補瀉を考える・2 鍼に瀉ありて補なし

鍼道五経会の足立です。シリーズ・補瀉を考える…の第2回です

「鍼に瀉有りて補無し」という言葉

初めてこの言葉を見た時は素直に反発しました。当時の私は補法を重視し、補を治療の中心に据えていましたから。

しかし、鍼灸の経験を重ねるうちに「鍼に瀉有りて補無し」という言葉は、ある面において鍼の特性をよく表している言葉だと考えるようになりました。

でもその前に…そもそもこの言葉は誰がどんな趣旨で言い出した言葉なのか?気になったので調べてみました。

誰が言った!?「鍼に補無し」

どうやらヒントは『医学正伝』虞搏(虞天民)著にあるようです。

『医学正伝』巻一 冒頭の医学或問に「瀉有りて補無し」の言葉があります。(ヒントというよりも答えそのものですね…原文を記事末に引用します)

「或問(或る人が問う)、鍼法に補瀉迎随の理あり。・・・」から始まる箇所には次のような文章があります。

「鍼刺にも補瀉の法ありといえども、予(私は)恐れる。ただ瀉有りて補無きことを。…」と。

著者である虞搏(虞天民、以下 虞先生)はどうやら鍼に瀉はあるものの補の要素が不足していることを恐れているようです。

決して虞先生は鍼に関して無知なわけではありません。ではなぜ鍼に補無しと心配するのでしょうか?
虞先生の言う、鍼の補瀉について読んでみましょう。

内経が伝える瀉とは迎えて之(これ)を奪う。
鍼でもってその経脈の来氣を迎えて之を出す。
これはまことに実邪を瀉している。
しかし、補とは随いて之を濟(すく)う。
鍼でもってその経脈の去氣に随いて之を留める。
これは必ずしも虚(足りないもの)を補っているわけではない。
(足立意訳)

虞先生が指摘しているのは迎随に限定した補瀉のようです。

補法では“去る氣を引き留める鍼”が補法であるならば、足りない氣を新たに補給するわけでないので純然たる補法とは言えない。
これに対して瀉は来氣を迎え出す鍼である故に、瀉有りて補無しというといった主張のようです。

異議あり!「有瀉無補の説」

虞先生の瀉有りて補無し(有瀉無補)に対してピシャリと否定している医家がいます。

その人が石坂宗哲。ちなみに石坂宗哲はかのシーボルトに鍼を教えたという逸話があります。

彼の言葉をまとめたといわれる『鍼灸茗話』には鍼に瀉有りて補無しを心得違いの説(下枠の赤文字)であるとし、石坂流の補瀉論を展開しています。その前後の文を読んでみましょう。

…(前略)…さりながら九針を見るに、多くは瀉の為に設けられたれば、瀉法は多くして補法は少なきように思われる。故に後世「針に補なし、瀉あるのみなり」という心得違いの説も出来たり。それ微針の病を治する主意は、いかなる主意ぞということを、まず第一に心得べきなり。
およそ人身の邪の受くるは、必ずみな宗気の虚に由って然るなり。
このことを聖人も「邪の湊(あつま)る所、その気必ず虚す」とも、また「風雨寒熱も虚を得ざれば、邪独り人を傷ること能はず」などとも、その外にも諄諄と丁寧に説かれたり。
その宗気の虚というものは、すなわち営衛の阻滞なり。
元来、人身に針刺を行うは、肌肉へ竹木刺のたちたると同じわけなり。肌肉へ竹木刺のたつ時は、必ず痛みを生ず(宗気に抵触すればなり)。痛みを生ずれば、其の所が必ず熱す(宗気これを排出せんと欲して、ここに聚ればなり)。熱久しければ、膿化す。膿化する時は、また腐潰して膿汁出で尽くせば、下より生肉を上げて、かの竹木の刺は自ら出で去る。
この道理をよくよく会得すべし。人身中は元来一点の物も、外より入れざる所が持ちまえなり。
故に竹木刺が入れば、宗気に触れて痛みを生ずるのみ。宗気がますます力を出して、排出せんと欲する故に熱を生ず。
これを経には「神之れに帰すれば則ち熱す」と説きたり。神とは宗気なり。

微針すなわち毫鍼で治療することの本質は氣を聚めること、つまりは補だと説いています。

そもそも邪を追い出すこと(=瀉)といえども、その原理は正気(ここでは宗気)を集めることであるとしています。

鍼が邪気を吸い取ったり追い出したりするのではなく、鍼により集まった正気が邪気を追い出すのです。

この現象を“竹木刺(とげ)が体に刺さったときの気の動き”に譬えて言い表わしてくれています。棘(とげ)が刺さった場合、人体は異物に感知し正気が集まります。
その結果、組織は炎症・化膿を起こし、肌は隆起して棘(とげ)を排除するのです。これらの変化に正気が関与するのですが、この一連の働きを棘=邪としてみれば、刺鍼による瀉には補の要素が多分に絡んでいるのです。

同書では「微針の要は、ただ針下に宗気を致し聚むることを欲するのみ。」という言葉で端的に表現しています。

補は瀉なり、瀉は補なりという言葉に通じると思います。もちろん「補は瀉の補助瀉は補の結果」ということにも通じます(これについては第1回を参照のこと)。

しかしこれは虞先生の言う、鍼に瀉有りて補無し…の論拠「迎髄よる補鍼が虚している正気そのものを補っているわけではない」を完全に否定できるものではありません。

虞先生は迎髄の補に関して、気を留め(≒集め)ることは是(Yes)としています。経脈の気の不足に対して鍼で気を集めることは石坂宗哲の主張する竹木刺と大きな差はないと言えます。

では、鍼に瀉有りて補無しを認めるしかないのでしょうか?

小さい補瀉と大きい補瀉に分けて考えると…

私の中では「鍼に瀉有りて補無し」という言葉は、ある面においては納得できる言葉です。

これを湯液(漢方薬)医学と比べて考えてみましょう。湯液(漢方)医学にも補瀉ともにあります。

湯液(漢方)の補剤は、人体からモノを取り込む補です。体内には無かったもの(薬力・薬気)を摂取、取り込みますので、大きな補と言えます。

これに対し、鍼灸の補は人体の気を集める補です。すでに有る気を集める補なので、湯液に対して小さな補だと理解しています。
 エネルギー補給のイメージ、対して鍼の補法はどうか?

このように補瀉の大小でみると、特に湯液家と鍼灸家の視点の違いを考慮すると、「瀉有りて補無し(≒瀉の要素は多く、補の要素は少ない)」という意見もうなづけるのです。

以上は私見ではありましたが、鍼灸医学と湯液医学の医学観の相違から、互いの特性・長短を理解するヒントになるかと思います。前述の大きい補瀉と小さい補瀉については第3回に紹介します。

参考までに『医学正伝』該当文の全文と、『鍼灸茗話』の前後をまとめて引用しておきます。

或る人問う、鍼法に補瀉迎随之理有り、固に以て虚実之證を平らぐべし。
其れ灸法、虚実寒熱を問わず、悉く之を灸せしむ。其れに亦補瀉の功有りや?
曰く、虚する者は之に灸す。火氣をして以て元陽を助けしむる也。
實する者は之に灸して、實邪をして火氣に随いて発散せしむる也。
寒する者は之に灸して、其の氣をして復温ならしむる也。
熱する者は之を灸して、鬱熱の氣を引いて、外に発す。火は燥に就く之義也。
其れ鍼刺にも補瀉之法有りと雖も、予恐る、但瀉有りて而して補無しと。
經に謂る、瀉とは迎えて而して之を奪う。
鍼を以て其の經脉之来たる氣を迎えて而して之を出す。
固に以て實を瀉すべき也。
謂る補とは随うて而して之を濟(すく)う。
鍼を以て其の經脉の去る氣に随いて而して之を留む。
未だ必ずしも能く虚を補さざる也。
然らずんば、内經に何を以て曰う。
熇熇之熱を刺すこと無し。
渾渾之脉を刺すこと無し。
漉漉之汗を刺すこと無し。
大勞の人を刺すこと無し。
大飢の人を刺すこと無し。
大渇の人を刺すこと無し。
新飽の人を刺すこと無し。
大驚の人を刺すこと無し。
又曰く、形氣不足、病氣不足、此れ陰陽皆不足也。刺すべからず。
之を刺せば重ねて其の氣、竭(つきる)。
老者は絶滅し、壮者は復せず。
此れの若き等の語、皆 瀉有りて補無きの謂い也。
學者知らずんばあるべからず。

 

『鍼灸茗話』の続き…
さてその熱久しければ、血液腐熟して膿化するなり。この如くに手続きの次第より揃う所を、人身自然の良能とはいうなり。それ人、邪気の経絡にありて、営衛の順行を妨ぐれば、宗気これが為に力を用いて強く禦(ふせ)がんと欲する。故に必ずまず熱し、あるいは悪寒す。悪寒するものは邪気の侵入なり。発熱するものは宗気が力を用いて、その邪を排出せんと働くなり。この合戦のことを、古人も正邪相戦いて寒熱すといいしなり。
もし宗気勝つことを得れば、邪気敗走して退くが故に、その身もまた平穏に復す。
邪気の勢い猛烈にして宗気これに当たり難く、時には防禦の力及ばずしてこれを避く、宗気避けて禦がざれば、すなわち腠理開く、腠理開けば、すなわち邪気いよいよ勢を得て侵入するなり。
この事を経にも「百病の始めて生ずるや、必ず先ず皮毛に於いてす。邪之に中るときは、則ち腠理開く、開けば則ち脉絡に客す、留まりて去らざれば、伝わりて経に入る。内 蔵府に連なり、腸胃に散ず」と説きしなり。
かの正邪相争うの時に当たりて、針が肌肉の中に入りて、宗気に抵触するときは、宗気のいよいよここに聚まり、憤激して力を出だし、これを防ぐ、故に邪気ついに敗走するなり。
然らば、すなわち微針の功は、直ちにこれが邪気の駆逐して去らしむるものには非ず。
宗気を激発して針下に聚め、それが力を増して邪気を駆逐せしむれば、宗気の為には援兵加勢ともいうべき者か。
人参、附子の補薬というも、かの辛温の気味をもって宗気を加勢して、その力を増さしむるの道理は同じ。
故に微針の能は補なり、瀉には非ず。
されども、仔細に論ずれば「陰中陽有り、陽中陰有り」の道理にて、補中にもまた補瀉あるべし。ただし其の補瀉両道と対峙する時は、微針をもって補法となるべし。

今回は柳谷素霊先生の『補瀉論集』を参考にさせていただきました。

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