原南陽の「病因」- 叢桂亭医事小言 より

伝統鍼灸にて治療を行うからには…

「病因」は診断に関する章です。鍼灸師にとっても診断は必要不可欠な仕事です。
言うまでも無いことですが、東洋医学・伝統医学には独自の診察法があります。脈診・腹診や切経といった切診をはじめ、望診・聞診・問診の四診はよく知られています。

これら四診で得た情報を伝統医学・東洋医学の生理学・病理学をもとに診断する必要があるのです。往々にして忘れられがちなのが、診察は伝統医学、診断は近代医学という筋違いの治療になっていることです。

本章をはじめ医古典を読むことで、常々自身の診断と治療を再確認する必要があるのです。


※『叢桂亭医事小言』(「近世漢方医学書集成 18」名著出版 発刊)より引用させていただきました。

※以下に現代仮名書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

病因 『叢桂亭医事小言』より

腹候叢桂亭医事小言 巻之一 

病因

病因とはその病の起こる所の根本なり。其の本を治すれば、他はひとりによくなる①。随分と念を入れて問うべし。即ち四診の「問」の字也。病因と外証を合わせて方は処すべし。是れ『素問』に標本(標本病伝論第六十五)と称するものなり。

去りながら、病因にかかわらず見証にて治すこともあり②。是は時宜にしたがうにて何病にもせよ、急卒に倒れて手足厥冷すれば四逆湯なり。是れ外証にて方を付けねばならぬ病なり。
沈痾・痼癖に至りては病因を究めて外証にて参え考れば内因も符節の如くに合するものなり。かくなりたる時は死生を指すこと掌中にあり。又、外証に主客の差別あり。是を主証・兼証とす。

さて病を問うに何の構(かまい)にならぬところを因にとると方を付けて験もなし。総て工拙(こうせつ)は此れにちがいのある事也。

長病・痼疾ほど因をとらねば治すことならず。

たとえば先年下疳を病みたると云はば病因になるの心なり。

婦人は第一に経行を問うべし。瘀血の因に属するもの十に八九なり。腰脊疼痛、手足拘攣などは瘀血によるなり。其の因のたずね様、疎末なれば奇験をとりがたし。
他日、人によりて病む癖もあり、大層になりさわぐ癖もあり、又一向に苦痛の事は物語らぬ人もあり。

又、医師の工拙を見よう、とかくして(あれやこれやして)見せる人もあり。
是は蘇東坡の曰う「疾有るに至り而して療を求むる、必ず先に盡く告ぐるに患うる所を以てす。而して後に診を求む。便ち医、了然として患うるの所を知るに至る也(至於有疾而求療、必先盡告以所患而後求診便醫了然知患之所至也)」と。東坡の流、至極よし。さまでのことにもあらねども、病因かくれたるは知れがたきことあり。

天明丁未(天明7年・1787年)元旦早朝する時は小吏(しょうり)医師を連れて馳せ行くを見る。急病人やあると出仕して聞くは、冨田総裁七十に近き人なりけるが、廟堂に於いて急病なるにより、同僚も三人有司の命にて行きたりと云う。
やがて同僚も一同帰り来たりて席につけば、一席の諸士、何れの病にて如何なり?と尋ね問うに、何か苦痛強く、起き上がり起き上がりするをようやく脈を見たりと云う人もあり、中寒などにてあらんかと云う人もあり、中氣の気味にもあらんか涎を流したりと云う人もあり。決定して病証を言い切りたる人なし。
予、心に拙き見様哉…、何ぞ主証と定まるものありそうなもの…と思いけれども、其の儘にて朝礼も済みて退出せり。
冨田が嫡男、人を馳せて曰く、仮に最寄りの由緒へ引き取たれば一診を乞う、と云うにまかせ往きて診するに、成るほど先に見たる人々の名(病名)を付けかねたるも尤もにて、いかにも知れかねる。朝衣のままにて炬燵へ臥して微かにうなるばかりにて、挨拶もなし。
脈は洪大にて数を帯び、頭より自汗出て手足逆冷す。中氣のように見ゆれども手足は痿えたるとも見えず。欠もせず、中寒と云いしも無理ならず。腹を按ずるに満して痛むとみえて中脘の辺へ指をつければ顔をしかめ眼中は常の通りなり。
先きに営中にて服薬したるに吐逆して受けざるのみならず、時に嘔くことありと。薬を飲むと皆吐逆したりと云うに因て、前後の様子を委しく問えば、出仕前に魚味(魚味の祝い・祝い事)にて酒を飲みたりと云う。其の魚に子もありしよし、沢山食したりと云う。
さては宿食なり。酔後、寒を受けたるばかりならずと、中正湯を煎服す。
何事もなく飲みたり。二便の利あらば苦痛も退かんと思えども、衰老故に心元無し。晡時(日晡)に又診すれば、小便通じて腹痛半ばを減ず。病人もすこしは挨拶もある。其の夜大便通じて、明日に至れば床に坐す位になり。三四貼にて全快したり。是れは因にばかり依りて治したり。

又、疝氣のある人は其の疝の証候かくれて見えざることあり。診法を精しくして沈痾を治すこと度々なり。病因はおろそかにすべからず。水腫・痢病・吐食・反胃・氣癖などに疝の因なること有り。

南風(はえ)が吹くか雨にても催すと云う日より(日和)といえば頭痛して上衝する人あり。桂枝の証か、芎黄散の証か、加味逍遙散かと云う。病人は其の因は虫積なり。婦人にあれば胡乱(うろん)に血の道として治すれども、是は芟凶湯にて蚘虫を下せば再発せぬもの也。病因のことは萬病に入用なり。

紀藩の士、十三歳なりとぞ、安永甲午(安永3年・1774)の年、京都にて通矢(とおしや)を仕たりけるが、極めて秀でたる事にてありき。少し不快のことありて同盟藤岡氏なるもの療を乞うに、虫積の候ある故に芟凶湯を与えて其の病愈えたり。
此の人、矢数をかけると左の肩に隠々と痛みたることあるき。蚘虫を下して後、肩の痛みを忘れたりとなり。虫積の害をなすこと思いもよらぬ事あり。芟凶湯を用いて知るべし。
然れども虫積を見分け誤れば無益の薬也。眼病にも痢病、瘧、水腫の類にも病因は虫積なるときあり。心を用いて診すべきなり。

病因とは診断における要

本章のテーマは実に意義深いものがあります。

「治療」とは何か?と問われると、人によってその答えは様々だと思います。

もちろん「病気・苦痛を癒す行為である」という答えが模範解答でしょう。しかし、個人的な意見ですが治療とは“診断に基づいた医療行為”であるべきだと考えます。診断と治療は不可分のものであります。もちろん診断といっても、東洋医学・伝統医学的な診断もあれば、西洋医学・近代医学に基づく診断もあります。

さて、このような治療における診断の重要性を踏まえた上で、本文を振り返ってみましょう。

「病因とはその病の起こる所の根本なり。其の本を治すれば、他はひとりによくなる。」(下線部①)

診断の目的は、この病因・病本を明らかにすることです。この病因・病本がわかれば治療は全うするのです。このことを本文では「その本を治すれば、他はひとりに良くなる」と言い表わしています。
この趣旨は東洋医学系の鍼灸師にとってはよく分かることかと思います。

とくに他愁訴、いわゆる不定愁訴と呼ばれる症候に対しては、このような診断法が有効です。いくつもの症状に枝分かれした状態を整理するには根本を抑えるのは定石なのです。

ちなみに江戸後期の医家、宇津木昆台は八条目というさらに詳細な診断論を構築しており、その中で「宿・因・本」といった病態整理を提唱しています。これは実に優秀な病態整理法であり、私自身も現場で採用活用しております。

さて、この診断において病因を把握することは必須条項といえます。しかし、原南陽先生のこの説の秀逸なところは、症状の緩急に分けている点です。

病因を優先しない診断もある

「去りながら、病因にかかわらず見証にて治すこともあり。」(下線部②)

このように病因を素っ飛ばして治療に着手する局面もあります。

本文では「卒倒して手足厥冷すれば…」と例を挙げてくれています。これは非常に分かりやすい状況ですね。このように急性病、とくに救急の場合は、「病の原因は何か…」「病の本体は何処にある…!?」と悠長なことをしていられません。なにせ命にかかわる事態なのですから。
故に「是れ外証にて方を付けねばならぬ病なり」との結論なのです。

これに対して「沈痾・痼癖に至りては病因を究めて外証にて参え考れば内因も符節の如くに合する」として、慢性の病態に対する病因・病本の究明の重要性を示しています。

鍼灸院によっては来院される患者層・疾患群を考えると、上記のような「病因にかかわらず見証にて治す」べき症例も少ないかもしれません。だからこそ上記のような二つ局面を知っておくべきだと思うのです。

また「外証に主客の差別あり。是を主証・兼証とす。」という文は、次章の主客に繋がります。

中正湯と芟凶湯について

本章では見慣れない方剤名も散見できます。中正湯と芟凶湯(さんきょうとう)です。

70歳近くのご老人、冨田翁の治療にて処方されたのが中正湯でした。
この時の冨田翁の症状は「頭より自汗出で」「手足逆冷」「腹按して腹満痛(中脘の辺り)」「服薬して吐逆」「時に嘔」、脈証は「脈は洪大に数を帯びる」です。また問診情報としては「祝い事(お食い初め)で酒を飲んだ」「沢山食した」とのこと。

これらを合参した結果、南陽先生は「宿食」という診断を下しました。そして処方は「中正湯」です。
ではその生薬構成はどのようになっているのでしょうか?

『叢桂亭医事小言』巻七 藏方に、中正湯に関する情報が記されています。

中正湯

食傷、吐逆、安からずを治する。又、霍乱、中熱、陳旧宿食を理する方。
半夏(五分) 朮(四分) 藿香 橘皮 乾姜 厚朴 大黄(各三分) 黄連(二分) 木香 甘草(各一分) 右(上)の十味を煎服す。

経年の宿停、食毒の内に在り、種々の証候を為す。或いは痰に似、積に似る。宜しく其の因を察して之を治すべし。又、病を得て之を治す中間に、傷食嘔吐する者、或いは以て変症を加うることを為す者、并びに之を主る。飲酒多過、下血(するに)人(医)、痔を以て之を治す、効無き者に之を主る。
一女子、穀食すること能わざるに、香川太仲、癇と為して之を論(さと)す。三年を経て治せず、始めは赤小豆を食して、暫くして又これを惡む。食の意に協(かな)う者に靡(なし)。甘藷、纔(わず)か口を盈(み)たし、而して生を護る。更に病の得る所を問うに、則ち三年前、桃花飯を過食す。爾(しかる)後に腹満し常に飽くが如くを覚、心神憒憒して、食臭を聞くことを悪み、只だ深閨に臥す。此の湯を与え、数十日にして疴に報ずる。
又、一少女、白飯を悪み、只だ炙魚を食うこと二年許(ばかり)。此の湯を服して、百日許、而して全愈す。運用多端なり。

■原文
中正湯 治食傷吐逆不安。又理霍乱中熱、陳舊宿食方。
半夏(五分) 朮(四分) 藿香 橘皮 乾姜 厚朴 大黄(各三分) 黄連(二分) 木香 甘草(各一分) 右十味、煎服。
經年宿停、食毒在内、爲種種之証候。或似痰、似積。宜察其因而治之。又得病治之中間、傷食嘔吐者、或以爲加變症者、并主之飲酒多過、下血、人以痔治之、無効者主之。
一女子不能穀食、香川太仲、爲癇而論之。經三年而不治、始食赤小豆、暫又惡之。靡食協意者、甘藷纔盈口、而護生。更問其所得病、則三年前、過食桃花飯。爾後覺腹滿常如飽。心神憒憒、惡聞食臭、只臥深閨。與此湯、數十日而報疴。
又一少女、惡白飯。只食炙魚、二年許。服此湯、百日許、而全愈。運用多端。

中正湯の生薬構成は〔半夏・朮・藿香・橘皮・乾姜・厚朴・大黄・黄連・木香・甘草(分量略)〕であり、これら十味を煎じるのだそうです。

この構成をみれば、本文に「二便の利あらば苦痛も退かんと思えども、衰老故に心元無し。」とあるのも、なるほど頷けますね。
「宿食」となると、それに対して〔神麸・麦芽・山楂子〕などの消導薬が加味されるのでは?と思う人もいるでしょう。しかし、大黄を含む方剤を処方していることに注目です。おそらくは症状や脈の緩急からみて、このような処方選択になったのだと考察します。

他にも見慣れない方剤があります。芟凶湯(さんきょうとう)なる方剤もあまり見ない名でしょうね。文脈からして駆虫薬のようでもありますが、実際に調べてみるとなかなか見つからない代物です。

唯一ヒットしたのが国書データベースの『妙薬法集』のこの頁

芟凶湯(さんきょうとう) 蚘虫穢物を下すの方

鷓胡菜(二分)大黄(三分)蒲黄(二分)苦棟根皮(二分)
右(上)四味、煎じ服す、或いは丸服す。
大便滑なる者は大黄を去る。

■原文
芟凶湯  下蚘虫穢物方

鷓胡菜(弐分)大黄(三分)蒲黄(弐分)苦棟根皮(弐分)
右四味、煎服、或丸服
大便滑者去大黄。

芟凶湯の生薬構成は〔鷓胡菜・大黄・蒲黄・苦棟根皮〕とあり、これら諸薬は駆虫などの目的で使用されます。
ちなみに『名家方選』虫症部に載る鷓胡菜湯は〔鷓胡菜・大黄・蒲黄・甘草〕の構成です。中でも鷓胡菜なる薬草は胎毒治療にても古来より使用される生薬です。

胎毒については以前(2020年)に『医道の日本』にて「胎毒からみえてくる伝統医学の小児科」と題して論考を提出しました。胎毒については個人的に興味を感じるテーマですので、また別角度で論考を仕上げて提出したいと思っています。

鍼道五経会 足立繁久

脈論 ≪ 腹候 ≪ 察色 ≪ 病因 ≫ 主客

原文 病因 『叢桂亭医事小言』より

■原文 

腹候叢桂亭医事小言 巻之一 原南陽先生 口授

病因

病因とはその病のおこる所の根本なり。其本を治すれは他はひとりによくなる。隨分と念を入て問べし。即四診之問字也。病因と外證を合せて方は處すへし。是素問に標本と稱するものなり。去なから病因にかヽわらす見證にて治すヿもあり。是は時宜にしたかふにて何病にもせよ、急卒に倒れて手足厥冷すれは四逆湯なり。是外證にて方を付子はならぬ病なり。沈痾痼癖に至りては病因を究めて外證にて參へ考れは内因も符節の如に合するものなり。かくなりたる時は死生を指すヿ掌中にあり。

又、外證に主客の差別あり。是を主證兼證とす。さて病を問ふに何の構にならぬところを因にとると方を付て驗もなし。總て工拙は此にちがいのある事也。長病痼疾ほと因をとら子は治すヿならす。たとひは先年下疳を病たると云はヽ病因になるの心なり。婦人は第一に經行を問ふへし。瘀血の因に屬するもの十に八九なり。腰脊疼痛、手足拘攣なとは瘀血によるなり。其因のたつ子様、疎末なれは奇驗をとりかたし。他日人によりて病くせもあり、大そうになりさわく癖もあり、又一向に苦痛の事は物語らぬ人もあり。又醫師の工拙を見やう、とかくして見せる人もあり。是は蘓東坡曰、至於有疾而求療、必先盡告以所患而後求診便醫了然知患之所至也と。東坡の流至極よしさまてのヿにもあら子𪜈、病因かくれたるはしれかたきヿあり。

天明丁未元旦早朝する時は小吏醫師を連て馳行を見る急病人やあると出仕して聞は、冨田總裁七十に近き人なりけるか於廟堂急病なるにより同僚も三人有司の命にて行たりと云。やかて同僚も一同歸來て席につけは一席の諸士何病にて如何なりと尋問ふに何か苦痛強く起上り〱するをやうやく脉を見たりと云人もあり、中寒なとにてあらんかと云人もあり、中氣のきみにもあらんか涎を流たりと云人もあり。決定して病證を言切たる人なし。
予、心に拙き見様哉、何そ主證とさたまるものありそうなものと思けれ𪜈、其儘にて朝禮もすみて退出せり。冨田か嫡男、人を馳て曰、かりに最よりの由緒へ引取たれは一診を乞と云にまかせ徃て診するに成ほと先に見たる人〃の名を付か子たるも尤にていかにも知か子る、朝衣のまヽにて巨燵へ臥して微にうなるはかりにて、挨拶もなし。
脉は洪大にて數を帯ひ頭より自汗出て手足逆冷す。中氣のやうに見ゆれ𪜈手足は痿たるとも見へす、欠もせす、中寒と云しも無理ならす。腹を按するに滿して痛とみへて中浣の邊へ指をつけれは顔をしかめ眼中は常の通りなり。先きに營中にて服藥したるに吐逆して不受のみならす時に嘔くヿありと藥を飲と皆吐逆したりと云に因て前後の様子を委しく問へは出仕前に魚味にて酒を飲たりと云。其魚に子もありしよし澤山食たりと云。さては宿食なり。醉後寒をうけたるはかりならすと中正湯を煎服す。何事もなく飲たり。二便利あらは苦痛も退かんと思へ𪜈、衰老故無心元晡時に又診すれは小便通して腹痛半を減す。病人もすこしは挨拶もある。其夜大便通して明日に至れは床に坐す位になり、三四貼にて全快したり。是は因にはかり依て治したり。又疝氣のある人は其疝の證候かくれて見へさるヿあり。診法を精しくして沈痾を治すヿ度〃なり。病因はおろそかにすへからす。水腫痢病吐食反胃氣癖なとに疝の因なるヿ有。

南風かふくか雨にても催すと云日よりといへは頭痛して上衝する人あり。桂枝の證か、芎黄散の證か、加味逍遙散かと云、病人は其因は虫積なり。婦人にあれは胡乱に血のみちとして治すれ𪜈、是は芟凶湯にて蚘虫を下せは再發せぬもの也。病因のヿは萬病に入用なり。

紀藩の士、十三歳なりとそ、安永甲午の年、京都にて通矢を仕たりけるか、極て秀たる事にてありき。少し不快のヿありて同盟藤岡氏なるもの療を乞ふに、虫積の候ある故に芟凶湯を與へて其病愈たり。此人矢數をかけると左の肩に隠〃と痛たるヿあるき。蚘虫を下して後、肩の痛を忘たりとなり。虫積の害をなすヿ思もよらぬ事あり。芟凶湯を用て知るへし。然れ𪜈虫積を見分誤れは無益の藥也。眼病にも痢病瘧水腫の類にも病因は虫積なるときあり。心を用て診すへきなり

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