第11章 下後身反熱・第12章 下後脈反数

これまでのあらすじ

前回の「邪気復聚」は“邪気が再び聚(あつ)まること”という名で再発する熱病の病理を説きました。
そして鑑別ポイントは「瘟疫と労復との見極め」です。

労復病については『諸病源候論』にも『傷寒論』にも記載されています。
病み上がりの注意と治法について説かれているので、前章では鑑別対象になったとはいえ、やはり大切な内容です。
併せて理解を深めるべきでしょう。

(写真・文章ともに四庫醫學叢書『瘟疫論』上海古籍出版社 より引用させていただきました。)

第11章 下後身反熱

下後身反熱
應(まさ)に下すべきの証、下後當に脉静にして身涼なるべきに、今、反って発熱せしむる者は、これ内結開き、正氣通じ、鬱陽 暴かに伸びる也。
即ち爐中に伏する火が、撥開するときは、焔ありと雖も久しからずして自ずと息するが如く、
これと下後の脉、反って数なることと義同じ。
若し瘟疫、膜原に発し、當に日に漸くして熱加わる、胃に尚(なお)邪無くに、誤りて承気湯を用い、更に発熱を加う。
実は承気に然らしむるに非ず、すなわち邪氣方(まさ)に分肉の熱を張る也。
但、下すこと早きの誤を嫌う、徒らに胃氣を傷るのみ。日後、胃に傳えば再び當に之を下すべし。
又、薬煩なる者有り、これとは懸絶す。詳らかに本條に載せる。

下後(下法を施した後)をテーマにした章は、第8章・第9章の「下後脈浮」「下後脈復沈」にもありましたね。
そこでは下後の治法3つのパターンを挙げていました。
つまり下法を第1の治療として行った後、予測される病伝3パターンに応じて、以下に第2の治法をシミュレートするか?について論が展開されていました。

今回の「下後反身熱」で詳解されているのは「下法を施したにも関わらず身熱を発するケース」です。
一見したところ、陽明経また腑また膜原にまだ残存している邪のために発熱しているのでは?と思うところですが、よく読んでみましょう。

内に結ぼれが解除され、正気が開き、今まで病・邪によって封じられていた陽気の動きが爆発的に伸びて表に到達する…といった表現があります。
この内外における陽気・正気の動きによって、身熱が現れるのです。
“爐中の伏火”の譬えにあるように、この焔・身熱は一過性のもの。
実熱ではなく、治癒過程の仮熱のような現象だと説いています。
下法の直後に現れる数脈も同じ原理によるものだとしています。

また後半部は長~い条件設定から始まります。
「瘟疫の邪が膜原に在るとき、その熱が表に波及して身熱が現われるが、陽明胃腑に邪は存在しない、にもかかわらず承気湯を処方してしまった結果、発熱が起こってしまった…」と、こんなケース。
これは承気湯のせいで起こる熱ではないと主張しています。

それも当然、承気湯は胃腑の邪気に対する処方。そして事前の設定では“膜原に邪気がいる”ので、承気湯の判断は的外れなのです。
承気湯で下した結果、邪気はしっかりと膜原に残存し、その邪が発した分肉への熱が身熱を呈するというストーリーです。

“分肉”という言葉も霊枢に頻出してくる言葉です。
霊枢の定義通りであれば、衛気の領域ですので、この熱は浅層の熱であることが分かります。

文末には薬煩という現象もあるが、それとこれとは全く異なる機序であると説いてます。

第12章 下後脈反数

下後脈反数
應(まさ)に下すべきに下を失すれば、口燥、舌乾して渇。身反って熱減じ、四肢は時に厥し、火を近くし被を壅することを得んと欲す。
これ陽氣の伏する也。
既に下して厥回り、爐を去りて被を減じ、脉大にして而して数を加え、舌上に津を生じ、水飲を思わず。
これ裏邪去りて、鬱陽の暴かに伸びる也。
柴胡清燥湯去花粉知母加葛根に宜し。
その性に随いて之を升泄す。
この証、類して白虎に近し。
但、熱渇既に除かれば又、白虎の宜しき所に非ざる也。

ここで下法に応じて下を失すれば、口舌は乾燥して熱所見がみられるも、反して身熱は減少する。しかも四肢厥冷し、暖房厚着にて温めることを欲する。
実熱であれば、悪熱して、火を嫌うはずなのに。
この証は、陽気が内に伏しているだけなので、四肢末端や皮表が冷える。なので内に熱はこもり外は冷えるという現象が起こる。

しかし、下法によって裏実を処理すると、暖房や厚着は不要となる。
脈は大数となり、舌の乾燥・口渇冷飲は消失する。
これは裏実を去ったことで、裏熱所見は解除されるのだ、その結果として口舌や末端外表の所見に改善がみられる。
しかし、これに反して脈は大や数が現れる。

と、以上が一部概略ですが、この証と脈の乖離に対しては判断を必要とします。
ひとつの可能性として挙げられるのが、前述の通り「内部に鬱滞していた陽氣が爆発的に表に開く現象」です。

脈と症状が一致しない問題(脉證不應)に関しては「瘟疫論」では随所に指摘されています。
その結果としてか、脈診から舌診へと診法の中心が移り変わっていったようにも感じます。

舌は心の苗でもあり、血の状態を診るにも向いています。
故に熱の氣分・血分(血熱)を判定するのに向いていたのであろうか…今後『瘟疫論』の学びを深めていく過程でまた新たな発見があることでしょう。

さて、脈証不応(脈証不一致)についてもう少し触れておきましょう。
普段の臨床でも往々にして「治法内容とその後の脈が合わない」「症状と脈が合わない」という現象はよく見られる。
(瘟疫患者の脈証ではないので、瘟疫病に関する正確な情報ではないことを断っておきますが)

例えば・・・
①虚脈患者に対して補陰補裏を行った後に、一過性に脈弦を呈するケース。
②項背部痛に脈沈細弦を示し、太陽経を疎通して脈が浮位に伸び緩大の脈状に変化するケース。
③(病症ではないが)深夜熟睡時の脈状は沈遅ではなく、浮滑大であることが多い。

以上の脈証不一致の例は、一見したところ矛盾しており、特に①②のケースは、誤診誤治に見えるかもしれませんが、そうではありません。もちろん然るべき東医的治癒ストーリーがあります。(ここでは割愛する)

安易な「脈状=病症」といった脈証相対の思考では、臨床でみられる脈証の矛盾に混乱してしまうかと思われます。

第11章、第12章に説かれているように、転機に向かう際の病理学的・生理学的な東医ストーリーを脳内にて構築しておく必要があります。
これが段階に至れば診証不応、脈証不応という混乱はかなり減るはずでしょう。
(何度も断っておくが、瘟疫病に関しては未確認)

第10章【邪氣復聚】≪ 第11章【下後身反熱】第12章【下後脈反熱】≫ 第13章【因証数攻】

鍼道五経会 足立繁久

おすすめ記事

  • Pocket
  • LINEで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを残す




Menu

HOME

TOP