死脈を考える 4 胃の気と脈

鍼道五経会の足立です。
シリーズ「死脈を考える」の再開です。

二人の名医、曲直瀬道三と永田徳本

前回までは呼吸と死脈にフォーカスを当てていましたが、今回からは胃の気編がスタートします。
今回は脈で胃の気が有るのか?無いのか?を診分ける方法を紹介します。

といっても、この方法が書かれてあるのが曲直瀬道三の系統の脈診書と永田徳本の系統の脈診書です。

日本の医学界では曲直瀬道三は超有名人ですが、永田徳本も有名人です。
鍼灸師ならばお二人のお名前だけでも覚えておくべきでしょう。

曲直瀬道三(1507-1594)と永田徳本(1513-1630)は生没年をみても同時代に生きた医者だといえます。曲直瀬道三については当サイト記事「曲直瀬家と吉益家のお墓参り in 金沢市」でも触れました。
しかし、曲直瀬道三の逸話はたくさんありますので、ひとつの記事だけで紹介しきれるものではありませんね。
また、別の死脈ネタで曲直瀬道三の逸話を紹介したいと思います。

今回は永田徳本の逸話を少し紹介します。

さすらいの名医・永田徳本

永田徳本は戦国時代~江戸時代初期に生きた名医として知られています。その生きざまから“さすらいの名医”といった表現が似合う人で、牛にまたがり、または首に薬袋をぶら下げて各地で医療活動を行ったという逸話が残っています。

そして治療代は十六文(十八文)しか受け取らないというポリシーをお持ちだったそうで…(時には無報酬だったという話も)
ネット調べでは江戸初期の一文が25円だそうですので、それで計算すると…十六文はナント400円!?

400円で名人の治療が受けられる!?という驚きのコスパです。

ちなみに江戸中期の立ち食いそば一杯で十六文(落語の“時そば”を参考にしています)ですので、(時代により相場変動はあるものの)かけそば一杯分に近い診療費で永田徳本は医療活動を行っていたといえます。(支援団体やスポンサーがいたのでしょうか…)

永田徳本は正確にはわかりませんが100を超える長寿であったそうです。この長寿さも名医のなせる業だったのでしょうか…。

さて、永田徳本の逸話もまた後日に少しずつ紹介しますとして、胃気を診る脈です。

この永田徳本と曲直瀬道三、同時代に生き関係も浅からぬ二人の名医が同じくして“食に関わる胃気を確かめる脈診法”を残しているのはいろいろと興味深いですね。

胃の気の有無を確かめる脈診法

胃気・胃の氣が有る脈、無い脈の見分け方に食前と食後と脈の変化をみるという方法があります。
これは鍼灸学生さんも聴いたことがある!という人は多いのではないでしょうか?

この食前・食後の脈の比較によって胃気の有無を診る法を説いているのが『診脈論』と『増補脈論口訣』です。

『増補脈論口訣』は曲直瀬道三の系統による脈診書であり、『診脈論』は永田徳本の伝だとされており『梅花無尽蔵』に収録されています。

『診脉論』には次のような言葉が記されています。診脉論中の胃氣脉の内容を抜粋します。

「第一、浮にして其の腑を候い、沈にして其の藏を候い、中にして胃氣を候う。之を三部九候と云う。
第二、浮中沈の中と云う處候い難し故に浮沈共に脉全く應を胃氣あると知るべし。是れ秘訣なり。
第三、男子は右の尺中命門の脉左の尺中腎よりも強きは胃氣あるなり。右の脉候は男女を分ち胃氣の有無を知る秘訣なり。
第四、食前に脉を候うを食事し終て後又候うに食前に候いし脉と同じき者は胃氣なしとす。食前食後と脉不同は胃氣ありとす。穀氣未だ盡きざる故なり。
第五、寇宗奭の胃氣三按一挙の脉とて我家の奥旨也。
春は六脉弦而按之則絶す。
夏は六脉洪而按之則絶す。
秋は六脉浮而按之則絶す。
冬は六脉沈而按之則絶す。
右胃中の穀氣絶して五臓六腑を営まざるなり。
此の五條の胃の氣を候う訣は誠に醫家の秘奥なり。
慎みて浸りに傳うること勿れ。」

下線部、第四の文が今回のテーマです。

食前に脈を診ます。さらに食後に脈を診たとき、食前の脈と変わらない人は胃気が無いと判断します。
反対に食前と食後で脈が変わっている場合は胃気が有ると判断します。

分かりやすい判断基準ですね。

食事=水穀の精微を摂り入れる行為です。
それなのに脈にその兆しが現れていないということは、胃気が働いていない=胃気無しということです。

同様の記載は『増補脈論口訣』巻一の十八に「胃氣の脉の事」の項目にも記されています。

曲直瀬道三が伝える胃気を診る脈診は…

内容を以下に引用します。

「難経十五難に詳らかに出たり。然れども意得(こころえ)がたき条数(あま)たなり。
當流胃の氣の習い明白にして、此の条々最も至寶(至宝)たり。胃の氣とは肺脉を本(もと)とす。
長病の人、肺臓の脉連々に弱く幽(かすか)に成りて、そはそはと指に當(あた)る心あり。
此一脉に心を深く入れて試むべし也。但し胃の氣の沙汰は若年、或いは五日十日の病にはなし。
何の煩いも久病、労瘵(ろうさい)、久痢、腎虚、老人等に必ず之(これ)有るべし。胃の氣の脉幽(かすか)ならば、死近付くと知り、
絶えたらば急死と知るべき也。
胃の氣絶するとき、病人の鼻少しゆがむ也。
食前食後に習いあり。
たとえば朝食以前に脉浮・弦・洪・数にもあれ力ありて、
食後に又診脉するに沈細遅にもあれ力なくは胃の氣すくなしと知るべし。
食前より食後の脉たしかにはる心あらば、胃の氣ありと知るべし。又口傳。胃の氣の脉を押し試みて指を引くあと少しくぼむ、これまた胃の氣すくなしと知るべし。
指をひけともくぼみなきは胃の氣ある也。
但し脹満、或いは腫れたる病はあと付く事大法なり。格別也。」

『増補脈論口訣』をさかのぼって曲直瀬道三 著とされる『切紙』を調べるとやはり胃気を診る脈法がいくつも伝えられています。

そしてその中に食に関わる胃気検脈法があります。

宗奭胃の氣 三按一挙月湖所秘也
胃氣の口訣
平旦に脉を候うの時、氣口の虚実を察して後に食後に之を診る。氣口の脉少し食前に勝つときは則ち其の人胃の氣有りと知る。若し食前の脉と同じときは則ち知らんぬ、胃の氣寸口に朝さざることを。
○宗奭胃絶の説
春六脉弦にして之を按せば則ち絶す。
夏六脉洪にして之を按せば則ち絶す。
秋六脉浮にして之を按せば則ち絶す。
冬六脉沈にして之を按せば則ち絶す。
右(上の)胃中の穀氣絶敗して五臓六腑を営せざる者也。
干時天文第七戊戌年重陽日之を記す
師翁口傳にして敢えて失墜させざるの所以
日東洛下 雖知昔戸 道三

この宗奭は寇宗奭のことでしょうか。
寇宗奭は生没年はともに不明ですが、宋代の人で1111-1117年にかけて医官に任ぜられたことは分かっているようです。また『本草衍義』を著したことで知られています。

『本草衍義』は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能です。(コチラをどうぞ)
残念ながら『本草衍義』の内容すべてを確認できていませんので、食前食後の脈で胃の気の有無を診る法がここに記されているのか、また三按一挙の法の詳細は不明のままです。

しかし、曲直瀬道三も永田徳本も田代三喜に師事したとありますので、田代三喜が持ち帰った宋医学・金元医学由来の脈法だとみていいのではないでしょうか。

食前食後の脈に教えがあると。食前に脈が浮・洪・数などの陽性の脈が現われていたとします。その陽性が強かった脈が食後では鎮まり沈・細・遅と陰性の脈になったとします。しかし、食前には有力であった脈も脈力が減じてしまったのであれば、それは悪証であり、胃気が少ないと判断します。

水穀の精微を取り入れたのですから、脈の力は増してしかるべきなのです。

同様の表現で「食前より食後の脈の方がはる心があれば(→張る・力が益すの意か)胃気がある」と書いています。

この現象は水を飲むだけでも、脈は素直に変化します。冷たい水・お湯などの水の寒熱でも変化は異なりますし、その差の理由を考えること(もちろん東洋医学的な考察)も勉強になります。

また水だけでなく、飲酒後の変化、五味を摂取した後の変化も脈診の勉強になりますね。(五味を摂取しての脈状の変化は鍼灸フェスタで鍼道五経会のイベントとして体験してもらいました→コチラの記事を参照のこと)

胃氣と神について考える

摂食後の脈の変化を確認した人もいると思いますが、
実際には脈の変化は摂食・嚥下して3~5拍(二、三至)後に起こります。

となると、水穀の精微を吸収してから脈が変化するということではなさそうですね。
私が思うに、水穀の精微を吸収して脈が変化するのではなく、その兆しが脈にあらわれるのではないかと。

さらにいうと…
そもそも見方を変えると水穀とはいえども生体にとっては異物です。
その異物を受け入れ、自己の一部として取り込もうとする生命の働きこそが
神であり、胃の氣であり、生命力であると考えるのです。

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