原南陽の「察色」- 叢桂亭医事小言 より

原南陽の医学観

本章の察色とは「色を察する」ことである。氣色をみる診法、すなわち望診である。
とはいえ、色を察する診法については半分くらい、あとは形態の望診や聞診、そして実際の臨床における“駆け引き”などについても言及している。また狐憑きに関する説明にも力を入れているのが印象的である。

また『呂氏春秋』『春秋左傳』の引用が随所にみられる。本章のみならず、「医学」の章(『医学』②)からも原南陽の教養の高さが伺える文章である。彼は若い頃から積み重ねてきた教養によって身を立て出世したというエピソードがある。

※『叢桂亭医事小言』(「近世漢方医学書集成 18」名著出版 発刊)より引用させていただきました。
※以下に現代仮名書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

察色 『叢桂亭医事小言』より

腹候叢桂亭医事小言 巻之一 原南陽先生 口授

察色

扁鵲伝に「(病の応は大表を見る)病之應見大表」とて、察色大切の見所、証候を知る所也。四診の望の字也。顔色、声音、呼吸は定まりたる事は予も知らざれども、診察の一にて、人相者は一生の吉凶も云こと也。さすれば見所の多きものと知るべし。

さて病人に対したる初日に一々に心を付けて見て置くべし。夫より後に変のある時は初日の診とくらべて見ると甚だ心得になることあるもの也。
顔色の赤きは上逆、唇の白きは凶兆なるは俗人も知れる所也。
たとへば其の赤と白を得ると見て置けば、前より良きか悪きかと後に計り知ることなる。度々心を付けて見れば、①後には熱の伏したる顔色も、又狂発するも快を得るも死に近きも知るべし。又、眼中にてみえることも有るものなり。平人の喜怒の色は誰も知れる。病者の色は猶更(なおさら)心を用ゆるならば何ぞ知れざらん。
『醫種子』に載せたる察色の法を見て、古人の察色を論すること此の如きを知るべし。

嘗(かつ)て(『呂氏春秋』審應覽の)桓公諸候を令することを読むに、衛人後れて至る。公、朝して管仲と衛を伐んと謀る。退朝して奥へ入れり。衛姫、君を望見して、堂を下りて再拜して衛君の罪を請ふ。
公曰く「吾(われ)衛に於いて故なし。子なんぞ請うことをする。」
曰く「妾、君の入たまうを望するに、足高く氣彊(つよ)し、国を伐つの志あり。妾を見て動く色あるは衛を伐つ也」と申しける。
明日、公、朝して管仲を揖(ゆう)して進ましむ。
管仲曰く「君は衛を捨てたまうか。」
公曰く、「仲文何ぞこれを知れる。」
仲曰く、「君の朝に揖(ゆう)するや、恭して言を出し玉うに往々臣を見て慙(はじ)る色あり。臣、ここを以て知れり」と。
此の二人は心を専らにして、桓公に事(つか)える故に其の容貌を見て、其の用捨を知れり。若し能く心を病者に専らにしなば一望して其の病の深遠自然に知るべし。又(『春秋左傳』襄公二十九年に)季札が楽を聞きて言う所も聞法の一義なりといえり。

声音は力の脱けたるは早く知れる処なり。肺癰は声音にてよく知れることあり。肺痿は猶更(なおさら)なり。ひしげたようにて、さびのある声になり咳嗽までひしげた様になるものなり。麻疹の咳はよく肺癰に似たり。小児の痢病などの日を経て脱したるは泣声かなぎり、高く細くなるもの凶候なり。
氣急する病人、呼吸につれて小鼻の動くは久病ならば死に近し、久病ならぬとも安からぬことと思うべし。是を鼻扇と云うなり。

爪の色も見所なり。青は寒。紫は瘀血など論ず。黄胖は爪の色潤沢ならず。或いは條理高く垢つき、或いはくだけて長からず、或いは厚くなりてへげる、或いは薄くなりて反りてかけるものなり。
又、黄疸は眼中と爪甲によりはやく見ゆるもの多し、皮膚の覆うものなき故に透明して早く黄の見ゆるなり。爪は骨のようなれども條理ありて津液ここに通ず。怪我にて強く爪を打つと、瘀血條理に結して漆の如し。爪をはさむ時に小口より見て、血の打ちためて凝りたるは知るべし。

勞瘵に桃花蛙と云うことあり。『證治要訣』に云う、「有面色は故の如く、肌体自ら外に充つ外看(がいかん)無病の如く内は虚損す。俗に桃花蛙と呼ぶ(有面色如故、肌體自充外外看如無病内虚損。俗呼桃花蛙)」。新たに粧する者の如し。顔色よろしきとて悦ぶことに非ず。決して死を免れず。
又、惣身顔色ともに痩せて両顴ばかり赤くして、紅を粧えたるが如く見ゆるを帯桃花と云う。労瘵に多くあらわれ、婦人鼓脹にも有る候なり。何れも同じく難治なり。
『外臺秘要方』に云いたる崔氏方の五蒸を治する処に「嗽後、面色白く両頬に赤を見わすこと臙脂色の如く、団々として銭許(ばかり)大の如く、左に臥すれば即ち右に出づる。唇口は常の鮮赤に非ず、若し至りて鮮赤(あかすぎ)なれば、即ち極めて重し。十なれば則ち七死三活(七人は死に三人は活きる)。(嗽後面色白両頬見赤如臙脂色團〃如綫許大左臥即右出。唇口非常鮮赤、若至鮮赤、即極重。十則七死三活)」とあり、今は医の拙なきにや十に一生なし。

口眼喎斜するは、中風にある証なれども、壮年の人の手足も滞る所なく、俄かに口眼歪斜するは、やはり中風の一証をあらわせるなり。何の事もなく中風の薬にてよし。其の壮実をたのんで酒色過度の人、老来にて発する中風を取り越して発したる故、諸証具せずに、一証をあらわせし也。

癩風も口眼喎斜する者あり、肉色をみて麻木を尋ぬべし。中風と違い一ケ処ずつに瘀血の凝て不仁する者、其の処の血色を察すべし。中風と異なり、又毛髪の脱落するや否やをも察すべし。

痘は全く察色に在り。其の発する部分を以て云う(痘瘡の出現する場所によって吉凶ありという説)は信ずべからざるに似たり。痘の多きは凶、痘の少なきは吉と云うは天下の知る所なれども、潤沢と乾枯とに吉凶あり。紅鮮と紫黒とに吉凶ありて多少に非ず。然れども少なきものは、凶候の出るは稀なり。悉くは痘瘡門にて語るべし。

狐つきは望んで知るべし。然れども狐に上下あり。上狐の憑きたるは、まぎれやすし。巫祝の言に云う、十三種ありて天狐・地狐・黒狐・白狐など云うは、甚だ奇異なるよし。野狐は自分より口ばしりて、稲荷なり赤豆飯の喰せしめよなんどと云うにて、これを医門に託せず、直に祈祷にかかる。
又、十三種の内の上狐に憑かれたるは、祈祷も何も構わず、病人とみえるあり。是を医者に託す。医者も亦、物付(憑)きか乱心かの堺(さかい)知れかぬるものなり。中にも乱心かと思えば本心の所もあり。狐つきかと思えば乱心のようにも見えて、一日の中にも色々になる。夜寝かね、或いは死せんと欲する真似をして、看病人を疲らかすものなり。病人の意氣を得(とく)と見て熟察すべし。
能く氣をつけて見んとすれば、病人いやがるは乱心には少なし。又、巫祝の風折(かざおり)と称するあり。これは益々見わけ悪し。是は常に憑きては居らぬものにて、ちらりちらりと風にさそわれたる如くになるよし。
予、嘗て巫祝の功者なるに問いもとめたる、彼の教えを後に試みるに助けになりたること多し。
食事をする所を氣を付てみるべし。口もと常ならず。或いは大食になる人もあり、或いは食事をするに奴婢の外は人を近づけざるものあり。兎角(とかく)愚人を相手に仕(し)たがるか、総じて食事に変わり有るものなり。相い対して坐したる時、真向いに眼と眼を見合わせかね必ず面をそむけ、或いは面を伏して両膝へ手をつき肩をすぼめすくみたるようにて、面を挙げざるは決して乱心に非ず。
又、腋下へ手を着けさせず、後へも人を廻さぬものなり。此の外に四診有りと云う、秘して伝えず。

予、嘗て試むるに、又、印堂むっくりと高くなりてある時もあり、氣の凝りたるなるべし。夫れを堅く押しゆれば、手足の力ぬける。腋下背上などの凝りたる処も押しゆれば力ぬけるものなり。
又、背を下より逆に撫でれば大いに怒るものなり。
さて、治は灸治よし、鍼もよし。紫圓も効あるものなり。烏頭瓜蔕も効はあらんと思えども未だ試みず。
又、大奇事あり。(狐憑きの)袂のうちに沢山に毛のあることは、皆人の知る所なれども、病家の味噌桶の下をみるべし。衣服へついてある毛と同様の毛あるものなり。能く利害を説いて聞きすれば、鍼灸にも及ばず治するものあり。
治せずば「斯くの如くの手段にせん」と云うこと兼ねて心得て有るが故に、其の術に恐れて治するなれば、攻め道具の用意なしには利害ばかりにては治すまじ。
子啓子(賀川玄悦)は嘗て狐憑きをおとす鍼法を伝えられたり。子啓子は相い対したるばかりにて、鍼を刺したることなく、験ありしよし。其の法は手の左右の大拇指の爪甲をこよりにて堅く縛り、腋下か背後に凝りたるものを力まかせに肘臂の方へ段々にひしぎ出し、肘まで出たる時、他の腰帯の類にて緊しくして其の凝りたる塊の上へ鋒針にて存分に刺すべし。治するなり。
其のひしぎ出すとき並々のことにては狂躁する故に人を雇いて総身をかくるる処のなきように尋ねてひしぎ出すべし。此の伝を得て後に、東門先生へ物語れば、足の大拇指も縛すべし。
第一病人の氣を飲むように張り合いつけるべし。若し向うに飲まるる時は何ほどにしても治せず。蔭鍼(かげばり)にて狐憑きの落ちると云うは此の術なりとありけり。

予は刺鍼を解せざるゆえ他にも鍼家に術ありや否やを知らず。
灸法薬方も『千金方』などに詳らかに見えたり。十三鬼穴など是なり。
仲景の狐惑病は狐憑きのことには非ず。『偶記(叢桂偶記)』に論じ置きたり。狐つきは邪崇と云うものなるに、俗医、狐惑病と覚えたるを時々聞きて笑うべき事と思いしに、『入門(医学入門)』に狐つきと狐惑と書きたる所あり、仍(さ)てはめったに笑われぬものなり。

頃(ちかごろ)南総の名医、津田玄仙子の『経験筆記』を読むに「狐狸秘訣」と云う処に曰く、狐つきは人中の紋ゆがむ。
○喉に「×」此の通りの紋を生ず。
○脇の下に動塊あり。
○手の大指をかくす。
○脈両方背いて斉(そろ)わず、忽(たちま)ち変ず。
右(上)の五証の内、一つ二つもあらば、狐託(つき)のせんき肝要也。巴黄雄薑湯を用いて其の精液を下す。
巴黄雄薑湯方、巴豆・大黄・雄黄・乾薑、各等分、右(左)四味を細末にして一銭ほど湯にて用うべし。大便瀉下するを以て効ありとす。若し治せずんば、又三日ばかり間をおいて用ゆべし。必ず愈える也。後、安神散の類を用いて補うべし。

詐病(けびょう・さびょう)を見つけずに拙(つたんし)と唱らるることあり。元来、奴婢などの主人を偽り病に託するほどの下賤たる人に多ければ、其の智も亦(また)上等の人をあざむくべからずと雖も、姦智巧偽の者は頗る本病に似るものあり。
是は四診にて乍(たちまち)に見分けるべし。猶又、師到れば壁に向かうなど、古人の云う所の如く、不正の心事、正人に対しかぬること彼の狐憑きの如し。
『傷寒論』平脈法に曰く、設令(たとい)壁に向かい臥し、師(医)の到るを聞きても、驚起せず而して盻視(げいし)し、若し三たび言三止、之を脈するに唾を嚥む者は、此れ詐病(さびょう)也。設令(たとい)脈自ら和するも、処して言う、此れ病大いに重し、當に須らく吐下薬を服して、鍼灸数十百処にして乃ち愈ゆるべしと。(設令向壁臥、聞師到、不驚起而盻視。若三言三止、脉之嚥唾者、此詐病也。設令脉自和、處言此病大重、當須服吐下藥、鍼灸數十百處乃愈。)(『醫燈續熖(医灯続焔)』曰く、其の詐を嚇す也)とあり。
予は肘上を縛して脈を閉じたる体にしたるを見たることあり。眼中爽にて言辞、度を失すること多きを以て診したりき。

脈診においても最も重要なのは胃の気

下線部①「たとへは其赤と白を得と見て置けは前よりよきか惡きかと後に計り知ヿなる度〃心を付て見れは…」には、診断において重要なことが記されている。
望診においても、脈診においても共通することであり、当会の「脈の三機」はこのような考え方に基づいている。
この文の後には「熱の伏したる顔色」であれ「狂は発する」「快を得る」「死に近き」もこの変化にて知るであろう。と記されている。

よく脈診初心者には、「平脈ってどんな脈ですか?」「病者の脈が変わるのは分かるけど、その変化が良くなったのかどうか分からない」といった質問はよくある。

たしかに複雑な病態をもつ患者ほど、一回の鍼治で平脈に持っていくことが難しいケースはよくある。従って“平脈を覚えることが重要ではない”ことを理解すべきであり、治療の効果判定を正しく理解し実践することが重要なのである。

狐憑き・邪祟について

本章には「狐憑き」や「邪祟」といった言葉が登場する。
当時は気狂い(発狂などの精神疾患)と心霊や狐狸等に憑かれたもの(狐憑きや邪祟)とを鑑別していた。この手の話は脈診書にも「邪祟の脈」としてその特徴は掲載されている。
打鍼で知られる『鍼道秘訣集』にも「狐つき」の見分け方は記されている。

現代に生きる我々にとって『精神疾患と祟りのようなオカルトと一緒にするなんて馬鹿げている』なんて思う人もいるだろう。
しかし、そもそもが伝統医学にておいて精神疾患のほとんどは身体的な病態の現れに過ぎないという点に注意してほしい。

伝統医学における(一部の)精神疾患・異常行動の病理は、身体の異常が精神に波及し、それが精神異常や異常行動を起こすことになる。
『素問』陽明脈解篇の「実則能登高也」「其棄衣而走者」「陽盛則使人妄言罵詈、不避親疎」「妄走」などの病態と症状はよく知られている。
また『傷寒論』に記される「発狂」「如狂人」「譫語」「如見鬼状」などの症状も同様である。
これらは精神的異常ではあるが、身体的な病態に起因するものとして理解し治療されている。現代医学とはその病の構造が異なるのだ。

従って、精神疾患とオカルトを同列に扱っているわけではなく、両者を如何に鑑別するかによってその処置が大いに変わるのである。

詐病ついて

詐病を診抜く素養も臨床家にとっては必須である。
本文では『傷寒論』平脈法が引用されている。平脈法記載の正確な時代は把握していないが、原南陽の時代(江戸期)そして、現代にも通ずるものがある。
いつの時代にも詐病を装う患者は一定数存在するということであろう。

身体的な病態に起因する精神疾患なのか、メンタル的な不具合に起因する身体症状なのか、はたまた別のモノなのか…これらを見抜く力量が臨床では問われる。

ちなみに詐病の患者を“病”として診断してしまうと厄介である。
詐病患者の中には、無自覚に詐病を装っている者もいる。そして晴れて“病”と認定されてしまうと、それは“解除しようのない病”となってしまう。なぜなら病ではないのだから。
このとき患者にとっては「この病が真なのか?偽なのか?」ではなく「病と診断を受けたことが真」であり、重要なことなのだ。
この状態に執着してしまうと、生半可なことでは解除できない状態に育ってしまう。
このようにみると詐病を見極めることが如何に重大なことなのかが分かると思う。

ちなみに最後の文、原南陽が診たという詐病患者の偽装工作「肘上を縛して脈を閉じたる体にしたる(患者)」は想像すると、可愛らしいものがある。

鍼道五経会 足立繁久

脈論腹候 ≪ 察色 ≫ 病因

原文 察色 『叢桂亭医事小言』より

■原文 

腹候叢桂亭医事小言 巻之一 原南陽先生 口授

察色

扁鵲傳に病之應見大表とて察色大切の見所證候を知る所也。四診の望の字也。顔色聲音呼吸はさたまりたる事は予も知らされ𪜈診察の一にて人相者は一生の吉凶も云ヿ也。さすれは見所多きものと知るへし。さて病人に對したる初日に一〃に心を付て見て置へし。夫より後に變のある時は初日の診とくらへて見ると甚心得になるヿあるもの也。顔色の赤きは上逆、唇の白きは凶兆なるは俗人も知れる所也。
たとへは其赤と白を得と見て置けは前よりよきか惡きかと後に計り知ヿなる度〃心を付て見れは後には熱の伏したる顔色も又狂發するも快を得るも死に近きも知るへし。又、眼中にてみへるヿも有ものなり。平人の喜怒の色は誰も知れる、病者の色は猶更心を用ゆるならは何そ知れさらん。
醫種子に載せたる察色の法を見て、古人の察色を論するヿ如此を知るへし。

嘗て桓公諸候を令するヿを讀むに衛人後れて至る。公朝して管仲と衛を伐んと謀る。退朝して奥へ入れり。衛姫君を望見して、堂を下りて再拜して衛君の罪を請ふ。
公曰、吾衛に於て故なし。子なんそ請ふヿをする。
曰、妾、君の入たまふを望に、足高氣彊し、國を伐の志あり。妾を見て動く色あるは衛を伐也、と申ける。
明日、公朝して管仲を揖して進ましむ。
管仲曰、君は衛を捨たまふか。
公曰、仲文何そこれを知れる。
仲曰、君の朝に揖するや、恭して言を出し玉ふに往〃臣を見て慙る色あり。臣こゝを以て知れりと。
此二人は心を専らにして桓公に事へる故に其容貌を見て其用捨を知れり。若し能心を病者に専らにしなは一望して其病の深遠自然に知るへし。又季札か聞樂て言ふ所も聞法の一義なりといへり。

聲音は力の脱たるは早く知れる處なり。肺癰は聲音にてよく知れるヿあり。肺痿は猶更なり。ひしげたやうにてさびのある聲になり咳嗽まてひしげた様になるものなり。麻疹の咳はよく肺癰に似たり。小兒の痢病なとの經日脱したるは泣聲かなぎり、髙く細くなるもの凶候なり。
氣急する病人、呼吸につれて小鼻の動くは久病ならは死に近し、久病ならぬとも安からぬヿと思ふへし。是を鼻扇と云なり。

爪の色も見所なり。青は寒。紫は瘀血なと論す。黄胖は爪の色潤澤ならす。或は條理髙く垢つき、或はくたけて不長、或は厚くなりてへげる、或は薄くなりて反りてかけるものなり。又黄疸は眼中と爪甲よりはやく見ゆるもの多、皮膚の覆ものなき故に透明して早く黄の見ゆるなり。爪は骨のやうなれ𪜈條理ありて津液こゝに通す。怪我にて強く爪を打と瘀血條理に結して如漆爪をはさむ時に小口より見て血の打ためて凝たるは知るへし。

勞瘵に桃花蛙と云ヿあり、證治要訣云、有面色如故、肌體自充外外看如無病内虚損。俗呼桃花蛙。新に粧者の如し。顔色よろしきとて悦ふヿに非す。決して死を免れす。又惣身顔色ともに痩て両顴はかり赤して紅を粧へたるか如く見ゆるを帯桃花と云。勞瘵に多あらわれ婦人鼓脹にも有る候なり。何れも同く難治なり。外臺云たる崔氏方の五蒸を治する處に嗽後面色白両頬見赤如臙脂色團〃如錢許大左臥即右出。唇口非常鮮赤、若至鮮赤、即極重。十則七死三活とあり、今は醫の拙きにや十に一生なし。

口眼喎斜するは中風にある證なれ𪜈、壮年の人の手足も滞る所なく、俄に口眼歪斜するはやはり中風の一證をあらはせるなり。何の事もなく中風の藥にてよし。其壮實をたのんて酒色過度の人、老来にて發する中風を取越て發したる故諸證不具、一證をあらわせし也。

癩風も口眼喎斜する者あり、肉色をみて麻木を尋ぬへし。中風と違ひ一ケ處つゝに瘀血の凝て不仁する者、其處血色を察すへし。中風と異なり、又毛髪の脱落するや否をも察すへし。

痘は全く察色に在り。其發する部分を以て云は信すへからさるに似たり。痘の多は凶、痘の少は吉と云は天下の知所なれ𪜈、潤澤と乾枯とに吉凶あり。紅鮮と紫黒とに吉凶ありて多少に非す。然れ𪜈少きものは凶候の出るは稀なり。悉くは痘瘡門にて語るへし。

狐つきは望んて知るへし。然れ𪜈狐に上下あり。上狐のつきたるは、まきれやすし。巫祝の言に云、十三種ありて天狐地狐黒狐白狐なと云は、甚奇異なるよし。野狐は自分より口ばしりて、稲荷なり赤豆飯の喰せしめよなんとゝ云にてこれを毉門に託せす直に祈禱にかゝる。
又十三種の内の上狐につかれたるは祈祷も何も構わす、病人とみへるあり。是を毉者に託す。毉者も亦物付か亂心かの堺知れかぬるものなり。中にも亂心かと思へは本心の所もあり。狐つきかと思へは亂心のやうにも見へて一日の中にも色〃になる。夜寝か子或は死せんと欲する真似をして、看病人をつからかすものなり。病人の意氣を得(とく)と見て熟察すへし。能氣をつけて見んとすれは病人いやかるは乱心には少し。又、巫祝の風折と稱するあり。これは益見わけ惡し。是は常につきては居らぬものにて、ちらり〱と風にさそわれたる如くになるよし。
予嘗て巫祝の功者なるに問もとめたる彼教を後に試るに助けになりたるヿ多し。食事をする所を氣を付てみるへし。口もと常ならす。或は大食になる人もあり、或は食事をするに奴婢の外は人を近つけさるものあり。兎角愚人を相手に仕たかるか總て食事にかはり有ものなり。相對して坐したる時、真向に眼と眼を見合せか子必面をそむけ、或は面を伏して両膝へ手をつき肩をすほめすくみたるやうにて面を擧さるは決して乱心に非す。又腋下へ手を着させす後へも人を廽さぬものなり。此外に四診有と云、秘して不傳。

予嘗て試むるに、又印堂むつくりと髙くなりてある時もあり、氣のこりたるなるへし。夫を堅く押ゆれは手足の力ぬける。腋下背上なとの凝たる處も押ゆれは力ぬけるものなり。又背を下より逆に撫れは大に怒るものなり。
さて治は灸治よし、針もよし。紫圓も効あるものなり。烏頭瓜蔕も効はあらんと思へとも未試みす。
又大奇事あり。袂のうちに澤山に毛あるヿは皆人の知る所なれ𪜈、病家の味噌桶の下をみるへし。衣服へついてある毛と同様の毛あるものなり。能利害を説て聞すれは針灸にも及はす治するものあり。治せすは如斯の手叚にせんと云ヿ兼て心得て有故に其術に恐れて治するなれは、攻道具の用意なしには利害はかりにては治すまし。
子啓子嘗て狐つきをおとす針法を傳へられたり。子啓子は相對したるはかりにて針を刺たるヿなく驗ありしよし其法は手の左右の大拇指の爪甲をこよりにて堅く縛、腋下か背後に凝りたるものを力まかせに肘臂の方へ叚〃にひしき出し肘まて出たる時他の腰帯の類にて緊し乄其凝りたる塊の上へ鋒針にて存分に刺へし。治するなり。其ひしき出すとき並〃のヿにては狂躁する故に人を雇て總身をかくるヽ處なきやうに尋てひしき出すへし。此傳を得て後に東門先生へ物語れは足の大拇指も縛すへし。第一病人の氣を飲むやうに張合つけへし。若し向に飲まるヽ時は何ほとにしても治せす。蔭針にて狐つきの落ると云は此の術なりとありけり。予は刺針を不解ゆえ他にも針家に術ありや否やを知らす。灸法藥方も千金方なとに詳かに見へたり。十三鬼穴なと是なり。仲景の狐惑病は狐つきのヿには非す。偶記に論し置きたり。狐つきは邪崇と云ものなるに、俗醫狐惑病と覺へたるを時〃聞て可笑事と思ひしに入門に狐つきと狐惑と書たる所あり、仍てはめつたに笑はれぬものなり。頃南總の名醫、津田玄仙子の經驗筆記を讀に狐狸秘訣と云處に曰、狐つきは人中の紋ゆかむ。○喉に×此通りの紋を生ず。○脇の下に動塊あり。○手の大指をかくす。○脉兩方背て齊はす、忽ち變す。右五證の内一つ二つもあらは狐託のせんき肝要也。巴黄雄薑湯を用て其精液を下す。巴黄雄薑湯方、巴豆大黄雄黄乾薑各等分、右四味細末して一錢ほと湯にて用ゆへし。大便瀉下するを以て効ありとす。若し治せすんは、又三日はかり間をおいて用ゆへし。必愈也。後安神散の類を用て補へし。

詐病を見つけすに拙と唱らるヽヿあり。元來奴婢なとの主人を偽り病に託するほとの下賤たる人に多けれは其智も亦上等の人をあさむくへからすと雖も姦智巧偽の者は頗る本病に似るものあり。是は四診にて乍に見分へし。猶又師到れは向壁なと、古人の云所の如く不正の心事、正人に對しかぬるヿ彼狐つきの如し。
傷寒論平脉法曰、設令向壁臥、聞師到、不驚起而盻視。若三言三止、脉之嚥唾者、此詐病也。設令脉自和、處言此病大重、當須服吐下藥、鍼灸數十百處乃愈。(醫燈續熖曰、嚇其詐也)とあり。
予は肘上を縛して脉を閉たる體にしたるを見たるヿあり。眼中爽にて言辭度を失するヿ多きを以て診したりき。

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