曲直瀬道三の医の五十七ヶ条『切紙』より

医たる者のための五十七ヶ条

曲直瀬道三の書『切紙(きりがみ)』には「五十七箇条」なる章がある。
医が慎み持つべき教え、即ち医家が己を戒め心に持する法を記している。
五十七ヶ条といえば、近代には浅田宗伯の「栗園医訓五十七則」(『橘窓書影』に収録)があるが、これはもしかしたら曲直瀬道三の五十七箇の影響を受けているのかもしれない。
(➢リンク「栗園医訓五十七則」その1その2その3その4その5


※『切紙』画像は京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下、黄枠内が書き下し文。記事末の青枠内が原文です。

五十七箇条・書き下し文

五十七ヶ条

醫工 宜しく慎持すべきの法

一、仁を慈しむ

一、脉證を察して病名を定むべき事

一、必ず先ず患者の肯信と惰猜とを察し可し也。

一、百病、初受と盛甚と困危とを察すべきの事

一、滋仁とは

「医は仁術」といった言葉がある。
この言葉を知らない医療者もいないだろう。もしかしたら“仁術”という言葉を拠りどころにしている先生方もおられるかもしれない。

しかし、一般的な解釈として多く見受けられるのが“仁愛”としての意味合いである。すなわち無償の愛を基とした医、それが仁術…といったイメージを持つ人が多いが、その解釈を手放しで共感することが難しい。

仁の意味を考えると「二人が対等に相親しみこと、人として接すること。」(『漢字源』解字の文より)が私好みの意見である。
“対等に人として接すること”が仁であり、ただ無償の愛を提供するといった姿勢は対等ではないと思えるのだ。

とくに治療家と患者の関係を考えると、間違えてはいけないことが明確になる。
仮に患者を川で溺れる者と譬えるならば、治療者は彼らを救い助ける立場にある。しかし溺れる人を助けるには川に飛び込んで一緒に溺れるわけにはいかない。冷静に岸辺に立って、互いに助かる道筋を示し、手を差し伸べることが仕事なのである。

近年は“共感”が大事とばかりに、病者に寄り添う姿勢を求められるシーンが多いが、我々治療家にとっては共感が第一の仕事ではなく、治療することが最優先なのである。

東洋医学では“個”に基づく病態や心身ともに診察・診断することが求められるため、自然と患者の“個”としての情報や感情の動きを理解することになるが、この点は気を付けなければならない。

また蒼流庵主がその易学講座にて曰く「仁という文字には種という意が含まれています。桃仁・薏苡仁・麻子仁…など。すなわち仁術というからには、ただ治すのではなく芽生えを起こす行為こそが仁術ではないでしょうか」と。

まさしくその通りである。観方によっては、病に罹るということは何がしかの意味があるともいえる。病を得て、そして治る過程で何らかの気づきを得る…そのことに導くこともまた仁術といえるのではないだろうか。

…と、以上のように曲直瀬道三がイの一番に「滋仁」を挙げたことに深い意味を考えてみたいものである。

察することの大事

これより続く条文には「察す」という言葉が使われている。道三は「察証弁治」という言葉を用いており、かの『啓廸集』も実際に書を紐解けば『察證辨弁治啓廸集』と記されいる。

現代、中医学を学ぶ者にとっては「弁証論治(証を弁えて治を論ずる)」が馴染みある言葉である。しかし「察証弁治(証を察して治を弁える)」となると、証(症状をはじめとする幾多の情報)を弁えるのか、それらを察するのかでは大きな違いとなる。

この「察する」という言葉のニュアンスも臨床家にとっては非常に意味深いものであろう。

一、脉證を察して病名を定むべき事

病名を決定することの順序を説いている。脈と証(症状などの情報)を察してから病名を決定せよ、と一見したところ当たり前のことを言っています。
しかし、現場ではこの当たり前のことが難しいものである。

例えば、現代のように近代西洋医学が優位にある医療環境において、東洋医学を実践する者にとっては「脈と証などの各情報を先に、病名は後」というのが難しい。なぜなら患者さんは問診中に「病院では●●の診断と言われた」「持病は○○病で…」と、先に病名を提示してくれるからだ。
そうなると、西洋医学を基盤に教育を受けた者にとっては、その情報(病名)が大きな制約となる。問診をはじめ四診によって情報を集めれば集めるほどに、実は自身の思考を縛る情報になり得ることも知っておくべきであろう。つまりは“情報の扱い方”なのであるが、それを知らない人間にとっては自身が制約を受けていることにすら気付かないことも往々にしてあるものである。

それ故に“弁証”ではなく“察証”との言葉を慮るべきでもあろう。

一、必ず先ず患者の肯信と惰猜とを察し可し也。

肯信とは「肯定」と「信用」といった意味あいであろう。
惰猜とは「惰(あなどる・軽視する)」と「猜(うたがう)」といった二字の組合わせである。

「肯信」と「惰猜」は患者さんが抱えている心情である。人によっては「肯信」、また人によっては「惰猜」を抱えて鍼灸院に訪れるものである。

そして胸に秘めた感情が「肯信」なのか、はたまた「惰猜」なのかによって、その後の治療の導き方がガラリと変わる。これはその時の治療内容だけではない。二診三診以降の治療の展開が大きく異なるのだ。
なぜなら患者さんの心情が「肯信」か「惰猜」かによって、治療中のみならず普段の生活も変わるのだから。これも臨床経験がある先生方ならば、大いに経験済みのことでもあろう。

そして「肯信」か「惰猜」かは問診で確かめるものではない。察すべき心情なのである。

一、百病、初受と盛甚と困危とを察すべきの事

初受・盛甚・困危の言葉の意味はわざわざ書くまでもないだろう。
さて、どんな病にも、初受・盛甚・困危がある。急性病、とくに熱病であれば、これら初受・盛甚・困危は分かりやすい。

イメージするならば「病の波・リズム」である。
しかし病症変化や進行の緩慢な慢性病にもやはり病の波がある。治療の易難は、この病の波を捕捉するか否かに左右される、と言っても過言ではないだろう。

…と、五十七ヶ条のうちのたった四ヶ条しかとり上げていないが、現代の治療家が学ぶべきところが多い文に感じる。
ただ医学的な知識や経験に基づいた内容なのではなく、人の心情を察して臨床医学と臨床医療に組み込むことを示唆しているように感じる。

残りの条文含め、五十七ヶ条の全文(原文)は以下に書き写しているので興味がある方は参考にしていただきたい。

鍼道五経会 足立繁久

■原文 五十七箇条

五十七箇條  醫工宜慎持之
一、慈仁
一、察脉證而可定病名事
一、必先可察患者旨信與惰猜也
一、百病可察、初受盛甚困危事
一、不執一識矣
一、不可拘古方而通舊法則佳也
一、可殫四知之術叓
一、暴新病久痼疾可別治也
一、可問素常肥痩矣
一、可辨察病因也
一、隨方土而異治則佳矣
一、治未病不治已病
一、四時正氣與不正氣預可勘知之
一、信巫不信醫之患者治之而无効
一、少年壮盛老衰可異治叓
一、諸證先必可定血氣之衰旺
一、男婦有尺寸之別診氣血之異治也
一、諸治有三問矣、是療疾之規矩也
一、上焦順痞  飲食多少  膈痰通否
二、中焦強弱  剋化遅速  膨脹緩急
三、下焦通塞  二便滑秘  元精強羸
一、治腎虚則診両尺而可弁水火別補也
一、診女脉則必先可決胎姙有無矣
一、諸病先明八要〈虚實冷熱〉〈邪正内外〉也
一、諸疾皆因陰陽偏勝其治不過守中、是當流之奥義也
一、兵者凶器也藥者攻邪物也
雖無毒平味之薬無可攻之病則必不可用之
況於有毒偏氣之薬乎
一、諸熱即可弁燥湿
潔古曰熱而尿不利
湿熱熱而尿利燥熱
一、諸疾平愈而後再發之時〈或俄初治〉〈或依他療〉
一、庸醫悉重貴藥輕賤味、當流不然以中病貴之、以不中病賤之
一、陰陽虚實必可分別〈經曰陽盛則外絶、陽虚則外冷〉〈陽盛則内冷、陰虚則内熱〉
一、胃水穀之海、藥亦入胃。若胃氣弱則藥剤、雖入胃不能運化病處。
故諸治助胃氣之藥剤不可闕之。猶又可隨胃之虚實耳。
一、縁衛氣栄血虚實、穀肉水液調養、分別之事。
一、灸穴之樞要可記臆。
一、諸病不治之證、不順之脉。
一、誤施診治、則莫憚改之。
一、小兒諸疾不可定得効之可否也。
一、久病沈痼癖積癥瘕之類、頓不可求効之叓
一、卒病暴患之丸散、預蓄藥剤、兼調和事。
一、湯散丸之分別。
一、藥剤七情之分別。
一、藥剤氣味之弁察。
一、生熟炮製不越法則。
一、銅鉄之禁忌不可侮之。
一、姙婦禁忌之藥味、并飲食之忌戒。
一、三停之病、食前食後之用藥。
一、岐加、峻減、是下工也。
一、服藥之頃、要用同性同氣之飲食。
一、單行奇方、不能治大病痼疾。
一、治諸虫之湯丸、自朔至五之頃、而已用之。
一、湯丸之題銘、以藥名不可記之、以治德可記焉。
一、宜禁楮傍藥禁之飲食可記之、并月禁不可闕之。
一、七方之分別。〈大小緩急奇耦復〉
一、十二剤之異治。〈宜通補泄輕重渋滑燥湿寒熱〉
一、諸疾平愈、即戒沐浴酒色矣。
一、當年、司天在泉、運氣之虚實、六氣主客、粗可記臆叓。
一、𣳾定羪生曰、〈岐黄問答、醫之法也〉〈臨机(機)應変、醫之意也〉
以醫意用聖法、非妄意也。
一、醫家大法曰、治上必妨下、治下必妨上
一、病脉相反聖規
一、經曰、〈病熱脉静〉〈泄而脉大〉〈脱血脉實〉〈汗後脉躁〉此皆難治
一、秤量之分別  廣秤与半秤
大分小分之異
升合之分別
尺寸之分別以上、五十七事者指南醫士之規矩、療養患者之櫽栝也。不為當流之門弟者、雖一事不可許之。誠活人之階梯也。非師弟相對授之、不得其妙旨矣。元亀第二(辛未)年九月十三日 六十歳書焉
洛下 雖知苦戸 盍静翁 道三

 

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