霊枢 口問篇第二十八 原文と書き下し文と

霊枢 口問篇第二十八のみどころ

口問篇には岐伯が師より授かった秘伝について記されている。
冒頭は黄帝さまの語りから始まる「余は既に九鍼の経論を聞き、陰陽逆順、六経についても既にマスターした。願くば口伝を聞きたい。」と。その黄帝さまの言葉に岐伯先生は「よき哉、よき問い、よき志ですぞ。これは師の口伝とする話ですが、よろしいかな。」とあっさり口伝を伝授する流れになっている。

学ぶ者にとって、秘伝・口伝という言葉はなんとも魅力的に響く言葉である。本篇では「欠」「噦」「唏」「振寒・寒慄」「噫」「嚏」「嚲」「哀而泣涕出」「太息」「涎下」「耳中鳴」「齧舌」といった病症から日常に起こる生理現象まで、列挙しその起こる理を述べている。これらの理が口伝秘伝というのも実に奥深い。

欠(あくび)や噦(しゃっくり)、噫(おくび・げっぷ)や嚏(くしゃみ)、太息(ためいき)や涙の出る理由など知らずとも、治療には何の関わりも無いと思う人は多いだろう。しかし、ここに大いなる意味があるのだ。
当会のすべての講座では、病理や治療技術よりも優先して生理学を主に学ぶ。それは上記に書いていることと同じ理由なのだ。
それでは本文を読みすすめてみよう。


※『霊枢講義』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

霊枢 口問第二十八

書き下し文・霊枢口問第二十八(『甲乙経』無し、『太素』巻二十七 十二邪、『類経』巻十八 疾病類 79口問十二邪之刺)

黄帝 閒居し左右を辟して、岐伯に問うて曰く、余は已に九鍼の経論を聞き、陰陽逆順、六経を已に畢わる、願くば口問を得ん。
岐伯、席を避け再拜して曰く、善き哉問い也。此れ先師の口伝とする所也。
黄帝、願くば口伝を聞かん。
岐伯答て曰く、夫れ百病の始生たるや、皆な風雨寒暑、陰陽喜怒、飲食居處に生ず。大驚卒恐するときは則ち血氣分離し、陰陽破散し、経絡厥絶して、脈道は通ぜず、陰陽相い逆して、衛氣は稽留して、経脈虚空にして、血氣は次せず、乃ち其の常を失う。論、経に在らざる者、請う其の方の道たるを。

黄帝曰く、人の欠(けつ・あくび)する者、何の氣の然らしむるか?
岐伯答えて曰く、衛氣は晝日は陽を行り、夜半は則ち陰を行る。陰は夜を主り、夜は臥す①。陽は上を主り、陰は下を主る。故に陰氣は下に積み、陽氣は未だ盡きず、陽は引きて上り、陰は引きて下る、陰陽相い引く、故に数(しばしば)欠する。
陽氣盡き陰氣盛んなるときは則ち瞑し、陰氣盡きて陽氣盛んなるときは則ち寤めるなり。
足少陰を寫し、足太陽を補う。

黄帝曰く、人の噦する者は、何れの氣の然らしむるか?
岐伯曰く、穀の胃に入るれば、胃氣は上りて肺に注ぐ。今、故の寒氣と、新しき穀氣と俱に胃に還り入ること有り。新故相い乱れて、眞邪相い攻め、氣并せて相い逆して、復た胃に出づる、故に噦を為す。
手太陰を補い、足少陰を寫する。

黄帝曰く、人の唏(すすり泣く・なげく・悲しむ)する者は、何れの氣の然らしむるか?
岐伯曰く、此れ陰氣盛んにして陽氣虚す、陰氣は疾くして陽氣は徐し、陰氣盛んにして陽氣絶する、故に唏を為す。
足太陽を補し、足少陰を寫する。

黄帝曰く、人の振寒する者は、何れの氣の然らしむるか?
岐伯曰く、寒氣の皮膚に客し、陰氣盛んにして陽氣は虚する、故に振寒寒慄するを為す。
諸陽を補う。

黄帝曰く、人の噫する者は、何の氣の然らしむるか?
岐伯曰く、寒氣の胃に客して、厥逆すること下従(よ)り上りて散じ、復た胃に出る、故に噫を為す。
足太陰、陽明を補う、一つに眉本を補うと曰う也。

黄帝曰く、人の嚏する者は、何れの氣の然らしむるか?
岐伯曰く、陽氣和利して、心に満ち、鼻に於いて出づる、故に嚏を為す。
足太陽榮、眉本を補う、一つに眉上と曰う也。

黄帝曰く、人の嚲(たん)(※『太素』では撣としている。「胃氣不實、穀氣少也。穀氣既少、脈及筋肉並虚懈惰、因此行陰。行陰、入房也。此又入房用力、氣不得復、四支緩縦。故名為撣。撣、云干反、牽引也。謂身體懈惰、牽引不収也。」としている。)する者は、何れの氣の然らしむるか?
岐伯曰く、胃の実せざるときは則ち諸脈虚する。諸脈虚すときは則ち筋脈懈惰す。筋脈懈惰するときは則ち陰を行いて力を用いれば、氣は復すること能わず。故に嚲を為す。其の在る所に因りて分肉の間を補う。

黄帝曰く、人の哀みて泣涕の出づる者は、何れの氣の然らしむるか?
岐伯曰く、心とは五臓六腑の主也。目とは宗脈の聚まる所也②、上液の道也。口鼻は氣の門戸也。
故に悲哀愁憂するときは則ち心動ずる。心動ずるときは則ち五臓六腑は皆揺らぐ、揺らぐときは則ち宗脈感ずる。宗脈感ずるときは則ち液道開く、液道の開く故に涕泣出づるなり②’
液は精を灌ぎて空竅を濡おす所以のもの也。故に上液の道開くときは則ち泣(なみだ)し、泣(なみだ)出でざるときは則ち液竭きる、液の竭きるときは則ち精は灌がず、精の灌がざるときは則ち目の見える所無し。故に命じて奪精と曰う。
天柱経の頚を挟むものを補う。

黄帝曰く、人の大息する者は、何れの氣の然らしむるか?
岐伯曰く、憂思するときは則ち心系急する、心系急するときは則ち氣道約する、約するときは則ち利せず、故に大息して以て伸ばして之を出す。
手少陰、心主を補い、足少陽に之を留むる也。

黄帝曰く、人の涎下する者は、何れの氣の然らしむるか?
岐伯曰く、飲食は、皆な胃に入る、胃中に熱有れば則ち蟲動く、蟲動くときは則ち胃緩む、胃緩むときは則ち廉泉開く、故に涎下する。
足少陰を補う。

黄帝曰く、人の耳中鳴なる者は、何れの氣の然らしむるか?
岐伯曰、耳は宗脈の聚まる所也③、故に胃中空なれば則ち宗脈虚する、虚するときは則ち下に溜まり、脈に竭きる所の者有り、故に耳鳴す。
客主人、手の大指爪甲上と肉との交わる者を補する也。

黄帝曰く、人の舌を齧る者は、何の氣の然らしむるか?
此れ厥逆、上に走りて、脈氣輩(ならび)至る也。少陰の氣至るときは則ち舌を齧み、少陽の氣の至るときは則ち頬を齧み、陽明の氣の至るときは則ち唇を齧むなり。病を主る者を視て則ち之を補う。

凡そ此れら十二邪の者は、皆な奇邪これ空竅に走る者也。故に邪の在る所は皆な不足を為す。
故に上氣不足するは、脳これが為に満たず、耳はこれが為に鳴に苦しみ、頭これが為に傾に苦しみ、目これが為に眩む。
中氣不足すれば、溲便これが為に変じて、腸これが為に鳴に苦しむ。
下氣不足するときは則ち乃ち痿厥し心悗す。
足外踝の下を補い之を留む。

黄帝曰く、之を治すること奈何?
岐伯曰く、腎は欠を為すことを主り、足少陰を取る。
肺は噦を為すことを主り、手太陰、足少陰を取る。
唏は陰と陽と絶する、故に足太陽を補い、足少陰を寫する。
振寒する者は、諸陽を補う。
噫する者は、足太陽、陽明を補う。
嚏する者は、足太陽の眉本を補う。
嚲は其の在る所に因りて分肉の間を補う。
泣(なみだ)出づるは天柱の頚を侠むを経るを補う。頚を侠むとは頭の中分也。
大息するは、手少陰、心主を補い、足少陽に之を留む。
涎下するは、足少陰を補う。
耳鳴するは、客主人、手の大指爪甲上と肉との交わる者を補う。
自ら舌を齧むは、病の主る者を視て則ち之を補う。
目眩み頭傾くは、足の外踝の下を補い之に留む。
痿厥心悗するは、足大指の間の上二寸を指し之に留むる、一に足外踝の下之に留むと曰う。

衛気の行りを知っておくこと

下線部①「衛気は昼日は陽を行り、夜半は則ち陰を行る」この言葉は、営衛生会篇に記されいる。
続く文に「陽氣尽き陰氣盛んなるときは則ち瞑(眠)し、陰氣尽きて陽氣盛んなるときは則ち寤(覚)める」とあるが、これは睡眠のサイクルについての基本的な陰陽論である。

天地の陰陽と人体の陰陽は相い応じているものである。
陽が減衰し尽きる時には陰が盛んとなり(陰陽消長)人は眠る。陰が減衰し陽が盛んになる頃には人は目覚める。
これは至極当たり前のことであるが、これを今風にいうとサーカディアンリズム(概日周期)である。
東洋医学は天地の氣の運行を常にみているため、現代医学よりも周期・リズムについて当時から詳しい。ここで触れた陰陽の周期リズムはホンの一端に過ぎない。

さて、衛気の行りについて話を戻そう。
これまで営気の行りについては各記事で触れてきた。例えば「一呼脈再動、氣行三寸。一吸脈亦再動、氣行三寸。呼吸定息、氣行六寸。」(『霊枢』五十営)などが営気の性質をよく表わしている言葉である。
営気は二十八脈(計16.2丈)を百刻(24時間)の内に五十周する。これが営気の特徴の中でも最も重要である“規則性”である。

しかし営気=規則性としてしまうと、対する衛気は慓悍の気質が強いがために“不規則性”が衛気の特徴だと思われるかもしれない。
それもまた誤解である。衛気は衛気で営気とは異なる運行の規律を持っているのだ。
それを表わすのが上記の言葉「衛氣晝日行於陽、夜半則行於陰」である。

衛気は昼夜における運行リズムを持っている。もちろん前述の営気が持つ昼夜のリズム(五十営)とは異なる形である。
その上で本篇の文では昼夜・瞑寤というのは衛気の性質の一面についての大きなヒントとなると思われる。この点は奇経八脈を詳しく学ぶと符合してくるものがあるだろう。
この衛気の運行については追々、記事にしていこうと思う。

ともあれ欠(あくび)一つとってもそのからくりを理解することで、営衛の理解を深めることにつながるのだ。

宗脈ってナニ???

下線部②「目は宗脈の聚まる所なり」そして下線部③「耳は宗脈の聚まる所なり」

耳目ともに宗脈が聚まる器官であるという。この宗脈とはいったいどのような脈を言うのだろうか?
このことを理解するためにも、まずは涙が出る機序を読んでみよう。

「悲哀愁憂するときは則ち心動ずる。心動ずるときは則ち五臓六腑は皆揺らぐ、揺らぐときは則ち宗脈感ずる。宗脈感ずるときは則ち液道が開く、液道が開く故に涕泣出づるなり」
と、下線部②’にあるように、まず泣くには「心が動ずる」つまり感動しなければならない。心が動ずることで五臓六腑は揺らぎ、宗脈が感ずるという。
この涙のストーリーは『素問』解精微論第八十一とかなり近しいと思われる。

解精微論では、主に心神と腎志・腎精の両者の関係にフォーカスが当てられていたが、本篇では心神が動ずることで五臓六腑が揺らぐという。五神・七神を蔵する五藏が揺らぐことはイメージしやすい。しかし五臓の動揺のみならず「宗脈が感ずる」という説明が加えられている。ここで『宗脈とはなんぞや???』と疑問が生じてしまう。

ここで歴代の医家たちの知恵を拝借しよう。楊上善は『太素』にて張景岳は『類經』にてそれぞれ以下のように述べている。

楊上善の註

手足の六陽、及び手少陰、足厥陰等の諸脈は目に湊まる。故に宗脈の聚まる所と曰う。大小便を下液の道と為し、涕泣を以て上液の道と為す。…

■原文
手足六陽及手少陰、足厥陰等諸脈湊目。故曰宗脈所聚。大小便為下液之道、涕泣以為上液之道。…

張介賓の註

宗とは総べる也。凡そ五臓六腑の精氣は、皆な目に上注して之を精と為す。故に目は宗脈の聚まる所と為す。又、上液の道と為す。氣は口鼻より出入する故に(口鼻を)氣の門戸と為す。

■原文
宗、総也。凡五臓六腑之精氣、皆上注於目而為之精。故目為宗脈之所聚。又為上液之道。氣由口鼻出入、故為氣之門戸。

・・・一見したところ『宗脈とは●●である!』と断言してくれる言葉は見つからない。

『素問』五臓生成論にも「諸脈は皆な目に属する、諸髄は皆な脳に属する(諸脈者皆属於目、諸髄者皆属於脳)」という言葉もあり、張介賓の言葉(「宗は総べる」の意)から、諸脈が目に連なり属するという解釈も是であろう。

また目系という言葉も『霊枢』経脈篇、大惑論に登場する。
経脈篇で記されるには「心経は目系に繋がり」「肝経は目系に連なる」という。
この目系の説明に楊上善は『太素』巻八 経脈之一において興味深い表現をしている。

筋骨血氣の四種の精と脈と合して目系と為す。心脈は目系に系(つな)がる故に心病めば目を閉ざす也。

■原文
筋骨血氣、四種之精與脈合為目系。心脈系於目系、故心病閉目也。

と、このように宗脈を始め、目に関わる系に関する情報を集めてみると、思い出されるのは『素問』痿論篇第四十四である。

悲哀太甚しきときは則ち胞絡絶す。胞絡絶するときは則ち陽氣内動す。発するときは則ち心下崩し、数(しばしば)溲血する也。
故に本病に曰く、大経空虚なれば、発して肌痺と為す、傳えて肺痿と為す。思想窮まり無く、願う所を得ざれば、意は外に淫し、房に入ること太甚しければ、宗筋は弛緩す、発して筋痿と為す、及び白淫を為す。

■原文 …悲哀太甚、則胞絡絶。胞絡絶、則陽氣内動。発則心下崩、数溲血也。故本病曰、大経空虚、発為肌痺、傳為肺痿。思想無窮、所願不得、意淫於外、入房太甚、宗筋弛緩、発為筋痿、及為白淫。

『素問』痿論篇で述べている「悲哀太甚であれば則ち胞絡は絶す。」悲哀という大きな精神の動揺によって、胞絡が絶えるのである。これによって各種病態につながるのだが、上記の楊氏、張氏のいう宗脈に近しいものを感じるの私だけであろうか。

なぜ突然に胞絡という概念を登場させたかというと、胞絡は心と腎を結ぶ存在であり、『素問』解精微論でいう涙を流す機序に於いては重要な存在でもあるからだ。

ここで胞絡に関係する『素問』の評熱病論および奇病論の一節を抜粋する。
「胞脈とは心に属して胞中に絡す。」(評熱病論)「胞絡とは腎に繋がる,少陰の脈は腎を貫き舌本に繋がる。」(奇病論)とあり、この語句からは胞絡は心と腎とを結ぶ系としても考えることができる。

『霊枢』口問にある宗脈と『素問』各論にある胞脈・胞絡が同一の存在である、とは言わない。しかし両者は近しい系統の内に含まれる器官ではないかと推察する次第である。

生きた学と死んだ学

「欠(あくび)」「噦(しゃっくり)」「噫(おくび・げっぷ)」「嚏(くしゃみ)」「太息(ためいき)」「涙の出る理由」…などなどの機序を解したところで、『素問』解精微論にあるように「治に於いて無益なり(治療とは関係のないこと)」と感じる人もいるかもしれない。

しかし、日常に起こる生理現象の中に“理”があると私は考える。
生きた学を学ぶということはここにあるのだと思う。

東洋医学系医書のほとんどは病的状態の人体学を学ぶ。『傷寒雑病論』はもちろん『難経』の大半もそうである。(もちろん往時の医家たちは、既に基礎をしっかり踏まえていたハズとする。)
しかし現代日本における東洋医学では大まかな臓象学、臓腑弁証をはじめとする各病的弁証を学ぶ。実際に本篇のように日常の生理現象から学ぶ機会は稀有であろう。
これらの情報だけで実際に生きた人間を診ようとすることに無理がある。限られた情報だけで、千変万化する現実を捕捉することは不可能であり、多くの鍼灸師は『東洋医学ではダメだ…』とネガティブ方向に思考が限定・固定されてしまう。いわゆる“死んだ学問”を学ぶ典型であろう。
病理だけでなく生理もすべて含めた人体観のみならず生命観・世界観までを構築する。ここまでできてようやく“生きた学問”と呼べるようになるのではないかと思う。
とくに鍼灸医学は観念的な要素が多分にあるため、上記のように生命観・世界観までを揺るぎないレベルにまで築きあげておくことは必須である。

MEMO 見慣れぬ病症名「嚲(たん)」

※嚲(たん)について、『太素』では撣という文字で表わしている。楊上善の註は以下の通りである。

「胃氣実せざれば、穀氣は少なり。穀氣既に少ければ、脈及び筋肉は並びに虚して懈惰する。此れに因り行陰すればー行陰とは入房(房事)のことなりー。此れ又 入房・用力(強力)して、氣は復すること得ざれば、四肢は緩縦する。故に名を撣と為す。撣とは干して反するを云う、牽引なり。謂ゆる身體懈惰、牽引して収せざる也。」
■ 胃氣不實、穀氣少也。穀氣既少、脈及筋肉並虚懈惰、因此行陰。行陰、入房也。此又入房用力、氣不得復、四支緩縦。故名為撣。撣、云干反、牽引也。謂身體懈惰、牽引不収也。

なるほど、、、嚲については以上までとする。

鍼道五経会 足立繁久

周痺第二十七 ≪ 口問第二十八 ≫ 師傳第二十九

原文 霊枢 口問第二十八

■原文 霊枢 口問第二十八

黄帝閒居、辟左右而問於岐伯曰、余已聞九鍼之経論、陰陽逆順、六経已畢、願得口問。
岐伯避席再拜、曰、善乎哉問也。此先師之所口傳也。
黄帝、願聞口傳。
岐伯答曰、夫百病之始生也、皆生於風雨寒暑、陰陽喜怒、飲食居處、大驚卒恐、則血氣分離、陰陽破散、経絡厥絶、脈道不通、陰陽相逆、衛氣稽留、経脈虚空、血氣不次、乃失其常、論不在経者、請道其方。

黄帝曰、人之欠者、何氣使然。
岐伯答曰、衛氣晝日行於陽、夜半則行於陰。陰者主夜、夜者臥。陽者主上、陰者主下。故陰氣積於下、陽氣未盡、陽引而上、陰引而下、陰陽相引、故数欠。
陽氣盡陰氣盛則瞑、陰氣盡而陽氣盛則寤矣。
寫足少陰、補足太陽。

黄帝曰、人之噦者、何氣使然。
岐伯曰、穀入於胃、胃氣上注於肺、今有故寒氣、與新穀氣俱還入於胃、新故相亂、眞邪相攻、氣并相逆、復出於胃、故為噦。
補手太陰、寫足少陰。

黄帝曰、人之唏者、何氣使然。
岐伯曰、此陰氣盛而陽氣虚、陰氣疾而陽氣徐、陰氣盛而陽氣絶、故為唏。
補足太陽、寫足少陰。

黄帝曰、人之振寒者、何氣使然。
岐伯曰、寒氣客於皮膚、陰氣盛陽氣虚、故為振寒寒慄。
補諸陽。

黄帝曰、人之噫者、何氣使然。
岐伯曰、寒氣客於胃、厥逆従下上散、復出於胃、故為噫。
補足太陰、陽明、一曰補眉本也。

黄帝曰、人之嚏者、何氣使然。
岐伯曰、陽氣和利、満於心、出於鼻、故為嚏。
補足太陽榮眉本、一曰眉上也。

黄帝曰、人之嚲者、何氣使然。
岐伯曰、胃不實則諸脈虚、諸脈虚則筋脈懈惰。筋脈懈惰則行陰用力、氣不能復、故為嚲。因其所在補分肉間。

黄帝曰、人之哀而泣涕出者、何氣使然。
岐伯曰、心者五藏六府之主也。目者、宗脈之所聚也、上液之道也。口鼻者、氣之門戸也。故悲哀愁憂則心動、心動則五藏六府皆揺、揺則宗脈感、宗脈感則液道開、液道開故涕泣出焉。
液者、所以灌精濡空竅也。故上液之道開則泣、泣不出則液竭、液竭則精不灌、精不灌則目無所見矣。故命曰奪精。
補天柱経挟頚。
黄帝曰、人之大息者、何氣使然。
岐伯曰、憂思則心系急、心系急則氣道約、約則不利、故大息以伸出之。
補手少陰心主、足少陽留之也。

黄帝曰、人之涎下者、何氣使然。
岐伯曰、飲食者、皆入於胃、胃中有熱則蟲動、蟲動則胃緩、胃緩則廉泉開、故涎下。
補足少陰。

黄帝曰、人之耳中鳴者、何氣使然。
岐伯曰、耳者、宗脈之聚也、故胃中空則宗脈虚、虚則下溜、脈有所竭者、故耳鳴。
補客主人、手大指爪甲上與肉交者也。

黄帝曰、人之齧舌者、何氣使然。
此厥逆走上、脈氣輩至也。少陰氣至則齧舌、少陽氣至則齧頬、陽明氣至則齧脣矣。視主病者、則補之。

凡此十二邪者、皆奇邪之走空竅者也。故邪之所在皆為不足。
故上氣不足、脳為之不満、耳為之苦鳴、頭為之苦傾、目為之眩。
中氣不足、溲便為之變、腸為之苦鳴。
下氣不足、則乃為痿厥心悗。
補足外踝下留之。

黄帝曰、治之奈何。
岐伯曰、腎主為欠、取足少陰。肺主為噦、取手太陰、足少陰。唏者陰與陽絶、故補足太陽、寫足少陰。振寒者、補諸陽。噫者、補足太陽、陽明。嚏者、補足太陽眉本。嚲因其所在補分肉間。泣出、補天柱経侠頚、侠頚者、頭中分也。大息、補手少陰心主、足少陽留之。涎下、補足少陰。耳鳴、補客主、手大指爪甲上與肉交者。自齧舌、視主病者則補之。
目眩頭傾、補足外踝下留之。痿厥心悗、刺足大指間上二寸留之、一曰足外踝下留之。

 

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