の人なりしが其術に於ては妙處極め其國の諸流も敢て當るヿ能はず。且つ其祖にも劣らざる者と一國の衆評ある故、愚なる人なれ𪜈やはり其術を以て家を續しめられたり。其愚なるが中にも我術のヿには色々工夫ありて其人平日得ては厠に至て出さるヿ半時或は一時に過るヿの有るヿ毎々なりし故、後々には家人氣を附け若し厠の中にて氣を閉るヿもやあると窓より窺見れば兼てより厠の中へ箸を二本入置ヿを工夫しおいて厠に居ながら其箸を両手に構て左右よりつき合て鎗を遣ま子を乄程よく意に落合時とをぼしくにこ〱と笑時もあり。又左もなきか乄面に皴して工夫する寸もあり。是を以て時を移せども出ず。且つ傍らより人の己を窺ヿも知らず、若し餘り時を移すにより行て食事の過るなどを告る寸は始ておどろきて厠を出るなとヽ云様のヿにてありしとなり。加様にありて社其術も妙處に至るへしと戸田先生の物語乄毎々感せられしヿなり。

又或、鞠の家に生れて其藝に妙を得たる人あり。是は七歳の時より七十餘まで毎朝未明より起て鞠を蹴ヿを怠らず、常に雨天には内にて蹴り天のいまだ明ず乄鞠の上より落るの見へざるにもやはり誤らず蹴たりとなり。一藝に名ある人は皆此の如し銘々我業を勵ヿは此の如こそありたき者なり。

毉の心へき一大事あり。病人を療治する寸先一番に我胸宇を杜塞するの茅楚あり。其子細はもし此病人を仕損したらは世の人の我を庸毉なりと云し、病家の我を罪せんやと思ヿ一番に我胸宇を塞ぐ茅楚となりて肝心の病本は察せられすなり。此意を能々穿鑿すれは人の疾苦を救ひ人を愛するの職と云は表向になりて實は我を利し我を愛すると云ものにて不忠の至極なり。爰に處する人は何ほど苦心しても遂に其術の妙處を候ヿも成り難く、又人よりも却て好く思はしさる者なり。

夫人の性命は至て大切なるヿ故、大病と思はヽ生死不測のヿ、及我術の分限をも有體に病家へよく〱演説すへし。其上にて病家死生を一決し彌我に委任せは丹誠を抽でヽ治を施し後日の褒貶毀譽のヿを脱却乄只忠誠ばかりになりて何とぞ病人を救たく思より外に餘念なく、只病人と我と向ひ合たるのみにて傍に碍るものなき心持になりて、我力量一杯の治を施すべし。
若し我思わくの通に愈ずんは即我手にて打殺べしと覺悟を極めて取かヽり、他人の口舌に拘るヿなく、唯一念に診察處方に心を盡すべし。
此の如くする寸はたとひ治功なくても我忠誠自然に人心に徹通して決乄我を怨むるヿはなく却て深く信ずるものなり。是我道に私せすして力を盡し誠を盡すか故なり。……

 

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