奇経八脈詳解・その1

奇経を学ぶシリーズは『奇経八脈詳解』に

「奇経を学びたい!」とは言うものの、意外と知られていない奇経八脈。

なぜ知られていないと言えるのか?

その理由のひとつに「奇経の病症はいくつか挙げられているが、診断方法が不明瞭」であること。

例えば、奇経病症は難経二十九難にも紹介されているが、その診断基準には触れられていない。
症状だけで診断できるほど臨床は甘くない。このことは賢明なる先生方なら先刻承知のことであろう。

となると、奇経病は何を以て診断すべきなのか?
この点で古文献にて触れられているのが『奇経八脈攷』(李時珍 著)である。
ということで、しばらくは『奇経八脈攷』について、岡本一抱が詳解した『内経奇経八脈詳解』について紹介してみよう。


『内経奇経八脈詳解』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文を紹介。

内経奇経八脉詳解 巻之上

洛下 法橋 岡本為竹一抱子 撰

総論
秦越人、八十一難経の第二十七の難に曰く、脉に奇経八脉という者ありて、十二経に於いて拘らざるは何ぞや?然るなり。陽維あり、陰維あり、陽蹻あり、陰蹻あり、衝あり、督あり、任あり、帯の脉あり。凡そ此の八脉は皆、経に於いて拘わらず。故に奇経八脉というなり云々。滑氏が曰く、奇は正に対して而して言う。猶お兵家の奇正を云うがごとし。孫子に曰く、凡そ戦う者は正を以て合し、奇を以て勝つと。講義に曰く、正を以て示さず、以て敵の来たるを致すこと無し。奇を以て制せざれば、以て敵の敗を致すこと無し。
虞氏が曰く、奇なる者は奇零の奇。不偶の義。いわゆるこの八脉は正経の陰陽に係らず、表裏の配合なくして、道を別(こと)にし、行を奇(こと)にす。故に奇経と曰うなりと。奇は正と奇(こと)なるの義。又そむくの意あり。滑氏、釈する所の義は凡そ十二経は陰陽表裏の配合を致して、その道正しき者なり。故に称して正経と云う。奇経はこの正経に対して奇と云う。蓋し奇経の八脉は陰陽表裏の配合を致さざる者と。これ實に正経に比べ対するときは奇経なり。対の字に於いてその理を存す。独り奇経八脉のみにして何を以てかこれを奇といわん。彼の正経も亦独り十二経のみにして、何を以てか正といわん。十二経は奇経に比ぶるときは則ち正経なり。八脉は十二経に対するときは則ち奇経なり。これを以て猶 兵家の奇正を云うがごとしなりと。兵戦の法、敵に示すに正を以てし、戦うに奇を以てす。示す所の正や、奇より視るときは則ち正なり。戦う所の奇や、正より視るときは則ち奇なり。
奇に対して正、正に対して奇となる者なり。独り離れて豈
奇正の別ある者ならんや。又 虞氏が所謂 奇零とは筭家の言なり。凡そ筭し極めつくして余る所の者を奇零とす。俗に云う“はした”の意なり。不偶とは、物のそろいたるを偶とすれば、不偶も亦はしたの義なり。これ言う心は、奇経の奇は奇零不偶の意義にして、この八脉は十二正経の陰陽表裏配合の相い偶することなくして、一経一経離れて脉道を別にし榮衛の行を奇(こと)にす。實にはしたもの奇零不偶の流れたり。故に奇経と云う。それ奇経八脉とは陽維脉、陰維脉、陽蹻脉、陰蹻脉、衝脉、督脉、任脉、帯脉なり。
陽維脉は諸陽の経を維持(ゆいじ・つなぎたもつ)し、陰維脉は諸陰の経を維持し、陰蹻陽蹻の両脉は脚足の内外を行きて行動の用を致す。衝脉は上下周身に衝通して経絡の海となる。督脉は背を流れて諸陽の脉を督(す)ぶ。任脉は腹を行きて諸陰の脉を任養す。帯脉は腰部を束ねて諸陰陽の経を約す。これ八脉は皆十二経に拘らざる者なり。故に奇経八脉と云う。経に拘らずの義は後に於いて詳註す。

 

経に十二あり。絡に十五あり。二十七気相い随いて上下す。何ぞ独り経に拘らざるや。然り。聖人、溝渠を図り設けて、水道を通利し、以て不然に備う。天雨降下すれば溝渠も溢満す。この時に當って、霶霈(ほうはい) 妄りに作る。聖人も復た図ること能はざるなり。これ絡脉満溢すれば諸経も復た拘ること能はざるなり。
常経は手足六陰六陽十二経あり。絡に陰蹻絡、陽蹻絡、又脾の大絡、十二経の絡ありて十五絡とす。十二経十五絡すべて合して二十七気相い随いて周身に上下す。何ぞ奇経の八脉独り十二経に拘らずや。然るなり。上古聖人溝渠を図り設けて、水道を通利し、水変の不然に備うと雖(いえど)も、もし天雨大いに降下すれば溝渠も溢れ満(み)つ。この時に當りては霶霈妄りに地中に作(おこる)。これに於いて聖人と雖(いえど)も復たこれを図ること能はざるなり。人身の奇経あるも亦これの如し。経の満は絡に注ぐ。絡の満は奇経に流る。故に絡脉満溢して奇経に流るるに於いては十二経と雖も、復た拘ること能はざる者とす。

溝 田間の水道。広さ四尺、深さ四尺。
渠 深広の皃
或る人問う、内経に十五絡と云うは、十二経の十二絡と、督脉の絡、任脉の絡、脾の大絡を以て云う。然るに吾子が右(前)に所謂、陽蹻陰蹻とは何ぞや?
曰く、余が右(前)に謂う所のものは、二十六難の法なり。およそ十五絡の義、内経に在りては汝が言いの如くに見よ。難経に於いては余が言いの如くにして読め。内経と難経、間々同じからざることありと雖もその義に是非なし。實は通論なり。疑うことなかれ。
李時珍 奇経八脉の総説

凡そ人の一身に経脉、絡脉あり、直行を経といい、旁支を絡という。経すべて十二。手の三陰三陽、足の三陰三陽これなり。絡はすべて十五すなわち十二経に各々一つの別絡ありて、而して脾に又一つの大絡あり、任督の二絡を并せて十五と為すなり。 難経には陰絡、陽絡と作る 共に二十七気、相い随いて上下す。泉の流るが如く、日月の行くが如く休息することを得ざる。故に陰脉は五臓を營し、陽脉は六腑を營す。陰陽相い貫き環の端の無きが如く、其の紀を知ることなし。終わりてまた始まる。
その流溢の氣 十二経に流れ溢れる所の気血は 奇経に入りて転(うたた)相い灌漑して、内は臓腑を温め、外は腠理を濡(うるお)す。
奇経すべて八脉、十二正経に拘制せずとは、表裏の配合無ければなり。 この説、右の難経の詳解に詳らかなり。 故にこれを奇と謂う。蓋し正経は猶その溝渠の如し。奇経は猶その湖沢の如し。正経の脉、隆盛なるときは則ち奇経に溢れる。 溝渠満溢すれば湖沢に入ると同じ 故に秦越人、これを天雨降下すれば溝渠も満溢し霶霈妄行して、湖沢に流れるに比らぶ。これ霊素の未だ発せざるの秘を発する者なり。云々。 以上は右(上)の難経の詳解と宜しく参攷すべし也。

○以上の細註、愚が憶註はことごとくその首に圓(円)してこれを別つ。圓(円)無き者は本より時珍の釈する所、以て混することなかれ。

奇経八脉は医家の要道。知らずんばあるべからざる者たり。かの十二経脉は霊枢経脈篇に在りて、その行、昭然たり。後世、経絡の諸書ありて学者これを攷えるに実に得やすし。八脉の如きは素霊難経および甲乙経に略ありといえども諸篇に紛●(糸柔)して後学これを攷えるに得やすからず。且つ構成の医書、汗牛充棟、然れども遂に八脉の全書を見らわさず。伯仁氏、十四経発揮に於いて、始めて奇経八脉の全篇を記すと雖もその言盡せりと云うには非ず。且つ経義の未だ明らかなること間々存せり。
明の瀕湖李時珍、八脉攷を撰す。その言盡せり。その義、明らかなり。備われりと謂うべし。故に余、不敏を以て内経難経および甲乙、十四経等に存する所の奇経八脉の要語を抜きてこれが詳解を著すに、専ら李氏が八脉攷を本として撰述す。

世に十二経の是動所生などの病を知る者は間々或いはこれありと雖も、奇経の生ずる病に於いては世人絶えて知る者なし。嗚呼十二経の陰陽は何れがこれを総べ、何れがこれを約すや。任督蹻衝維帯の八脉を以て手足六陰六陽を総べ維(つな)ぐ。然らば豈これを略してべからんや。古より奇経の中、任督の専穴ある者に於いてはほぼ知る者あり、記す者ありと雖もこれも亦ただその腹背の中行のみを辨じて、その行の詳らかなるに及ぶ者あることなし。およそ衝脉は十二経の海、蹻維帯任督は陰陽の総約たるときは疾病の因、治療の本、この八脉奇経に在り。その奇経とは正経に対して号(なづく)るのみ。苟(いやしく)も奇の字に拘りてこれを略する者は非にして非なり。

時代によって異なる奇経観?

李時珍に(1518-1593年)は『本草綱目』の著者として知られるが、他にも『奇経八脈攷』『瀕湖脈学』を著している。
本記事はこの『奇経八脈攷』を下敷きに岡本一抱が詳解した『奇経八脈詳解』を紹介する。

奇経シリーズの記事として『難経』や『十四経発揮』(元代 滑伯仁)があるが、同じ奇経とはいっても元代と明代では大きく変わる点がある。以前にアップした記事と比較してもらいたい。 難経二十八難十四経発揮

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