『宋版傷寒論』太陰病の書き下し文と原文①

張仲景の太陰病編

『傷寒雑病論』のいよいよ三陰病編に入ります。まずは太陰病編からです。三陰病には入ることで病伝ベクトルが変わる点に注意して読むとよいでしょう。


※『傷寒論』京都大学付属図書館より引用させていただきました。

※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

書き下し文 弁太陰病編 第十

■書き下し文 弁太陰病編 第十

傷寒論巻第六
漢 張仲景 述
晋  王叔和 撰次
宋  林 億 校正
明  趙開美 校刻
沈 琳 仝校

弁太陰病脈証并治第十
弁少陰病脈証并治第十一
弁厥陰病脈証并治第十二(厥利嘔噦附)

弁太陰病脈証并治第十(合三法、方三首)

273)太陰の病為(た)る、腹満而して吐す、食を下せず、自利益々甚し。時に腹自ら痛む。若し之を下せば、必ず胸下結鞕す。

274)太陰中風、四肢煩疼、陽微陰濇而して長なる者、欲愈んと欲するを為す。

275)太陰病、解せんと欲する時、亥より丑上に至る。

276)太陰病、脈浮なる者、発汗すべし、桂枝湯に宜しい。方一。
桂枝(三両、皮を去る) 芍薬(三両) 甘草(二両、炙る) 生姜(三両、切) 大棗(十二枚、擘く)
右五味、水七升を以て、三升を取り、滓を去る。一升を温服し、須臾にして熱稀粥一升を啜り、以て薬力を助く、温覆して汗を取る。

277)自利、渇せざる者は、太陰に属する。其れ臓に寒あるを以ての故也。當に之を温むべし。四逆輩を服するに宜しい。二。

278)傷寒、脈浮而して緩、手足自ら温なる者、繋りて太陰に在り。太陰は當に身黄を発する。若し小便自利する者は、発黄すること能わず。七八日に至れば、暴煩し下利日に十余行すると雖も、必ず自ら止む。脾家実するを以て、腐穢が當に去るが故也。

279)本(もと)太陽病、医反て之を下す、因りて腹満し時に痛む者は、太陰に属する也。桂枝加芍薬湯これを主る。
大実痛する者は、桂枝加大黄湯これを主る。三。
桂枝加芍薬湯方
桂枝(三両、皮を去る) 芍薬(六両) 甘草(二両、炙る) 大棗(十二枚、擘く) 生姜(三両、切る)
右(上)の五味、水七升を以て、煮て三升を取る、滓を去る。温分三服す。本に云う、桂枝湯。今は加芍薬(と云う)。
桂枝加大黄湯方
桂枝(三両、皮を去る) 大黄(二両) 芍薬(六両) 生姜(三両、切る) 甘草(二両、炙る) 大棗(十二枚、擘く)
右(上)の六味、水七升を以て、煮て三升を取り、滓を去る。一升を温分し、日に三服す。

280) 太陰病、脈弱、其の人続いて自便利。設し當に大黄芍薬を行うべき者は、宜しく之を減ずべし。其の人の胃氣弱く動じ易き以ての故也。(下利する者は、先ず芍薬を煎じ三沸す。)

太陰病の提綱

条文273)にはいわゆる太陰病の提綱ともいうべき症状群が記されています。
「太陰之為病、腹満而吐、食不下、自利益甚。時腹自痛。若下之、必胸下結鞕。」

「腹満」「吐」「食不下」「自利」「腹自痛」
と、これらの症候は太陰脾の病として理解しやすいでしょう。これまで太陽病・陽明病・少陽病と、寒熱を主体とし各病症を展開してきました。太陰病に入ることで一転して、陰証・裏証を主とした病症が展開されます。このことは少陰病編でも触れますが、三陽病ステージにおける病伝とは全く異なるものになるからです。

また「若下之、必胸下結鞕」という情報も重要です。誤下することで、その変証が胸下・心下に現れます。この誤下と心下の関係については後述しますが、この動きには三陰病ステージ特有の上・中・下の病伝観でみる必要があります。

提綱の他にも、注目しておきたい情報があります。それは太陰病における脈証です。

条文276には「太陰病、脈浮者」とあり、この点は違和感を覚えます。条文280にある「太陰病、脉弱」であれば脾胃虚の脈証として『ウンウン納得』となるものです。
しかし太陰病編には「脉浮」という情報が二度も登場するではありませんか(条文276、278
三陰病位に到った時点で、(表証を示す)脈浮は現れないはず。しかも表虚に対して効かせる方剤「桂枝湯に宜しい」とは『これ如何に?』と思うのは私だけでしょうか!?
この疑問についての解もまた後述しますが、ここに太陰病編の特殊性というか、万物の中央たる土がもつ幅の広さを感じさせられる点であります。

太陰病に桂枝湯?

太陰病編に挙げられる方剤は桂枝湯を軸としています。この“太陰病に桂枝湯”という組み合わせに違和感を覚える人もいるのではないでしょうか。

桂枝湯といえば太陽病編の首方であり、表虚に対して効かせる方剤という認識が強いです。
内藤希哲は『医経解惑論』にて「芍薬は脾陰を益し、甘草大棗は胃陽を補い、生姜は胃氣を発越して、桂枝の達表を補佐する。」という趣旨を「桂枝湯麻黄湯の論 」にて記しています。内藤一門の書『傷寒論類編』では桂枝湯を補衛剤といった表現で説明していたのも印象深いです。

また『腹舌図解』では、桂枝湯は表証の方剤であるが故か、特徴的な腹証は挙げられていません(「桂枝湯舌診腹候」を参照のこと)。桂枝湯はそれほどに浅い病位を対象とする方剤として認識されています。

それだけに太陰病に桂枝湯系剤が主軸として用いられている点に違和感を感じる人も多いかと思います。しかし、桂枝湯とは奥が深い方意を持つ湯液です。

桂枝湯の方意の奥深さ

桂枝湯の方意は表虚方剤ではない解釈もまた可能です。例えば『腹證奇覧』に記されている「上衝」と「拘攣」を目の付け所とした桂枝湯腹証がそれです(関連記事「(桂枝湯腹証)眼の付けどころは上衝と拘攣」)。
桂枝湯腹証において「上衝」と「拘攣」を要とする観点から、桂枝湯を“単なる表虚方剤としてみていない”ことが想像できます。
「上衝」は上向きベクトルであり、「拘攣」は内向きベクトルです。「上向き」と「内向き」という、一見矛盾したようにみえる病理ベクトルに対して複雑に効かるのが桂枝湯ともいえるのではないでしょうか。

この観点でみた場合の桂枝湯方意は以下のようになります。

「毒が上衝すると心胸を通過する際に、嘔を誘発する可能性があるため、方中に生姜を配しておく。また、拘攣は内向きに凝縮するため、これを大棗甘草で緩める。生姜・大棗・甘草で以て、桂枝・芍薬二味の補佐として拘攣・上衝の毒を治する。」と、『腹証奇覧』の桂枝湯方意をまとめるとこのようになります。
また引用文中にはありませんが(※)芍薬もまた拘攣を緩める薬能を持っています。
つまり芍薬・大棗・甘草で攣急を緩め、桂枝で上衝を治し、生姜で心胸・心下を温和させるという桂枝湯方意が見えてきます。
(※『腹証奇覧』本文では芍薬の攣急を緩める薬能はキチンと言及しています)

内部の攣急・急迫を解除することで、表氣の運行が正常化し、表邪が除かれる過程で発汗という現象が起こります。条文では「脈浮」とありますが、この治病機序であれば「脈浮」という脈証にも、桂枝湯方意にも矛盾することは無いかと思います。
また条文には「可發汗」とあり、桂枝湯が発汗剤のようにも読み取れる懸念がありますが、このような発汗機序は鍼灸治療の臨床でもしばしば確認できることであり、やはり矛盾の無いことかと思います。

『腹証奇覧』の桂枝湯の方意解釈は、内藤希哲が提示したそれとは全く異なりますが、このようにみると太陰病編における桂枝湯の役割りが理解しやすくなると思います。そして、当然ながら「霍乱病編」や「婦人妊娠病編」における桂枝湯の役割りもより理解を深めることができると思います。

桂枝加芍薬湯と桂枝加大黄湯

ここまでくると、太陰病編に桂枝加芍薬湯、桂枝加大黄湯が登場することも分かりやすいです。

「芍薬」は前述したように、攣急・拘攣・拘急を緩めるに有効な生薬です。
太陽病に対して誤下を行ったことで腹満を起こした…と、そのような病態に対して、芍薬を倍加して桂枝湯証よりも深い攣急・拘急を解除する…と、このような治病ストーリーも考えられます。

桂枝加大黄湯の場合は、以下のストーリーが想定されます。
[誤下によって中焦虚が起こる]→[正氣が充実してきて中焦に陽熱が集まり実熱化する(※)]→[過度に聚まった陽熱は元々の拘攣と結ぼれて大実痛を生じる]→桂枝加大黄湯適証となる。
※元々の証は太陽表病であり、そもそもが深刻な虚証ではないため、ある程度は自力回復ができる。しかし誤治の影響による変証が起こるという病理、このような解釈は宇津木昆台がよく用いています。

上記のように、発端は太陽病に対する誤治とはいえ、桂枝湯腹証としての拘攣があります。この拘攣は太陰病位に潜む伏邪と言い換えることができます(漢代よりも後代の医学観を持ち出しますが…)。この太陰病位に潜伏する拘攣が足場となって、陽氣が聚まった結果、実痛化することができるのです。

『傷寒論』に記される複雑な病伝ネットワーク

このように考えると、太陰病編は(少陽病編と同じく)条文数こそ少ないものの、桂枝湯を理解し直す上で非常に重要な編となります。

太陽病の首方であった桂枝湯証から、実は密かに太陰病位に病伝ルートが繋がっていたというのも魅力的な考察です。実際のところ『傷寒論』には複数の病伝ルートやその分岐点が示されおり、そのネットワークは実に複雑です。この複雑な病伝ネットワークを構築し、さらに“文字”という二次元のツールで伝承した張仲景、そしてそれを伝承された数多の先生方には敬意と感謝を覚えます。

さて、太陰病編で改めて見直すことになった桂枝湯ですが、日本漢方腹診(とくに吉益系)が注目した「上衝」と「拘攣」が大きな手掛かりとなりました。
ここで「上衝」という所見に今一度注目してみましょう。
『傷寒論』は、太陽病という表病からスタートするものの、すでに基本スペックとして「上衝」という性質を隠し持っているのです。そのため病位は常に上へ表へ陽位へと病伝を移してきたのが三陽病です(基本的には陽から陰へ病邪は侵攻しますが)。

その過程で、病邪に攻め入られた部位の一つが「心下」です。この「心下」という部位は傷寒病においては大きな要所だと個人的には考えています。

この心下に攻め入ることで、病邪はその侵攻を多方面に展開することが可能となります。例えば、陽明腑位・少陽病位・太陰病位・厥陰病位が分かりやすいでしょう。また心下の奥には「膈」がありますので、膈を経由してやはり太陽病位に再侵攻することも可能となります。

太陽表位から病が初発して、様々な病態を形成しながら、(下手をすれば)重症化して、最終的には死に至る、という病が傷寒病です。このような病はかなり特殊なものであり、この境地に至り、この観点で人の命を観て、病を分析した張仲景という人物は実に逸材であるといえるでしょう。伝統医学の世界では、彼のことを聖人・医聖・はては化け物(良い意味で)と色々と尊称・尊号を贈りますが『傷寒論』を読むたびに改めて実感できる次第であります。

鍼道五経会 足立繁久

少陽病編 第九 ≪ 太陰病編 第十 ≫ 少陰病編 第十二

原文 辨太陰病脉證并治第十

傷寒論巻第六
漢 張仲景 述
晋  王叔和 撰次
宋  林 億 校正
明  趙開美 校刻
沈 琳 仝校

辨太陰病脉證并治第十
辨少陰病脉證并治第十一
辨厥陰病脉證并治第十二(厥利嘔噦附)

辨太陰病脉證并治第十(合三法、方三首)

太陰之為病、腹滿而吐、食不下、自利益甚。時腹自痛。若下之、必胷下結鞕。
太陰中風、四肢煩疼、陽微陰濇而長者、為欲愈。
太陰病、欲觧時、從亥至丑上。
太陰病、脉浮者、可發汗、宜桂枝湯。方一。
桂枝(三兩去皮) 芍藥(三兩) 甘草(二兩炙) 生薑(三兩切) 大棗(十二枚擘)
右五味、以水七升、取三升、去滓。温服一升、須臾啜熱稀粥一升、以助藥力、温覆取汗。
自利不渇者、屬太陰、以其藏有寒故也、當温之。宜服四逆輩。二。
傷寒、脉浮而緩、手足自温者、繋在太陰。太陰當發身黄。若小便自利者、不能發黄。至七八日、雖暴煩下利日十餘行、必自止、以脾家實、腐穢當去故也。
本太陽病、醫反下之、因爾腹滿時痛者、屬太陰也。桂枝加芍藥湯主之。大實痛者、桂枝加大黄湯主之。三。
桂枝加芍藥湯方
桂枝(三兩去皮) 芍藥(六兩) 甘草(二兩炙) 大棗(十二枚擘) 生薑(三兩切)
右五味、以水七升、煑取三升、去滓。温分三服。本云、桂枝湯、今加芍藥。
桂枝加大黄湯方
桂枝(三兩去皮) 大黄(二兩) 芍藥(六兩) 生薑(三兩切) 甘草(二兩炙) 大棗(十二枚擘)
右六味、以水七升、煑取三升、去滓。温分一升。日三服。
太陰病、脉弱、其人續自便利。設當行大黄芍藥者、宜減之。以其人胃氣弱易動故也。(下利者、先煎芍藥三沸)

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