魏直が記した痘疹医学書『博愛心鑑』では、痘疹の病因について当時としては画期的な新説を展開しています。そもそもこの話を記事にしたくて『博愛心鑑』シリーズを始めたのです。それでは『博愛心鑑』の下巻を読み進めていくとしましょう。
※『痘疹博愛心鑑』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。
書き下し文・原痘
『博愛心鑑』巻下
明
會稽 魏直 著
新安 吳勉學 校
原痘
夫れ痘は豆也。其の形に象りて之を名づくる也。其の形に順(したがえ)ば則ち順、其の形に逆へば則ち逆。以て前人の名を命ずるの義の有るを在ることを見る。蓋し痘の証たるは、精血の初に根ざして、淫火の後に成る。男女交媾、欲無ければ行われず。火無ければ動ぜず。欲は火に因りて生じ、火は欲に因りて熾る。精行き血就く。何んぞ莫(やまいとして)而して火の為す所に非ざる。
且つ二五の妙合、精血鎔冶(ようや)して、臓腑皮毛筋骨の形を成す。夫れ既に成りて、火即ち已に衆体に中して、象(かたち)無く臭い無し。人、得て測る可けんや。
毒中りて必ず発する、特に其の時を俟つ耳(のみ)。時を俟ちて発するに、必ず氣血を仮る。真金に銅を雑(まぜ)るが如きこと有り。火の鍛錬に籍(かり)るを須(ま)ちて、斯に其の銅を出づるべし。(※)
故に痘毒、氣に非ざれば領せず、血に非らざれば載せず。氣をして盛んならしめずば則ち何んぞ能く其の毒を逐わん。血、栄せずんば則ち何んぞ能く其の毒を任(た)えん。氣血の運用領載の功、前(すす)まずんば、又、悪(いずくに)か能く(毒を)解せん。此れを以て彼を観れば、豈に明らかなること甚しからずや!
又、痘に稀稠の有るが若きは、乃ち火を受けることに浅深有るの故にして、其の吉凶生死も亦た皆な此に於いて分かるる。
或いは天行時氣の撃動に遇いて、発する者は何ぞ也。天地の沴氣(れいき)と人身の遺毒と同じく一つの橐籥(たくやく)、相い感じて動ず。如水の湿に流れ、火の燥に就き、雲の龍に従い、風の虎に従うの義の如し。而も又、人の真氣と客氣、並び立つこと容(い)らざる故也。
予、常に其の生霊を尅害すること愍(うれ)う。天の設(もうける)に非ず、火の罪に非ず。誠に父母の過なることを也。明者これを鑑みよ。
※銅精錬のことか。金鉱石を銅鉱と一緒に溶融し、金を銅に濃縮して、電気分解時の残渣から金を精製する方法がある。
痘瘡の始原に関する魏直の新説
本書『博愛心鑑』では痘瘡の病因に関して画期的な新説を展開しています。それまでは痘疹・痘瘡の一病因として胎毒が挙げられ、この胎毒の潜伏部位は命門であることは通説だったのです。しかし魏氏は真っ向からこの説を否定し、新説を打ち立てたのです。この新説に関して、詳しくは下巻終盤の「弁胎血致毒(胎血の毒を致すを弁ず)」にても論じられています。
さて本章の論説で鍵となるのは「精血」と「男女交媾」です。男女交媾により「火」が起こり生命が誕生するという発生学的プロセスを述べているのはさすがは魏直先生だといえます。男女交媾の際に精と血が絶妙なブレンドで結合し、生体を構築していきます。
この精と血の混合する際、火(毒の源)が混入し、分離不可のレベルで人体に残留する…といった趣旨が魏直の痘毒説なのです。
これを論じるに「二五妙合」といった易学用語や「如眞金雜銅……斯其銅可出」といった金属精錬技術を例に挙げて、痘毒と精血とが分離不可であることを暗に示唆しています。またこの表現方法を採る姿勢から魏直先生の安定の博学ぶりが伺えます。
鍼道五経会 足立繁久
上巻 ≪ 原始 ≫ 精血
原文 『博愛心鑑』原始 第一
■原文 『博愛心鑑』巻下
明
會稽 魏直 著
新安 吳勉學 校
原痘
夫痘者豆也。象其形而名之也。順其形則順、逆其形則逆。以見前人命名之義有在矣。葢痘之爲證、根於精血之初、而成於淫火之後。男女交媾、無欲不行。無火不動、欲因火生、火因欲熾。精行血就。何莫而非火之所爲。且二五妙合、精血鎔冶、而成臓腑皮毛筋骨之形。夫既成、而火即已中乎衆體、無象無臭、人可得而測耶。毒中必發特俟其時耳。俟時而發、必假氣血有如眞金雜銅。須籍火之鍛錬、斯其銅可出。故痘毒非氣弗領、非血弗載。使氣不盛則何能逐其毒、血不榮則何能任其毒。氣血運用領載之功不前、又惡乎能解。以此觀彼、豈不明甚矣乎。
又若痘有稀稠、乃受火有淺深之故、而其吉凶生死亦皆於此焉分。
或遇天行時氣撃動、而發者何也。天地之沴氣與人身之遺毒同一槖籥、相感而動。如水流溼火就燥、雲從龍風從虎之義。而又人之眞氣與客氣、不容竝立故也。
予常愍其尅害生靈、非天之設。非火之罪、誠父母之過也。明者鑒之。