鍼は治八観二、脈は治二観八

治と診は互いに包括する

個々の流儀やその段階にもよるでしょうが「鍼は治八分観二分、脈は治二分観八分」が良い。
(※これは私の造語ですので、調べてもたぶん出てこないと思います。)

これはもちろん私見であります。
が、鍼灸というものは医学でありますが、同時に医療であり、医術でもあります。
医療や医術の要素として「治に診を含み、診に治を含む」ことが一つに挙げられるのではないかと思うところです。

「鍼先に目を付ける」「脈診は気からみる」といった言葉がこれに当たると思います。

もう少し具体的に書きましょう。

鍼は治八分観二分ということ

ある程度、鍼に慣れてくると、刺鍼しながら鍼先の景色といいますか、鍼先の感覚をイメージ化しやすくなるものです。
鍼尖やその周囲を脳内でイメージ化するといった「鍼先で見る」ことはそれほど高度な技ではありません。
取穴の際の正しい指先の感覚と情報処理、それと鍼先の感覚を一致させる作業を積み重ねれば、大抵の人はできるようになると思います。この「鍼で見る」は有形寄りの段階だと思います。

鍼で観るというのはその先のこと、無形の要素をみる必要があります。

鍼先で気の動き・力・質を感じ取ることが、これに当たるでしょうか。とはいえ、それらのことを感じ取れたからと言って淒いことではないと思います。しかし「主観的・感覚的なこと」だと片付けてしまうのも浅慮というもの。

その主観的・感覚的な情報を“理”によってどのように分析し、治療に活かすかが大切です。

正確な診察、医学に基づく診断、そして診断に沿った治療。これを踏まえて鍼治しながらも、鍼先で情報収集・フィードバックを行うのです。つまり、鍼には治と同時に診る要素があるのです。

特に当会でいう「衛氣」や「営氣」を主対象とする鍼灸師は、この観点を持つと有利ではあると思います。

他にも鍼先で観る感覚として、その人の呼吸、心情、生命や時間など…ここでは敢えてボカシて書きますが、いろいろと観ることは可能ではないかと思います。なにしろ鍼を介して彼我は繋がっているのですから。

以上のような意味で「鍼は治であり診である」といえるのですが、あまりに見よう診ようとしてもいけません。当然ですね。
あくまでも鍼は治療の道具であり手段です。鍼の本分を見失うべきではありません。

それと対称的であり、それでいて似ているのが切診です。私は脈診に力を入れますので上記では「脈は治二分観八分」と書いてますが。
脈診に限らず、腹診や切経、取穴もすべて同様のことが言えると思います。

脈は治二分観八分ということ

たとえば脈診ですが、表裏・虚実・寒熱・氣血水・臓腑・経絡・上中下…等々、脈を通じて病位・病性・病勢・病理などの情報を収集します。ですが、脈を診るため深くそれでいて離れてみていくと、脈診所見以外の情報が入ってきたり、ふと脳裏に浮かびあがったりすることもあります。
医学的な情報(病に関する情報)なのか、その人の情報なのかの境界線が不明瞭になる感じでしょうか。
この話は、上記の鍼の話と同じで、脈を介して彼我は繋がっているのでそれほど可笑しな話でもありません。ましてや脈は心神に通ずるのですから。

それだけに、脈を診よう診ようとすることも宜しいことではありません。

脈を診ようとする気が強すぎて、相手の手首に指跡がくっきり残るくらい診る(=つかむ)…、このようなケースは脈診初級者にありがちなケースですね。金魚すくいで金魚を捕まえようとやっきになってポイの紙を破るようなものです。

写真;金魚すくいの写真 金魚すくいのコツの一つは、金魚を追い立てず紙を破らないポイさばき

それに脈診という行為は、相手の氣の運行に介入する行為でもあります。一方的にクレクレと要求を強奪するような姿勢では困るのです。
相手の氣はその姿勢に疲弊してしまうか、その強引な空気に気づいて知らずと壁を作ってしまう…といった展開が予想できます。
(察しない人は大抵の場合、この変化にも気づけませんが)

ですので脈をみるときには、相手の氣の流れに乗ることは勿論、むしろその氣の行りを調えてあげるくらいの所作が必要なのです。
すなわち脈は診であり治でもある故に「脈は治二分観八分」ということです。

初学者にとって大事なこと

初級者は往往にして、鍼が“治十分”になったり、脈診では診ようとする気持ちが強すぎて“診二十分”になったりするものです。
ですが、これはこれで必要な段階だとも思います。

初級者が不思議なものをみようとして、鍼治療の本分を見失っても困りものです。診察も同様です。
かといってより上を目指す者が、単なる治療の道具やテクニックとして鍼を狭い物にしてしまうのも残念なことです。

それぞれの鍼灸師が各自の段階を自覚し、そして上の段階を目指し、模索探求しつつ、切磋琢磨を行うことが大事なことであり、鍼が楽しくなることだと思います。

鍼道五経会 足立

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