鍼灸師はいくつの脳が必要?

治療技術だけでは食べていけない…という言葉

「治療技術だけではダメ…云々」これは少し前の鍼灸業界でうんざりするほど耳に目にした言葉だ(笑)。

もちろん「治療技術だけではやっていけない」ことは確かである。だが逆もまた然りで「治療できないとお話にならない」のが鍼灸師である。

「治療技術だけでは食べていけない」果たして言葉だけが正しいのだろうか?
伝統医学を深め、鍼灸治療を実践するには、治療家視点と経営者視点の対比だけではなく、もっと広い視野が必要だと思うのだ。

鍼灸師にはいくつの脳・思考・マインドが必要なのか?について書いておきたい。

さて治療を患者さんに施行・施術する以上、治療者・技術者として研鑽を続ける職人的な脳・能が必要である。

そして前述のごとく同じくらい経営者としての脳・マインドも必要不可欠だ。(私自身はこの分野には正直言ってあまり自身は持てないが)
よく聞く「技術があっても閉院してしまっては…」といった意見は極端なケースであるにしても、時間的にも金銭的にも余裕をもって学術探究に専念したいのも事実だ。

当然であるが、治療も経営も双方の知識・能力を備える必要が鍼灸師にはあるのだ。
ちなみに経営者としての脳・視点は、経営者や雇用者だけの問題ではない。被雇用者、つまり雇われる側にとっても経営者としての視点は必要である。

『安定した給料を得たい』『少しでも高い報酬額を…』といった希望を持つなら経営者としての思考は持っていて損はない。
雇用者の気持ちや視点を理解する被雇用者は、経営者にとって有能な人間であるのだから。トップや上司の信頼を得ることはそう難しいことではない。
(蛇足ながら…経営者視点に立つと、経営者批判に立つこともしばしば見られるが、論ずるべきは現行方針の是非ではない。)

また鍼灸師のほとんどは『将来いずれ開業・開院したい』という願望・ビジョンを持っているものだ。
『雇われている間は、まだまだ経営者マインドは必要ない』…なんて思っている人は開業できないか、開業しても痛いめにあるだろう。

治療と経営の2つで大丈夫?

鍼灸師にとって必要な脳・観点はまだまだある。

前述の治療家としての脳は譬えていうならば、療術家としての脳・職人的な脳である。

治療のためには他にも医学者としての脳(知識・素養・思考)が要る。

2020年に起った新型コロナウイルス感染症(COVID-19、以下“新型コロナ”)を例に挙げてみよう。
この新型コロナの影響が日常のものとなった時、巷の噂に流されず、あくまでも近代医学の情報を収集、分析しようとした鍼灸師はどれほどいるだろう。
ここでは、正しい分析ができたかどうか?が問題ではなく、巷の噂に流されず冷静に思考することができたか?について振り返ってみてほしい。

それと同時に我々が専門とする伝統医学ではこの新型コロナという疫病をどのように捉えるべきか?と、近代医学と伝統医学を並列にみて判断しようとする脳が必要だと考えている。

また来院される患者さんは、メディアの情報に翻弄され不安も増大していたことだろう。
そのような患者さんに、医療人としてどのような姿勢で接し、どのような言葉をかけるべきか…?その場その場で臨機応変に対処する能力が問われる。いわば医療人としての脳(判断・指針)も要求される。

このようにみると他にも脳はまだまだある。
臨床鍼灸師ならば、一般には正しく理解されていない東洋医学のことを患者さんに説明し、治療や養生といった行動に移してもらえるよう工夫することも多々あるだろう。
この時の工夫や思考は教育者の脳でもある。

また鍼灸業界全体のことを見据えている先生にとっては政治家としての脳・視点も発揮されていることだろう。

鍼灸や漢方など伝統医学を突き詰めていくと、医学の領域を追究するだけでは収まらなくなる。
歴史・思想・宗教・自然科学・数学・物理学…などなど、伝統医学とは全く別の領域から並行して学び研究を深める必要もでてくる。
この時は探究者としての脳が要る。

以上は「私の視点からみた“鍼灸師に必要とされる脳”」であるが、みる人によっては他にも複数の脳・能が挙げられるだろう。

だから鍼灸師ってスゴイお仕事…

以上、治療家・経営者・医学者・医療人…などなどの脳を思いつくままに列挙したが
言いたいことは、こんなに複数の視点で物事を考えなければならない鍼灸師ってスゴイ仕事なんだ!といったスゴイ自慢・タイヘン自慢なのではない。

自慢したいことはそこではなく、複数の視点で物事を捉えることを要求される(捉えることができる)のは、脳力・能力を向上させるのに非常に有益なことである。このような経験ができる鍼灸師って、そこは良いお仕事だと素直に思う。
そしてこのような経験を糧にすることで、いわゆる「深い洞察力を備える人」「広い視野を持つ人間」また「器の大きい人」といった人物に成長するのではないだろうか。

鍼灸界の重鎮と呼ばれる先生を思い返してみると、いくつになっても知識に対して貪欲であり、若い世代以上にすごい情熱を持っておられ、それでいて懐の深い御仁も多い。そのような方々は決して一つの脳・観点から物事を視ているのではないのだろうな…と、思わされるのだ。

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