第13章 因証数攻『瘟疫論』より

これまでのあらすじ

前回は下後に現れる身熱や脈数についての解説でした。これまで何度も書いたように瘟疫論における病理観は膜原を起点としています。
膜原は経に近く胃に近い。表から邪が侵入する傷寒論に比べて、陽明腑に邪が侵入しやすい前設定といえます。

無論、瘟疫の症状も高熱を繰り返し発しますので、陽明病のような特徴を有します。
陽明腑が重要拠点のひとつとなるため、下法は治療の要の一つであり、下法の後(下後)の診断は極めて重要となるのです。

そして今回の内容は証に因りて数(再度)攻めよ。
やはり攻め(攻下法)は『瘟疫論』において重要な治法となっていることがわかりますね。

(写真・文章ともに四庫醫學叢書『瘟疫論』上海古籍出版社 より引用させていただきました。)

第13章 因証数攻

因証数攻
瘟疫下後二三日、或いは一二日、舌上復た胎刺を生じるは、邪未だ盡されざる也。
再び之を下せ。
胎刺、未だ去らずと雖も已(すで)に鋒芒無くして軟、然れども熱渇未だ除かれざるは更に之を下せ。
熱渇減じ胎刺脱して、日後更に復た熱して、又、胎刺生ずるは、更に之を下して宜し。

余の里の周因之なる者、疫を患うこと月餘、胎刺凡そ三換し、計して大黄二十両を服して、始めて熱、復作せず、その餘の脉と證、方に退くことを得る。
凡そ下(下法)は数を以って計らず、是の證有れば則ち是の薬を投ずる所以。
是の証有るときは則ち是薬を投ず。
医家、理を見ること透ぜず、経歴未だ到らず、中道に疑を生じ、往々にしてこれら証に遇えば反して擔閣を致す。
但その中に、日を間(はさ)みて一たび下す者有り、
連ねて下すこと三四日に應する者有り。
連下すること二日、一日を間(はさ)みて應する者有り、
その間、寛緩の施、柴胡清燥湯を用いて應する者有り、犀角地黄湯を用いて應する者有り、
承気を投ずるに至りて、某日應に多きと、某日應に少なきと、その法を得ること能わざるが如しも亦、悞事を以って足る。これ言うを以て傳えて貴ぶべきに非ず乎。時に臨んで斟酌せよ。

朱海疇なる者、年四十五歳、疫を患い、下症を得る。
四肢挙がらず、身臥すること塑の如し。目閉じ、口張りて、舌上に胎刺。
その苦しむ所を問えば、答えること能わず。
因りてその子に問う。両三日、服する所は何の薬か?と。
云く、承気湯三剤を進め、毎剤大黄両餘を投ずるに効あらず。更には他策無し。惟、日を待ちて已。但、坐視するに忍びず。更に一診を祈る、と。
余、診し得るに、脉 尚(なお)神有り。下證、悉く具わる。薬浅く病深し也。
先ず大黄一両五銭を投じて、目は時有りて少し動き、
再び投じて、舌刺に芒無し。口は漸く開きて能く言う。
三剤にして舌胎少しく去り、神思は稍(やや)爽となる。
四日、柴胡清燥湯を服して、五日復た芒刺を生じ煩熱又加わる。再び之を下す。
七日、又承気養栄湯を投じて、熱少しく退く。
八日、仍お大承気を用い、肢體自ら能く少しく動く。
計るに半月共に大黄十二両を服して愈える。
又、数日にして始めて糜粥を進めて、調理すること両月にして平復す。
凡そ千人を治するに、遇う所、これ等は二三人に過ぎざるのみ。
姑(しばら)く、案(医案)を存し、以って参酌に備う。

本論では舌診所見として芒刺(ぼうし)という言葉が登場しました。
芒刺もまた熱証をあらわす所見です。

本章では、実際の治験例が紹介されています。

呉有性の体験に「胎刺三換」といった言葉があります。
ひと月の間に大黄を用いること計20両、陽明腑の湿熱を取り去っているにも関わらず、
再三にわたって湿熱所見である舌苔・芒刺が復活してきた…と、通常の陽明熱とは全く異なる様子が伝わってきます。

第4章「急証急攻」にあった“一日三変”という言葉からは、短時間のうちに急激かつ多彩な変化が伝わってきますし、
本章の“胎刺三換”ではひと月の間でも、何度も何度も熱証所見がゾンビのように復活してくる様子が伝わり、
尋常ではない熱病であることが強く印象に残ります。

実際に現場でこのような症状に直面すると『本当に所見通りに攻下を続けてもよいのだろうか…?』と大いに迷うことでしょう。
「疑いを生じ、往々にして擔閣(遅延)を致す」との戒めがあるように、
この瘟疫に対して、迷って打つ手を遅らせることは致命的なミスとなります。

2つ目の症例からも瘟疫がいかに手強い難敵であるかが良く伝わってきます。
疫病に罹って、手足は動かない。
目も閉たまま、口は開いたまま。
そのような寝たきり状態は人形(塑)のようである。
問診しても本人は答えることができないので、息子に聞けば、
前医から承気湯の処方が出ていた。
しかし…よくよく診ると、脉にはまだ神が残っているゾ…と。

この局面でもし私たちならどんな判断を下すでしょうか?

「もしこの時代に生きる鍼灸師だったなら…」
シビアな選択に迫られることは日常にあったことでしょう。
今の鍼灸師はなんやかんや言って恵まれ守られているのだと思います。

ちなみに、柴胡清燥湯や承気養栄湯という方剤が出てきますが
柴胡清燥湯は第30章「下後間服緩剤」
承気養栄湯は第28章「解後宜養陰忌投参朮」にそれぞれ処方が掲載されています。

この方剤についてはまた後ほどに。

第11章【下後身反熱】第12章【下後脈反熱】≪ 第13章【因証数攻】≫ 第14章【疫愈結存】

鍼道五経会 足立繁久

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