『保赤全書』 痘症伝変 第四

『保赤全書』第4章「痘症伝変」は非常に興味深い内容です。従来の痘瘡病理および病伝セオリーから、その矛盾点を指摘しているチャレンジングな章だといえます。


※『保赤全書』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

書き下し文・痘症伝変 第四

『保赤全書』痘症伝変 第四

前輩の謂(いわゆ)る、痘は腎より出て、而して肝に伝え脾に伝え心に伝え肺に伝える者、人は皆なこれを疑う。知らず、此れ乃ち内より外に出るの意。
謂(いわゆ)る胎毒独り腎に蔵して、而して後に各経に伝うるに非ざる也。蓋し毒の人身に在る、寓に随うて而して伏す。但だ歳火流行に因りて、而して発す。
一二日、腎の骨髄より而して之を肝筋に出す。血氣充足する者、盡く毒を筋に送出し而して骨髄に少しも留る無し。
二三日、盡く胃肌肉に出し而して少しも筋に留ること無し。
三四日、盡く心血脈に出て、而して少しも肌肉に留まること無し。
四五日、盡く肺皮毛に出て、而して少しも血脈に留まること無し。
五六日、盡く瘡疹に出て、而して少しも皮毛に留まること無し。
七八日、膿水漸やく乾く。
十日十一日、而して痂(かさぶた)を結ぶ。
十二,三日、痂落ちて体光沢するなり。
若し初め筋に出て而して少しでも骨髄に留まるときは、則ち渾身壮熱し、口乾き悶乱す。
肌肉に出ると雖も、而して少しでも筋に留まるときは、則ち搐搦牽制し、紫黒、潮熱す。
血脈に出ると雖も、而して少しでも肌肉に留まれば、則ち癰毒を発して、多くは四肢に在り。
皮毛に出ると雖も、而して少しでも血脈に留まれば、則ち痘は圓肥ならず。
瘡疹に出ると雖も、而して少しでも皮毛に留まれば、則ち痂遅く落ちて多く麻瘢する。

此れ腎より伝えて肺に至るの説也。故に痘疹未だ出でず、五臓皆なその毒を藏す。
痘疹、将に出でんとするとき、五臓皆な病証を見わす。
若し痘瘡、四経より出て、而して腎が邪を留むること無き者は吉。若し初熱に便ち腰痛を作し、点紫黒を見わす者は多くは死す。
蓋し毒氣、腎間に留めて、而して発越すること能わず。故に耳(のみ)乃(なんじ)の謂う胎毒に命門に於いて出づる。又曰く、黒に変ずるは、腎に帰すると。則ち痘専ら一経を主りて而して後に各経に伝変する。豈に理あらんや哉!

※麻瘢…ケロイド状の斑痕

痘瘡の病伝から従来の説を否定

まずは「自腎傳至於肺之説」を解説する管橓先生

日に日に移り変わる痘瘡症状をみて、当時の医家たちは痘瘡特有の病伝パターンを把握しようと痘瘡医学を構築しました。それが本章本文にても記されている「自腎傳至於肺之説(腎より伝えて肺に至るの説)」です。

管橓先生はこの従来の「腎より伝えて肺に至るの説」を否定するために、丁寧にこの説の解説を始めています。これから否定する説の解説に本章の1/3を費やしています。内容を要約すると以下のようになります。

➢ 痘瘡の病毒は腎から出る。なぜなら胎毒は命門に伏藏しているからだ。
➢ 痘毒の発動発越は腎から始まる。これが従来の痘瘡医学のセオリーなのだ。
➢ 腎から肝へ、肝から脾へ、脾から心へ、心から肺へという痘症伝変である。
➢ 痘瘡は「内から外へと病毒を追い出す」という病理である。

胎毒と痘瘡との関係を再確認

まず理解しておきたい文はこれです。
「非謂胎毒独蔵於腎、而後伝於各経也。蓋毒在人身随寓而伏。但因歳火流行、而発。」
この文を訳すると以下のようになります。

「胎毒が独り腎だけに伏蔵して、その後に各経に伝えるのではない。そもそも毒は人身の全体に在って、その時の寓(ぐう・かりずまい=その時の病位)に随って伏している。そして歳火の流行に因って(感染し)病を発するのだ」といった主旨です。

この寓(その時の病位)とは、以下の文章に記載される腎骨髄・肝筋・脾肌肉・心血脈・肺皮毛のことです。

天然痘は(治癒に至る場合)発病後2-3週間で治癒するといわれています。本章本文でも約2週間の治癒日程のようですね。
本文をみると、発病から治癒までに病位を変えながら各病症を呈している様子がよく観察されています。病位の変化とともに症状が移り変わり、そして痘毒を体外に排出することで治癒に至るのです。

そして治癒に至るケースもあれば、理想的な病伝が完遂できなかった場合もあります。この場合は重症化してしまいます。また重症化した病症は本章後段に記されています。
これらの症状はその“寓”に随った病症が記載されています。

「自腎傳至於肺之説」を詳しく

痘瘡の病理病伝は「腎より伝えて肺に至る」というのが定説です。
それ故に痘疹がまだ発出していない段階では、五臓にその毒を蔵しているわけです。そして痘疹が将に出でんとするときに五臓の病証が現れます。

まずはこの病理病伝を前提に話を進めましょう。

さて、もし痘瘡が四経より出でて、腎に邪(痘毒)を留めることの無い者は吉です。しかしもしも初熱に腰痛を現わし、痘疹の色紫黒を見わす者の多くは死す…のです。この「腰痛」や「紫黒」というのは腎証を示していますので、逆証=死すとなるのです。
この腎証が逆証であることは前章の「腎の平証と病証と…」に触れています。

説明した後に否定する管橓先生

さて「自腎傳至於肺之説」を詳しく解説した後にバッサリと否定する姿勢から、管橓先生のフェアな態度と慎重な姿勢を伺い知ることができます。その否定する言葉は至って簡素であり短文です。

「蓋毒氣留於腎間、而不能発越。故耳乃謂胎毒出於命門。又曰、変黒、帰腎則痘専主一経而後伝変於各経矣。豈理也哉。」…と、これだけです。
本章のボリューム比率を考えると、従来説に関する説明が多く、一見したところ従来説に賛同しているかのようにみえる程です。

さてさて短い文とはいえ、管橓先生は何を言っているのでしょうか?

管橓先生の説はいかに?

現代風に訳すると以下のようになるでしょう。
「私思いますに、胎毒というのは腎間に留まっていて、簡単にそれ(胎毒)を発越することはできないものであります。(しかし)命門に於いて胎毒が出でると言ってますよね。」と、命門伏蔵説の不備な点を指摘しています。

又、こうも言っています。
「黒に変ずる痘疹は腎に帰する」と。しかし「痘疹は専ら一経を主り、その後に各経に伝変する。」のが定説です。
痘瘡伝変でみれば、一経ずつ伝変して行き痘毒を発出発越するはずです。それなのに「腎に帰する」というのはセオリーに反しているではないか?
もしそんなことをすれば重症型である「少しでも骨髄(腎位)に留まるときは、則ち渾身壮熱し、口乾き悶乱す。」という事態に陥るはずです。

「これじゃあ理が通らないじゃないか!?」と、従来の痘瘡医学の盲点をついて論破しているのです。
先ほどは管橓先生のフェアな姿勢…と書きましたが、どちらかと言えば冷静に且つ徹底的にグゥの音も出ないほどに相手をやり込める管先生の意地が垣間見えるような気もしますね。

今いちど冷静になるべきでは?

管橓先生の従来の「自腎傳至於肺之説」を否定する論法は見事であり、従来説の矛盾点を鋭く突くものでした。しかし個人的な思いですが、徹底的に命門伏毒説を根絶させるのはいかがなものか?とも思ってしまいます。

なぜなら痘瘡というまずまず致死性の高い病(※)に、毒の所在が「氣血に由る」という汎用性の高い病位では聊か拍子抜けであります。(『保赤全書』氣血 第二より)
火毒が氣血の中に瀰漫的に伏在するのが痘瘡の病位であれば、その辺の熱病と大した違いはないのです。(第1章「原痘」では火毒の在所を精血の間としている)

やはり致死性の高いシビアな伝染病である痘瘡の病因としては、精血や命門伏毒説のように生命の根元に触れ得るような病因病理であってほしいと思う次第です。
(この点のフォローを男女交媾を機とすることで、生命の根元に触れているのだと思われますが)

痘症以傷寒≪ 痘症伝変 ≫ 看耳後筋文断法 ≫≫ 観痘形色

鍼道五経会 足立繁久

原文 『保赤全書』痘症伝変 第四

■原文 『保赤全書』痘症伝変 第四

前輩謂、痘出自腎、而傳肝傳脾傳心傳肺者、人皆疑之。不知此乃自内出外之意。
非謂胎毒獨藏於腎、而後傳於各經也。葢毒在人身隨寓而伏。但因歳火流行、而發。一二日、自腎骨髄而出之於肝筋。血氣充足者、盡送出毒於筋而無少留於骨髄。二三日、盡出於胃、肌肉而無少留於筋。三四日、盡出於心血脉而無少留於肌肉。四五日、盡出於肺皮毛而無少留於血脉。五六日、盡出於瘡疹、而無少留於皮毛。七八日、膿水漸乾。十日十一日而結痂。十二三日、痂落而體光澤矣。
若初出於筋而少留於骨髓、則渾身壮熱、口乾悶亂。雖出於肌肉、而少留於筋則搐搦牽制、紫黑潮熱。雖出於血脈、而少留於肌肉則發癰毒、多在四肢。雖出於皮毛、而少留於血脈則痘不員肥。雖出於瘡疹、而少留於皮毛則痂遅落而多麻瘢。
此自腎傳至於肺之説也。故痘疹未出、五臓皆藏其毒。痘疹將出、五臓皆見病証。若痘瘡出自四經、而腎無留邪者吉。若初熱便作腰痛見點紫黑者多死。
盖毒氣留於腎間、而不能發越、故耳乃謂胎毒出於命門。
又曰、變黒、歸腎則痘専主一經而後傳變於各經矣。豈理也哉。

おすすめ記事

  • Pocket
  • LINEで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを残す




Menu

HOME

TOP