三密と鍼灸

本来の三密も知っておくべき

新型コロナ対策の影響で、三密という言葉がずいぶんメジャーになりました。
でも、本来の三密とはどのようなものか?意外と知られていないと思います。

そもそも三密とは、密教に伝えられる教え・行の一つです。
身密・口密・意密をもって三密(三密加持)とします。

具体的かつ簡単に説明すると…
身密とは、仏を表わす印を結びます。
口密とは、仏の言葉であるご真言を唱えます。
意密とは、仏の姿を心中に映じます。

このよう行法を三密と言います。
『即身成仏義』(空海 著)には「謂 三密者 一身密 二語密 三心密。」(※文末に訳文引用)とあります。

修行としての三密は、決して“避けるべき三つの密”ではないのですね。

鍼灸師も三密をしている?

この三密という修行法ですが、これは鍼の治療、灸の治療でも行っているのではないか?と私は思うのです。

そもそも治療中は、(ある意味)瞑想に近い状態を行ったり来たりします。
「夢と現(うつつ)の間にある鍼が最良の鍼」であるとも私は考えています。

そのために毎年、鍼道五経会では「鍼灸師の遠足」を通じて色々な体験をしてもらうのですが。

で、三密と鍼・灸とはどんな関係があるの???と思われるしょう。
ここからはまったくの私見になりますが…

印を結ぶという身密
これは鍼を持つ、ツボを押す指はまさに円を結びます。
来迎印を分解したもの…というと拡大解釈に過ぎるでしょうか。

仏を心に映じる心境である意密
これは患者の平癒、健康を祈り願う心こそ、その境地と言えるのではないでしょうか。

ご真言を唱える口密
現代の鍼灸の現場では難しいでしょうか…。
しかし、古典鍼灸をひも解くと、ご真言や呪文を唱える教えは伝承されているのです。

補瀉の呪文

よく知られたものとしては『鍼灸聚英(鍼灸節要聚英)』(明代・高武 著)の巻三 補瀉の章にあります。

『素問』遺篇の補腎兪注に曰く、
圓利針をを用いるに、刺時に臨みて咒(まじない)て曰く、“五帝上真、六甲玄霊、気符至陰、百邪閉理”
これを三遍念じて、先ず二分刺し、六呼留め、次に針を入れて三分に至る。動じて氣至りて、徐徐に針を出す。手を以てこれを捫する。針を受けた人には、気を咽びせしめること三次、又 神魂を定めるべし。
瀉脾兪注に曰く、
針を下さんと欲する時に咒(まじない)て曰く、“帝扶天形、護命成霊”
これを三遍誦える、乃ち三分刺し、七呼留め、動じて氣至りて、急にその針を出す。

この記述は『鍼灸大成』(明代・楊継州 著)にも四明高氏補瀉に記載されています。
また日本鍼灸でも『鍼灸重寶記(鍼灸重宝記)』(1718年刊 本郷正豊 著)にても収録されています。


(写真:『鍼灸重宝記』本郷正豊 著)

呪文も唱える回数も『鍼灸聚英』に同じ。
しかしこれはご真言ではなく、道教系の咒文のようですね。

五帝とは

ちなみに、補法の咒文にある五帝とは『史記』五帝本紀に、第一の帝を黄帝とし、第二帝を顓頊(せんぎょく)、第三帝を嚳(こく)、第四帝を堯、第五帝に舜…としています。(参考ページ『史記』Web漢文大系
※これには文献により諸説あります。

六甲は神仙や遁甲の方面からの理解が必要なようです。

咒文の意味

腎兪を補する咒文、脾兪を瀉する咒文をそれぞれみるに、専門用語の真意を解するのは難しいので、最後の文言だけに注目しましょう。

補咒は「百邪閉理」、瀉咒は「護命成霊」なんとなく分かるような…ですね。
前半フレーズは、五帝や帝、すなわち天の神に祈っているのです。

真言を呪する鍼法も伝承されている

『経験鍼法』(著者未詳)には、「諸病影鍼」という技法が記されています。

(『臨床鍼灸古典全書』6オリエント出版社 より引用させていただきました)

補注文には「アビラウンケンソワカ を となえて 画五躰へ鍼刺、勿論 口傳」とあります。

アビラウンケンソワカ(阿尾羅吽欠娑婆訶)とは大日如来のご真言です。

但し、勿論 口伝とあるため、私見を論じることは差し控えさせていただきます。

祈ることと治療することと

道教系神仙系の咒にせよ、密教系の真言にせよ、共通しているのは天の神仏に祈る心持ちです。
これは、(悪い意味での)他力本願ではないと思うのですね。

ただ、無利無心に祈りながら鍼をするというのは、我や執着から離れます。
『治したい』『良くなって欲しい』ということも執着であり我です。

でもその動機・発心を否定するわけではありません。
治療家の本分はやはり治療することなのですから。

ではどうすればいいのか?
やはり祈ることなのでしょう。それが三密における口密、意密につながると思う次第です。

私自身もこの一年近く、診療中は呪文を唱えて診療しています。
(どんな呪文かは伏せますが)
診療中、脈やお腹をみて、診断を立てつつ、治療内容(鍼灸配穴)を組み立て、鍼して検脈する…
その工程内でずっと口中で唱えることを続けています。
(もちろん、会話中は途切れてしまうので唱えることはまだ難しいですが)

『鍼灸聚英』より伝わる咒文は道教系のもののようですが、大事なのは祈ることなので
祝詞でも、お経でもご真言でも、バイブル、コーランなどなど…十分可だと思うのです。

そんなことをして何になるの?と言われそうですが(笑)
私自身としては気に入っています。
多賀法印流でいう「正邪一如」という言葉の解釈も幅が広がったように感じています。
これについてはまたいずれ…。

『即身成仏義』即身成仏の偈頌
是(かく)の如くの経論の字義差別(しゃべつ)、云何(いかん)?
頌に曰く、六大、無碍にして常に瑜伽なり (体)
四種曼荼、各(おのおの)離れず  (相)
三密加持して速疾に顕わる  (用)
重重帝網なるを即身と名づく (無碍)
法然にも薩般若を具足して
心数心王、刹塵に過ぎたり
各々五智・無際智を具す
円鏡力の故に実覚智なり  (成仏)

・・・・・

三密加持して速疾に顕わるとは、
謂く三密とは、一に身密、二に語密、三に心密なり。
法佛の三密とは、甚深微細(じんじんみさい)にして等覚(とうがく)十地(じゅうじ)も見聞(けんもん)すること能わず。
故に密と号う。
一一の尊、等しく刹塵の三密を具して互相に加入し、彼此摂持せり、衆生の三密もまた是の如し。
故に三密加持と名づく。
もし真言行人に有って、この義を観察して、手に印契を作し、口に真言をし、心に三摩地に住すれば、三密相応して加持するが故に、早く大悉地を得る。

『空海コレクション2』宮坂宥勝 監修の訳文より引用

鍼道五経会 足立繁久

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