富士川游・吉益東洞の顕彰碑訪問 in 広島大学

広島医蹟巡り

日本伝統鍼灸学会2日目、学会参加の合間を縫って、医蹟巡りに行ってきました。

目的地は広島大学。有力筋の情報(生薬探偵こと濱口昭宏先生)によると、広島大学には富士川游先生の顕彰碑と吉益東洞の顕彰碑があるとのこと!
本当は広島大学の他にも富士川游先生の顕彰碑が2か所、墓所などの情報も濱口先生からいただいていたのですが、学会会場を中心に回れるのは広島大学だけなので、今回はこの工程と相成りました。

それにしても富士川游と吉益東洞、どちらもビッグネームじゃあないですか!
しかも富士川游先生の膨大な数の蔵書(9000余冊)は現在、京都大学貴重資料デジタルアーカイブに収蔵、保管、そしてデジタル化された資料がネット上で閲覧利用できるようになっています。

今回の講演『鍼灸師だからこそできるママサポート』でも、15以上のスライドで学術引用させていただいております。
また当サイト記事においても、もはや数え切れない(言いすぎか?)ほどの資料を富士川文庫様から参考にさせていただいております。

広島に行ったのなら、これは御礼参りに行くしかない!と鼻息荒く広島大学に向かいました。

広島大学医学部医学資料館の案内板

広島大学構内に入ると、すぐに目につくのが赤レンガ造りの医学資料館。

画像:赤レンガ造りの医学資料館

もちろんこの日は休館日でしたが、当館には彼の『解體新書』の初版本が保管されているとのこと。『解体新書』の説明はいうまでもないことかもしれませんが、少しだけ説明を…。
杉田玄白と前野良沢らが蘭学医書『ターヘル・アナトミア』を苦心の末に邦訳、1774年に出版した医学書であります。

また「星野木骨」も保存されているとのこと。「星野木骨」なるものはあまり知られていないと思います。
木骨とは木製人体骨格模型のこと。星野とは作者、星野良悦(1754-1802年)の名で、彼は町医者であったが、藩の許可を得て、解剖した人骨を基に工人に依頼して模型を作成させたとのこと。この藩から許可を得たという点は恵まれた条件なのかもしれません。(『整骨新書の各務文献先生の墓所』を参照のこと)
この木骨の精度の高さは杉田玄白らを驚かせます。この星野木骨は「ひろしまWEB博物館」さんのページ「身幹儀・星野木骨」にて画像を見ることができます。

さて、資料館の案内板だけでも大いに盛り上がった後は顕彰碑探しです。とにかくテクテクと進むと…意外とアッサリ見つかるものです。まぁ…顕彰碑ですから。

富士川游先生の顕彰碑はコレだ!

想像していたよりも立派でモダンなデザインの顕彰碑。
まずは『いつも富士川先生の資料に勉強させていただいております…』と御礼を意を伝え、おもむろに鍼道五経会メンバーで記念撮影。

画像:広島大学構内の富士川游顕彰碑にて

顕彰碑の横には、黄金色のソテツの花が雄々しく咲いていました。
 
画像:蘇鉄(ソテツ)の花と実

裏の碑文内容は以下になります。

富士川游は 一八六五年 広島市安古町に生れ
二十二歳 広島医学校を卒業して上京 中外医事により文筆生活に入る
二十五歳 第一回日本医学会幹事として活躍、次いで日本医史学会を始め多くの学会の創立を企画して現代医学の黎明期に大いなる役割をなした
一方 上京と共に生命保険医として全国を旅し 先進に関する古文書 墓碑を求めた
三十一 吉益東洞 土生玄磧 野坂完山ら先哲の発掘により広島は名医排出の地であるを知り 広島医学会の前身 芸備医学会を創立して後進への先達をした
三十九歳 日本医学史を著し 恩賜賞に輝き 医学史講座開設のもとをなし 斯学の医学の基礎を築いた この間 殊に医道の高揚 医権の伸長に尽し 慈悲心をもって生命ある病者を治すことを教えた
七十五歳 鎌倉に没するまで 厚い信仰心と 常に野にあって 自主独立の精神により 広島時代の初心を貫いて 医学 哲学 社会 宗教の各分野に貢献したことは真に偉大いうべきである
昭和五十年八月五日
広島大学医学部創立
三十周年記念事業会
富士川游顕彰会建之


画像:裏の碑文にても記念撮影。逆光がなかなか神々しい感じに…

吉益東洞先生の顕彰碑はコレだ!

さらにテクテク進むと、吉益先生の顕彰碑に到着。

御礼を述べた後に記念撮影

画像:吉益東洞顕彰碑と記念撮影、こうして見るとなれなれしい感じで不敬なポージングかも…スミマセン。

写真右にある表碑文は以下の内容

顕彰墓碑由來記
東洞吉益先生(一七〇二~一七七三)その名は為則、
元禄十五年五月 廣島市銀山町に生まる
その人となり剛毅にして容貌魁偉 眼光炯々として人を射たといわる
親試實驗を以て証せられた自信により陰陽五行五運六氣等の憶説は盡く迷妄なりと斷じ『萬病唯一毒』の説とその術をもつて天下の醫を匡した
貧困の極 その生命危殆に瀕するも疾醫の道を志すること堅かりしという
その著 類聚方 方極 方機 醫事或問 醫斷 藥徴 等何れも當時の醫學界を震憾せしめた
先生により拓かれた醫論は日本漢方界の傳統として今日も猶脈々として志ある人々の心中に生きつゞけ彼の偉大なる業蹟を讃える全國有志一同の厚き追慕の情により
有縁寺坊の此の地に大塚敬節長老の書になる墓碑建立の宿願を果し得たことは後學の我等には望外の慶びである
昭和四十九年七月吉日
廣島漢方研究會
發起人一同

そして裏面には『吉益東洞碑建立寄附者芳名録』が

文字に起こすのはここでは省きますが、錚々たるメンバーがずらりと列記されています。
令和以降になると、このような顕彰碑を建てて後世に遺していくということも無くなるのでしょうね。

薬用植物園にも足を運びました

広島大学構内にはなんと薬用植物園もありました。

画像:広島大学薬学部附属薬用植物園

この日(日曜日)は休館日ですので、中に入って見学は叶わず…。柵の外からの見学と相成りました。広大薬用植物園でみた植物たちをいくつかピックアップします。

大棗(ナツメ)


画像:棗(ナツメ)の樹と実

大阪の足立鍼灸治療院前のナツメの樹は早くも葉を落としたが、広島のナツメはいまだ青々としてたわわに実をつけていた。

画像:温室内にあるセイロンニッケイ

大きな立派な温室に驚かされました。

五味子(チョウセンゴミシ)


画像:チョウセンゴミシ(五味子)

チョウセンゴミシは北五味子と称し、対する南五味子はサネカズラである。北五味子の産地は中国の北部や朝鮮半島にあたる。

何首烏(カシュウ・ツルドクダミ)


画像:何首烏(カシュウ)の地上部

何首烏ことツルドクダミは、濱口先生率いる「金匱植物同好会2019秋」にて一度観察しましたが、ちょっと自信が持てなかった種。なので、もう一度確認できてよかったです。

他にもたくさんの薬用植物が大切に栽培・保管されていることが柵越しにて観察することができました。

鍼道五経会 足立繁久

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