宗榮衛三氣辨 石坂流

臨床実践鍼灸流儀書集成12(オリエント出版社)に収録の石坂流『宗榮衛三氣辨』の書き下し文です。

この書籍は私、足立の大先輩、石堂智行先生(岡山県総社市)にお貸しいただいた書籍のひとつ。
貴重な資料だけに少しづつ許容範囲内で紹介します。

独特の三氣を概念を持つ石坂流

石坂流は独特の氣の概念をもつ流派であると私は考えています。

“氣”について、鍼灸師は日常的に扱うべきテーマであるのに、意外と系統立てて氣を理解しようとする機会は少ないように思います。

いってみれば「氣は氣」「見えないもの」「そんな感じのもの」で思考が止まっているのですね。

中国医学で「衛気」「栄気」「宗気」で分類されているのを知識で知っている程度…と言っても過言ではないでしょう。

その反省を踏まえ、まずは石坂流鍼術が提唱する氣の概念について学んでみようと思います。

宗榮衛三氣辨(本文)

榮衛生會篇に曰く、人焉くにか氣を受け、宗氣(穀)陰陽焉んにか會する。何れをか榮と為し、何れをか衛と為す。榮安(いずく)にか従(より)生じて、衛は焉にか會する。

答えて曰く、人 氣を穀に於いて受ける、穀は胃に於いて入れば、十二蔵みな以て氣を受ける。上焦氣を出し、以て肌肉を温め皮膚を充ち、内に滲みては骨空に入り、脳髄を益す。霧露の漑(そそ)ぐが若し。これを氣と謂う。(胃は上焦也。水穀みな氣と味あり、氣は上焦に化し、味は中焦に化す)

【写真:宗榮衛三氣辨の冒頭】

蓋し、宗氣とは(精神なり)脳と膸※とに出て胸中に積み、一身に周す。故に経に曰く、人の精神なる者、生を奉りて、性命を周する所以、これより貴きは莫き也。
※膸:原文ではシンニョウは無い

宗脈は宗氣の道路。視聴、言動、心志、智慮、痛癢、寒熱、呼吸之調(ととのう・ととのい)、榮衛の和、十二官のその職に供するを、宗氣これを主宰と為す。(宗とは尊なり)
故に曰く、神を別つ者は病の従来を知り(神とは外の守り也)、精を別つ者は死生の期を知る。(精は内の守り也)
これを養うに、上焦水穀の氣を以てし、之を育むに中焦水穀の味を化して精糜と為し又 血と為す者を以てす。

故に曰く、神不足なる者は、之を温むるに氣を以てし、精不足なる者は之を補うに味を以てす。

榮とは中焦に出づ。中焦は漚(ひたす)が如し、小腸は水穀の味を受盛し、漸漬して柔輭(軟)ならしむる。糟粕を泌別し、精糜を化し(小腸は中焦也、味を化し、精糜を造ること、乳汁の如し。)心肺に注ぎ、変化して赤し。(精糜の道、脊裏に上り、心肺に至る)是を血と為す(血は飲食の味なり化して精糜と為し、固有の血と混じて則ち亦化して赤し。)榮とは脈中を行く、経有り絡有り。その清める者を榮と為す。濁なる者を衛と為す。衛は下焦に出づ。下焦は瀆の如し。(溝瀆の瀆□。凡そ人身の内外上下みな瀆焦あり。榮衛受授の機を主る。而して水道を生ず)人の身、内外上下、榮の終わる所は則ちこれ衛の生じる所。これ下焦の職なり。衛の終わる所は則ちこれ榮の資て而して生ず焉。これ肺蔵の生じる所なり。榮衛相會し、経絡相い貫く。環の端の無きが如し。故に曰く、経絡とは榮衛を行らし、内外を営する所以の者なり。

又曰く、その浮べて而して脈を循らざる者を衛と為す。その精専にして脈中を行く者を榮と為す。榮衛相い随い、外内相い貫く。環の端の無きが如く、亭亭淳淳として、孰(いず)れが能くこれを窮めん。

又曰く、榮の蔵を離れるや、卒然として弓弩の発するが如し、水の岸を下るが如し。その余氣、衰散して、衛に會し、以て逆上す。故に衛、行くこと微なり。衛の下焦に起こるや、孫絡先ず血を受け逆行して絡に注ぐ。絡みな盈して則ち経に注ぐ。而して大経と為り而して心蔵に帰す、而して肺蔵に上り、而して亦た心蔵に降り、榮の源と為すなり。(心蔵に左右二空有り、隔てるに内膜を以てす。左空に二系有り、右空にまた二系有り。右は乃ち衛之血と精糜を納め、而して肺に上り呼吸の藁籥(たくやく)を歴て、濁る者還って清む。精糜の白き者、変じて而して赤し。而して心臓の左空に降りる。左空、之を受けて以て衝脈に注ぎ、榮の源と為る。夫れ人の生や、宗氣之が主宰と為す。呼吸以て天氣を出入す乎。榮衛以て血脉を升降す乎。六微旨大論に曰く、「升降出入は器として有ること無し、器とは生化の宇なり、器散ずれば則ち生化息む、(故に)出入せざる無く、升降せざる無し。(化に小大あり、期に近遠あり)四つの者の之有る、而して常を守るを貴ぶ、常に反すれば則ち災害至る矣。」
衛の終わる所(の者)、則ち榮の生ずる所也。榮衛則ち張り、息に因りて乃ち行く。行くに経絡有り、周するに道理有り、休止するを得ず。榮周して止まず、五十而して復して大いに會す。五十とは脉の動数五十を診て、而して榮衛の往来を知ること也。榮は順にして降りること、猶 天氣の下降するの如し也。衛は逆いて而して外ること、猶 地氣の升降するが如くなり。故に曰く、降り已みて而して外る升る者を衛と為す。外れ已みて而して降りる。降りる者を榮と為す。

又曰く、榮 脉に順い、衛 逆行すれば清濁相い干(おか)さず。これの如くなれば則ち順而して治まる。之に逆すれば則ち清濁相い干す。胸中に於いて乱れれば是、大悗と謂う。腸胃に於いて乱れれば則ち霍乱と為す。臂脛に於いて乱れれば則ち四厥と為す。頭に於いて乱れれば則ち厥逆、頭重、眩仆を為す。

帝曰く、之を治するに道有る乎?岐伯曰く、道有り以て来たる、道有り以て去る、審らかにその道を知るを是を身寶と謂う。予、故に曰く、精神宗氣の道と。闇にして而して陰陽五行の論立つ矣。榮衛経絡の真隠れて而して十二経流れ注ぐこと息せざるの説作る矣。その末の偽りなる者を信じて、忽(ゆるがせ)にその本の真を棄する者、嗚呼亦た思わざる而して已。若し能く吾が非する者を較する有らば、請う長跪して以て俟(ま)つ。

(本文ここまで)

石坂流の書に関しては、私がコメントするのも野暮ですので控えさせていただきます。

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